第197話 アートとビジネス
世の中には才能自体は、いくらでも存在する。
だがその存在を見つけ、磨き、売り出すという別の才能は、社会的リソースがあるため限られている。
優れているものが必ずしも売れるわけではない。
商品自体の優劣はもちろんだが、それをどれだけ上手く認知させていくか。
むしろ商品の製作よりも、宣伝の方に金がかけられる場合が多かったりもする。
特に音楽や文学などは、優劣というのがつけにくい。
内容がひどくても宣伝次第では、ある程度売れるのは確かだ。
ただ一発屋になる可能性は高い。
ビジネスマンは長期的な視野で、売れる商品になりうる作品を見ていく。
アーティストとビジネスマン、どちらも一流でないと、なかなか上手く売っていくことは出来ないのだ。
日本の音楽の全盛期には、まだバブルの影響が残っていた。
バブルが弾けて数年間が、むしろ邦楽の全盛期であったと言ってもいいだろう。
ただ邦楽市場を、一人で破壊した天才の去った後、今度の主流はCDをとにかく売ろうというおぞましいものにいきついた。
アイドルグループ全盛の時代である。
この時代ほど、アイドルという言葉が軽くなった時代もないだろう。
今ではもう、相当に落ちぶれてはいるが、それでも実力を優先して作ったグループは、それなりに残っている。
グループ内での人気投票など、確かに盛り上がった時期もある。
だが日本の購買力のリソースなどを、無駄に使わせたというのが現在の評価だ。
確かにCDは売れたが、握手券が本体。
果たして音楽業界に対する貢献はあったのだろうか。
CDショップなどが潤ったのは、事実であったろう。
しかしネットが既に発達していたあの時代、いずれは配信やDL販売が主流になることも分かっていただろう。
大きなフランチャイズの店も、特にこの数年で一気に減少している。
その中でノイズはCDを売ったが、地方でもCD販売に特化した店があったり、あるいは通販、もしくはライブの直販と、かなりの売上を上げた。
純粋に音源というわけではなく、ファングッズなのである。
俊としては試行錯誤しているのだが、アニソンによるヒットが定番となった今、逆に昔のアニソンのカバーというのも、高い年齢層に受けている。
アニソンは名曲が多いが、アニメを見ない人間が耳にするのは、滅多にないというものもあったりした。
だが昨今は単純なタイアップではなく、完全に作品に添った曲を作り出している。
ある意味では、これこそが本当のコラボレーションとも言えるのではないか。
アニメという商品のパッケージとして、OPやEDの曲がある。
人気のあるアニメ原作のマンガだと、一冊あたり100万部や200万部売れていたりする。
その中の一割の人間でも、アニメ化した曲を買ってくれたとしたら、10万人から20万人。
もちろんそんな単純な話ではないし、CDというフィジカル媒体で売れるとも限らない。
だが強力な広告塔だ。
ALEXレコードは、もちろんそういったタイアップ企画は持っている。
だがアニソンとのつながりを持っているのは、むしろGDレコードの方が強かったりする。
だからノイズにも、コンペに提出してみないかという打診があったのだ。
これは制作委員会制度に、レコード会社が乗っかっているからである。
俊としてもアニソンからのヒット曲が、どうしてこうも多いのかをちゃんと確認している。
ただ俊の年代からすると、90年代の空気というのが分からない。
岡町などは分かっていて、そもそもマジックアワーはアニソンタイアップの先駆けのようなこともしていた。
現在のアニメ制作には、様々なジャンルのスポンサーがついている。
そもそもアニメというものの、スポンサーが変わっているのだ。
かつてアニメのスポンサーというと、ロボットアニメ全盛の頃であれば、まずオモチャ会社がスポンサーとなっていたものだ。
そしてゴールデンタイムとも言われた夜の七時台などに、人気アニメがたくさん放映されていた。
普通に視聴率が20%だの30%だの取れたために、家庭の子供と一緒に見る層に向けて、スポンサーがついていた。
アニメによって、宣伝をしていたというわけである。
今のアニメはそもそも、ネット配信でCMなどがなかったりする。
また深夜の時間帯に放映されているものが多く、一般的な親世代が一緒に見るということもない。
するとスポンサーは、アニメ自体で利益を出そうという会社になってくる。
たとえばレコード会社などが、普通にスポンサーの一部に入っている。
