第193話 潮流

 俊は徳島の家を後にした。

「なんつーか、生きるのが大変そうな人だったね」

「でもコンポーザーとしては天才なんだろ?」

「いや……天才なんて言ってしまうと、徳島さんには失礼だと思う」

 確かに分類するならば、天才と言ってもいいのだろう。

 だが彼は音楽をやっていなければ、まともに生きられなかったであろうタイプだ。

 60年代から70年代の洋楽の革命期には、そういう人間が多くいた。

 天才なのではなく、むしろ全体的に不器用。

 だからこそ一つのことに集中したら、そこからあらゆることを貪欲に吸収しようとする。


 徳島は作詞もやっていて、そちらは分かりやすいセンスを感じる。

 だが以前にボカロPの人間で飲み会などをした時、興味のないことへの圧倒的な不勉強なども感じたものだ。

 音楽に結びつけると、途端に記憶力を発する。

 脳がそういうように出来ているからであろう。


 俊は自分のことも、小器用なだけで天才とは遠いと思っている。

 そしてボカロP時代は、完全に受けだけを狙って、スキスキダイスキを作って受けた。

 ネタ曲の方になら自分の才能があるのか、などと考えたこともある。

 だがそれはやりたい音楽ではないな、と思ったのも確かだ。


 恵まれていると言えば、確かに恵まれている。

 徳島と違って俊は、様々な音楽の技法などを知っている。

 だが知っているからこそ、それが陳腐に思えてしまったこともある。

 重要なのは陳腐さを使う上でも、そのバランスなのだ。

 ノイジーガールは様々な過去の有名曲から、ある程度の部品を持って来て作ったものだ。

 だがサビの部分などは、自分で思いついている。

 もっともそのサビにしても、特に変わったものではない。

 この世界の創作のほとんどは、99%が既に存在するもので構成されている。

 その中で何を持って来て組み合わせるかが、残りの1%なのかもしれない。

 

 徳島との話し合いは、俊が本来相談したいと思ったものにはならなかった。

 あれはやはり、知っている人間が少なければ少ないほどいいものなのだ。

 阿部との話し合いも含めて、権力のある人間をどうにか、巻き込んでいく必要がある。

 音楽家が政治などをするのは、ロックではないと言われるだろう。

 反戦、反体制というのが、ロックであるとほぼ規定されている。

 だがそれがロックだという枠組みを作られた瞬間、ロックはロックでなくなる。

 音楽というのはそういうものなのだ。




 新年も三が日は明けて、日常の活動も普通のものに変わっていく。

 俊は今年、卒業するかどうか迷っている。

 ノイズでの活動というか、作曲活動がとにかく忙しすぎて、テストや課題を少し落とせば、留年するぐらいには計算している。

 ただ当初の予定であった、レコーディングスタジオなどの機材に関しては、インディースレーベルとはいえノイズの出している利益が大きいため、かなりの融通が利くようになった。

