第298話 カーニバル

 都内でライブを行うのが、ちょっと難しくなってきた。

 いや、やろうと思えばいくらでも、やることは出来るのだが。

 チケットの料金を上げたとしても、転売の可能性が高くなるのみ。

 知り合いから売っていくか、ファンクラブを優先して売っていくかで、ある程度の予防は出来るのだが。


 アイドルグループとは違うので、そこまで悪質な転売が行われているわけではない。

 だが本当に聴きたい人にのみ届けられるなら、もう少し価格も上げられるだろう。

 完全に本人確認が出来るのなら、それでどうにかなるものだろう。

 しかし都内のライブハウスでは、ちょっとそれは難しい。

 クラブなどであれば、まだ本人確認も出来るのであろうが。


 とりあえずは都内から離れて、確保にも余裕のある、関東近隣でライブをすることにした。

 月に二回ほど、1000人オーバーのコンサートホールで。

 設営や移動に時間と金がかかるが、ある程度は仕方がないと考えるべきか。

 手間は増えるのに、入ってくる金はさほど変わらない。

 やはりがっつり儲けるためには、アリーナクラスの会場が必要になるのか。


 このあたりはやはり、事務所の力が重要になってくる。

 事務所自体が力を持っていることもあるが、イベンターやプロモーターとどう関わっていくかを、事務所に任せられるのだ。

 その中でブラジルのフェスは、待遇はそれなりに良くても、ギャラは安いというものだ。

 演奏するステージにしても、ぎりぎりまで変更の可能性がある。

 ただ海外のフェスに招待された、という実績はほしいのだ。

 ここで少し時間と労力をかければ、後にもっと大きくなって戻ってくる。


 俊にしてもさすがに、海外経験などはないのだ。

 知り合いにはそれなりに、海外でやってきたという人間もいるが。

 父の世代であると、ほとんど海外で演奏しているバンドやシンガーはいなかった。

 時代の流れと共に、海外に出てくる動きが出てきたと言うべきか。


 ノイズの音楽も、海外を意識しているが、洋楽の色を消そうとはしている。

 技巧に走りすぎているのは、むしろ野暮に感じるのがアメリカらしいが、そういう流れも満ち干きがある。

 メタルがファッションに走りすぎた時、グランジが出てきたように。

 R&Bは主流の一つであるのだから、ノイズの音楽もそちらを上手く活かせばいい。

 客層はかなり地元の人間が多いが、アメリカなどから追いかけてくる人間もいるらしい。

 果たしてノイズの音楽を聴くために、地球の裏側までやってくる人間がいるかどうか。


 難しいだろうな、と俊は考えている。

 ざっと計算したが、飛行機に乗っているだけで、一日は潰れてしまう。

 チケット代だけではなく、そこまでの交通費もかかるわけだ。

 もちろん少数の熱狂的ファンが、いないとも限らない。

 しかし基本的にノイズは、ライトなファンを取り込めるように、今まで活動してきたのだ。


 初めての海外での演奏で、ほとんどオーディエンスが集まらなかったらどうなのか。

 日本のアニメは普通に、ネット配信でブラジルまで見られている。

 そしてそのOP曲などを、ノイズは歌っているのだ。

 せっかくノイジーガールをリマスターしたが、これは英語である。

 ブラジルはそれなりに英語を話せる人間がいるが、最大のものはブラジル系ポルトガル語。

 植民地から誕生した国であるのだ。




 第二次世界大戦以前、日本からアメリカやブラジルに渡った日本人は多かった。

 その大戦中、アメリカが日本人を強制収容所に入れたのは有名な話だし、事実上の財産放棄がされたことも確かである。

