第232話 音楽の森
音楽の夏がやってきた。
いや、もうとっくの昔に夏本番は始まっていたのだが。
だいたい学生が夏休みに入ると、ほぼ完全に夏だなと思うようになる。
そしてテレビやニュースで甲子園の結果が流れ始めると、もうすぐお盆か、という話にもなってくる。
ちなみに俊は野球には興味はない。
特に高校野球などは、応援に楽曲を使っても、あれは学生活動の一つなので著作権に引っかからない。
気にすることもないのだが、あれでずっと昔から、応援曲になっているものがある、ということぐらいは知っている。
今年のフォレスト・ロック・フェスタはほぼお盆に合わせて行われる。
学生を含む若者に加え、年配の社会人も参加出来る日程だ。
日本の社会構造の変化を考えると、年配でも独身の人間がそれなりにいる。
こういった人間は、自分のために金を使うことが出来るのだ。
若者はタイパなどと言って、安易なところに手を伸ばす傾向が増えている。
今や時間を使って、交通の不便なところにまでやってくる、こういうものこそが贅沢なのである。
人間が豊かであるかどうかというのは、単純に金を持っているだとか、生活のレベルがどうだとか、そういうものばかりではない。
結局はどれだけ、無駄なことに時間や労力をかけられるかによるのだろう。
そもそも文明から発生して文化というのが、本質的にはパンではなくサーカスなのだ。
生きるために必要なのは、パンだけでは不充分。
サーカスで楽しむことが出来てこそ、人間は人間らしく生きていると言える。
そう定義した哲学者たちは、もう数千年も前の人間である。
俊は基本的には、いつも時間が足りない人間である。
ずっと作曲や練習ばかりをしているわけではないが、それ以外の時間もほとんどをインプットに使っている。
そんなだから女にも向こうからアプローチをされるのに、振られて終わってしまうのだ。
もっともそれを苦痛とも思わないので、余計に振られやすい。
根本的な部分には、両親が離婚した子供にあるタイプの、恋愛への不信感があるのかもしれないが。
俊の場合は彩とのあれこれがあったので、余計にそれはひどくなっている。
しかし俊がどれだけ、時間がほしいと思っていても、イベントは待ってはくれない。
今年も富士山を遠くに望んで、広大な敷地に大小の多くのステージが設営される。
これだけで随分と金がかかるものであり、台風などで払い戻しにでもなったら、一気にイベント会社は倒産の危機となる。
そのために色々とスポンサーをつけて、保険もかけてあるわけなのだが。
バンを交代で運転して、九州まで行ったのも昔のこと。
今はもう新幹線に、ハイヤーで近くのホテルにまで送られる。
最上階のロイヤルスイートなどは、完全に海外からのレジェンド専用。
そうは言ってもノイズメンバーも、しっかりと個室をもらっている。
「つーかこのホテル、普段はどうやって客を入れてるんだ?」
俊はそんなことを考えたが、それは経営者の視点である。
別にこのイベントに限らず、それなりの道路交通のインフラがあり、設営のスペースがある。
色々とイベントや、集団が活動する上での、拠点と出来るホテルなのだ。
多くのバンドが初日の前日入りして、大急ぎでとりあえずのセッティングを行っていく。
当日もステージとステージの間には、ちゃんと時間があったりするが、タイムテーブル通りに進まないことも多い。
ノイズの場合は最終日のトリの前で、どうしても伸ばせる時間が短くなる。
セッティングに時間をかけるわけにはいかないので、この前日の短時間リハも重要なものなのだ。
夕暮れから夜に入っていく、その時間がノイズの振られた時間である。
そして真夏でも真っ暗になった中で、ヘッドライナーの演奏が始まる。
「なんつーか、永劫回帰目的の客層が、かなり多くなりそうだよな」
信吾がそんなことを言っていたが、別に悪いことではない。
いい音楽であっても、聴かれてやっとわかるものである。
きっかけがどうであれ、聴かれればそれでいいのだ。
真夏のステージの傍に、テントを設営して空調まで入れている。
こういった電気に関しても、バッテリーの輸送などがあるので、随分と準備には時間と金がかかっているのだろう。
巨大公園を利用していた、千葉のフェスとはまるで違う。
「ただこのあたりも一応、キャンプとかは普通に出来る場所なんだな」
俊が去年、客の立場としてここに来なかったのは、ちゃんと理由がある。
東京生まれの東京育ちで、基本的に旅先もホテルなどに宿泊する俊としては、大自然の中で動くというのに違和感がある。
そのくせ大勢の人間が集まってくるのだ。
「とりあえず絶対に持っておかないといけないのは水だから」
阿部がちゃんと、そのあたりは説明してくれる。
「あと、トイレがちょっとね」
