第233話 太古の響き

 一番巨大なステージは、最大で五万人が見られるという。

 もっともスタンディングになっていれば、さらに多くが見られるわけだが。

 一般客が入っている一日目は、小さなステージなら朝の10時あたりからスタートしている。

 小さいと言っても5000人規模の観客が想定されており、このフェスの企画の巨大さが分かるというものだ。

 ただ本当にもっと小さな、仮設ステージのようなものもあり、そこでは数百人が移動する通路に面している。

 足を止める人間が、果たしてどれだけいるかという、まさに顔見せのようなステージだ。


 巨大な夏祭りだ。

 東京生まれで東京育ちの俊でも、普通に東京の祭りに参加したことはある。

 下町まで行けば今でも、それなりに昔ながらの日本を感じる祭りはあるのだ。

 ちなみにそういった祭りについても、やはり田舎と京都、二つの場所を経験している月子が、一番感性は発達しているように思える。

 読解障害に相貌失認と、脳が本来の役目を果たしていない。

 だがその分まで、脳が他の処理に使われているということなのだろうか。


 歴史上の芸術家の中には、ある種の発達障害だったのでは、と言われる人間がそれなりにいる。

 また学者の中にさえも、そういった疑いの強い人間はいるのだ。

 エジソンやアインシュタインなどは、エピソードの中に偉人と言えそうな、しかし独特すぎるものがあったりする。

 過集中の類は、上手くすれば大きな結実を生む。

 研究職の人間や、芸術家に多いというのは、確かなことなのかもしれない。

 ただし人間社会においては、大成功しない限りは生きにくい人間とも言える。


 そういった変わった脳を、俊は持っていないと思っている。

 実際のところは過去の経験があったとはいえ、女性に対する欲望の薄さなど、また作曲時の没頭具合など、その傾向が全くないわけではないが。

 誰だって面白いゲームがあれば、何時間も続けてやってしまうだろう。

 俊にとってはそれが音楽だというだけで、おそらく天才などと言われる多くの人間も、ただそれをやるのが面白くて没頭しただけなのだ。

「ルーキードームがやっぱり、一番意外性に富んでるな」

 楽しそうに言うのは栄二で、彼も何度かここではやっている。

 他のステージがまず主催者側からのオファーであるのに対し、300人ほどの集団が集まれるテントは、オーディションを通過したミュージシャンのためのものだ。

 ただ尖ってはいるが、正統派ではないというタイプが多い。

 中にはその個性を上手く、スタイルとして確立する将来の金の卵もいる。


 凡人の戦い方を、俊はやっている。

 トライ&エラーを繰り返し、それをどんどんと蓄積していくのだ。

 一つのことを延々と、こだわり続けている暇はない。

 次から次へと作っては、ほとんどが上手くいかない作品となる。

 しかしこの二年ほどは、一気にそのクオリティが上がった。


 化学反応を起こしたのだ。

 ミュージシャンがソロではなく、バンドを組む理由の一つがこれだろう。

 ビートルズは全員が天才であったのだろうが、特にジョンとポールが傑出していたとは、おおよその人が認めるところだ。

 この二人のライバル関係が、ビートルズの原動力の、大きな一つであったことは間違いない。

 そして解散の、大きな動機でもあったのだろう。




 送られてきた音源を聞いて、そこから判断して出場の許可を与える。

 これに関してはギャラなどはなく、交通費が出るだけであるという、ルーキードーム。

 テントの中はさすがに、空調もある程度働いている。

 だがあまりの轟音であると、音楽が聞こえなくもなってしまうのだ。


 ここに選ばれるのは、とても尖ったバンドなどでなければ、逆に完成度が高いのに無名の存在。

 それこそフラワーフェスタなどは、応募していれば確実に選ばれたであろう。

 もっともあそこはALEXレコードが推薦すれば、普通にメインやセカンドのステージ以外であれば立てたであろう。

 まだライブハウスで数回の演奏をしただけだが、知っている人間は知っている存在になりつつある。

 レベルが高いというのもあるが、特に花音のボーカルには中毒性があるのだ。


 俊はメインステージの二日目、トリ前に演奏するMNRは聴くつもりである。

 ALEXレコードと、ノイズの事務所の所属するGDレコードの間には、貸し借りというか協力関係が存在する。

 だがMNRのサミー・レコードはどうなのか。

 それにゴートが言っていたGEARは、まだ知名度で劣る。

 徳島が言及していたのであるから、実力は既に充分だと、分かっているのだが。


 ゴートが果たして、どれだけの企画力があるのか。

 もっとも重要な人間関係のつながりだけはどうにかして、あとは他人に任せるかもしれない。

 成立するとしたら、確かに面白いことになる。

 あとはそこに、花音を入れるというわけだ。

(彼女のピアノに、月子を合わせてみたいんだよな)

