第199話 アーティストと政治

「ふぉおおおおお」

 口を開いてステージから、バックヤードに続く道、そして観客席を見回す千歳。

 普段のライブハウスや、大規模ホールとはやはり、違うのがテレビ局の撮影所だ。

 客席があるのが特徴で、それなりの人数が入るホールになっている。

 もちろん出演するのはノイズだけではないが、ほとんどは知り合いか、一方的に知っている相手である。


 全国放送だ。

 これまでもフェスの様子などが、ニュースでわずかに流れたことなどはある。

 しかし新年になってからここまで、ライブのたびにしっかりと告知してきた。

 視聴率がたとえ1%しかなかったとしても、100万人が見ることになる。

 もちろん実際はもっと、視聴率の高い番組である。

「あんまり感心してないで、さっさとセッティング終わらせるぞ」

 そのあたりの事前準備は、普通のライブとそう変わらない。


 ミュージックスタジアムは、午後九時からの放送であるため、それなりに視聴率の取れる音楽番組だ。

 歴史も長く俊の場合、父の代からお世話になっている。

 そんなわけで司会者のモリタには、先に挨拶にも行っていた。

 モリタもそこまで深くはないが、ある程度の事情を知っている人間である。

 そもそもモリタが、この芸能界においては超大御所と言ってもいいのだが。


 そのモリタは、東条高志の息子が、もうこの年齢になったのか、と驚いていた。

 前身のマジックアワーの時代から、Mスタでは出演している身である。

 それが今では、遅くに生まれた息子が出てきているのだから、モリタの驚きも分からないでもない。

 もっともそれは、若い俊たちには分からないものである。

「ここまで来たか……」

 信吾などは前のバンドで、テレビには一応出たことがある。

 ただ曲を披露するというものではなく、今元気な若手バンドという感じで、深夜の番組で特集されたのだ。


 先にデビューしたアトミックハートは、確かに何曲か出している。

 だが作曲パートをある程度やっていた信吾が抜けて、他からの楽曲提供をやるバンドとなってしまった。

 まだ解散したわけではないが、調べてみないと聞かない程度には、人気も出ていない。

 やはり自分の選択は正しかったな、と思う信吾である。




 セッティングなどにかなりの時間をかけたのは、どこでだれを撮影するか、ということも確認するからである。

 演奏するのは霹靂の刻で、アメリカのアニメーションでOPに使われ、それがネットで流れていることでも有名にはなっている。

 最初に流すのが俊ではなく、月子の作曲したものではあるが、アレンジは大幅に俊の手が入っている。

 俊や他のメンバーの手を通した後なので、ノイズの音楽になっている。

 本当ならばノイジーガールをやるのが、一番バンドの象徴的な曲ではあったのだろう。

 しかしそこはテレビで演奏するため、現在の知名度がある程度はないといけない。


「モリタさん、むっちゃ気さくな人だった!」

 祖母がやはりテレビぐらいまでしか見なかったため、月子もテレビを見て育った。

 その中で音楽番組というなら、やはりMスタであったのだ。

 月子はライブハウスやフェスへの移動の際は、サングラスをしている。

 モリタもサングラスがトレードマークの人間なので、ちょっと親近感が湧いたのかもしれない。


 実際のところは今日も、月子はマスクをしてステージに立つ。

 二つの演奏用ステージを、交互に使っていくという番組のスタイルで、素早いセッティングの変更が重要だ。

 霹靂の刻は月子のエレキ三味線があるため、他の曲よりは少し歌唱の難易度が高い。

 しかし何度もやっているうちに、それは慣れてくるものだ。

 ライブではノイジーガール、アレクサンドライト、霹靂の刻の三曲のうち、二曲は必ずやる構成になっている。

 そしてもう充分にオリジナルはあるのに、まだカバー曲も演奏する。


 元の曲からは、ある程度のアレンジが入ったカバー。

 これが癖になって、ノイズのライブはソールドアウトが続いている。

 それなのに基本的には、300人までの規模のハコでしかやらない。

 しかしここからは武道館に向けて、さらに認知度を上げていく必要があるだろう。

 1000人規模のホールなどを借りて、そこでのライブをするならば、機材のセッティングなどでぎりぎり、黒字になるかどうか。

 それでも東京から一日で行ける範囲なら、充分なのだ。


 問題は関西圏やさらに遠い場所だ。

 ローディーやエンジニアの手配に加えて、規模の大きなホールでやるなら、演出にかなり金をかけなくてはいけなくなる。

 するともう赤字ぎりぎりということになるのだが、それでもやる意味はある。

 名前をどんどんと売っていかなければいけないからだ。

 武道館でライブをするのに、金やコネだけでは不可能な要素。

 それは興行の実績である。


 ノイズは一応、2000人までのハコは普通に埋めているし、フェスでは二万人以上を動員している。

