第194話 ラブソング

 俊は小器用な人間である。

 何かに心を囚われていても、他のことも同時にすることが出来る。

 そんなことでクオリティの高いものが作れるのか、と微妙に思うかもしれないが、確かに熱量のかけ方は違ってくる。

 もっともそんな状態の中からも、偶然クオリティの高いものが出てきたりはする。

「おお~、ラブソングきた~」

「やりゃあ出来るじゃんか」

「ラブソングのつもりはなかったんだけど、結果的にそういう歌詞が合う曲になったんだよな」

 千歳と信吾は素直に感心しているが、まず暁は甘ったるいメロディやコード進行に眉根を寄せている。

 そして月子も歌詞を理解して、複雑な顔をしていた。


 千歳は結局、告白された下級生については、ごめんなさいをしている。

 ただあの経験によって、誰かに好かれるということを、実感したのは確かだろう。

 それに対して月子は、アイドル時代の擬似恋愛ぐらいしか、そういった感情を持ってはいない。

 むしろ自分が誰かに愛されたり、愛したりするのは間違っているとさえ思う。

 子供の頃からずっと続いていた、周囲とのギャップ。

 自分は劣っているという、大前提がそこにあった。


 そう思ってどうにか、俊の作った歌詞を読む。

 そしてこの歌詞は、まさに自分が歌うためのものだと思ったのだ。

 ラブソングに聞こえるかもしれないが、実際はもっと複雑な相互理解がテーマなのであろう。

 月子としては自分の感覚を、どうして俊はこうも的確に表現出来るのか、不思議ではある。 

 言ってしまえばそれ以上に、苦しいものでもある。


 歌う人間は、歌いたいから歌うのだ。

 楽器を弾く人間は、弾きたいから弾くのだ。

 だが全ての歌を歌いたいわけではない。

 有名な話であると、中森明菜はデビュー後の少女Aを歌うとき、あまりにアイドルのイメージと違ったために、捨て鉢に歌ったのが逆に上手く表現できていた、という話もある。

 硝子の少年なども、なんでこんなダークなイメージでデビュー曲になるのか、と二人のアイドルユニットは言っていたが、そのデビュー曲が一番売れたりした。


 ノイズは確かにバラードは歌っているが、R&Bに近いものである。

 むしろ暁のギターなども、そちらの方が弾きやすかったりする。

 しかしこれはラブソングだ。

 普遍的な誰かでをなく、特定の誰かを求めているというものだ。

 SOMEBODYではなく、ONLYとでも言ったらいいのか。

 ただその特定の誰かを、本当に絞るというものではない。




 ロックにラブソングなど必要なのであろうか。

 必要である。

 そもそもビートルズの楽曲などは、甘ったれた愛してくれというメッセージがいくつもある。

 そこからメタルに入っても、ラブソングはあるのだ。

 もっとも破滅的な恋愛という傾向になってくるが。


 パンクなどだと恋愛よりも、セックスがそのまま歌われる。

 もっともロックにしても、60年代から既に、セックスに溺れるような曲は多かったのだ。

「まあ、とりあえずやってみるか」

 俊ではなく栄二がそう言ったので、皆が立ち上がる。

 これまで頑なと言ってもいいほど、俊はラブソングを作ってこなかった。

 それが表現の幅を広げたのであるから、悪いことではないはずなのだ。


 俊が楽譜通りに打ち込んだ音楽を聴いて、それをまずは参考にする。

 一応このままでも、楽曲としては成立している。

 だが及第点や平均点の曲を、どんどんと満点に近づけていくのが、これからの作業なのである。

「むずむずするなあ」 

 暁はどうもしっくりこないようで、ギターリフを入れてこない。

 普段はおとなしいからこそ、演奏は過激というのが彼女のスタイルなのである。

 ギターを弾いている時が、一番自分らしい。

 ただバラードであっても、ちゃんと自分の音を出しているのが、今までの暁であったのだ。


 暁は恋愛不全症候群である。

 ただそれを言うならノイズのメンバーは、多数派がそういうものと言えてしまう。