 さすがに俊の家の地下のスタジオに、レコーディング機能を再び設置するのは、ちょっと金がかかりすぎる。

 レコーディングがいつでも出来るようになっても、暁と千歳は学校があるし、栄二も家庭があるのだ。


 それに他のメンバーにも、ちょっと問題が起こっている。

 一つはやはり暁のことで、通信制の高校に編入したいという希望が、父である保を悩ませた。

 これについては千歳も、かなり微妙な心情であったろう。

 ただ月子などは、むしろそれもありだろうと言った。


 月子はその読解障害のため、通常の高校には通っていなかった。

 もちろん高卒の単位は取れるものであったが、カリキュラムが違う学校であったのだ。

 暁は千歳以外には、友達と言えるような人間が学校にいない。

 それならば自由な時間が取れるように、通信制でいいではないかと思ったのだ。

 もっとも父の保は、大学まで行っている。

 個人的には暁も、大学に行っておいた方がいいのでは、などと考えていた。

 しかし現在のノイズの活動を考えると、受験勉強などをするのは難しい。

 頭が悪いというものでもないのだが、そもそも関心がないのだ。

 英語だけはそれなりにいい点が取れている。


 千歳は逆に叔母も含めた親戚から、しっかりと大学まで行くように言われている。

 それが死んだ両親の希望であり、実際にそれだけの保険を残しておいたのだ。

 暁のようなギター特化の能力を持つわけではなく、ノイズの活動をまだアマチュアの延長と考えているような千歳。

 高校生であると同時に、ノイズのメンバーであると考えているのだ。

 そこがまずノイズの一員であり、高校には通っているだけ、という暁とは違う。


 俊の目から見ると、確かに暁はもう音楽の世界に振り切っている。

 学校に行くことで身につくこともあるのだろうが、既に稼ぐことは稼いでいるのだ。

 もっともギタリストなどは、何か怪我でもしてしまえば、ギターが弾けなくなるかもしれない。

 暁の場合はある程度、作曲の才能もあるとは思う。

 それでも将来の選択肢を用意しておいた方がいいと、保が思うのは理解出来る。




 対して千歳の場合は、普通に日常を送っている。

 自分がいるのにどうして暁は学校を変えるのか、という信頼感にひびが入ったような状況かもしれない。

 千歳は、ある意味では甘いのだ。

 ただ普通であるということが、どれだけ貴重なものであるのか、千歳は理解している。

 暁の家も離婚はしているが、両親は生きている。

 その点では千歳は、あくまでも普通でいたい。

 けれども結局普通になりきれないという感情を、歌に乗せて出している。


 葛藤が音楽を発するのだ。

 暁と千歳は同じギターを演奏し、仲が悪いどころか、むしろかなりいいであろう。

 暁は厳しく教えることもあるが、基本的には技術は俊や信吾も教える。

 それに千歳のボーカルは認めているのだ。


 二人は音楽でつながっている。

 だが音楽がなくても、友人にはなれただろう。

 ただ戦友と呼べるほどの関係性は、やはり音楽があったからだ。

 ノイズのメンバーたちは、確かに友人とも言えるが、それ以上に戦友なのだ。

 この音楽業界に対して、自分たちの音を届けていくという。

 強い意志がなければ、とても伝わるものではない。


 俊自身にも問題はあるが、それ以上に年下の高校生二人組が、どうなるのかが心配だ。

 高校を卒業したなら、今度こそ活動の範囲が広がっていく。

 費用もかかるのであまり金にはならないが、地方公演はしていくべきであろう。

 ただしそれよりも前に、彩の件を片付けなければいけない。

 これはノイズの問題と言うよりは、俊と彩の問題であり、レコード会社内の政治問題だ。

 俊の力でどうにかならないので、阿部の力を借りるしかない。

 もっとも愛人関係うんぬんは、さすがに隠しておかないといけないが。


 阿部としてはまず、ノイズを売ることが最優先である。

 メジャーレーベル契約をしていれば、大手を振って資金投下を要求できるのだが、ノイズにはさほど金をかけていない状態は、まだ変わっていない。

 それでもワンマンライブなどの実績は、かなり積み上げている。

 これを評価している人間はいるわけだし、だからこそアニメ主題歌のタイアップコンペなどの話もやってきたのだ。

 あちらはあちらで、ほぼ完成している曲を、どれだけブラッシュアップさせるのか、それを考えないといけない。




 年始早々に俊が持って行った話は、阿部を悩ませるものであった。

 確かに社内政治というものは存在し、阿部もノイズを売るためには色々と動いている。

 だがこれは今までのものとは性質が違う。

「また面倒な話を……」

 彩と自分の関係や、彩の現状についてを、全て話すわけにはいかない。

 なので彩が、今の自分の境遇から脱したい、という方向に話を少し変化させている。


 彩はデビューした直後からヒットチャートのトップに立った、レコード会社としても重要なアーティストである。

 それがどの事務所に所属して、どのレーベルから音源を出しているかというのは、重要なことである。

 その彩の事務所を離脱させて、レーベルも変えてしまうということ。

 これを手助けしてしまうというのは、背任行為であるのではないか。

「同じ会社内であるなら、特に問題はないでしょ?」

 レコード会社としては、確かにそうだろう。

 しかしそれでは結局、彩の現状は変わらないのではないか。


 そこすらも俊には分かっていない。

 なので阿部に尋ねて、彼女も分からなければ調べてほしい、というものなのだ。

「フューチャーするっていう穏当な話だと思ってたのに……」

 阿部は遠い目をしているが、それも無理はないだろう。

 そして彩と一緒に活動することで、ノイズにも金をかけられるというのが、阿部の想像していた展開である。


 俊としても話の進み方が早すぎる、と思われるのも仕方ないのは分かっている。

「彩との関係は改善したので、彼女を利用することは出来ますよ」

「それはいいことだろうけど……」

 阿部としても自分のやることは、アーティストを売っていくことだと思っている。

 もちろんそのために金を出させる企画などを、レコード会社に持って行ったりはする。

「とりあえず知りたいのは、彩のバックについている重役が誰かということと、それと敵対している社内の勢力なんですよ」