 ただフェスの評価に関しては、ノイズばかりを見に行った人間でもないので、微妙なカウントとされてしまう。

 そもそも七月の、夏休みに入ったあたりの期間は、かなり武道館のレンタルも難しい。

 夏休みで本来の、学生のための大会で、予定が埋まってしまうのだ。

 その直前、二日間を昼と夜の日程でライブを行う。

 これについてはまだひっくり返される可能性があるので、俊はまだメンバーのうち、栄二にだけしか言っていない。

 栄二は他のバンドのサポートに入ることもあり、夏休みはそれが多くなるので、早めにスケジュールの確認が必要だからだ。




 日本武道館。

 武道の聖地であり、柔道や剣道の大会を行う、巨大な施設である。

 だが同時に音楽の聖地でもあるのは、ここでビートルズが来日公演をしたからだ。

 他にも洋楽分野では、シカゴ、ツェッペリン、カーペンターズ、ディープ・パープル、エリック・クラプトン、QUEEN、ボブ・ディラン等々。

 とんでもない大御所がやっているという点では、確かに聖地とも言えるのだろう。

 だが実際の演奏施設としては、さほど優れたところはなかったりする。

 元々そういった場所ではないのだし、ビートルズの公演でもほとんど音の聞こえない席などがあったのだ。


 調べていけば色々と伝説が残っていて、大きな働きをしていた武道館。

 だが今なら大きさだけで言うなら、まず東京ドームがある。

 そして音楽用の施設なら、横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナといったところもある。

 それでも過去の歴史が、重みを与えてくれる。

 野球で言うなら甲子園のようなものであろうか。


 ちなみにバンド結成からほぼ二年での公演というのは、過去の例を見てもかなりの早さである。

 彩も武道館でやるようになったのは、三年目からだ。

 もっとも彼女は、武道館を一つのステータスとは見ていても、舞台としてはさほどのものとも思っていなかった。

 ついでに言えば彩は、東京ドームでのコンサートは行ったことがない。

 あそこはチケットだけでペイするのは難しく、相当のグッズを売るアイドルグループでないと厳しいのだ。

 あるいは外タレの大物である。


 かつては五大ドーム制覇、などという目標があったりもした。

 しかし話題作りにはいいかもしれないが、音楽を純粋に演奏するという点では、あまりいい環境ではない。

 俊としても武道館はともかく、東京ドームはないな、と思っている。

 なにしろかかる金の桁が違うのだと、岡町なども言っていた。

 マジックアワーの全盛期には、それでもコンサートをしていたし、俊の父のプロデュースしたアーティストもやったことがある。

 ただそれはもう、時代が違うのだ。


 話題性だけを作るなら、四大ドーム制覇などというのもいいだろう。

 だが設営などに演出なども考えるなら、アリーナを使うべきだ。

 音響の設備なども、最初からドームよりも想定はされている。

 あの日本の音楽を破壊した天才も、基本はコンサートホールだけしかコンサートは行わなかった。

 そのためチケットの争奪戦が、100倍などになるということも珍しくなかったらしいが。




 まずは日本武道館だ。

 しかしそのために、全国放送のこの番組で、爪痕を残す必要がある。

 とは言ってもおかしなことをするのではなく、普段通りに全力でやればいい。

 もっともたった一曲を演奏するために、ここまでの準備が必要なのか。

 テレビをけっこう馬鹿にしていたが、働いている人間の数は多い。

 ライブハウスなどは最初からセッティングがされているが、テレビの場合はミュージシャンごとにすぐに変えなければいけない。

 さらには演出も必要とするのだ。


 他の出演者と遭遇することもあるし、その中にはアイドルグループもいたりする。

 キラキラした衣装でステージリハを行う彼女たちを、月子がいまだに羨ましそうに見ていたりする。

 ただ月子は基本的に、誰かに認められたいと、自分の存在価値を求めて生きてきた。

 マイナスがずっと続いた高校時代までを、どうにかプラスにしようとする人生。

 熱烈なファンというのも、100人や200人はいるだろう。

 少なくともファンクラブの人数は、既に10万を超えている。


 ほどほどに売れればいい、とは俊は思わない。

 音楽業界の売れ方も、今は昔とは変わっているのだ。

 もちろん地方巡業などの、人気が落ちてきたミュージシャンが稼ぐ手段は、今もしっかり残っている。

 だが俊はひたすら、音楽の可能性を探っている。

 マンガの話をするなら、コンテンツが多様化した現代でも、鬼滅の刃が圧倒的な数字を叩き出した。

 つまり細かい需要に応える作品もあれば、大衆が全力で楽しめる作品もあるのだ。

 音楽もまた、芸術性と大衆性、両方を兼ね備えた存在があってもいい。いや、あるべきだ。

 それを求めて、俊は音楽の道を歩んでいる。


 生放送ということもあるので、穴を空けるわけにはいかない。