 月子はそもそも、他人の顔が記憶出来ない相貌失認まである。

 さすがにノイズのメンバーに関しては、脳の違う部分が記憶するのか、ちゃんと分かってきているが。

 阿部などの顔も分かるが、他のバンドのメンバーなどは、むしろ身長や声で判断していることが多い。

 こういった視覚情報が当てにならないからこそ、月子は音に対して敏感なのかもしれない。


 今回は月子に当て書きをして歌詞を作り曲も作った。

 俊としては、なので月子が歌えないのは困るのだ。

 大人の価値観の中で生きながらも、まだ少女の恋愛脳を持っているという設定。

 月子としては自分のことのようで恥ずかしい。

 もっともアーティストなどというのは、いかに自分の恥部と向き合うかが重要である。

 それを上手く表現して、多くのオーディエンスに伝えていく。

「しかし今時にラブレターを持ってくるっていうのは、ほとんどありえないんじゃないかなあ」

 栄二はそう言うが、だからこそという気持ちで俊は作ったのだ。

 この「渡せなかったラブレター」という楽曲を。




 人間の人生というのは、人間関係から発する。

 正の関係もあれば、負の関係もあるだろう。

 ただそれを煮詰めて発散させるのが音楽である。

 人間関係の中には、人間の作り出した社会との関係も含まれる。


 恋愛というのは実のところ、本当に存在するものなのであろうか。

 存在したとしても、それは継続されるものなのであろうか。

 俊は両親の関係を把握してからは、もっとも身近な恋愛関係とその進む先の結婚というのを、どうも皮肉な目で見てしまうようになった。

 なので高校の時も大学の時も、向こうからやってきて向こうが去っていった。

 そんな俊が古臭い告白方法の、ラブレターなどというものを題材にラブソングを書く。

 だがそんな恥ずかしさが、かえって心に訴えるものにはなっている。


 アルペジオを多く使うな、というのが暁の感想であった。

 ギターは割りと地味なのだが、それでも印象的なリフが入っている。

 ただこれはギターをしつこく弾くと、かえって雑音になりそうなものだ。

 シンセサイザーを使った、ストリングス系とピアノ系が、割と重要な曲になる。

 ノイズの楽曲としては、かなり異質なものであるのは間違いない。


 何度か通して歌ってみたものの、月子には照れが残っている。

「ちょっと照れるかな」

 別に月子の恋愛経験を歌っているわけではないのだが、片思いをそのままにしているという楽曲は、ちょっともう少し若い方がいいのではないか。

 そうは言っても月子もまだ、20歳なのであるが。

「もう少し大人っぽくした方がいいかな」

「恋愛要素少し削ってほしい」

「いや、これはラブソングなんだから」

「でもやっぱり、恥ずかしいから」

 恥ずかしがるような人間が、ステージに立って平然としているというのも、おかしな話である。

 だが月子は己の本心を、上手く説明することも難しかった人間なのだ。


 本があまり読めなかった月子は、使う語彙の量が乏しい。

 俊が説明してようやく、歌声に魂が宿るということはあるのだ。

「恥ずかしいことは恥ずかしいんだけど」

「今までも皆の前で歌ってたし、アイドル時代もラブソングはあっただろ?」

「あれは……全然自分と一致しないから、恥ずかしくなかったと言うか……」

 つまりこの楽曲は、何より自分に刺さっているということか。

 ならばより感情を込めれば、伝わる曲になるのではないか。


 しかし、月子はちゃんとこれまで、自己表現をしてきたではないか。

 アイドル時代ラブソングも、しっかり歌ってた。

 つまりより深い自己表現は、それだけ恥ずかしいということか。

「分からないでもないな」

 そう言ったのは信吾で、ベースを弾きたいのにギターを弾いていた。

 作曲も前のバンドではやっていたが、歌詞の方にはあまり自信がなかった。

 ライブであればそういうリミッターを解除して、自分の演奏に集中していたものだが。

