第195話 三度目のMV
こしあんPの楽曲を聴いたメンバー五人の内、三人が気づいた。
このコンポーザーは無茶苦茶性格が悪くて、才能の使い方を間違えていると。
(((それがなぜ?)))
今の俊とは、全くイメージが合わない。
「こしあんPの楽曲のうち、九割ぐらいは古い洋楽をオマージュして作った曲だな」
「残りの一割は軍歌とかじゃないのか?」
「そりゃあたしには分からないね」
信吾、栄二、暁の順番で、かつての俊の楽曲、こしあんPの曲について問い詰めていた。
「勘弁してくれ……」
さすがに小さくなっている俊であるが、三人の追及は終わらない。
「サリエリって名前で出すなら、むしろこういう曲にするべきだったな。もちろん歌詞は変えた上で」
珍しく栄二も、厳しい声で言っている。
全てはもう終わったことである。
俊としては自分の黒歴史は、もう捨ててしまいたいのだ。
打ち明けたことによって、逆に軽くなった気分もあった。
それがどうして、こうやって詰められているのだろうか。
「これ、リメイクして新しい曲に出来ないかな?」
「……いやいやいやいやいやいやいや」
絶対に嫌だという、俊の断固たる決意である。
「オラオラオラ?」
「いや、そうじゃなくて」
千歳の微妙なボケにも、ツッコミの力が足りなかった。
信吾としてもこのままリメイク、というのは無理かなとは思った。
だが栄二とアイコンタクトして、認識を確認する。
使うべきはそのコンセプトである。
そのままこの曲を使っても、さすがにどうしようもならないだろう。
そもそもポップスというには、ネタに振り切りすぎているところはある。
だがバラードやロック、メタルにパンク、そしてクラシックなどまで合わせていく。
言われた通り、ボヘミアン・ラプソディフォローの作品として、ジャンルをクロスオーバーさせて曲を作れないか。
「作れなくはないかなあ」
暁は乗り気であるが、俊としては色々と予定があるのだ。
そうは言ってもタイアップ曲に関しては、二月の末までではあるが、一応はもう完成している。
他の曲を作っている時に、新しいアイデアが出てきたりするので、提出は期限が近くなるまで待つつもりなのだが。
俊の作ったラブソングは、MVを作ろうかなと最初から考えていたものである。
だがせっかくMVを作るならば、もっと実験的な曲を作ってもいいのではないか。
とは言っても既にボヘミアン・ラプソディがある中で、そのもどきを作るということは、あまり意味がないのではないか。
もっとも昨今の若者が、ボヘミアン・ラプソディは元より、QUEENさえ少しでも聴いているかは微妙なところだ。
ちなみに評論家などから点数をつけられると、意外とQUEENは順位が低かったりする。
しかしこれを視聴者などの人気投票とすると、かなり上のほうに場所が変わる。
アイドルの楽曲が評価はされないが、人気はあるのと同じことであろうか。
ただしアイドルの曲が売れるのは、握手券などがあるからだ。
あとはアイドルは、楽曲ではなくアイドルが主体というのもあるからだろうか。
QUEENはアメリカや発生国のイギリスでも売れたが、特に日本での人気が高かったりする。
理由としては色々とあるのだが、一つには日本が同性愛に対し、比較的寛容であったから、というのも今では言えるのだろうか。
LGBTQなとという言葉が作られ、行き過ぎた公平さがある世の中において、日本は昔から寛容であるのだ。
もちろん実際の同性愛に対して、全く偏見がないというわけではない。
ただし昔からボーイズラブは耽美主義から発生しているし、それよりは後だが百合の文化も存在する。
ミュージシャンだとかアーティストであると、ちょっと変わっていても普通だろう、と思ってしまうところが日本人のおおらかさと言うべきか。
ちなみに男色は戦国時代など、当然の嗜みですらあった。
まあこれは古代のヨーロッパなどにも、男色が当たり前な時代や国はあったので、日本が特有というわけではない。
ともかく俊は今、ラブソングのMVのコンテを作っていたりする。
またアニメーションでいくのか、それとも実写を使うのか、アニメーションでも色々とあるだろう、というのは置いておく。
楽曲のパワーは俊がこれまで使っていなかった情念が詰まったのか、かなりのものであると思う。
これのMVを作るのは、メンバーとしては反対などない。
ただスキスキダイスキリメイクも、月子や千歳までが賛成し、アレンジして再構成してほしいと言っているのだ。
「あんな頭の悪い歌詞じゃなくていいから」
千歳の物言いもひどいが、あのままの歌詞なら歌えないのも確かではある。
使っているボーカロイドの数、そして音程、ブレスのない無意味な単語の連打。
オラオラオラオラオラ! をどれだけ長続きして言えるかを、かつてのジャンプ読者が試していたような、そういう類のものである。
歌詞ではなく、楽曲自体でもなく、その構成でもう一度曲を作ってほしい。
そういうことではあるのだろう。
「それは考えておくけど、とりあえず阿部さんに、MVを作れるかどうか確認してみるよ」