 メンバー全員が、テレビ局の中で待機する。

 本日限定のパスがあるので、ある程度の局内は動くことが出来る。

 もっともビル内はごちゃごちゃしているので、迷子にならないようにと二人以上での行動を求められたりする。

 特に月子は、サングラスでわざわざ顔を隠しているので、誰かと一緒に行動するようにはしている。


 時間が迫ってくれば、それぞれの衣装に着替えたり、あるいはメイクをしたりする。

 男性陣でもそれは変わらず、カメラでしっかり撮られるため、注意を受けたりするのだ。

 今日は一曲だけなので、暁が脱ぎだす危険はなくていい。

 ただ、曲中でTシャツを破りだす危険性も考えて、一応下には水着を着ているが。

 最初から水着で演奏してもいいのでは、とも思うが季節的にさすがに寒い。

 暖房はもちろんあるが、ライブハウスの熱狂とはやはり違うのだ。




 阿部はメンバーを連れて、スタッフの中でもお偉いさんには挨拶回りをした。

 ノイズは魂がロックのグループであるが、音楽性以外はそれほど反社会的でもない。

「テレビなんて斜陽なのに、偉そうな人が多かったね」

 珍しくも暁が、真顔で毒を吐いたりしていた。


 確かに本当の話であるが、テレビを視聴する人数を考えれば、社会的な影響はまだまだ大きい。

 そのテレビ局で働いているというのを、自分の価値と勘違いしている者はいるのだ。

 実際のところテレビ局などには、政財界のお偉いさんの子弟が、ある程度は入ったりしている。

 そういうところも勘違いの原因なのだと、阿部も説明したりする。


 巨大な企業とスポンサー契約などもするため、テレビにはいまだに影響力や権力があるのは本当だ。

 しかしいまや大ヒットアニメやドラマなどは、ネット配信も完全に行われる。

 テレビでは放送されず、ネット限定という作品も増えてきた。

 チャンネルに限界のあるテレビが勝っているのは、せいぜいが無料であるということぐらいか。

 見逃しても後から見られるネットの方が、圧倒的に有利であるとも言える。


 スポーツの放映権料が莫大になって、テレビ局ではそれを払えない、ということもあった。

 そこに金を出したのが、ネット会社なのである。

 スポーツ専門チャンネルなどは、それに興味がある人間であれば、それなりの金を出してでも見る。

 方向性に特化したものが、生き残るという時代がやってきたのだ。


 俊たちの世代では、一番年上の栄二でさえ、テレビの魅力をあまり感じない。

 昔はその時間になるのを、全裸待機で待っていた者たちがいたのだ。

 それこそアニメなどでは、放送中に実況し、そして終了後に感想を言い始める。

 一つの伝説としては「魔法少女まどか☆マギカ」がある。

 東日本大震災があったため、一日遅れの地方では、かなり長く見られなくなってしまったのだ。

 もっともあの時代もネットは既にあったので、録画したものが海賊版として流れていたそうだが。


 千歳はアニメを好きだが、それを熱烈に語り合うというタイプではない。

 ただテレビの持つ電波と、その即時性に関しては、強烈なものがあるのだ。

 9.11世界貿易センタービルへの、飛行機の激突。

 生放送で見ていれば、人間がビルから落ちていく姿が放送された。

 3.11東日本大震災。

 津波が逃げていく自動車を飲み込むのも、生放送で放送された。

 それ以降は放送されていない、まさに本物の放送事故である。


 ネットではそれは、極めて難しい。

 テレビは権力を持っているからこそ、そういったひどいこともやってしまえる。

 ネットは世界共通であるので、下手に表現をしてしまえば、国外のどうしようもないところからクレームが来るのだ。

 千歳も言われてみれば、アニメは基本ネットで見ているかな、と思う。

 録画という文化が、薄れていっているのが若い世代なのかもしれない。

 もっとも今日の放送は、しっかりと録画はしてもらう。

 この放送すらも、ネット配信であったりするのだが。




 重要なのは失敗しないことではなく、失敗しても流すこと。

 打ち込みの部分などは俊が、フォローしてしまうことが出来る。

 ただ三味線とギターのソロのところは、やはり生音に勝てるはずがない。

「生放送は初めてだからなあ」

 信吾はそう言うし、栄二はバックミュージシャンのドラムとして叩いたことがあるが、それも録画放送。

 ボーカルならともかく他の部分は、わざわざ少しのミスを問題にはしない。


 基本的に栄二はスタジオミュージシャンで、バックミュージシャンとして活動する場合も、地方巡業についていくということが多かった。

 今日初めて、生放送の主役バンドとして、演奏することになる。

 いっそ録音を流した方が、ミスは少ないのかもしれない。

 ただ絶対に暴走する暁のことを考えれば、人間でないと対応出来ない。

 フィーリング重視なのはいいが、予定調和の演奏が出来ないというのは、商品としては欠陥と言える。

 それでもいいのだ、とノイズのメンバーは認めているが。

 