 暁のギターだけに、月子の歌を合わせるというのは、既にノイズでやっていることである。

 それもエレキギターではなく、アコースティックギターを使ったものだ。


 月子の表現力は、確かにまだまだ豊かになっている。

 それでいて楽器のような、正確さも持っているのだ。

 わずかに使われる、機械であればむしろ無視される、ほんのわずかなノイズ。

 月子の声に含まれるそれは、やはりシンガーとしての無類の強さを示している。


「尖っていれば、それでいいってわけじゃないよな」

 音源による審査を通過していても、ライブでは通用しなかったりする。

 もちろんこれは、逆の場合もあるのだろう。

 俊としては新しい力というのは、自分のインプットとしては丁度いい。

 そろそろレゲエやボサノヴァなどを、ちょっと取り入れた曲が作れないかな、と思ったりもしている。


 しかしそのあたりは、出来れば信吾や栄二に作曲をしてもらいたいのだ。

 ベース進行や、ドラムのリズムを主体とした曲を、俊は作りたいと思っている。

 ノイズの楽曲は基本的に、俊が作るとボカロ曲に近いものとなる。

 それを改めて、ギターと合体させるのが、楽曲作成の基本なのだ。

 暁がなんでも弾いてくれるので、そこのアレンジは任せてしまっている。




 フェスというのはそもそも、祭典のフェスティバルからなる言葉だ。

 これはコンサートと単純に言うよりは、本当にお祭り騒ぎであろう。

 祭りというのはそもそも、神に捧げられた宗教儀式から発生していたりもする。

 音楽もまたほとんどの宗教の中に、組み入れられた形式がある。

 逆に音楽を禁止にしている宗教もあるが。


 千葉の巨大フェスに比べると、移動時間が随分と多くなる。

 あちらは厳選したものであったが、こちらはより小さなバンドまで取り扱っている。

 プロモーターとしてはこのフェスの方が、ずっと大変なものであろう。

 しかし規模としてはこちらの方が大きく、またスポンサーも集まりやすい。

 こういったフェスはヨーロッパが発祥で、かなり伝統的なものである。

 アメリカでもあちこちで行われるが、日本となると場所が限られる。

 なんだかんだ言いながら、山と森の国である日本なのだ。

 ただバブル期に開拓した場所が、今さら利用されることもある。

 ホテルなどもその時代のものを、改修して使っていたりするのだ。


 昨日の準備の段階では、気づかなかった。

 大自然の中だと俊は思ったものだが、東北の山林を知っている月子からすると、これでも充分に人の手が入っているのだ。

 もっとも本来は、これぐらいの手入れを、ちゃんとしなければいけない。

 それが出来ていないのは、過疎化によって山林の管理が放棄されているから。

 月子の故郷の山形では、それなりに熊の出現情報もあったものだ。

 かなり街中ではあっても、車で10分も行けば、普通に山があったので。


 俊はCDなどの音源を聴くのと、ライブなどで演奏を聴くのは、ほぼ別物であると考えている。

 家でゆったり、リラックスして聴く音楽。

 それに対してライブは、演奏者のパワーがそのまま伝わってくる。

 ミックスやマスタリングのない、元のままの音楽。

 どちらがいいというわけではなく、違う物であるということだ。


 この移動なども含めて、不便さが逆に面白い。

 完全に人工的な公園を、大規模に使ったフェスとは、印象が全く違ってくる。

 リハでは分からなかったが、客が大量に入ってやっと、空気の違いを感じる。

(う~ん、これはちょっとまずいかな)

 今までの野外フェスと、同じ感覚で考えていた。

 しかし客層にしても、時間をかけてここまでやってくる、バイタリティに溢れた人間が多い。


 もう一度リハをする時間などはない。

 いや、一度東京に戻るなりをすれば、単純に時間はある。

 しかし重要なのは、この環境でリハをすることなのだ。

(最初の何曲かは、ちょっともどかしいものになっちゃうかもな)

