第198話 結果と報酬
俊がここから出来ることは、それほど多くはない。
彩にまた連絡をして、あとは彼女が直接交渉するように、と伝えたぐらいだ。
『色々とありがとう』
「いや……俺がと言うよりは、父さんの力が大きかったわけだし」
『それでも私だったら、思いつかなかったつながりだから』
確かにそうなのだが、もしも彩が普通に姉として紹介されていたら、とは思う。
岡町なり、あるいは暁の父親の保になりに相談出来ていたら、そもそもGDレコードの所属レーベルからはデビューしていなかったのではないか。
針巣はビジネスとして、かなり冷徹な計算もしていたように思う。
あるいは彩の売り出し方についても、スキャンダラスなことをしていたかもしれない。
売れなければ続いていかない。
守銭奴とかそういうものではなく、会社を経営するというのはそういうことだ。
アーティストがその手に掴めるのは、自尊心と金ぐらい。
それこそが人間として生きて行くためには、必要なものなのかもしれないが。
「彩が父さんの娘であることを、週刊誌か何かで暴露して話題を作るぐらいはするかもしれない」
『……今に比べたら、それはそれでいいことだわ』
その炎上は、やや落ち着いている彩に対する注目度を、上げるために最適のタイミングで行われるだろう。
俊にも少しは迷惑がかかるが、基本的に俊は父の力でデビューなどはしていないし、今の時点でもまだ知らない人間は多い。
この時点で炎上しても、焼け太りするぐらいで、別にダメージはないだろう。
周囲が騒がしくなるぐらいであろうか。
「環境の変化は大きいだろうし、スタッフも変わるだろうし、大丈夫なのか?」
『また、初めからやり直すだけよ』
ここに至るまでに、多くの労力と時間をかけてきた。
それでもやり直すというぐらいなのだから、本当に限界であったのだろう。
彩がどういった状況にあったのかは、さすがに詳細までは俊も聞いていない。
それを聞いたらさすがに、胸糞の悪いことしか出てこないと思ったからだ。
権力を持った人間に対する、本能的な反発。
アーティストとしてほぼ必要なのが、その感覚である。
俊もまたそれを持っているのだ。
俊からは三曲の楽曲が渡された。
手切れ金のようなものだと思っていたが、逆につながりを強くしたものにも思える。
俊の楽曲の方向性は、月子や千歳でも合わない曲を作ったりすることもある。
今後はどこかのタイミングで、本当に楽曲を、俊の名前で提供することがあるのだろうか。
地下のスタジオに籠もった俊は、LPを取り出してそれを聴いていた。
ビートルズのホワイトアルバムは、創造性の塊の中の一つである。
CDもあるのだが、あえて最初からこれを聴いていく。
不完全で雑音が混じっている中に、むしろデジタルにはない感情が溢れていると思う。
(これでうちも、大きくなるはずだ)
実際に動くのは、もう少し先の話になる。
契約を途中で打ち切るのは、違約金が恐ろしくなるからだ。
ただ彩の契約は、確定申告に合わせて一月には終わるタイミングになっている。
これも計算して、ちゃんと俊に話を持ってきたのだろう。
なんだかんだ言いながら、彩もこの業界で六年も生きてきた。
精神的にタフであることは、間違いないのだ。
愛人としての存在でありながらも、同時にそのバックアップをしっかりと受けていた。
とは言え近年のゴーストの質からして、あまり満足は出来ていなかったのだろう。
(彩が抜けた穴を、果たしてどう埋めるのか)
今年の予定に関しては、大きなコンサートがいくつも、既に決まっていたはずだ。
その中のいくつかは、専務派のアーティストだけで代わりに埋めることは出来ないはずだ。
つまり損失を少なくするために、常務派のアーティストがその穴を埋めることもある。
そして現在常務派のアーティストの中で、一番元気なのはノイズであるのだ。
もっともここに、問題がないわけではない。
ノイズは完全に音楽活動だけをしてきて、露出媒体はやはり音楽雑誌程度である。
二月にはいよいよテレビ初出演となるが、ノイズの弱点は暁と千歳の活動時間が、週末と放課後に限られている点だ。
暁はいよいよ通信制に編入すると、父親も説得したらしい。
だが千歳は普通の高校生活というものに、まだ未練をたっぷり残している。
普通の高校生活というのに、未練を残している。
俊はもう高校時代から既に、音楽を第一に考えていたものだ。
軽音部で活動はしていたが、周囲のレベルが低かった。
学校の外に出て、バンドマンとも関わったが、レベルの低いミュージシャンが多かった。
