第288話 2nd
英語版ノイジーガールのレコーティングが終わった。
ここからリミックスしてマスタリングしてと、相変わらず俊だけは労働時間が長い。
しかしこれは他の人間に、任せておけないという性格もある。
TOKIWAや徳島レベルであれば、それこそ任せてしまえるだろう。
ただあの二人はリミックスまではしても、さすがにマスタリングはエンジニアに任せているらしい。
やれることは全部やりたい。
これは俊の欠点だろうな、と阿部は思っている。
人間にはどうしても、持っている技能の限界があるのだ。
プロフェッショナルであることに加え、プロデュースまで自分で考えている。
俊は自分のことを天才ではないというが、総合的に見ればおおよその天才より、よほど人間離れしているであろう。
今回のレコーディングは本当に、ボーカルが大変であった。
邦楽には普通に、英単語が混じったものが多いが、それでも限度というものがある。
途中で何度もネイティブの人間から、発音のチェックなどが入った。
それでも切り貼りが出来るだけ、レコーディングも楽になったものである。
ここでちゃんと頭の中のイメージに合わせるためには、やはり俊の力が必要であった。
そしてこれを、まずはMAXIMUMに持っていく。
阿部は既に何度か、代表者である藤枝に、コンタクトを取っている。
一応MAXIMUMはSクラスのアニメスタジオなので、なんらかの事情があってラインが空いてしまっても、すぐに仕事が入ってくる。
ただどうしてもそのタイミングには、ズレというものは存在する。
こちらから感触を確かめていくと、確かに悪いものはなかった。
だが仕事を受けてもらえるかどうかは、タイミングの問題もあるのだ。
現在のMAXIMUMは運が悪く、劇場版の制作に携わっていた。
なので出来た穴があっても、すぐにそこが埋まっていく。
ただ藤枝は陸音の接触に対して、誠実さは感じている。
そこで他の制作会社を紹介してくれたりしたのだ。
MAXIMUMならばともかく、他の会社というのはどうなのか。
そこはもう、藤枝を信用するしかない。
小さなスタジオであるため、アニメ一本を制作するというほどの力はない。
ゲームの中の短いアニメーション、または下請けとしてアニメの一部、それ以外には短いCMなどを請け負っている。
腕はあるがクセが強い、という人間が集まって作った会社である。
MVのアニメーション制作というのは、これまでにも既にやっていたことであるという。
そしてコンテまではしっかりと出来ている。
参考までに実写版の映像もある。
さらに国内トップクラスバンドの、初の英訳版のアニメーション。
予算もしっかりあって、ただし納期はそれなりに厳しい。
これは無事に受けてもらうことが出来た。
向こうから戻ってきた正式なコンテを承認して、あとは待つのみ。
やっとスケジュールが空いてくれた。
「それじゃあ、アニソンカバーの曲をどうするか決めようか」
またやることが出来てきたが、楽しそうに選ぶのは他のメンバーである。
もっとも今回、EDMも存分に使っていいと、俊は言ってしまっている。
結局大変なのは、俊になるのではないか。
もっとも大学で千歳は、DAWに手をつけている。
俊のように上手くはいかないだろうが、彼女の練習も兼ねている。
「菅野よう子さんとか梶浦由記さんは、アニソンだけどアニソンに収まるものじゃないと思う」
「けっこう俊も影響受けてるんじゃないか?」
千歳にとっては70年代洋楽よりも、こちらの方が身近なものだ。
そして多ジャンルを融合させているという点では、確かに俊も同じ系統なのだろう。
そもそも女性ボーカルを使うという点で、俊はそれなりに影響を受けていると言えようか。
だが根本的なところは、60年代から70年代の洋楽ロックに、俊の土台はある。
そこからボカロPとしてやっていく上では、確かにこの両者の影響は、無意識でも受けているだろう。
「もうライオンとかカバーしたしなあ」
両者共に、アニメBGMのコンポーザーとしては、明らかにアプローチが独特であり広範であるとは思う。
しかし俊としては、広いノイズの音楽性であっても、まだフォローしきれないほど、この二人の音楽性は広いと思う。
俊はコンポーザーであるが、同時に詩人でもある。
ただ音楽の深さや広さであると、BGMまでやっている人間には、ちょっと及ばないということを自覚している。
把握しているジャンルにしても、限度というものがある。
まあアニメのBGMなどというのは、そのうちやってみたいと思わないでもないが。
しかし昔から音楽に対する姿勢は、BGMで終わらせるものではない。
おそらくBGMにするには、わちゃわちゃと凝りすぎた音楽にしてしまうのは自分でも予想出来る。
前回の比べると、比較的新しい曲をカバーすることとする。
単純な楽曲だけではなく、アニメ作品のタイトル知名度も重要になるだろう。
近年の話題になった作品のOPやEDを、そのまま使っていく。