またネット配信を前提として、その配信会社がスポンサーになっていることも多い。
独占配信などというものは、スポンサーが一本化されていたりする。
あとはアニメ制作会社そのものが、出資をしてリターンを得たりもする。
「OPやEDで流れる曲っていうのは、かなり重要になってるわけなんだよな」
岡町は大学の講師もしているので、そのあたりの流れもおおよそは理解している。
昔とは売り方が変わった、というのはよく言われる。
「本当ならノイズなんて、アニソンタイアップっていうイメージじゃないんだよな」
そんなことを言われても、認知度が高くなりそうであるなら、俊としても参加しないわけにはいかない。
ただ件のアニメ作品に関しては、ごたごたが続いているとか聞いている。
どうも主要スタッフの予定が空いておらず、下請けのスタジオなどに製作をかなり回しているのだとか。
七月から放送であるのに、まだそのあたりが確定していない。
俊としてはテレビアニメが、どの程度の時間で出来上がるのか、そのあたりは全く知らない。
しかし以前に作ったアニメMVを考えると、それほど時間もかからないのでは、と思ったりもする。
ALEXレコードは、そこに入るつながりを、もっと強く欲しがっているらしい。
ただ全盛期にはドラマタイアップの曲で多くのヒットを飛ばしたため、いまだにそのイメージが残っているのだとか。
もっとも今は、ドラマのタイアップで売れている曲もないではない。
昔に比べるとドラマの視聴率は、圧倒的に落ちているとも言われているが。
発信出来る媒体が増えたのは分かる。
かつてはライブハウスが始まりであったのが、今はネットでの発表が出来る。
昔に比べれば宣伝の方法が、変わっているとは言えるであろう。
だがなんだかんだ言いながらも、誰もが目にするような巨大広告で、告知するという手段は力がある。
俊の見る限りにおいては、コンテンツは二極化しているのだ。
多くの人間が安心して楽しめるものと、一部の人間が熱狂するもの。
ノイズは基本的には、後者の部類に入るのかもしれない。
だが一部の熱狂が、多数に発見されるということも、ないではないのだ。
マニアックなものでも極めてしまえば、大衆的な存在になりうる。
当初はアングラ的な、陰キャの音楽とも思われかねないボカロの世界が、今では大きな才能の発掘場所となっている。
ただ問題は、プロデュースの力だ。
とんでもないボカロPが、いまだにメジャーシーンで売れていないということは、現実にもある。
俊のサリエリなどというのも、今の活躍ぐらいからしたら、どうしてそこまでの人気ではなかったのか、と思われるだろう。
ノイズと俊は、このままGDレコードの支配下にいて活動する。
あとは彩の価値を、向こうがどう評価してくれるからだ。
既にここまで、GDレコードはずっと宣伝をしてきて、彩はトップシンガーの一人であるとは認知されている。
ただここのところの曲は、安定はしていても爆発的な人気などはない。
「それにしても、すぐに会えるなんて運がいいのかな」
「それもあるが、あいつは社長なのにフットワーク軽いからな」
戦友としての気安さからか、岡町はそんなことを言う。
港区のクラブの個室で、二人はALEXレコードの社長針巣庄治と会うことになった。
どこで会うかということも、俊は気にしている。
彩を移籍させるという話については、本人にはまた直接会って、確認はしてある。
レコード会社をまたいだ移籍というものに、彩は抵抗がない。
もっとも周囲のスタッフが全部入れ替わる可能性があるので、そこには不安があるだろう。
しかし今の自分のことを考えると、この先も明るい未来は見えない。
本当に向こうが受け入れてくれるか、という問題はあるにしても、彩は新しい環境を求めている。
針巣は俊の父親たちと同世代で、現在では50代の半ばほどになる。
しかし見た感じでは、精力に溢れた風格を漂わせており、若々しい印象すら受けた。
ここまでサングラスとマスクで、顔を隠していた俊。
だがキャストの女性さえもいなくなって、ようやくそれを外す。
「お久しぶりです」
昔はそれなりに会っていたが、もう10年以上は直接の面会はない。
「高志の息子か。大きくなったな」
そう言って笑った顔には、包容力を感じさせるものがあった。
「ハリーは変わらんねえ」
「それを言ったらオカちゃんもだろ。やっぱり第一線でやってたら、若く見えるもんなのかな」
「いや~、俺はもうおっさんよ」
普通の会話が、二人の間に気安い空気を生んでいる。