一日あたり10万人規模の人間がいるので、常設のトイレだけではどうしても足りない。
なので土建屋が使うような、設置型のトイレがあるわけだが、水が流れてくれるものでもない。
極端な話、本当の田舎であるならば、道から外れて草むらでウンコをして、かぶれない植物で尻を拭けばいい。
月子からそんな話をされて、ドン引きする都会っ子たちである。
山形の月子の生活は、微妙に田舎になりきれてもいないものであった。
実際のところ山形でも、ちゃんとした町には住んでいたのだ。
それこそ淡路島に住んでいた頃は、月子の家は海の近くにあった。
漁業と造船が産業であり、都会でも田舎でもなく、海の傍の集落というものであったのだ。
月子の意識にある都会というのは、まず京都なのである。
その京都にしても、京都市と文化財の周辺、そしてそれ以外とでは大きな違いがある。
京都市内はまさに、観光地ではある。
しかし同時に新しい街並もあって、自転車でちょっと移動すれば雰囲気が変わる。
それは東京にしても、下町までちょっと行けば、雰囲気が変わるのは同じことだが。
松涛などは同じ渋谷なのに、道を一本入っただけで、全く空気が変わるものなのだ。
こういった野外フェスというのは、当然ながら海外に発祥が遡る。
そしてキャンプをするゾーンには、客がテントを張って宿泊して、数日間参加したりもする。
当然のように治安が悪いことも、俊がここを客の立場としては避けた理由である。
上手く駅前のホテルなどを取って、そこからシャトルバスでやってくる、というのが安全な参加であろう。
ただ演奏する側ではなく、聴く側としての経験も、積んでおくべきだったかなとも思う。
音楽とは感性の世界である。
その感性の中には、もちろん野生も入っているだろう。
原始的なものから、音楽は生まれている。
おそらく言語とほぼ同時に、文字よりも早く生まれたのではないかという、あるいは言語と同様の存在。
野生の生物ですらも、その鳴き声の違いによって、異なる情報を伝達する。
発情した鳥や獣は、番をそうやって探すではないか。
そういったことを考えると、音楽はもっと文明ではなく、本能に近いものであるのか。
全ての技術が後から付け足されたものだと思えば、鳴き声からなる音楽というのが、言語よりもさらに早いというか、言語と同様のものである。
大自然の中に、多くの人間が踏み入っている。
それなのにまだ、周囲からは鳥の鳴き声などが聞こえる。
ステージとステージの間を移動するのには、それなりに時間がかかったりもする。
単純な利便性を言うならば、街中の公園を大規模に使ったフェスの方が便利だ。
しかしこちらは100人単位の、小さなステージまで存在したりする。
マニアックな音楽も、出場しているのだ。
「やあ」
向こうから声をかけてきたので、気づかなかったフリは出来ない。
「お疲れ様です」
永劫回帰のゴート、同じステージで演奏するのだから、接触する可能性は高かった。
昔からどこかチャラいというか、常に余裕を崩さない。
ノイズが有名になってきた今も、俊がしょぼいバンドをしていた昔も、全く態度が変わらない。
そういう意味ではこの人も、アーティストと言って間違いないのだろう。
人間の社会の中で、集団を相手に生きてはいるが、特別である音を許された者。
目上にも目下にも、全く態度が変わらない甘え方。
「俊君、話聞いてる?」
がっしとこちらに肩を組んできて、そう耳元で囁く。
「年末の件なら、まだ検討中ですけどね」
「面白いでしょ」
「面白いだけで出来るイベントじゃないと思いますけど」
「逆だよ。面白いからこそ出来ることなんだ」
このあたりの障害を無視して突き進めるあたり、ゴートという人間もまた規格外なのだ。
そのゴートは俊と、秘密の話を行う。
「本当なら花音ちゃんで、盛り上げるつもりで確保してたんだけどね」
「ああ、なるほど……」
予算や人員にハコなど、確かに一気に使うつもりであったのか。
それはALEXレコードとしても、有効活用するためには、必死にならざるをえないだろう。
永劫回帰とMNR、そしてノイズ。
今一番人気や勢いがあると言うには、少しノイズが劣る。
だが武道館に続いて、この夏の二度のフェスによって、さらに知名度は高くなるはずだ。
それに一つの出来事は、それ単体に終わるわけではない。
「紅白出たいんでしょ? まあ普通に話は通せるよ」
こうやって普通に、取引も持ちかけてくるのだ。
永劫回帰のゴートは、本人の実力も確かなものだが、実家がものすごく太いと聞く。
そのためある程度の資金や人を、簡単に動かしてしまうのだ。
つながりは日本だけではなく、アメリカなどにも存在する。
だが基本的には国内の、政治家や財界とのつながりが大きい。