「俊君、貴方こういうことは、ミュージシャンのすることじゃないわよ?」

「分かってはいるんですけど、弟としては姉の力になってやりたいとも思うんですよ」

 関係が改善したというのだから、そこは喜ばしいことなのだろう。

 だがそれに伴って、社内政治にアーティストが関わるというのは、極めて危険なことだ。


 会社役員というのは、社内政治の結果に存在する、権力の塊だ。

 もちろんあまりにも巨大になりすぎたミュージシャンとプロデューサーが組めば、戦えないこともない。

 だが基本的にアーティストなどと言っても、ほとんどは代えのきくものである。

 あるいは利益以上に損失、リスクやコストがかかると思えば、切り捨ててしまうものだ。

 ノイズの場合は今の状況から、事務所やレーベルから切られたとしても、実はなんとかなる。

 インディースレーベルをわざわざ立ち上げさせたというのは、ノイズの伝説の一つになっている。

 メジャーのレコード会社は他にもあるし、またインディースから活動をしなおしてもいいのだ。

 そういう契約で事務所と結んでいるのだから。

 もちろん一歩どころか、何歩も下がってしまうことになるが。


 俊はバンドリーダーとしては、そんな選択をするわけにはいかない。

 だが弟として姉の力にはなりたい。

 ここで阿部はちょっと勘違いしていて、俊のことをマザコン寄りのシスコンなどと思っている。

 実際にそういう要素が、全くないと言えば嘘になるのだが。




 彩の人気は安定している。

 だがもう爆発するような、そんなキラーチューンは出していない。

 彼女を救うというのは、再び売れるようにしてやるということ。

 ただの楽曲提供でも、それは充分に可能だろう。


 しかしそれだけでは不充分だと、俊が言ってしまっている。

 現在の彩のバックにいる存在との切り離し。

 それがどういうことなのか、阿部でも分からないわけではない。

 彼女もこの魑魅魍魎の跋扈する芸能界で生きているのだから。


 正直なところ、ノイズのマネージャーというか、事務所の社長としては、そこまで首を突っ込んでほしくはない。

 音楽に対して、そのまま向き合っていてほしいのだ。

 ただアーティストとして音楽を作るのは、その生き様にも関係してくる。

 また俊の言っていることは、自分の利益のためでもない。

「とりあえず、現状を調べてはみるけど」

 社内でごたごたが起こるとしたら、それに乗じて何か利益を得ることが出来るかもしれない。

 それは確かなことなので、全く調べないという選択肢は阿部にはなかった。


 阿部からして見ると俊という人間は、音楽的才能とは別に、なんらかの物語の主人公となる素質があると思える。

 この主人公というのは、売り出していくのに有利な背景、だとでも言おうか。

 天才と呼ばれたプロデューサーでありコンポーザーであった父がいて、母も現在活躍する声楽家。

 だがその生活は両親の離婚によって崩壊している。

 また父親は事故によって死んでいるが、本当に事故なのかは微妙なところだ。

 そして自分の力によって、ミュージシャンとして売れ始めた。


 周囲に集まっている人間も、特に女性陣は濃いキャラが多い。

 月子と千歳などもまた別に、その主人公性が高いように思える。

 ノイズのメンバーはとにかく、両親が揃っているというのが栄二ぐらいしかいない。

 ただそれ自体は、別に珍しいことでもないだろう。

 俊と違って暁などは、まさに天才とも言えるギタリストとしての才能を持っている。

 こういうメンバーが揃ってしまったのが、偉大なバンドが誕生するという、条件を満たしていると思うのだ。




 俊から話を聞かされた阿部だが、俊が隠していることがあるのも、なんとなく気づいていた。

 去年の末からここまでの間に、彩との関係性が急激に改善されている。

 姉との関係が良くなるというのは、悪いことではないはずだ。

 しかしアーティストというのは、自分のいる場所の深い不幸や不遇の中からこそ、傑作を生み出してきたりする。


 俊はその意味では、音楽に呪縛されている。

 そして自分自身も、音楽に執念を持っている。

 結局成功する人間というのは、途中で諦めなかった人間である。

 その点で俊は、バンドで挫折して、ボカロPとしてもさほどの結果を出せず、やっと月子と出会ってその道を歩くこととなった。

 メジャーシーンへの道であるが、そのくせインディースにとどまっている。

 そこが阿部としては、もっと勢いだけでいいのでは、と感じるところなのだが。


 俊は考えて作るタイプだ。

 もちろん最低限のインスピレーションはあるのだろうが、手先でぱぱっと作ってしまうことが出来る。

 だがそれが傑作であるかというと、微妙なものである。

 売れ筋を追うことは得意であるし、実際に売れた曲をまた再構成して作曲している。

 曲が似ていても、歌詞のテーマが違ったならば、それは違う曲になるのだ。

 そういうことを考えて、楽曲を作っている。


 また技術的には間違いなく優れている。

 それはボカロPとして、またそれ以前の育成環境からして、他の人間よりも恵まれていたところだ。

 だが本人は、その恵まれていながらも、上手く成功への道を歩けないことに、苦悩していた。

「結局、進み続ける人間しか成功しないし、生き残るためには進み続けるしかないんだけどなあ」

 事務所ビルから去っていく、俊の背中を見て阿部は呟く。

 音楽に魅入られたと言ってもいい、青年の後姿だ。


 そして阿部もまた、この業界には最初からのめりこんでいる。

 親の代からずっと、音楽業界では生きているのだ。

 自分で作るよりも、作る人間を発掘することを、彼女は喜びとした。

 まだ現場で、才能と触れ合っていたい。

 だがそういった才能を守るために、権力が必要だというのならば、自分も権力者にならなければいけない。

(まずは調べてみないと)

 俊にはあえて言っていないが、ある程度の知識はもちろん持っている阿部だ。

 その上でここから、どう自分が動くべきなのか。

 全く、ノイズというバンドと、そのリーダーの俊は、厄介で面白い人間たちである。

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