スタジオの大雑把なデモ音源を作ったので、これを阿部に聴いてもらう。
これまでとは違う方向性というか、タイプが違うものなので、意見を聞いてみたくはあったのだ。
そした俊はどうにか、スキスキダイスキの件は上手く流そうと考えていた。
時期的にコンペの〆切りまで、もうあまり時間がないということもあったからだ。
阿部は自分の喜びを、才能を発掘して世界に紹介することだと思っている。
そのためにはまず、才能を見つけていかないといけない。
幸いにも今は、ネットによって個人の発信が簡単になった時代だ。
だが綺麗に調整された音源と、実際に聞いたものとでは、全く印象が違ったりする。
ライブばかりをしているバンドなどは、そもそも口コミがSNSで広がったりもするのだ。
そんな中で発見したのが、ノイズであった。
正確には最初は、月子を見つけたのだが。
俊がサリエリとして作った曲は、それなりによく出来た曲であった。
しかしノイズとして活動し始めてからは、明らかに楽曲のクオリティが二段階以上は上がっている。
コンポーザーとしての能力がある。
才能やセンスと言うには、月子に出会うまでのクオリティが低い。
つまるところ月子が、俊にとってのミューズであったのだろう。
ただその俊は、本当にわがままな人間であった。
いや、自分の売り出し方について、わがままでないというのは、むしろ頭が悪いのかもしれないが。
色々な知識があるために、こちらのコントロールをなかなか受け付けない。
もっとも今から過去を逆算すると、この売り方で良かったのかなと納得できなくはない。
最初からもっと金をかけていれば、さっさとトップクラスに立っていたのか。
それは違うな、と阿部も分かっている。
大きな要因は、各メンバーの一体感と、特に月子と千歳の成長だ。
月子は民謡の方面から、ボーカルとしての能力を目覚めさせていた。
それをポピュラーな方向に持っていったのは、俊の力である。
そして千歳は、月子がまだ出来ない表現を、上手くフォローする人材である。
練習量がとんでもないので、安易に天才などとは言えない。
だがボーカリストとしては天性の声と、それに感情を乗せる体験と、努力がちゃんと身につく程度の素質は持っていた。
月子のボーカルと、暁のギター。
両方にまだまだ追いつかないが、それでも二人のプレイを身近で体験し、とんでもない速度で成長している。
ノイズのバンドとしての能力は、俊のコンポーザーとしての力も成長させている。
ただ俊は本当に、ミュージシャンやアーティストとしてではなく、人間としての問題も持ってきたりする。
レーベルの所属している、レコード会社の内部事情。
その社内政治に関わろうというあたり、アーティストとしてよりもむしろ、プロデューサーとしての才能に近いだろう。
本質的に知能は高いのだが、そういった面倒に関わるあたりは、あまり賢いとは言えない。
だが本当に賢ければ、音楽などはやらないだろうという、乱暴な意見もある。
俊が持ってきたのは、ラブソングであった。
これまでのノイズの音楽にはなかった、バラードである。
普通のバラード自体は、これまでにもあったのだ。
だが恋愛を歌ったものというものはない。
人類愛や博愛などを、蹴飛ばすような楽曲はあったが。
俊の属する音楽の分野が、果たしてどこであるのか、阿部は考えたことがある。
他のノイズのメンバーであると、月子は本来はR&Bの人間であろう。
そして暁はロックであり、それもメタル寄りのはずだ。
リズム隊に千歳はポップスである。ならば俊は何なのか。
プログレシブロックに、ジャンルは近いのだろう。
プログレそのものではないと思うが。
難解な語彙や言い回しもするし、使っているコード進行やスケールは大量にある。
バックボーンにあるのは、しっかりと体系化された音楽。
クラシックの素養をかなり感じるところも、定番の進行を使えるところも、上手いなとは感じる。
だがそこから実際の楽曲にしてくるまでは、もう一段階の複雑化を感じる。
ただ音を多くするだけでは、むしろ雑音になってしまう。
意味のある音を、そこに置いていくというのは、難しいものなのだ。
和音ではなくアルペジオにするだけでも、その表現は大きく変わるだろう。
もっともそういったアレンジは、勝手に本番で暁がやっているようにも思えるが。
まずは音源を聴いて、阿部が感じたのはその重さだ。
歌詞まで含めて、粘着質なイメージが大きい。
しかし実際の後味は、極めてすっきりとしている。
これが月子の声によるものだとは、阿部にもはっきりと分かる。
月子に合わせて作られたラブソング。
下手に恋愛経験値が低ければ、作曲者からのラブレターにも思えるだろう。
歌詞の方を聴いていけば、失恋の歌だとは分かるのだが。
成就しない恋愛を歌っている。
だから片思い要素が強いし、本当ならば月子のイメージには合わない。
だがバランスを考えると、はっきりノイズの音楽として成立する。
(また一枚、殻を破ったのかな?)