 なおブラジルはアメリカに比べて、同化政策は厳しかったが、大戦で完全に日本と敵対するのは、後になった。

 もっともブラジルは完全に、アメリカの勢力圏に組み入れられていたのだが。


 そんな過去があって、日系ブラジル人はようやく、そういった差別からは逃れかけている。

 もっともブラジル自体の治安が悪いので、別の問題はいくらでもあるが。

 調べれば調べるほど、どうもノイズにオファーしてきた背景が分からない。

 単純に昨今の日本アニメの人気から、その関係で呼ばれたものだとも思える。

 基本的に海外の大規模フェスであり、それなりのビッグネームも呼ばれる。 

 だがロックフェスとして、ちゃんと成立しているわけではない。


 むしろノイズにとっては、それが良かったのだろうか。

 ノイズの音楽にはロックが含まれているが、全体的にはポップスである。

 純粋に分かりやすく、メロディアスな音楽。

 ブラジルにはダンスをする文化もあるため、踊りやすい曲をやった方がいいのか。

 対象年齢を考えた場合、果たしてどう考えるべきか。

 もうブラジル一世の移民などはおらず、日本語も喋る人間は少なくなっているという。

 だが日系人同士の結婚はいまだ、それなりに多いそうだ。


 またブラジルには、中国をはじめとする、他のアジア人も移民している。

 日本食の料理屋が多いが、経営しているのは中華系というのは、よくあることであるらしい。

 そのあたりは基本的に、音楽には関係がない。

 音楽的にブラジルの特徴というのは、サンバなどからボサノヴァといったあたり。

 また言語は違うが、地理的にはそれなりにアメリカに近いため、欧米の音楽も受け止められている。


 ブラジルでは大規模な野外コンサートがそれなりに行われる。

 世界的なバンドが、ツアーでブラジルを巡るというのも、珍しいことではない。

 またこれはちょっとした違いだが、南米の多くの国がスペイン植民地であったのに対し、ブラジルはポルトガル植民地。

 スペインとポルトガルは、それなりに似ているところもある国で、ラテンのノリが受け継がれてもいる。


 ラテンのノリに合わせて、一曲作ってしまおうか。

 そう考えて俊は、以前に作った未完成の曲を出してくる。

 ラテン民族というのは、ラテン系の言語を使い、その文化の影響下にある。

 国別に見てみれば、イタリア人からスペイン人、ポルトガル人、フランス人などであるらしい。

 これはおおよそ、ローマ帝国が成立していた中でも、その西部にあたると言っていいだろう。


 ブラジルはポルトガル系である。

 ブラジル系ポルトガル語と言ってもいいぐらいには、ある程度の違いはある。

 ただコテコテの薩摩弁と、コテコテの津軽弁よりは、近いものであるかもしれない。

 実際にスペイン語とポルトガル語では、どうにか会話が成立するらしい。

 俊が持ってきた楽曲は、そのリズムがまずラテンのノリである。

 



 ラテンのノリというと、何かテンポが早く明るいもののように思える。

 確かにラテンの人間というのは、そういうイメージがあるのかもしれない。

 しかし俊の作った音楽は、抑え目でしっとりとした音楽。

 ギターが目立つが、それは派手で目立つというわけではない。


 リードギターであるのに、ほとんどがアルペジオ演奏。

 リズムギターは本当に単純なリズム。

 リズム隊は一定のラテンリズムで、そしてメロディだけが歌声となって、しっとりとした楽曲になっている。

 明るいさよりは、落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 穏やかな曲は、ゆったりと踊るのに向いているだろうか。