それに比べれば圧倒的な自分の技量であったが、それをさらに圧倒するようなバンドは存在し、実際にメジャーデビューしていった。
そのレベルのバンドでも、数年で消えてしまったり、さほど売れなかったりしたものだ。
千歳はそういうのが怖いのだろうか。
実際に大学に行きたいとも言っているし、俊もそれには賛成だ。
ノイズのメンバーの中では、千歳だけは作曲能力がない。
ギターのアレンジで何かアイデアを出しても、暁がそれを元にさらに印象的なアレンジを出してくる。
本当にミュージシャンとして生きていくなら、もっと蓄積があった方がいいのは本当なのだ。
年が明けてからのノイズの活動は、相変わらずライブハウスを中心に行われている。
そしてワンマンのライブが多くなってきた。
東京を中心とはしながらも、関東で一泊ぐらいの距離ならば、あちこちに出かけている。
いわゆる下積みという、ネットの発達した現在であれば、さほど必要ともしないもの。
だが他のボカロPがやらないのではなく、出来ないことを俊はやっているのだ。
バンドのライブの生音は、ボカロPには出来ないことだ。
せいぜいが歌い手とユニットを組むぐらいで、ものすごく器用なボカロPは、楽器演奏も多くを自分でやってしまったりする。
しかしそこには、まさにライブ感と呼べるものがない。
ネットで配信されている、MV付きの二曲。
加えてCDとしても、ある程度は出回っている。
これを買った人間が、本当に悪気なく、コピーして音源を友人たちに渡したりする。
ミュージシャンとしてはたまったものではないが、それでも自分たちの音楽が、広がっていくための必要悪と考えるのだ。
音源で聴いたものと、MVで見たものとでは、大きく印象が違うだろう。
実際のライブで見てみたいと、どれだけの人間が思ってくれるか。
少なくとも200人規模のライブハウスであれば、関東圏内はよほどのアクシデントがない限り、チケットは全て捌ける。
例外があったのはチケットが売れたのに、雪で交通機関の多くが止まってしまった一回ぐらいだ。
それでも徒歩や自転車などで、あるいは車にチェーンを巻いて、ライブにやってきてくれたファンがいる。
こうなると演奏する方も、全力でやってやろうという気になる。
キャパの半分しか埋まってなくても、モチベーションに変化はない。
来てくれたファンに対しては、全力のパフォーマンスを見せる。
ノイズのライブは一回ごとに、カバーする曲が変化したりしている。
カバー曲はほとんどアルバムに入れないし、月子の歌ってみたは打ち込みによるものだ。
なのであの有名曲を、ノイズはアレンジしてこう歌うのだ、というのはライブで見るしかない。
カバーアルバムをまたやってみたいな、という気持ちはある。
ボカロ曲やアニソンなどの、長らくメジャーシーンではなかった曲。
現在でこそ一番評価されやすいものとなっているが、それでも過去には名曲でありつつも、売れなかったアニソンは多い。
Vtuberもそれをカバーしていることが多く、ノイズの音楽の範囲の広さを示している。
だが著作権などの問題があるので、あまり儲けにならないのだ。
アレンジにしても、金が出るわけではない。
それでもネットでは、カバーしてほしい曲などが話題になる。
再構成するカバーバンド。
ノイズの人気は名曲を、劣化させることなくカバーする、そのリスペクトも含まれているのだろう。
「テレビって生放送なんだよね」
もう出演まで、一ヶ月を切っている。
学校ではそれなりに話題になっているのが、千歳のモチベーションを上げている。
ただ暁は、普段は話しかけてこないような人間とも接触して、なんだかなあと思っているらしい。
テレビに出るということを、未だに特別だと思っている人間がいる。
見る方がそう思うならまだいいが、テレビに出してやると考えている人間が、テレビ局側にいるのは救われない。
変に編集などされないように、俊は生放送の番組を選んだのだ。
「昔、外国のミュージシャンが生放送中にドタキャンして、ロックバンドがもう一曲弾けるから、って弾いた例があったそうだな」
俊としても伝聞でしか、そのあたりは知らない。
「同じことあったら、うちらも出来るじゃん」
千歳はそんなことを言っているが、打ち込みを使っているものは用意しないと出来ない。
俊のシンセサイザーがあれば、出来る曲もあるのは確かだが。
さすがに現在では、そんなことは起こらない。
もし起こしてしまえば、違約金などがとんでもないことになるからだ。
「ロシアのミュージシャンだっけ? 一発屋だったとかいう話は聞くけど」
栄二でさえ、噂でしか聞いたことのないレベルだ。