事前にある程度、岡町から事情は聞いている。
そしてこんな時間を取ってくれているのだから、ある程度の勝算はあるはずだ。
当時のALEXレコードは、一気にミュージシャンを引き抜かれて、かなり大変な状況であった。
だがそこから新人を発掘して、また勢力を取り戻したのだから、災い転じて福を成す、といったところだろう。
二人が世間話などをしている間、俊は緊張して待っていた。
結局のところ自分に出来るのは、本当の力に泣きつくということだけ。
悪い話ではないはずだが、判断するのは向こう側だ。
一通りの話を聞いていたが、色々と業界の裏側の話や愚痴が出てきたりする。
これを聞くだけでも来た価値はあるな、と思えた。
「移籍の話だけど、まあ悪くはない話だな」
一息ついたところで、そう針巣は言ってきた。
「やり返してやりたいという気持ちは当然あるし、うち以外がそれをやったら、不文律を破ることになる」
既にやられているのをやり返すのは、許容範囲内というわけであろう。
「ただうちも、アーティストを売っていくリソースには限りがある」
「彩の実績を考えれば、これから売り込んでいく費用はかからなくて済むと思いますけど」
「そういう見方もあるがね」
俊は気づいていないが、これはプレゼンのようなものである。
彩のこれまでの実績と知名度。
俊から見たら現時点で、ある程度の売上の予測が立つ、貴重な商品と思えるのだ。
これは俊が身内だから、そういう考えをしているとも言える。
ただ彩から楽曲提供を依頼された時、自分はどうして断ったのか。
感情面のことを忘れている。
針巣としては、彩の実績を否定する気はない。
だが重要なのはこれまで売れていたことではなく、ここから売れていくかどうかなのだ。
それこそ実績からある程度は計算出来ると思うのだが、考え方には色々とある。
「既に色がついてしまっているアーティストで、しかも彩クラスを売っていくなら、かなりの予算が必要となる。それだけがあれば新人の発掘に使った方がいいとも言える」
「……音楽業界はもっと、保守的なものだと思っていました」
誰がどんなきっかけで売れるのかは、確かに分からないものだ。
だから彩のような一定のファンが確実にいるアーティストは、喜んで受け入れられると思っていたのだが、そういうものでもないらしい。
「アーティストを発掘していく予算は限られているし、宣伝費も限界はある。ただ、確かに彩のポテンシャルならまだ売れるとは思うが、今後のことまで考えるとね」
このあたりはシビアな考えになっているのだ。
彩は今、ミュージシャンだけではなく、女優やモデル、タレントの仕事も持っている。
そういった方面の仕事は、事務所を変えれば当然、ある程度は切られてしまうものだ。
ALEXレコードは確かに、ミュージシャンとしての彩になら、それなりの価値があるとは思う。
ただし今と同じぐらいの稼ぎが作れるかとなると、それは怪しいものである。
もっとも俊に対しては厳しく言っているが、針巣はかなり前向きではあるのだ。
女性シンガーとしては間違いなく、上位三名には入る評価を受けている。
ミュージシャンの部分で売っていくならば、普通にノウハウはあるのがALEXレコードだ。
ちょっと飽きられつつあるところを、逆に違う方向性から売っていくというのも悪くはない。
なのであとは、コストとリターンをどう考えるかという話になる。
俊とこうやって会った後、直接に彩と会ってから、最後の決定はしようと思っていた。
あの時代にアーティストを多く引き抜かれて、どれだけ大変であったことか。
確かにそこで、新人の発掘などから宣伝まで、逆に大きく売上を上げていたという過去はある。
引き抜きにあったミュージシャンが、飽きられつつあったことも確かなのだ。
だが結果論で、やられたことを忘れてやることなどは出来ない。
「彩の売上は、やや落ちてきてるからな。まあそれでもアリーナを埋めてコンサートを開けば、充分にそこでは黒字になるんだろうが」
針巣としてはそのあたり、彩がどう考えているかを確認したいのだ。
ここで岡町は、つんつんと肘で俊をつつく。
あれを出せという合図である。
「ここに三曲、彩の新曲があります。僕がゴーストで作ったものですけど」
キラーチューンと言えるレベルの曲かは、まだアレンジが入るであろう。
だが最近の彩の縮小再生産と比べると、絶対に上だと断言できる。
「これを聞いてみて、売れるかどうか判断してもらえば」
「へえ」