 今からでもセットリストを変えるべきであろうか。

 一応セッティングに関しては、最終チェックを少し時間が取れるのだが。




 俊の内心の不安を、ノイズの他のメンバーは共有していない。

 そもそも小さいステージであれば、ここで演奏したこともあるのが、信吾と栄二である。

 他のメンバーとしても、普段と違って当たり前、としか考えていない。

 限度はあるが完璧を目指してしまうのが、俊のいいところでもあり悪いところでもある。


 おそらくこのフェスは、小手先の技術ではなく、もっとバンドの本質的な部分が、重要になってくる。

 そして理論型の俊は、そういった部分は他のメンバーに任せている。

 暁はあれで、それなりに理論も知っているのだが、最終的には感覚に任せている。

 月子は完全に、あれは感覚型の人間である。

 千歳も感覚型で、つまり女性陣は感覚型、男性陣は理論型というのが、ノイズの構成になっている。


 合流したり分散したり、日中は比較的安全なフェスだ。

 警備もしっかりとしていて、数人単位であれば問題はないだろう。

 こういう時に周囲に溶け込んでしまうのが、ノイズのメンバーである。

 月子は普段はステージでマスクをしているし、暁も印象が全く違う。

 千歳は美人ではないがブスでもなく、容姿的にはまあ没個性と言ってもいいだろう。


 目立つというならノイズの中では、メディア露出が一番多い俊か、あるいは一部の熱心なファンがいる信吾か。 

 だが信吾の女性関係の情報は、普通に知れ渡っている。

 基本的には三人の女性の間をふらふらしているが、遊びで手を出すことはなくなっているらしい。

 ……遊びでないのなら、また手を出すのかもしれないが。


 音楽業界に限らず、芸能界というのは基本的に、芸能人同士でくっつくことが安全だ。

 昔はまだしも現在など、スマートフォンとネットの発達によって、証拠の写真は簡単に撮れるし、それもすぐに拡散する。

 素人好みの芸能人などもいるが、爛れた関係などもある。

 特にアイドル系などは、女性アイドルの場合は異性関係は、完全にアウトの場合が多い。

 むしろ女性アイドルの方は、一般人男性などという、そこそこの会社を経営している男を捕まえるのが、人生の上がりになっていたりもするのだ。


 基本的に女には、成り上がり願望は少ない。

 自分がどうというよりも、社会的成功を収めている男性と、結婚することをゴールとする場合が多い。

 妊娠から出産に育児という、生物的な要素を考えれば、自分が成功するよりもそちらの方が有利である。

 男女平等の時代ではあるが、肉体の性差は当然にあるので、女性は本質的に育児に特化した方が、社会全体としては生産性が上がる。

 労働人口が少なくなってきているので、それが通用しないというのが、先進国の現実であるだろう。


 俊としてはそのあたり、自分の人生において結婚という要素を、全く考えていない。

 ノイズの中では既婚者の栄二を除いては、意外と結婚願望というか、普通の家庭を築く願望が高いのは月子である。

 普通でありたい、という月子の考え。

 そもそも普通とは何かということもあるが、彼女はマイナスから人生がスタートしている。

 普通であることを目指すのが、一つの贅沢ではある。

 しかしマイナスから始まったからこそ、逆にその欠点が長所になることもある。


 月子は厳しく、民謡の世界で育てられた。

 それは楽しいというものではなく、今の日本にとっては珍しいような、生きていくためのものであった。

 しかしそれがポピュラー音楽と結びつくと、一気に技術が花開く。

 そして三味線についても、前向きな気持ちで演奏することが出来るようになったのだ。




 暑さよけで頭からタオルをかぶって、日光を避けるためにサングラスをかける。

 ごく普通の格好であるため、かえって目立つことがない。

 そうやってステージ間を移動していくが、セットの変更のためにたっぷりと時間が取られていたりする。

 食事をする場所もしっかりとあって、これぞ祭りとばかりに振舞われるが、意外と多様性に富んだ食事であったりする。

 スポンサーがここで、名前を売っていたりするのだ。

 安全に安心を求め、変に変わったものを食べたくないのなら、世界一のフランチャイズの店もある。

 科学的に人間の舌が、美味いと感じるように作られている。

 変に胃腸にダメージを与えるぐらいなら、こうやって妥協したわけでもない、普通の食事にすればいい。


 重要なのはこのフェスは、自分たちはお客さんではないと考えること。