つまりその程度の存在で、今に影響などは与えていないのだ。
音楽の世界には確かに、一発屋というのは存在する。
ちなみに音楽史上最強の一発屋は、クラシックだがパッヘルベルのカノンであると言われたりもする。
邦楽においても一発屋はいるが、自分で作詞作曲をしていた場合、意外とその一発が不労所得として長く金になってくれたりするらしい。
もっともその場合、一発の大きさが相当に大きくないとダメなのだ。
今日も練習をして、夜になっている。
暁はもう来年からは、学校に通うことはない。
三年生はこの時期、既に通学していない者もいたりする。
俊は結局、今年で卒業することになりそうだ。
だが岡町の助手として、大学に非常勤のような形で、アルバイト程度の給料を貰いながら出入りすることになる。
確かに仕事もするが、それ以上に大学の資料などをそのまま使えるのがありがたい。
レコーディングスタジオなどは、さすがにもう会社のものを使った方がいい。
そんな俊は、岡町からの連絡が入っていることに気づいた。
最初は着信で、次はメッセージである。
『例の件、動きあり』
わざわざ話すということは、何か不都合があったのか。
片づけを後回しにして、自室に戻る。
「オカちゃん、何かあったの?」
『おお、色々と動きがあってな』
岡町の声に、深刻なところがないのが、幸いであったと言えようか。
『彩の移籍の話だが、レーベルごとそちらの企画部内での異動になったぞ』
「ん? なんで?」
俊としてもそう言うしかない、おかしな動きである。
岡町としても、俊が動きやすいように、先に知らせてくれたわけだ。
針巣は彩と直接会って、移籍に関しても話を進めようとした。
だが彩の現状を知っていると、やはりアーティストとしてだけのものでは、環境が大きく変わってしまう。
なので針巣は、ちょっとした陰謀を使ってみたわけだ。
それがGDレコードの、常務とのやり取りである。
彩が契約切れに伴って、ALEXレコードに移籍させる。
その動きをあえて流したのである。
ただ針巣としては、彩が一番その力を発揮出来るのは、現在のスタッフがいてこそだとも思っていた。
そこで考えたのが、まず彩を引き抜くという動きを見せた上で、彩は専務派から完全にALEXレコードに移籍するという形にした。
だがそこで常務派の動きが、彩を引き止めるというものにさせたのだ。
つまり会社単位で見れば、専務が引き抜かれそうになった彩を、常務が取り戻したという形になる。
これは明らかに専務の失態であり、常務の功績である。
専務派から常務派への移動は、そのままなら無理であった。
だが他社に移籍されるという動きを一つ挟めば、常務の完全な功績となる。
なんでそんなことを、と俊は思った。
この動きによって、完全に得をするのは常務であり、巨大な失点となるのは専務だ。
しかし針巣にしてみれば、そのまま彩を引き抜くことが、一番自分にとっては得になったはずだ。
『彩にとっての一番は、専務派閥から抜けた上で、現在のスタッフをそのままにすることだろ? ハリーはそういうことまで考えて、常務と取引したんだ』
「それは確かに彩にとては一番いいかもしれないけど、針巣さんはもっと得をしたはずなんじゃ?」
『目先のことを見たらそうだが、もっと先のことを考えれば、GDレコードの次期社長レースは、これで決定したようなもんじゃないか?』
「そうかも……」
実際の一番の責任は、企画部の部長になるのかもしれない。
だが内情を知っていれば、常務が上手く彩を取り戻した、ということまで分かるだろう。
『彩が移籍して、あの曲を使ったとしても、必ず売れるとは言えない。それなら次期社長の常務に貸しを作っておく方が、将来的には得になるってことだ』
「……音楽業界、えげつない……」
『さすがと言うべきだろうな』
実際に彩をまた売るためには、ALEXレコードでもコストとリスクがあったはずだ。
ならば利益は出ないにしても、確実に得られる貸し借りを優先したということだ。
ALEXレコードは巨大であり、確かに彩を売るだけのリソースは持っている。
しかしそのリソースは本来なら、これから売っていくミュージシャンに使うはずのものだったのだ。
それを社長の鶴の一声で、彩に回してしまうこと。
針巣はその悪影響を恐れたのだろう。
「FAですぐ戦力を取ってくるから、若手の出場機会が減るようなものか」
『まあ社内のA&Rとかのやる気は、やっぱり自分で発掘してきた人間を育てることにあるだろうからな』
言われてみればそうである。
