第196話 敵の敵は味方
阿部は俊の性格を、それなりに把握していると思っている。
ミュージシャンの中では、かなり理性的な存在である。
60年代から70年代の洋楽を好む割には、ロックスターのスキャンダルを肯定したりはしない。
作品とミュージシャンは別のものである、と割り切っているのだ。
おそらく自分の父親を見ていたから、そういう考えに至ったのかもしれない。
ただその冷静さが、ある程度自分を解放する手段である、音楽というものでは発散出来なかった。
俊にとってのミューズは月子である。
そしてそこから、仲間たちを増やすことによって、自分の力を引き出していった。
今の世の中、基本的には一人でも、音楽はやることが出来る。
20世紀はほぼ不可能だったボーカルも、ボーカロイドの登場でかなり身近なものとなった。
俊もまたバンドから、ボカロPに転身した人間である。
しかしそこからユニットを組むか、楽曲提供をするのではなく、バンドに戻ったという者はかなり珍しい。
ケミストリーというのは、人と人との関係から生まれるのだろうか。
何をやるのかではなく、誰とやるのかが重要だと、有名バンドの人間で言っている者もいる。
凡庸とまでは言わないが、平均の範囲内にいた秀才が、キラーチューンを作り出すということ。
それは執念と努力によってなしうるものだ。
努力出来るかどうか、そしてそれを継続していけるかどうか、それすらも才能の内だと言われている。
ならば間違いなく、俊には才能があったのだ。
その俊に、これから話すことはどう思われるだろうか。
なんだかんだ言いながら、俊は自分の我を通そうとするところは、さすがにアーティストと言える。
だが政治的な問題にまで、口を出してきている。
頭がお花畑なアーティストとは、俊は違う。
現実的な感覚を持っていながら、充分に創造的なことも行える。
創造は破壊の中からしか誕生しない、などという人もいるが、俊にもそういった願望や破壊衝動はあるのだろうか。
ある程度は考えたが、阿部は俊の味方をする。
ノイズというバンドに、阿部は賭けているのだ。
「何から話したらいいのか……GDレコードの内部事情だけど、当然のように派閥はあるわけ」
最高責任者は取締役社長であり、一応会長もいるが本当に名誉職である。
この社長の下には、何人かの役員がいて、主に二つの派閥に分かれている。
実際の専務と常務の二つの派閥で、副社長は社長の側近として動いている。
専務と常務は、第一制作部と第二制作部をそれぞれ抱えており、この二つの企画で成績を争っている状態だ。
「専務と常務ってそういうものでしたっけ?」
「本来なら専務の方がより会社の広範な仕事を行うのだけど、GDレコードの場合はほぼ同じ扱いで名前が違うだけ、ということになってるみたい」
原則としてはそうなのだが、GDレコードは二人を争わせることによって、より高い収益を上げようとしている。
「次の社長のポストを争う人間を二人置いて、社長と副社長がそれを監督するという形みたい」
正直なところ阿部も、調べてみるまでは知らなかったことだ。
会社全体の利益を拡大させるために、競い合うことが重要といったところか。
それに次の社長の座も、副社長が昇進するわけではなく、そのまま次の代に政権を渡すのだ。
そして片腕になっている部長クラスなどを、副社長に持っていく。
「シマコー読んだら分かりますかね?」
「会社の規模が違うからなんとも……」
そして彩の在籍する事務所やレーベルを担当しているのは専務の第一制作部。
ノイズは半独立とも言えるが、第二制作部の存在である。
彩を引き抜いてしまえば、そのまま常務の影響力が高まるのではないか。
単純に考えればそうであるが、そういった形の競争は暗黙の了解で禁止されている。
重要なのはあくまでも、発掘してくることと育成すること、そして引き抜くことだ。
内部で引抜をし合っても、全体としての利益にはならない。
「つまり第二制作部として常務派に引き抜くのは、アウトであると。ならいっそ他のレコード会社に……」
「う~ん、それも難しいのよね」