 やはり緊張しているところに、楽屋へのノックがなされた。

 まだ少し時間の前だが、早めに呼ばれているのか。

 だがそう思ったところに、ドアを開けてやってきたのは、なんと彩であった。

「どう、緊張してる?」

「なんでこんなとこに」

「少し時間が空いたから、激励にね」

 俊と彩の間の対立は、本人たちの間ではもうない。

 ノイズのメンバーに対しても、細かいことは伝えられないが、和解したとは言ってある。


 彩としてはまだ、俊に借りを返したとは思っていない。

 それに他にも、話したいことはあったのだ。

 移籍のどさくさのせいで、少し時間が出来てしまっている彩。

 芸能人としては、忙しければ忙しいほど、本当はいいのである。


 だが彩は、自分の移籍を見事にまとめてくれた俊に、確認したいことがあったのだ。

 そしてこれは、伝えておいた方がいいのでは、と思ったこともある。

「俊、今回の私の移籍騒動、どう思った?」

 余っている席に座って、彩は一方的に話し始める。

「どうと言っても……専務派だけを上手く弱体化させた、えげつない社内政治だなとは思ったな」

 GDレコードは巨大な失点になりそうなのを、常務派の力によって一手間だけに抑えきった。

 ALEXレコードは次期社長になるはずの常務と、良好な関係性を築いたと言える。


 その事実は正しい。

「今年というか、来年度の予定があるから、ALEXレコードも私の移籍を認められなかったのは分かる?」

「そうだな。俺はミュージシャンの移籍で得をするとだけ見ていたけど、会社として考えれば問題にもなるよな」

 あんたたちはいつもそういう問題を起こしてるんだけどね、と聞いていた阿部は心の中で思った。

「ALEXレコードの大型新人の話とか、何か噂でも聞いてない?」

「新人? いや……そういう予定があるから、彩を受け入れることは出来なかったわけか?」

「そういう話でもないのか」

 彩としてもそこに、何か確信があったわけではないのだ。


 彩は針巣と、直接対面した。

 50代になっても若々しく、そして野望を秘めた目をした人間だと思った。

「今回の件もあって、ひょっとしたらALEXレコードの方から、貴方に楽曲提供の依頼とか来たりしてない?」

「まさか。確かに針巣社長と常務の間に話はあっただろうけど、GDレコードの社長にまで話が通るのはまだ先だろ」

「二つのレコード会社が合併でもしたら、凄いことが出来るようになると思わない?」

「それはないと思うけど」

 レコード会社の合併自体は、別にないわけではない。




 また政治の話になっているが、これはむしろビジネスだ。

 ALEXレコードの抱えるレーベルのミュージシャンは、比較的正統派のアーティストというものが多い。

 GDレコードは大手であるが、ノイズもそうだがややクセのあるミュージシャンを抱えていたりする。

 まさにミュージシャンではなく、アーティストに近いと言えようか。

 ボカロPの発掘などは、GDレコードの方が先進的だ。


 新しい才能の発掘という点や、その宣伝という点では、ALEXレコードはやや旧態然としている。

 これはGDレコードの場合、社内の競争が激しいため、新しい売り方を模索しているからでもあるのだろう。

 ALEXレコードは古くからの、丁寧な発掘や大きな宣伝を、しっかりとしている感じはする。