彩が入ることによって、デビューがご破算になったり、延期になったりする。
その悪影響を考えれば、ほとんどコストをかけずに恩を売る、今回の動きが一番よかったのだろう。
さすがに俊には思いつかない、えげつない政治の動きと言えた。
針巣から岡町へ、そして岡町から俊へと、動きはすぐに伝わった。
だがGDレコードの内部でさえ、その内情が明らかになったのは、三日ほど経過してからである。
阿部に呼ばれた俊は、知っている事情をもう一度聞かされた。
彩はレーベルや事務所ごと、第二企画部の方の担当となる。
そして来年の、彩に使われるはずであった予算は、彩を引きとめたことのご褒美として、そのまま第二企画部が使えることになった。
もっとも予算がなければ、彩を売るための宣伝などに、第二企画部の予算のかなりが使われるので、これは当然のことであろう。
社内の勢力は完全に、常務派の方に傾いたと言える。
少しすれば専務は、子会社のレーベルなどに出向という形にでもなるかもしれない。
地味にこれは、俊にとっても父の復讐を果たしたことになる。
単に彩だけを引き抜かれたなら、新人などで当たりを出せばよかっただろう。
だが第二企画部に予算や人材まで取られては、第一企画部は今年はもちろん来年も、大きく第二企画部の後塵を拝することになるだろう。
専務派に与えるダメージは、確かにこちらの方が大きい。
アーティストが抜けるだけではなく、予算配分まで変わってしまっては、代わりのミュージシャンで穴埋めすることも出来ない。
俊が見ていたのは、アーティストでどれだけ売り上げるか、ということだけであった。
だが予算まで取られてしまえば、完全に挽回のチャンスはない。
ほぼ致命傷であったのが、即死というダメージになった。
俊もそれなりに考えて動いたつもりであったが、本当に社内政治が出来る人間というのは、こういう手段を思いつくのだ。
ただ、アーティストの管理が出来ていなかった専務も悪いが、騒動を引き起こした彩にも、少しだけペナルティがある。
ブッキングするはずであった大きなハコを、他のアーティストに回すようになったのだ。
そして彩に対して俊が渡した曲は、正式に俊の名前でクレジットされることになった。
楽曲というのはアーティストにとって、本来は自分の子供のようなものだ。
俊はそのあたり、父親に似てドライなところがある。
自分一人で生み出したものではないのだから、歌うべき人のところに渡るべきだ、と考えている。
だがこれで作曲の方の金は入ってくる。作詞は彩が自分でやるのだが。
タレント活動に力を入れすぎていた彩が、もう一度音楽の方へ比重をかける。
芸能界で、とにかく成功したいと思っていた彩だが、ついに弟の曲に自分の歌詞を乗せて歌うことになる。
そのための時間を取ることを考えると、スケジュールが空いたのだ。
「というわけで、七月の武道館が決まりました」
「マジですか」
阿部の、魂が抜けたような声を聞いて、さすがに俊も驚く。
日本武道館ライブ。アーティストの一つの到達点である。
確かに彩は毎年、武道館でのコンサートをやっていた。
「私にも何がなんだか分からないけど、第二企画部がかなり動いているのは確かね」
相変わらず阿部は、魂が抜けたような顔をしている。
誰が決めたのかは分からない。
俊の動きを知っていて、それでこれが褒美と決めたのかも分からない。
彩に対する楽曲提供の方の褒美なのかもしれない。
しかしそれは探らない方がいいとも感じる。
「七月となると半年もあるけど」
「いやいや、武道館ともなると、あっという間に時間は過ぎるからね」
さすがの阿部も興奮しているが、七月はまだ半年も先だ。
あ、と俊は思い出す。
ノイズが初めてライブハウスでの演奏をしたのが、二年前の七月であった。
一つの頂点である武道館に、ほぼ二年で到達することになる。
約束していた二年で、そんな舞台に立つのか。
自分たちの力だけではないが、もしもまだ早いと思われれば、さすがにこのチャンスは回ってこなかったであろう。
「これから忙しくなるわよ。あ、一応これは本当に決まってるんだけど、動きがどうにも怪しかったから、他のメンバーにはまだ伏せといてね」
「はい、分かりました」
政治的な動きの結果、この大舞台がやってくる。
ならばまだ政治的な動きによって、覆される可能性はあるだろう。
しかし、武道館か。
「月子は泣いて喜ぶかもなあ」
どことなく他人事に感じてしまっている俊は、ここからの怒涛の動きを少しだけ予感していた。
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