契約内容にもよるが、阿部が言うならそうなのだろう。
「元々専務はGDの人間じゃなくて、ALEXレコードの人間だったのよね」
「それは父さんの……」
「そう、東条高志が一人で、業界ナンバーワンに押し上げたレコード会社」
もっとも他のレコード会社は、海外にも事業があって、そちらを合わせれば上回るというところもある。
俊にとって父の死は、個人的に大きなことであった。
だがそれ以前に売れなくなったのは、また一つの理由がある。
当時ALEXレコードで多くのミュージシャンをプロデュースしていた父であるが、一時期イリヤによって日本の音楽業界は洗い流された。
さほどの長い期間ではなかったとも言えるが、それでも当時の彼女は、膨大な曲を提供し続けたのだ。
それによってALEXレコード傘下のレーベルのミュージシャンは、冷や飯ぐらいの状態になってしまった。
もっとも東条高志は、それまでの蓄積があったために、それで破産したなどというわけではないが。
ただ、そこでくすぶるようになってしまったミュージシャンを、レーベルごとGDレコードにたくさん引っ張ってきたのが、今の専務なのである。
実際はそれらのミュージシャンが、復活してヒット曲を連発するということもなく、多くは消えていった。
しかし東条としてはイリヤが日本を去った時、自分が使うための手駒を、他のレコード会社に取られていたということなのだ。
楽曲を作ったとしても、それを歌わせるシンガーがいない。
ALEXはその時期、自前の曲でデビュー出来るアーティストを発掘し、また今の地位に戻っていく動きをしていた。
俊の父は、イリヤショックが抜けた後は、既にもう手足をもがれていたということだ。
時代の変化もあったが、大きな資金でプロデュースするよりも、個性を上手く揃えた時代と言える。
実際にそこから、今まで残っているバンドやシンガーソングライターはいる。
またこのイリヤショックの間に、人気の衰えを感じてすっぱり、引退してしまったミュージシャンなどもいた。
このあたりは時代の変化が、一気に加速していたとも言える。
CDが売れない時代となった。
そして巨大グループアイドル全盛の時代となる。
俊の父がプロデュースしていた中には、アイドル路線で売り出したシンガーもいた。
だがグループアイドルというシステムに、父は馴染めなかったのだ。
あくまでもミュージシャンが主体。
そう考える東条のプロデュースの形は、結局今でも流行にはなれないでいる。
ミュージシャン主体とはいっても、自分の楽曲を使っていた父は、おそらく新しいシーンの前に勝てなかっただろう。
アイドルの大消費時代の到来である。
日本の音楽が死んだ時代、などとも呼ばれている。
実際は半地下の場所で、ボカロPが生まれていた時代でもあった。
次の大きなムーブメントは、こっそりと生まれてはいたのだ。
「結果的にだけど、あの天才が日本のヒットチャートを独占していた時代のせいで、俊君のお父さんが一時的に仕事を失って、その間にクーデターに近い形でアーティストを大量に連れてGDレコードに転職した、と」
「そんなことが許されるんですか?」
「契約上は問題ないけど、普通は不文律で誰もやらないし、やったら潰されるわね。タイミングが良かったのと、あとは政治力の問題かしら」
これは完全に、俊の手には余る。
俊がこれまで作ってきたコネや伝手というのは、あくまでも現場のものである。
いくら大きくてもプロデューサーまでのものであって、さらにその上の役員級には手が届かない。
直接対決で常務に専務を倒してもらう、というのは引き抜きという手段では使えない。
一応あるお偉いさんとのコネと言っても、レコード会社レベルのものではない。
「ALEXレコードはよく、それだけ引き抜かれて立て直せましたね」
「まあ、あそこはそもそも根っこが強いというのもあるけど、あくまで東条高志の力で売ってたものだから」
他のレコード会社支配下のレーベルや事務所に移籍しても、そこで活躍できいないミュージシャンの方が多かったというわけか。