俊は成長しているのは間違いない。
この曲を数日間で作ってしまったのだから、本当に楽曲が出来るのは時間の問題ではないのだろう。
あるいは既にあったものが、何かの拍子でぽんと出てくるのだとか。
天才の作るキラーチューンは、よく分からない生まれ方をしているとも聞く。
俊は天才ではないが、天才を上回る情念を持っている。
あとは上手く、自分の持っている技術で組み立てていくのだ。
それはセンスでもあるのかもしれないし、蓄積された経験によるものなのかもしれない。
革新的な楽曲というのも、本当に要素を分解してみれば、真に革新的なところなど、1%程度しかなかったりする。
95%は既存の曲の寄せ集めであり、残りの4%がその、寄せ集めを再構成する能力だ。
俊は自分が天才でないことを、散々思い知らされている。
スキスキダイスキなどは、壮絶で壮大な曲だが、それまでの音楽のジャンルをミックスしたものにすぎない。
ノイジーガールも荒天も、全ては過去の蓄積から生まれたものだ。
霹靂の刻はさすがに、月子の作曲部分が多いが、彼女曰くじょんがら節から発展させたものにすぎないという。
その意味ではこの「渡せなかったラブレター」も、革新的な楽曲ではない。
だが無駄に新しそうなことを試しているのではなく、必要な部分以外を引いていって誕生したものだ。
ノイズで月子が歌うことで、新規性の高い曲となる。
彼女に合わせて、その声を引き出すことを目的として、歌詞も作られた。
そして生まれたのが、これまでのノイズになかった楽曲であるのだ。
20歳になった月子が、この曲を歌うということ。
タイミング的にも重要なのだな、と阿部は感じたりする。
ちょっとこれまでは触れていなかったが、ノイズの中の人間関係に、このラブソングを聴けば想像してしまう人間もいるのではないか。
実際に阿部は、ノイズのバンド内恋愛禁止というのは知っているが、それは人間の情動として不自然だと思ってしまう。
俊は他のメンバーを、純粋に仲間として人間として、そして楽器として見ている。
ボーカルもまた楽器であるのだが、ちゃんとそれぞれの人生があるのだから、バンドとしての利益を出すことを考えている。
それは本来マネージャーがプロデューサー、また企画部などと共に考えることなのであるが、俊は自分たちで売れることを考えた。
悪いことではないし、実際に金銭的なことで解散するバンドは多いので、収入を確保する俊の動きは、アーティストらしくはないがそれはそれでいい。
ただ、月子の感情はどうなのであろうか。
ノイズのメンバーの中で、一点特化して危険なのが、月子と暁だ。
月子の場合は多くのハンデがある中で、ボーカルとしての能力だけで、その全てを乗り越えようとしている。
暁は今のところ、完全にギターに魂を捧げているので、月子とは違って安定しているかもしれない。
ただどこまで、音楽の奴隷でいることが出来るのか。
阿部が見る中でも、月子は間違いなく俊のことが好きである。
むしろ愛しているとさえいってもいいだろう。
もちろんそれは、男女間の恋愛だと、あっさり認めてしまうのは難しい。
今の状況を作り上げてくれた俊を、王子様に恋する女の子のように、勘違いしている可能性もある。
そういった勘違いと本物の恋愛など、さほどの差はないのであろうが。
そういったバンド内の人間関係はともかく、ノイズというバンドとしては、この楽曲はまたステージを一段上がるものとなるだろう。
そして俊は、これをMVにしたいと言ってきている。
これまでの実績から、いくらノイズがインディーズといっても、それだけの制作費を引き出すことは出来る。
俊は既に、コンテまで作ってきているのだ。
「実写でいくか、アニメーションでいくか……」
「どちらも既に試してますけど、どちらも低予算で作ったんですよね」
正確には実写の方は、時間を相当かけて作ったので、そこを制作費に含めるならかなりの価格になってしまうのだが。
霹靂の刻についても、制作会社に持ち込んだコンテでは、出来るだけ制作費が抑えられるようにと考えて作られていた。
実際にCGとかの使いまわしがなかったならば、あのMVは相当の金額が必要になったであろう。
金がないのは最初に言って、それでも動くシーンをちゃんと使って作ってくれたのは、さすがはプロの仕事といったところか。