「東京ドーム、三日間貸しきって、5つぐらいのグループで好き放題にセッションする」
「ペイ出来るんですか」
「そのためのスポンサーも、僕なら集められる」
こういった問答無用の巨大なバックが、ゴートの強さとも言えるのだが。
政治家や経済界、官僚にまで影響を持っている。
そんな彼がやろうと思えば、確かにドームでペイするほどのイベントを作れるのだろう。
「うちを入れたとして、あと二つは?」
「GEARと花音。ここは花音単体でね」
う、と思わず詰まってしまう俊である。
単純に順番に演奏するとかではなく、それぞれのバンドがセッションする。
つまりノイズの演奏に合わせて、花音が歌うということもあるのか。
月子の声に、白雪や花音が歌う。
それはちょっと音楽業界的に見ても、奇跡のような光景になるのではないか。
ただ、懸念点もある。
同じステージに並べられてしまえば、優劣がはっきりとする。
高めあうことも出来るかもしれないが、はっきり劣ると分かってしまえば、この後の人気にも支障が出るかもしれない。
少なくとも永劫回帰は大丈夫だ、とゴートは思っているのだろう。
確かにキャリアのことを考えるなら、永劫回帰は既に磐石の状態である。
MNRはなんだかんだ、白雪がどうとでもしてしまう気がする。
ノイズにはまだ、そこまでの自信を持てない俊である。
「まあ夏のフェスの結果で、組み合わせはどうなるか決まるけどね」
東京ドームを三日間、満員にする。
永劫回帰であっても、それは難しいことである。
だがトップバンドを四つか五つも集めて、しかも単に順番に演奏するのではなくセッションする。
実現したら、やはり奇跡だろう。
夏のフェスの本番直前に、とんでもないことを聞かされてしまった。
元から話は聞いていたが、現実的ではないと思っていたのだ。
しかし不可能を可能にしてしまう、そういう人間がいる。
(まあそれが実現するにしろ、まだ三ヶ月以上も先か)
他のメンバーには、ちょっと話さない方がいいだろう。
目の前のステージに、今は集中していてほしい。
基本的にこの大規模フェスには、日本のポップミュージックのミュージシャンは、全員に話が行っていると言ってもいい。
ギャラの件や、他の予定などもあったり、またメンバーの体調などによっては、不参加というバンドもある。
方向性や売り方も含め、やはり出ないミュージシャンもいる。
ミュージカル・パイレーツは基本的にこの数年、もう出ていない。
永劫回帰に完全に、人気で追い抜かれたあたりからだ。
他には彩なども、野外型のフェスには、初期以外はあまり出ていない。
彼女はシンガーとしての売りがあるので、ホールなどを利用することが多いのだ。
しかしソロのシンガーに加え、アイドルも大手から地下アイドルの伸びているところまで、本当に多くのミュージシャンが参加している。
アイドル売りをしていないノイズメンバーは、一日目と二日目は、他のステージを見て歩くことにしている。
国内だけではなく、海外からもビッグネームが来ている。
ただ昔はメインステージの最終日、ヘッドライナーにこそ海外ミュージシャンを持ってきていた。
それが国内のミュージシャンになったのは、割と最近のことである。
だが一日目や二日目の、ヘッドライナーにはやはりビッグネームがやってくる。
基本的には外タレは、ポップスかロック、あとはヒップホップだ。
インストバンドは基本的に、小さなステージで演奏をしていたりする。
「というわけで、どう回っていく?」
個人で回っていくのもいいが、このフェスはちょっと日本のフェスとして、危険度が高い。
海外のものに比べればおとなしいものだが、これまでに参加したものとは比較にならない。
「まあ初日はウィナーズを見ないわけにはいかないでしょ」
暁が言うのはイギリスのレジェンドバンドで、確かにこれは俊も見ておきたい。
たださすがにもう、全盛期のパワーはない。
しかし熟練の演奏やパフォーマンスは、枯れた音を上手く奏でる。
一応は数年前にもドームでやった時、俊は見にいっている。
とんでもなくチケットが高かったので、母の許可が必要であったものだ。
やはり60年代から70年代にかけて、勃興した原初の力というのは、始まりであると共にオリジナルに近い。
黒人音楽から生まれたといっても、それがロックになったのは、その時代のことと言えるのだ。
演奏し歌うミュージシャンが、自ら作曲し作詞をしていった時代。
レジェンドも多くは解散するなり、死亡するなりしていっている。
その中でもウィナーズは、初期のメンバーが過半数を占めている、異例のバンドであるのだ。
変わることがいいこともあれば、変わらないことがいいこともある。
変わらないことによってその、原初の音に触れることが出来る。