 もちろん演奏する側として、特典の全エリア移動チケットなども持っていたりする。

 しかしこれは他の音楽も聴いて、さらに自分たちを高めろということではないか。

 そんな難しいことでもないのだろうが、俊はこのあたりストイックである。


 月子と千歳には、喉に影響があるような、飲み物も食べ物も避けろとは言った。

 メンバーにそれを強制するわけだから、自分もリーダーとして同じルールを守る。

 音楽というのは感性の世界であるが、好き放題にすればいいというものでもない。

 ただストイックな人間の音楽はつまらない、と言われることもある。

 もちろん俊はストイックなわけではなく、好きなことばかりをしていたら、ストイックに見えてしまうような生活を送っているだけだ。


 好きこそ物の上手なれ。

 結局人間は、好きなものに夢中になっていれば、それだけ上達する。

 ただし作曲や作詞というのは、単純に練習すればいいというわけでもない。

 感性はもちろん必要だが、これまでに自分の人生であったピースを、どうつなげていくかが重要なのだ。

 その意味ではこの、森の中の音楽は、新たなインプットにはなっている。


 音楽だけではなく、どういう環境でそれを聴くのか、というのも重要なのだ。

 俊は海に行った折に感じた恐怖を、海に対する根源的で原始的な恐怖として、作曲のイメージを構築するのに成功した。

 この自然の中で、大勢の人間が動く中、それでも鳥や虫がいる。

 結局は人間の力が、一番強いと感じられる。

 舞台によって音楽は、伝わり方が変わってくる。


 この夏はもう、ノイズの予定はいっぱいになっている。

 俊としては自分の作曲や作詞の時間があるので、他のメンバーはもう少しだけ余裕があるはずだ。

 しかしそういった時間を、千歳は勉強に使わなければいけないし、他のメンバーはバンドのヘルプに入ったりする。

 月子はちょっと変わったところで、民謡酒場に入り浸っているそうな。

 高校生二人は別として、実はノイズメンバーで一番酒に強いのは月子である。

 どうやら亡くなった東北出身の父親も強かったそうで、これは遺伝によるものだそうだ。

 あまり強い酒を飲むと、喉が焼けるので注意は必要だ。 

 また一人でべろんべろんになるほど飲んだら、それもまた危険ではある。

 そのために最近は、女性の知り合いを増やしているそうだが。




 月子に友達が増えるというのは、こう言ってはなんだが不思議な感じだ。

 一般社会で生きることが、苦手なタイプが月子と暁だ。

 実際のところは俊も、音楽の話が出来ない相手とは、話が弾むとは思わないのだが。

 もっとも月子を買ってくれるのは、業界の年上の女性ミュージシャンが多いらしい。

 また同い年であるというと、MNRの紫苑などが丁度同年齢だ。


 レコード会社が違ったり、レーベルが違ったりしても、さらには音楽性まで違ったとしても、仲が良くなることはある。

 俊としては月子のような悪意に弱い人間は、悪意とは無縁の人間と接してほしいのだが。

 たとえば徳島などは、人を傷つけることはそれなりにするが、そこに悪意は全くない。

 レコーディングに丸一日をかけて、ようやく終わろうかという時になって、改めていいやり方を思いついて全てやり直す、ということなどをしたりする。

 芸術至上主義というアーティストとしてのあり方は、俊よりもさらに執念じみていて、そして社会不適合であることは明らかだ。

 ただ彼はミステリアスピンクの、可愛い方のボーカルと、ちょっといい感じだという噂も聞くのだが。


 この一日目、月子はちゃんと自分の考えでもって、聴くミュージシャンを選んでいる。

 その中には自分と同じように、日本の和楽器を使ったバンドなどもあったりした。

 霹靂の刻は月子だけではなく、普通に三味線をやっている人からすれば、どこに原点があるのかはっきりと分かる曲だという。

 その後も月子は三味線をベースに、いくつかのリフを作り出している。

 ただ三味線でギターの曲を弾いても、それはそれで響きが違うものとなる。

 月子の魂の根底にあるものが、やはり祖母とその背景にあるものの影響が強いからであろう。


 70歳になっても、通る声で歌っていたという。

 どういう人なのか会ってみたかったなと俊は思うが、ただ月子の人格形成で重要なのは、むしろ高校時代に養育してくれた叔母である。

 音楽的な素養は、一般人であった久遠寺槙子だが、作家という職業とそこに蓄積された知識が、月子を完成させたと言っていい。