 ギターをやっていた頃は、正確さを重視していた。





 何度かやってみたものの、月子の声には伸びが足りない。

 ポテンシャルを発揮しきれていないのだ。

 青春真っ盛りの歌詞などでも、月子は普通に歌っていた。

 あれはむしろ歌詞を書いた俊の方が恥ずかしかったぐらいなのだが、今回は歌う月子が恥ずかしがっている。

「いつも全力で歌詞を書いてる俺の方が、よっぽど恥ずかしいはずなんだが」

「いや、俊はどこか俯瞰で見て作ってるだろ」

 俊の言葉に、栄二がそんなことを言う。


 確かに歌詞には、メッセージが込められている。

 だがそれを上手く伝えるためには、語彙を選ぶセンスがいる。

 あえてその単語を使わないことが、上手くオーディエンスに届く場合もある。

「そもそも俺らが洋楽を完全に理解してるかっていうと、そういうことでもないしな」

 信吾もそんなことを言ってしまった。

 英語で歌っているというだけで、一つ格上という感覚は、確かに昔はあったとは思う。


 J-ロックとかいうジャンルになっているロックは、使っている技術などが実は、洋楽とは少し偏りがあったりする。

 昭和歌謡などのジャンルが、微妙に入っていたりするのだ。

 コンポーザーは原曲の洋楽に、それも古い時代の洋楽に、その原点を求める。

 原点回帰から新たな発展というのは、珍しいことではない。

 60年代以降の楽曲は、特にロックに限ってしまえば、全てのリフやフレーズは出尽くしているのではないか、などと考える人間もいる。

 確かにEDM全盛や、R&Bやヒップホップの流行を考えると、ロックは古い分野になりつつある。

 ただ、ロックの本質は音楽ではなく、魂のあり方だ。


 月子が恥ずかしいと思ってしまうのは、本人の問題だ。

 もちろんこれを消化して、それから昇華するのであれば、上手く歌えるようになるのだろうが。

「まあ……俺も昔はヘボい曲を発表したら、短時間で消したこととかもあるけど……」

 俊としても黒歴史はいくらでもあるのだ。

 だが拙い作品であっても、それを発表して反応をもらうというのは、重要なことなのだ。

 だから自信のない曲でも、違う名前で発表するようになった。


 そこで俊はふと思いついた。

 すぐに否定しようとしたが、だがこういうことは己自身に向かい合うべきことであろう。

 自分の作品を、自分のものだと言えないこと。

 それこそが逆に恥ずかしいことだ。

「分かった。じゃあ俺が作った曲の中で、一番恥ずかしいものを聞かせてやる」

 正直なところ、これが効果的なのかどうか、それも分からないのだが。


 心のパンツを脱ぎ捨てるのだ。

 暁が水着でステージ演奏をするのは、服が邪魔ということもあるが、自分を曝け出すということでもある。

 俊にとってそれは、賞賛すらどうでもよく、自分が作った曲だと知られないこと。

「恥ずかしい曲って、初期の拙い曲か?」

「違う。ヤケになって作って受けてしまって、自分にはある程度の才能はあるんだと思ってしまった曲だ」

 墓まで持っていくつもりであったが、月子を解放するために、自分の恥部を晒すこともすべきであろう。


 既に公開していて、今もある程度のPVが回っている。

 簡単なものであるが、アニメーションも付いているものだ。

 曲はいきなり、サビともなんとも言えない、意味不明の部分から始まる。

『スキスキチュ! スキスキチュチュチュ! キスしてスキスキチュ チュ チュ チュ! スキスキチュ! スキスキチュチュチュ! キスしてスキスキチュ! チュ! チュ!』

 そう、大ヒットネタ曲、こしあんPの代表作。

 これが「スキスキダイスキ」である。

「スキスキダイスキじゃねえか……」

 普通に信吾と栄二は知っていた。




 電子音によるコード進行で、とにかく歌詞は一定の単語しか使われない。

『スキスキチュキチュキ スキスキチュキチュキ キスしてスキスキチュ チュ チュ チュ スキスキシュキシュキ スキスキシュキシュキ キスしてシュキシュキ チュキシュキチュ』