どちらがいいというわけではなく、基本的にアーティストであるならば、創造性は変化を伴うものだ。
しかしそれが分かっていて、あえて変わらないことは、それはそれで勇気がいる。
「GEARを大きなステージで、しっかり見るのは初めてかな」
「小さいステージでも、地方で色々と話題になってるバンドがいたりするからな」
「見たいバンドのタイムテーブルが重なってると地獄だなあ」
「一応これって、記録映像はあるんだよね?」
「販売はされてないっていうか、バンドごとに違う契約らしいけど」
基本的にパンフレットは、有料のものである。
今の時代は普通に、ネットでちゃんと情報が公開される。
それをあえて印刷するというのは、もうそれぞれの問題であるだろう。
タブレットなどで、大きめの写真も見ることが出来る。
こんな場所であるがしっかりと、ネットの中継局は作ってあって、このインフラもしっかりと整備されているのだ。
「昔はネットなんてなくて、一度はぐれたら合流するのにも、随分と手間がかかってたりしたんだけどね」
阿部はそんなことを言うが、俊たちにとっての世界というのは、ほとんどネットが整備されたものである。
このある意味異常な世界を、若者たちは普通に受け入れている。
もっともそれを言うならば、冷蔵庫の存在や、冬に野菜が普通に食べられるというのも、昭和の中期でもなかなか珍しかったものだ。
阿部はノイズを見て、まだ二年にしかなっていない。
メンバーの年齢は、栄二はアラサーになってはいるが、他はまだまだ若い。
この先もどんどんと、成長し変化していく可能性を感じる。
スタイルの確立、というのを俊は考えていない。
それはむしろアーティストにとって、創造性の死であるとすら思うからだ。
ただレジェンドバンドが、変わらない姿を見せてくれることは、それはそれでありがたいのだ。
人間は歴史に学ぶが、実際の音はやはりライブ感が違う。
若い頃のパワーはなくなっていても、バンド特有のグルーヴ感はあるだろう。
黄金の60年代から70年代は、やはり古典として知っておきたいものなのだ。
クラシックなら古典、ジャズならスタンダード。
そういう楽曲は、必ずあるものである。
ただロックやポップスに限れば、古いものでもまだ著作権が切れてはいない。
それでも普通に、カバーされている名曲はあるし、同一性の保護などの要件もある。
なおYesterdayはギネス記録で、世界で最もカバーされた曲であるらしい。
もちろんまだ著作権は切れてはいない。
ノイズというバンドが、果たしてどこまで昇ることが出来るのか。
さすがに世界史に名前を残す、などということは阿部は考えていない。
ただ彼女が今までに担当したアーティストの中では、最も自由度が高いと思えるのは確かだ。
俊の音楽の背景に、父親と共に母親の、クラシックの要素があるからであろう。
しかしバンドとして、本当にその表現を広くしたのは、月子と千歳であると思う。
月子の持っている民謡の素養は、日本の本物のブルースだ。
そして千歳の守備範囲というのは、日本の本物のポピュラーであると思う。
ポピュラーであるということは、子供でさえ知っているということ。
今の世の中はコンテンツが多すぎるが、千歳は古い時代から共通する感情を持ってくる。
親の時代の、まだネットの普及する前。
そういう時代から音楽を持ってくる、彼女の役割は意外なほど大きいものだ。
この野外型フェス、俊には当初あまり歓迎されていなかった。
阿部からすると俊は、古い言葉で言うならシティボーイだ。
東京で生まれて東京で育ち、避暑に出るにも分かりやすい北海道や軽井沢。
多くの野外フェスの映像も、実際には空調の利いた室内で視聴する。
それではインプットが足りないのでは、と説得したものだ。
俊としてもそう言われれば、足りないものは分かってくる。
海水浴に行ったとき、沖に流されてしまって感じたのは、間違いなく恐怖であった。
生命は海から発生したのに、多くの生命は海の中では生きられない。
実際は海の中には、まだ人間が認識していない、多くの神秘が眠っているとも言われるが。
このフェスは、確かにノイズの認知度を、高めるためのものではある。
だが同時に、他のミュージシャンからの影響を、音ではなく体験として感じてほしい。
阿部は上手く、俊たちを誘導している。
もちろんそこに変に邪なものはなく、純粋にノイズの可能性を高めていきたいと考えているからだ。
「三日目までに、体調を崩すことだけは、絶対にしないでね」
もしも急にそんなことがあれば、違約金なども発生する。
夏の盛りだけに、しっかりと水分は補給し、熱中症にも注意してほしいものである。
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