「進撃の巨人は評判も良かったし、入れたいね」
原作の知名度も高いものである。
一般のアーティストがアニメタイアップしたものを、果たしてどう判断すべきか。
また曲調にしても、何かに偏ってしまってはまずい。
そんなわけで千歳は、ユーロビートを持ってきた。
「identity crisis!」
「そういえば前のアルバムの候補にもなってたよな」
「なんの主題歌だったっけ?」
新世紀GPXサイバーフォーミュラであるが、20世紀の作品である。
しかもこの曲は、テレビシリーズの主題歌でもない。
「OVAって、どういうビジネスモデルだったんだ?」
俊も不思議になるが、今の人間には確かに分からないかもしれない。
どうも当時、オモチャの売上が悪く、スポンサーが離れて打ち切りになったらしい。
今となってはちょっと信じられない話だが、初代ガンダムや初代ヤマトも同じ理由で打ち切りになったとも言われる。
ヤマトは裏番組に強力なライバルがあったということもあるが。
作品自体のファンがいれば、ビデオを発売して買ってもらう、というスタイルであったのだ。
一本数千円もするビデオが、そんなに売れたというのが今では信じられないだろう。
だがネットのサブスクが主流となる前は、確実に円盤と言われたDVDやBDが売れていたのだ。
シリーズは11、ZERO、SAGA、SINと続いて行った。
この曲はSAGAのOPである。
「……レイズナーみたいなことしてるんだな」
「途中打ち切りが決まったせいか、逆にテレビシリーズの後半あたりから、すごく面白くなってるんだよね」
「37話もある作品、今さら見る気になれないぞ……」
ただ曲自体はこれまで、ノイズがやってきたものとかなり違う。
この曲に限らず、レース系のアニメというのは、ユーロビートの曲が多い。
そして実際にこれを流して運転すると、思わずアクセルを踏みすぎるのだ。
「歌うとしたら……千歳になるのか?」
元の曲に寄せるならば、確かに千歳の声になるだろう。
月子の声とはかなり違うが、そこは逆にいくらでもアレンジのしようがある。
ネットには他に、カバーしているものも流れていた。
「途中のギターソロもいい感じかな」
アレンジしてギターパートの音にして、ギターソロをしっかりと弾いてもらう。
これなら暁も納得である。
「しかしこれ、作られたのが20世紀で、舞台が今からちょっとだけ前なんだな……」
スマートフォンの存在する未来は、さすがに予測されていなかったということか。
「どうせEDM使ってもいいなら、これとかどう?」
「今度は梶浦さんか……」
正直な話、俊としてもこのあたりのコンポーザーは、アレンジが難しい。
純粋に使っている楽器が少ないのなら、まだいいのであるが。
「heavenly blueとかどう?」
「ええと……ボーカルが足りないじゃねえかよ」
「あたしが低音歌って、ツキちゃんに中音と高音を歌ってもらって、それでレコーディングするとか」
「ライブで出来ないじゃねえか」
音域的には確かに、月子ならば出来る。
カバーアルバムというのは基本的に、著作権収入がないので音の原盤権がないと儲けにならない。
だからインディーズでやるというのは、間違いではないのだ。
「Kalafinaは三人だけど、レコーディングだけなら二人で出来なくもないか」
「他に誰かヘルプで入ってもらう?」
「いや、これ以上権利でややこしいことにしたくない」
「heavenly blueが駄目ならto the beginningとかstone coldでもいいけど」
「ええと……FictionJunctionの曲も混じってるじゃねえか」
「多重録音するなら、出来るよね?」
「いや、俺が大変なんだけど」
これ以上俊を働かせてはいけない、というのは年長組の共通認識である。
だが暁はstone coldでもいいな、と思ってしまう。
ジャンルとしてはJ-POPになるらしい。
たがこれはアニメで使われたからアニソン、というぐらい乱暴な分け方であろう。
EDMは間違いなく使っているが、果たしてどう分類すべきなのか。
暁が気に入ったのだから、ロック的な魂が入っているのは間違いないだろうが。
いっそのこと梶浦由記カバーでもしてやろうか。
俊はそんなことも口にしたが、俊が死ぬかもしれないので、割と本気で月子と信吾が止めた。
ただ改めて確認すると、アニソンにおいてこの二人の作曲家が、J-POPの範疇にいながらも、独自性が高く思えるのが不思議だ。
コテコテのアニソンというわけではなく、しかし明らかに作品世界に向けたもの。
俊もタイアップにおいては、作品世界に寄せている。
だがどこか、寄せ切れていないのは感じるのだ。
俊はまだ若い。
この業界では早熟の人間が多いため、多くの人間はそこを勘違いする。
もっとも阿部などにしても、俊はもっと実務面より、感性の面を磨くべきでは、とも思うのだ。
自分は長年この業界で生きてきて、そしてコネも伝手もある。