 このあたりからメロディやコードなどが様々に変化していって、ロック調にもなっていく。

『AH~! キッス! キッス! キ~ス!』

 終盤に入っていくと、まるでオペラのような展開で、他のボカロも使われていく。

 ストリングスやパイプオルガンの音も入って、荘厳な雰囲気さえ感じさせる。


 そして複数のボカロによる、スキスキ、キスキス、チュキチュキ、シュキシュキ、という極めて少ない単語がどんどんと羅列されていく。

 ハーモニーやコーラスなどの技術が、巧妙に壮絶に使われていく。

 なんでこんな技術を使って、こんなネタ曲を作っているんだ、と聴いた人間が呆れるようなもの。

『大好き(ハート)』

 たっぷ五分以上もありながら、そして歌詞自体はほとんど意味がないながら、曲の部分だけで聴いていられるような曲。

 アニメーションといっても、キスマークが色々と動き回るというもので、これはどちらかというとプログラミングを使った映像なのである。


「こしあんPってお前だったのか……」

「え、俊さん、すごい曲だったと思うんだけど、これがどうして恥ずかしいの?」

 千歳がそう問うて来るが、俊としては説明するのも恥ずかしい。

「いや、だって表のアカウントでは普通にかっこつけた曲を作っていて、裏ではとにかく受ければいいやって、絶対に商品にならない楽曲作ってるんだぞ?」

「Hey Jude の後半だけが存在していて、楽曲として成り立つのか、っていう感じ?」

「近いかもしれない」

 暁はなんとなく、分かったようであった。


 恥ずかしい、のだろうか。

 確かにネタ曲など全く作りません、と賢しげな顔をしていて、裏ではこれを作っていた。

「確かその後も、何曲か面白いの作ってたよな?」

 栄二はそう言って他の曲も選ぼうとしたが、ぱたりとノートPCを閉じる俊である。

「こういう曲を作っても、自分の作りたい曲じゃないと分かってからは、もう作らなくなったけど、ごく本当に稀に、こんなバカみたいな曲が生まれてくるんだよ」

 赤面はしないが、苦く顔を歪めている俊である。

 なおこしあんPの楽曲では、これが一番圧倒的に伸びており、以降のネタ曲は全て、縮小再生産である。


 こんな時どういう顔をしたらいいか、分からないメンバーたち。

 だが歌詞はともかく曲の方は、とんでもなく高度なことをしているのでは、と感じさせるものであった。

 電子音からロック系バンド、そして終盤には交響曲。

 正確に分類するのは難しいが、特に終盤は、普通なら使わない楽器の音まで使っている。

 シンセサイザーとDAWを使って、やっと作れるというものである。

 なおこのスキスキダイスキの再生数は、かなり再生期間に差があることもあるが、いまだにノイジーガール以上である。




 結局のところ、恥ずかしいというのは本人の感性や価値観、あるいは立場が問題なのであって、他の人間では共感出来ない感情の一つである。

 むしろスキスキダイスキは、俊の作った楽曲の中では、トップレベルに技術を融合させていると思う。

「これ、もしかして元ネタはボヘミアン・ラプソディか?」

「そりゃあまあ」

 栄二の問いと俊の返答に、メンバーは「ああ」と納得する。

 ジャンルの違う音楽を、一曲の中で融合させているというのは、まあ分かりやすいものである。


 歌詞を無視すれば、相当の技術と知識が必要な、優れた楽曲だろう。

 それでこんなネタ曲をやったからこそ、当時は話題になったし、今でも回転しているのだ。

 フロントメンバーのうち、知っていたのは暁だけであった。

 その暁としても、この技術を使うなら、普通にヒット曲を作れるのでは、と最初に聞いた時は思ったものであるし。

「恥ずかしさが、分かった気がする」

 むしろ今まで、そういう感情移入をせずに、歌っていたというのだろうか。

 ラブソングでなかったため、平気であったということならば、アイドル時代の説明がつかない。


 つまりそれだけ、パワーのある楽曲なのだ。

 ならば自分が歌わなければ、と月子は頭を切り替える。

「うん、分かった。歌えると思う」

「そう言ってくれてありがたいよ」

 黒歴史を披露した甲斐がある、と俊は思った。


 ちなみにノイズの他のメンバーが考えていたことは、全員が一致していた。

 今日の練習が終われば、スキスキダイスキをもう一度聞いてみよう。

 そしてこしあんPの楽曲を、全て聴いてみようという、俊に追い討ちをかけるようなことだ。

 しかしそれも無理はないだろう。

 方向性が違うだけに比較は難しいとも言えるが、スキスキダイスキの衝撃はノイジーガールや霹靂の刻に感じたものと、優るとも劣らないものであったのだから。

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