だがあれはアニメーション製作者にとっては、あまり満足のいく仕事ではなかったと聞いた。
やはりしっかりと金をかけて、コンテからの演出も考えて、動くものを作りたかったのだ。
キャラの造型についても、もっと動かしたかったと聞く。
予算の問題は、今回は事務所と話し合って決めようと俊は思っていた。
依頼するのはまたMAXIMUMがいいが、それは向こうのラインが空いているかどうかの問題となる。
あとは製作期間をどうするか、ということも問題だ。
発表の時期としては、ラブソングであるのだからバレンタインデーにでも合わせるか、あるいは春休みに近隣のツアーなどを行うため、そこまでに間に合わせるか。
四分以上のアニメーションで、どれだけの部分を動かしていくのか。
CGをどれほど使うのか、また俊のコンテをどう変えていくのか、それも今度はたっぷりと時間を使いたい。
このあたり予算というのは、最低限のラインはあっても、上限はないようなものなのだ。
製作期間をいつまでと限定してしまうなら、特急料金がかかったりする。
前回は空いているラインに、上手く入れたためそれほどの価格にはならなかった。
だが質もしっかりとしたものにし、さらに時間もかけていいなら、予算は一気に上がっていく。
逆に時間を短くするなら、質はある程度落ちるだろうし、そこもある程度までは上げていくなら、予算はあまり下がらない。
「まあお金の問題に関しては、確かにこちらの仕事なわけだし」
阿部としても、実写にするかアニメにするか、その段階から考えていくべきだとは分かっている。
どちらも青天井になるが、単純なアニメーションでいいのなら、アニメの方が安い。
しかしそれは本当に、数枚の動画とプログラムだけで作られたもので、今のノイズの作品に合わせるべきものではない。
ラブソングなのだから、実写で没入感を味あわせたいというのもあるし、月子を撮影してみてもいいだろうとも思う。
ノイズのメンバーの中では、月子と暁と俊は、それなりにルックスが優れていると言えるだろう。
正統派に美人なのは月子なので、そこが中心となるだろうが。
もっとも月子は完全ではないにしろ、顔出しをしていないミュージシャンである。
「なら、やっぱりアニメーションが良さそうね」
ノイズはこれまで、古いアニソンのカバーを大量にしている。
そのあたりファンも、分かっているのだと思いたい。
MVについての話はこれまでだ。
あとは二月の末に〆切りのある、コンペについての話などをするべきか。
俊はそう思ったのだが、阿部はちゃんと動いていたらしい。
「彩の件だけど」
そう言われて、俊は頭を切り替える。
アーティストではなく陰謀家で、コンポーザーではなく弟としての思考。
「ちょっと複雑な話にはなるわね」
それでも状況については、阿部もほぼ把握出来ているのだ。
彩の件を片付けてしまうことは、俊のリソースを音楽の方に持ってくることになる。
なので阿部としても、完全に自分の仕事ではない、などとは考えない。
また上手く立ち回れば、様々なコネクションが作れることにもなるだろう。
この業界で上に上がっていくのは、コネが重要なのは言うまでもない。
既に父や兄という、血族コネクションはある阿部である。
だがそれ一本に頼ってしまっては、いざという時に命綱が一本というのは不安なものだ。
阿部が触れた事情は、芸能界にはよくあるものである。
ただ深く潜っていくと、かなり昔にまで遡ってしまうのだ。
「俊君のお父さんの頃から、ある程度の係わり合いはあるわよ」
「父がですか」
事故なのか自殺なのか、今でも色々と言われてはいる。
だが結局は事故なのだろう、とある程度の整理はついたものだ。
ただ、もしも父にまで関係しているとなると、それは自分だけではなく彩だけでもなく、二人の問題となる。
また涼などにも関連してくるのではないか。
「天才コンポーザーにしてプロデューサーであった、東条高志が失墜した原因ではないけど、その後に復権出来なかった理由のひとつにはなるかもね」
また深いところから、過去が蘇ってきたものである。
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