「それに抜けてしまった穴を埋めるために発掘していったミュージシャンが、今の主力になってるし」
上手く新陳代謝に成功したということか。
GDレコードにしてみれば、一時的に席巻されていたムーブメントであるが、その一つ前には全盛期であったミュージシャンたちだ。
それを引き抜いてきたことによって、功績となったわけだろう。
ALEXレコードが報復しなかったことは、その余裕もなかったからかもしれないが、さらに次のムーブメントを予測していたとも言える。
俊の父を必要としなくても、売れるミュージシャンを発掘した。
結局売上の国内シェアトップの位置は譲っていない。
会社内の政治ゲームによって、彩を解放するのは難しい。それは分かった。
阿部の力によって、どうにかなるものでもない。
何をどうすればいいのか、俊にも分からない事態ではある。
一つのチームの中で動くならともかく、相手はもっと巨大な組織だ。
俊の力でも、彩の力でも、どうにかなるものではない。
「ALEXレコードは優秀なんだな……」
ノートPCでALEXレコードの現状を確認する。
「けれど今は、アーティストの質ならGDレコードも負けてないわね」
天才が日本の音楽シーンを変えた後にも、しっかりと立て直したレコード会社が強いというわけだ。
資本力の差というものもある。
ALEXレコードは組織の柔軟さでどうにかして、GDレコードが社内競争で強さを保ってるということか。
「正直なところ、私の手の届く範囲では、彩をどうこうしたり専務の影響力を排除したり、そういうことは出来ないわね」
「そうですよね」
0から1を生み出すアーティストがいてこそ、音楽業界は成り立つ。
しかしその1を100にも1000にもしてしまうのは、レコード会社の力が必要なのだ。
結局自分の力では、どうしようもないことがある。
だが目的を間違えてはいけない。
重要なのは俊が彩を救うことではない。
彩の状況が変わるのならば、他の誰の力を借りてもいいのだ。
そしてレーベルやレコード会社の力を借りても無理なら、どこからその力を引き出せばいいのか。
俊は売れるために、コネを使おうとはしなかった。
もっともコネを使っても、以前の自分ではせいぜい、デビューするだけが精一杯であったと思う。
父が作り上げたコネは、父が死んだ今も消えてしまったわけではない。
(これ以上阿部さんに頼ることは無理だな)
だが人間として、やられたらやり返したい、という感情があるのは知っている。
社内政治で勝てないのなら、外部の力を持ってくればいい。
ただ最後に必要になるのは、彩自身の力になる。
俊はそこから、MVについての話をし始めた。
阿部としては俊が、まだ何か考えているのは感じている。
何かをする前には、自分に相談してほしい。
だが俊は思いついたら、突っ走ってしまうところがある。
そのあたりの暴走は、自分でもある程度は制御している方だとは思う。
自分だけではなく、ノイズ全体に波及する話だと考えれば、自分が前に出て動くのもまずいだろう。
俊は自分でも知らないというか、どうでもいいうちに常務派の部署に入っている。
どこまでをやっても許容されるか、微妙なラインであろう。
内部競争はむしろ推奨されているのが今のGDレコードだ。
ならば、外からの力を借りるしかない。
それも相手にメリットのある形でだ。
(俺も大人になったわけだし、向こうも偉くなってるわけだ)
現在のALEXレコードの社長は、かつて俊も面識がある。
当時はむしろ俊の父が、レコード会社の部長などよりも力を持っていた。
その記憶が、果たしてプラスに働くかマイナスに働くか。
他の部分から確認していかなければいけないだろう。
彩の件について俊は、ノイズのメンバーには話さない。
これはノイズの問題ではなく、自分と彩の問題であるからだ。
そして自分と彩の共通項。
それは東条高志の子供であるということなのだ。
すると関連する人間が、ちゃんと出てきたりする。
「今のALEXレコードの社長か……」
元マジックアワーのベースである岡町は、そもそもALEXレコードに所属していた過去がある。