 開催される場所に合わせて、しっかりと楽曲を用意するということだ。


 こういった曲が、するっと出てくる。

 俊が提案してくるよりも、はるかに多くの曲を作っているのは、他のメンバーにも分かっている。

 アメリカならプリンスなどが、とんでもない多作であることで知られている。

 またイリヤも生涯に20000曲ほどを作曲し、そのうちの九割はまだ発表されていない。

 多作であるというのは、音楽においては成功条件の一つである。

 しかし一発屋であっても、その一曲だけでずっと、食べていける人間もいたりする。


 俊はバンドリーダーとして、メンバーが一生は食いっぱぐれない程度に、儲けを出すという考えはしている。

 それとは別に自分の音楽を、歴史にずっと残したい。

 楽譜だけではなく、今は音源が残せる時代だ。

 またライブDVDなどもしっかりと、記録しておくことが出来る。


 音楽はその楽曲の価値と、演奏者の価値の二つがある。

 かつては楽曲を残すことが価値であった。

 しかし今は演奏者のパフォーマンスが、しっかりと残せる時代。

 また音楽だけではなく、それに関連する人間の生態にまで、関心が寄せられる。


 歴史に名を残すというのは、どれだけ難しいことだろう。

 普通の人間は成功までは夢見ても、名声が残ることを考えるのは難しい。

 残した作品だけではなく、創作者本人にまで、その注意がいくのは、それなりに珍しいことではない。

 音楽の分野なら、ビートルズの分析などは、徹底的になされている。

 クラシックの巨匠は、その人生の記録もかなり残っている。


 楽譜と名前が残るだけでも、かなり凄いことであるのだ。

 ただそれだけだと、やはり作曲と作詞の大半をしている、俊にばかり金が入ってしまう。

 俊はなんだかんだ言いながら、プロデュースやマネジメントまではともかく、経営まではしたくない。

 音楽と全く関係ないところには、出来るだけ人に回してしまいたいのだ。

 そもそも才能や適性が、音楽と経営では、違ったものであろうから。

 もっとも周囲は、総合的な能力でならば、俊はとても高いと思っている。




 芸術家肌の人間がプロデュースなどをすると、むしろ失敗してしまう。

 表現とそれを受容する側には、ギャップが存在すると分かっているのだ。

 俊の場合はそのギャップが少ない。

 永遠に自分の音楽を残したいという野望を持っていても、それが難しいことをしっかり理解している。

 そこで諦めてしまわないあたり、成功者の素質があるのだが。


 頂点にたどり着く人間というのは、歩みを止めなかった人間だけである。

 既に頂点にいる人間が、落ちてくるのを待っていては、後から来た者に追い越されるだけだ。

 高みには自分で登って行かなければいけない。

 その高みが下がってくることはないのだから。


 音楽の高みを目指すことと、芸術性が極限に達することは、果たして両立するのか。 

 音楽も前衛的なものはあって、プログレシブ・ロックなどはその系統であるという。

 クラシックでもふざけたことに、無音をずっと続けてそれが音楽、という曲が存在する。

 俊はとても、そこまで前衛的になることは出来ない。


 俊は音楽を、リズムとメロディの二つに単純化している。

 そしてメロディを、伴奏と歌の二つにまた分けている。

 この単純な分割から、どうやって曲を生み出していくか。

 リズムの場合はやはり、信吾や栄二の意見を聞くのだ。


 他のメンバーもどんどん、以前に出してもらったように、作曲をやっていってもらいたい。

 ただ最近はもう、俊の作曲と編曲の能力が高くなって、なかなかそれを上回る曲というのは作れないのだ。

 そんな中でも遠慮なく、稚拙な曲を作ってくるのは千歳である。

 大学で学んだことを、そのままぶつけてくる。

 そしてリフなどは、かなり暁が変えてくる。


 三味線を使った曲になると、月子も作曲はしてくる。

 もっとも楽譜などには書けないので、テープなどに録音したり、そのままメンバーに聞かせるのだが。

 じょんがら節からのアレンジが多いと、これはギターソロのアレンジに似てくる。

 暁はとにかく、リフを大量に憶えているし作ってくる。

 ここからメロディが生まれてくることもあるのだ。


 ギターが二本あると、こういう時にはっきりと分けられる。

 リズムをしっかりと作りながら、メロディと歌を両方使う。

 さらにノイズはツインボーカルでもある。

 やりたいことをいくらでも出来る。

 最近はEDMすら使っているので、ユーロビートのカバーまでもが出来る。




 雰囲気を知るために、ブラジルのカーニバルを見たりもした。