さすがにノイズのメンバーを巻き込むわけにはいかないので、打ち込みからレコーディングをしたものである。
こっそりと行ったので、完全なものではない。
針巣はその曲を、俊の持ってきたヘッドフォンで聴いた。
そして少し考えてから、もう一度聴き直す。
考え込む時間は長かったが、悪い感触ではない。
「アレンジまで全て、俊君がやったのか?」
「はい。ほとんど一発録りだったので、甘いところはありますけど」
「まあそれは聴けば分かる」
これなら売れるな、と針巣は判断している。
問題なのはどれだけ、リソースを割けるかというところだ。
俊の考えていることは、かなり甘い部分もある。
ALEXレコードは自前で育てたアーティストを、しっかりと音楽で売っていくことにプライドを持っている。
GDレコードと同じように、タレント売りをする事務所なども傘下に持っているのも確かだ。
これまでの彩と同じように、ALEXレコードで売れるのかどうか。
売れなければ彩の生活レベルなどは、今よりもずっと低いものになってしまうだろう。
彼女はそれに耐えられるのか。
芸能界の栄光の中に、彼女は立つことを目標としてきた。
そして今、その目的地に立っているのだ。
今年もコンサートやツアーなど、多くの予定が入っているはずだ。
また事務所ごと移籍でもしない限りは、タレントとしての活動は一度、少なくなってしまうだろう。
GDレコードからの嫌がらせや圧力などは、ALEXレコードの力があれば、どうにでもなるところではある。
人脈については、彩ではなくその事務所や、レコード会社からつながっているものもあるはずだ。
それを切ってしまった場合、またつなぎ直していく必要がある。
ただ彩の商品価値自体が、下がるわけではない。
売れるかどうかも分からない新人を使うより、彩を使った方が確実だ、とは確かに言える。
しかしトップからの独断で、他に使うはずだったリソースを、彩に使うというのは反発が強くなるかもしれない。
俊の作った曲で、おそらく彩はかなり売れるだろう。
「ゴーストのままでいいのかい?」
「その三曲はどうせ、ノイズでは使えないものですし」
「ちなみに君たちは、一緒に移籍してくるつもりなんかはない?」
「え」
これは提案なのであろうか。
どうせなら彩のゴーストをやった俊ごと、取り込んでしまいたいということなのか。
ノイズは音楽専門でやっているアーティストであり、まさに音楽だけで売ってきた。
あえてこれから売るならば、ノイズの方がやりやすいというのは、実は確かなのである。
俊はここで、あまりに意外な提案に、わずかに言葉に詰まった。
だがそれは迷ったわけではない。
「うちのバンドはこれまで、かなり今の事務所に無理をさせてますしね。レーベルとかなり緊密にやってるので、今のシステムをそちらのどこかが用意するのは無理だと思います」
阿部には散々無理をさせているし、事務所とレーベルもノイズは特別仕様だ。
それに予定も色々と、既に立っているところがある。
「そこまで自分たちでやってるのか」
「ハリー、こいつは新人類だよ。普通ならプロデューサーやマネージャーが考えることまで、かなり自分で考えている。自由に動ける状態を作るまで、かなり事務所を待たせたんだ」
「あと、他に打算もありますよ。彩が引き抜かれたとしたら、その分の予算をどう使って、予定していた売上を出すか、という話にもなるでしょうし」
彩の持っていた予定を、常務派のミュージシャンである程度埋めることが出来るのではないか。
そんな打算はあるし、阿部も彩と上手く組むことで、より認知度を上げていくかと考えてもいたのだ。
だが、音楽を生み出すのに、今の場所では足らないと思った時。
その時は移籍など、そういうことも考えていくかもしれない。
陸音だけではなく、ABENOというレーベル自体が動くのか、それとも阿部が完全に独立するのか。
今のノイズは阿部がいるので、他のレコード会社の傘下に入るのはあまり得ではない。
実際のところ針巣としては、彩よりもノイズの方が、これから売るのにはやりやすいな、と確かに考えていた。
「それは残念だが、とりあえず彩の件は引き受けたと言ってもいいかな」
会社の利益にもなるし、自分の私憤も解消出来る。
あとは彩が、どれだけの覚悟をもって、移籍を受け入れようとするか。
話はここで、俊の手から離れていくことになる。
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