 面白い話で、ノイズのボーカルは二人とも、高校時代を叔母によって育てられているというわけだ。

 偶然の一致ではあるが、運命的でもある。

 こういうことに意味があると感じるかどうかは、それはオカルトと言うよりは感性の問題であろう。


 あちこちを歩き回るが、やはり俊としては不便だと感じてしまう。

 以前の郊外型フェスの方が、移動距離も短ければ、施設に関しても充実していた。

 だがこの不便さをこそ、愛さなくてはいけないのかもしれない。

 それこそいまだに、俊が音源をLPで聴くように、人間は正確すぎるものにはむしろ、感動しないのだ。

 わずかな不自然さこそが、人間の表現、雑音のように入るものが、人間の生命の鼓動だ。


 今さらながら、ノイズという名前を付けたのは、自分たちにはぴったりだと思う。

 その音楽性は、いまだにはっきりとしてはいないし、それでいいのではとも思いつつある。

 スタイルを確立するというのを、かっこうのいいことだと思っていた。

 だがビートルズは変化しつつ、そして八年で解散した。

 このバンドに最終的に入った千歳は、自分が面白いと思ったものなら、なんでも持ってくる人間だ。

 それは音楽に限らず、アニメや映画やマンガさえもある。

 小説家の家で育っている割には、小説の類は少ないが。


 月子と出会って、ノイズが始まった。

 暁がやってきて、その方向性が大きく変わった。

 おおよそ完成しようかという時に、千歳が合流した。

 そしてそこからは、ずっと変化と成長を模索し続けている。


 誰かが与えてくれるのを、ずっと待っているだけでもいけない。

 俊はそう考えているが、それでも自分の好きなものは、音楽に偏っているのだ。

「とりあえず今日はGEARは聴かないとな」

 これだけは全員で聴こう、という提案である。

 徳島が言っていたので、何か学ぶところはあるはずだ。

 実際にちょっと、バンドの個性は強いものがある。

 もっとも俊としては、あまり自分の好きなタイプではないかも、と思ったが。


 音源で聴くのと、ライブで聴くのは大きく違う。

 俊は本来であればレコーディングを重視する人間だが、ノイズというのはライブバンドだ。

 そのあたりのアンバランスさこそが、むしろ必要なものなのであろう。

 人間の生み出す、けたたましい音楽。

 その中で自然の、鳥や虫に加えて、風が葉を鳴らす音までも聞こえて、これが音楽なのかなと俊は思ったりしていた。




「う~ん……」

 らせんPこと徳島は、自分の好きなことだけをする人間である。

 もちろん人間であるからには、生きていくために食べていくために、金を稼ぐことは必要であった。

 そのためアルバイトをしながら、自分の音楽を作成し、それがレコード会社の目に止まったというか、耳に止まったと言うべきか。

 どちらにしろ今の徳島は、音楽だけで食っていけている。


 多作な方ではないし、作成のスピードも速くはない。

 正確に言うならば、色々と作って断片はたくさんあるのだが、曲にまで完成するのが遅いのだ。

 アレンジばかりがたくさんあって、マスターが出来上がらないのと同じだ。


 ミステリアスピンクは、基本的に全て打ち込みで、ボーカルの個性で聴かせるユニットだ。

 ボーカルは二人とも、しっかりとした個性的な声をしているが、歌唱力は絶賛するほどではない。

 二人が揃うことによって、ようやく徳島の頷くレベルに達すると言うべきか。

 もっとも徳島はこれを、そのまま二人に言うことはない。

 必要な部分を二人で、補い合って上手くいっている、とうのが正しいのだ。


 本当は片方、ミスティと言われている方は、ソロのシンガーとしてやっていくはずだった。

 実際に歌唱力は、彼女の方が圧倒的に高い。

 ただ歌に没入する感覚は、ホリィの方が圧倒的に優れているのだ。

 なのでライブの生演奏などは、日によって大きくパフォーマンスが変わる。


 徳島は感性的な人間だが、頭の中にはロジックが詰め込まれている。

 そしてこのフェスにも、たった一人で参加しているわけである。

 一応はテントスペースではなく、ホテルの一室を予約することが出来た。

 事務所にはこれも、作曲のために必要なことだと言っておいたが。

「GEAR、変な方向に行ってるかな……」

 こういった感覚に、間違いがいっさいないのが、徳島というコンポーザーの天才性であるのかもしれない。

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