 まあ見れば見るほど派手なものである。

 普段からフェミニズムでうるさい人間は、こちらにこそ文句を言いに行くべきではなかろうか。

 女性のダンスは芸術的ではあるが、同時に扇情的だ。

 もっともダンスというのはそもそも、そういう部分があるのだが。


 パレードのようなことを行って、おおよそ一週間にも渡る祭り。

 世界最大規模で、日本のコミケよりも巨大である。

 音楽フェスと比べても、これを上回る規模はほぼないだろう。

 こういう空気をブラジル人は、知っていて他のイベントにも出るわけだ。


 いよいよフェスの日程も近くなり、出場するステージの大きさも正式に決まる。

 一万人のステージというのは、既に日本なら何度も経験しているものだ。

 ただ舞台としては、完全にアウェイである。

 日系ブラジル人などが、今の日本の音楽を聴いてくれるだろうか。

 そもそも日系といっても、もはやパーソナリティはブラジル人であろう。


 日本の音楽好きが、果たしてどれぐらい行くだろうか。

 それなりには行くかもしれないが、他のステージと時間がかぶっていれば、やはり他のステージに行ってしまう。

 なんだかんだと今までは、ハコを相当埋めるだけの、前提があってステージに立ってきた。

 だが今回はそういった、どれだけの人数が集まるのか、予測が立てられない事態である。

 ただブラジルもそれなりに、日本のアニメには触れている環境ではある。

 その音楽をやっているノイズの知名度が、全くないわけでもないだろう。


 国内ならばフェスで、六万人を集めたこともある。

 しかし海外であれば、一万人も難しい。

 また何かを期待して聴きにくる、という人数も少ないだろう。

 地方ツアーをやった時も、それなりに苦しくはあった。

 だが言語の壁、というものもあるのだ。


 二月に入ると、この時期は千歳が大学もなくて暇である。

 三月にフェスが行われるというのは、千歳にとってはありがたい。

 いずれアメリカで人気を得るためなら、ドサ回りのツアーを人気ミュージシャンの前座でやるべきか。

 ただそんなことをやっても、今のロックでは受け入れられにくい。


 ネットという文明があるのだ。

 今はそこから、情報を発信できる。

 ただ言語の違いを考えれば、やはり難しいところはある。

 しかし難しい理由ばかりを並べ立てていても仕方がない。




 日本の音楽を世界に広げるには、アニメタイアップが効果的であった。

 それは今でも変わらない部分である。

 また相当前のアニソンカバーを、外国人がやっていたりする。

 それは英語だけではなく、ラテン系言語の国でのカバーもあるのだ。


 日本の歌をドイツ語で歌ってみた、というチャンネルがYourtubeにあったりもする。

 その中ではアニソンが、かなり歌われているのだ。

 なおタフボーイをメタルにして歌っている、というチャンネルもあったりする。

 北斗の拳の売上は、普通に海外でも高いものだ。


 ベルサイユのばらがフランスで人気だったりするのは当然かもしれないが、グレンダイザーも人気であったりする。

 また母をたずねて三千里や、アルプスの少女ハイジなど、向こうの人間は国産アニメと思っていたりもするのだ。

 これまでに日本人が、積み上げてきてくれた文化の浸透。

 その流れに乗って、海外に進出していく。


 俊はなんだかんだ言いながら、海外を知らない。

 子供の頃には何度か、両親と一緒にアメリカには行ったものだが、もう20年ほども前の話だ。

 あとはアジアの国もいくつか、一応は行っている。

 父親は最盛期には、ニューヨークのスタジオでレコーディングをしている。

 その時の評価がどうであったのか、俊としては少しは気になる。


 マジックアワーの時代は、日本の音楽が世界に出て行く、土壌が全くなかった。

 プロデュースをしていた時代は、国内の音楽が最大のマーケットになっていた時代。

 どちらにしろネットの時代は、その後にやってきたのだ。

 一応はノイズのアカウントにも、英語やそれ以外の言語のメッセージは書いてある。

 それだけ海外でも受け入れられている、とは思いたい。


 タイミングの問題もある。

 霹靂の刻がアメリカで使われていた時、同時にアメリカのフェスにでも出ていたら。

 小さなフェスであっても、それだけにしっかりと集客が出来たであろう。

 そういった難しさが、人生の中にはあるのだ。

 運がいいのか悪いのか。

 フェスに参加するという告知はして、ノイズは海外へ向かう準備を始めるのであった。

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