実際に働いてきたという実績が、信用となっているのだ。
俊の音楽というのは、確かに幅が広いものではある。
根底にあるのは、70年代のロックではあるのだろうが。
ビートルズの影響が、完全に浸透した70年代。
当のビートルズは、まさにそこで解散しているのだが。
70年代には多くのレジェンドが、活躍の最盛期と言えた。
ただそこからロックは、さらに発展していく。
メタルがあるし、そのメタルもさらに発展していった。
発展と言うよりは、先鋭化していったとも言える。
なおロックは死んだという言葉は、既にこの70年代に言われていたともいう。
ジョン・レノンが直接言っているのだ。
だがそれはロックの終焉ではなく、ビートルズのロックの終焉であったのだろう。
内部のいざこざは、あの過激な時代であっただけに、なあなあで済ませることは出来なかった。
そもそもアーティストというのが、そういう存在なのであろうから。
俊は70年代の洋楽、90年代の邦楽、そしてボカロの文化から生まれた人間だ。
さらに母親の影響からは、クラシックの要素も取り入れている。
作る曲の中には、ストリングスや管もあるのは、様々な影響によるものだ。
ボカロの音楽というのは、DAWを駆使して作るもの。
中には自分で生音を弾いて、それを取り入れるボカロPもいるが。
俊は様々な教育を受けられて、幸いであったと思っている。
そういった教育を経て、こういった状況にある。
阿部に伝えられたのは、レコーディングの日程が決まり次第、アニソンカバーのライブを行いたい、というものであった。
販売から逆算して、そのライブで真っ先に直販を行うのだ。
ノイズも影響力が大きくなってきた。
ボカロP出身のコンポーザーというのは、もはや珍しいものではない。
むしろバンドから入ってくるより、自分一人で出来るという、ボカロPこそがこの時代の一つの特徴であるのかもしれない。
しかし俊はそこから、ユニットではなくバンドを組んだ。
このあたり周囲の人間でも、よく分からなかったことだろう。
実際に身近で見ていた阿部には分かる。
おそらく俊は、70年代を好む暁がいることで、自分の中の化学反応を促したのだ。
月子や千歳のボーカルも、もちろん曲のイメージを生み出した。
しかし二人はボーカルという要素が強く、本当にアーティストと言えるようなのは、暁だけではないか。
他のメンバーはどうしても、ミュージシャンという括りに入ってしまう。
もちろんそれは、俊がメンバーを軽視している、ということにはあたらない。
栄二の完全なリズムキープに、信吾もベースでその低音を支える。
自由度は大きいが、それでいて圧倒的に、堅固でもある。
そういった土台があってこそ、暁のギターは自由に動けるのだ。
ボカロ曲の中には、ギターソロのない有名曲もある。
しかしアニソンはかなりの部分、ギターソロが存在する。
これはギターという楽器が、それだけ浸透しているものだからだろうか。
アニソンを作ってきた世代が、さらに若くなってきた。
ボカロPという存在が、そもそも新しい存在なのだろうが。
そんな新しい存在が、またバンドへと回帰していく。
阿部からするとそれは、原点回帰の換骨奪胎に思えるのだ。
表現をしていくアーティストは、自分の中に核が必要なのであろう。
それはスタイルとか音楽性とか、そういうものではない。
もっと重要な、柔軟性は持ちながらも、変に揺らいでしまうことのないもの。
変わることがいいのか、変わらないことがいいのか。
それは結果が教えてくれる。
徳島などは明らかに、変わっていくことを良しとしている。
変わらない人間は、アーティストなどではないと。
自分のスタイルに固執することになれば、もはやそこからは成長も進化もない。
ただ縮小再生産が続いていくだけなのだ。
俊は売れ線を常に狙っている。
しかし作る曲は、似たようなものもあれば、全く違うものもある。
最近の曲はEDMも多用しながら、音楽の表層はヘビーメタルであろうか。
だが歌う月子や千歳は、だみ声で歌ったりはしない。
ボカロPではないが、ガールズバンドのフラワーフェスタ。
俊が当初警戒していたような、一気に音楽シーンを変えるような、そんな動きはしていない。
しかし俊としてはむしろ、ムーブメントは一緒に起こしたかったのだ。
このまま花音というミュージシャンが、売れないままで消えていく。
それは絶対にないと、俊は言っている。
ネットでの配信では、花音の曲は多く回っている。
曲調は今どきのものではなく、むしろ懐古的なものとなっている。
しかしメロディの美しさは、かなり複雑なもの。
それを発信することで、徐々に認知度は上がっている。
(こちらはこちらで忙しいけど)
ソルトケーキの評判がよく、小さなライブハウスで何度も公演をしている。
そろそろMVをまた作るタイミングかな、と阿部は考えているのであった。
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