そして俊の今の自宅で、集まっていた過去を思い出した。
当時はまだ社長ではなく、管理職であったのは確かだ。
会社に巨大な利益を運んだ、マジックアワーとその後の東条高志。
単純な利害関係だけを見るならば、恩を感じていてもおかしくはない。
ただの仕事の関係だ、と言うには芸能界は貸し借りの概念が巨大すぎる。
「しかし彩がそういうことになっているとはな」
「オカちゃんも知らなかったんだ……」
確かに俊はともかく彩は、あまり岡町とは接点もなかったはずだ。
隠し子がいること自体は、名前までしっかりと知っていたようだが。
社内の権力争いでは、彩の現状を変化させることは無理だと考えた俊。
その俊が考えたのは、以前にALEXレコードがされたこと。
つまり彩をALEXレコードに引き抜かせるということなのだ。
「無理かな?」
「普通は契約を別にしても、ちょっと業界では暗黙の了解で禁じられている。ただ過去の問題があるからな」
岡町の視点からしても、このやり返しは許容範囲内であると思う。
だがALEXレコードが、果たして引き抜きに魅力を感じるか。
ここのところの彩の曲に関しては、デビューから数年の圧倒的な売れ行きがない。
もちろんまだシンガーとしての能力や人気は、それなりに高いものがある。
しかし将来性と、あくまでやり返しただけとはいえ、暗黙の了解を破ることに価値を感じてくれるか。
「どういう人かな? 父さんとの関係は良好だったとか」
「それは問題ないと思うぞ。高志が腐っていた時期にも、なんとかプロデュースをさせていたし、マジックアワー時代から自分の手で、俺らと一緒に出世したようなもんだ」
「昔の関係だけで、味方をしてくれるかな?」
「人間性で言えば、むしろGDレコードには仕返ししたいと思っていて当然というタイプではあるんだが……」
社長の立場からして、彩を移籍させることに、商業的な価値を見出すかどうかが問題だ。
ALEXレコードは新人の発掘に貪欲な会社だ。
もちろん実際にやっているのは、その傘下の事務所であったりするわけだが。
彩はかなりの大物であるため、彼女を移籍させるとすると、新人たちの企画がある程度は止まってしまうだろう。
そこをどう考えるか。
もちろん売れるかどうか分からない新人より、ある程度の結果を出せる彩の方が、目先の利益だけを考えたら獲得したい。
だがそんなことを続けていては、新しい才能が育たないのだ。
あとは、彩のこの二年ほどの曲が、本人にとっては縮小再生産になっていることも問題だろう。
ゴーストを雇っているということは、公然の秘密となっているものだ。
「それについてはある程度、こちらに弾がある」
「どういうことだ?」
「俺が作った楽曲の中で、ノイズでは歌えないやつがあるんだ」
「……売れる曲か?」
「俺はそう思っている」
「だが、お前が提供するわけにはいかないだろう」
「彩の名前で発表すればいい」
「お前がゴーストになるっていうことか?」
「彩は……もう少しぐらい、父さんの遺産をもらってもいいはずだ。それが無理なら、父さんの代わりに俺が渡してもいいだろう」
そしてこれによって、精神的にも彩から完全に独立する。
姉に母を求めることは、もうやめてしまうべきであろう。
岡町としては、それなら動くかもしれないな、とは思える。
「あいつがそれで動くか、また動くとしたら曲が納得出来るものかだが、話をしてみるだけの価値はあるな」
「連絡、取ってもらえる?」
「それは任せろ。お前のお袋さんには悪いが、俺にとってはどちらも、高志の忘れ形見だからな」
ただ岡町に出来ることは、関門の手前に持っていくところまで。
実際に越えられるかどうかは、彩の価値と俊の楽曲の価値による。
「俺が直接会うとまずいけど、上手くどこかで会えるかな?」
「そういうところがあちこちにあるのが、音楽業界ってものだ」
そう言った岡町の顔は、もうすっかりと忘れていた、音楽業界の裏側に触れる楽しみに溢れていた。
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