 本来ならば彩などのタイプは、ALEXレコードの方が向いているのだろう。

 そう思ったのも、提案に勝算があると思った原因だ。


 二つの会社は確かに、強みが違う部分がある。

 そこを上手く活かして合併でもするなら、確かに意味はあるだろう。

 だが音楽業界の合併は、下手をするとその長所を消すことになる。

 それに業界トップのALEXレコードと、五位のGDレコードが合併して、何と戦うというのか。

「いや、海外進出をもっと考えているとか?」

 俊はその可能性に思い至る。


 ALEXレコードは国内トップのシェアを持ち、また海外へもそれなりに進出している。

 だがこの部分だけは、GDレコードの方が先取的な動きをしている。

 別に会社がそう動いたのではなく、所属するアーティストがたまたま、海外でも受けたということであるが。

 メリットはそこそこありそうに思うが、合併などはそう簡単に出来ないだろう。

 まずポストが減ってしまうということもあるし、会社の方向性を統一するだけでも難しい。

「やっぱりありえない、ですよね?」

「ありえないわよ。天地がひっくり返っても」

「音楽の世界では天地がひっくり返ることもあるよ」

 阿部に確認したところ、千歳が茶々を入れてきたが、これは音楽と言うよりはビジネスの問題だ。


 ALEXレコードの中で、何か大きな企画が動いているということか。

 新人に関する予算があるので、彩を移籍させなかったということだったが、実はまだ他にも理由はあったのか。

 ただそれを考えても、深い事情など分かるものではない。

「それにしても、針巣社長は本当に、ほとんどの人間に上手く恩を売ったんだな」

「それはたいしたものだと思うわ。専務とは格が違う」

 ALEXレコードは彩を獲得しなかったが、それで別に何かがマイナスになったというわけではない。

 予定通りに来年度の活動をしていくだけだ。


 対してGDレコードは、かなり針巣に恩が出来た。

 常務は時期社長レースに、かなりのリードを付けることになった。

 おそらくこれは、もう覆らないことだろう。

 個人のミュージシャンとしては、俊と彩に恩を売っている。

 彩はともかく俊は何かというと、彩に提供する楽曲を、俊の名前で出せるようにしたことだ。

 そんな針巣に、何か大きな計画があるのだったら、また業界自体を大きく動かすことになるのではないか。

「うちは足元をしっかり見て、まずは武道館を目指すだけよ」

 阿部がそう言っても、俊の中の不審は消えない。

「俊君、アーティストが政治をやり始めたら、それはもう問題よ」

 環境保護活動などに熱心になってしまい、ミュージシャンとしてはともかく人間としては、悪いイメージを残した人間はそれなりにいる。


 俊は先のことを考えすぎている。

 もちろん自己プロデュース力のあることは、悪いわけではない。

 しかし今は、テレビと武道館という、明確な目標が二つもある。

「まずは一歩一歩だな」

 自分の立ち位置を、俊はしっかりと確認する。

 まだ何も考えず、ひたすら上昇志向であれば、問題ない段階。

 ノイズの未来は、まだ大きく輝いているのだ。

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