第234話 ビッグネーム

 一日目のメインステージでトリ前のMNRの演奏が始まる。

 かつては全ての日程で、メインステージのヘッドライナーは外タレバンドであった。

 それもアメリカなどで大流行ではなく、かつてのアメリカから発信されていて、本物のレジェンドバンドたち。

 おおよそが20世紀に誕生したバンドが、日本にやってきてかつての栄光を見せ付ける。

 しかしそういったバンドやミュージシャンも、さすがに段々といなくなってきた。

 そして現在は欧米の音楽シーンが、あまり日本と合わない状況にもなっている。

 永劫回帰が最終日のヘッドライナーであるが、あとの二日は外タレで埋める。 

 そのあたりが丁度いいのだろうか。


 日本という国は本来、海の向こうからのものは、物であれ文化で学問であれ、大切にしてきたものだ。

 しかし同時に全てを魔改造し、日本に合わせてきたという過去がある。 

 また他の国が完全に、文化的には日本に合わなくなっている実情などもあるのかもしれない。

 ともかく言えるのは、日本は日本で独自の存在になり、そのガラパゴス化がむしろ、外国では受け入れられているということだ。


 最終的な成功を収めるためには、アメリカ進出が不可欠になる。

 日本の音楽が最盛期であったとも言える90年代でさえも、それには成功していない。

 しかしシティポップの再評価など、まさにネットによって文化の国境がなくなった現在、相互に娯楽を楽しむようになった。

 音楽よりもまずは、先にマンガやアニメの分野で、日本の文化は輸出されたと言ってもいいだろう。

 特にアメリカを中心として欧米は、いまや文化的に揺らいでいる。

 変な思想に汚染されるのは、まさに先進国アメリカなのだが、その思想を暴走させるだけのパワーを持っているのも恐ろしい。


 技術的な面では既に、MNRは洗練されているし、そして洗いすぎてもいない。

 あえて汚れを残すことが、ワイルドさを感じさせるという、訳の分からない理屈。

 これは言葉で説明されても、体験しなければなかなか伝わらないだろう。

 MNRは白雪がリーダーシップを発揮しているが、重要な役割はドラムの紅旗なのではないかとも思う。

 今の日本のドラマーで、誰が一番かと聞いたなら、大半は永劫回帰のゴートであると言うだろう。

 ただ彼はドラマーというだけではなく、総合的にアーティストとして、強烈なカリスマまであるのだ。


 ドラムが単なるリズム隊なのか、それとも重要なパートなのか。

 基本的に俊が必要とするドラムは、正確であることだ。

 その点ではスタジオミュージシャンの経験がある栄二は、充分すぎる力を発揮している。

 たまに昔に戻ったように、印象的なスネア捌きをするが、あくまでも黒子。

 彼はおそらく、またノイズが解散する時のことまで、考えているのかもしれない。

 解散しないバンドなど、ほとんどないのである。

 だからその時のために、多くのバンドと顔をつないでおく。

 家族を持っている彼は、無責任な冒険などは出来ないのである。


 それに比べると女性陣は、今を必死で生きている。

 音楽に対して、真摯に向き合っているのは確かだ。

 もしもノイズが解散するとしたら、それはどういう理由であるのか。

 とりあえずそんなことは考えもせず、全力でバンドをやっているのは確かだ。

(月子と暁は、どこかに入るだろうけどな)

 千歳の進路について、俊が大学に行けとアドバイスしたのは、彼女の存在はノイズでこそ不可欠だが、他のバンドでそれが活かされるかは分からないからだ。


 ソロでやるというタイプではない。

 千歳を最初に見つけたならば、俊はユニットを組もうと考えたか、かなり微妙なところである。

 だがバンドの中で音楽をやるなら、千歳は色々なことが出来る。

 もっとも相性はかなり重要になるだろうが。

(MNRなんか、ツインギターでツインボーカルやれば、もっと面白くなりそうだけど)

 そういうことをゴートのイベントは、やってしまえるのだ。

 もっともMNRは男が一人しかいないので、さらに肩身が狭くなるかもしれないが。




 俊も相当に、プロデュース能力のある人間だ。

 しかしそういった能力は、失敗から学んだり、先人から学んだりと、かなり石橋を叩いて進むようなものであった。  

 ゴートはキャリアも俊より長いが、そもそもセンスが違うと思う。

 また金持ちのボンボンで、さらには血統もいいためか、育ちによって人を使うことになれている。

 他のメンバー三人を、おおよそ同じ年齢で少し年下で集めたというのも、計画性があってのことだろう。


 永劫回帰のボーカルであるタイガは、まさにバンドボーカルらしい声で歌う。

 実際のところ技術的な歌唱力を評価するなら、ソロシンガーの方がずっと高い点になるだろう。

 だがあの声に、千歳のギターボーカルというのは、かなり合うのではとも思う。

(そのあたりも考えて、俺たちを呼んだのかな)

 永劫回帰とMNR、どちらもノイズのメンバーを合わせれば、かなり面白い演奏になりそうだ。 

 そして二つのバンドに、欠けているものはシンセサイザー。

 打ち込みの要素もないわけではないが、音の多彩さは俊の方が上である。

 ただあの二人はそれが出来ないのではなく、あえてやっていないのだろうが。


 食われる危険性を、俊は考えている。

 正直なところメンバーの才能は、ノイズが劣っているというわけではない。

 だが明らかに、バンドリーダーの力量でノイズが劣っている。

 それに今日、候補として挙げられていたGEARの演奏を聴いたが、こんなものだったろうかという気がした。

 このフェスの雰囲気に、上手く合っていないというところもあっただろうが。


 ドームを三日間満員にする。

 ちょっと俊が思いつく中では、とても想像出来なかったものだ。

 ペイするためにどれだけのチケットを売ればいいのか、分かったものではない。

 だがあの時期にドームを確保できたというのだけでも、充分に凄いことであるのだ。

 逆に言うとそんな時期に確保してしまったため、どうにかしないととんでもない違約金なりが発生するのかもしれない。

 これはALEXレコードに対する貸しになり、以前の彩の件と相殺されるだろう。


 MNRはまた別のレコード会社だが、白雪が大きな役割を果たしているため、彼女が言えば動くのだろう。

 あとはいったい、どんなバンドを連れてくるのか。

 花音をソロとして使うとして、どういった構成にするのか。

 どんな構成でも出来るので、かえって難しいのかもしれない。

(MNRはスリーピースだけど、ここに花音をボーカル単体で入れた方がよさそうだな)

 俊はプロデューサーでもなく、プロモーターの視点でもって、MNRの演奏を聴いていた。




 一日目の開催は、足元がふわふわして終わった気がする。

 24時間眠ることなく、ずっとパフォーマンスをやっているテントもある。

 テントエリアでは一万人以上の来場客が、慣れない姿で眠っているらしい。

 出演者たちは優雅に、ホテルで宿泊しているわけだが。


 ホテルの窓からも、その様子が遠くに見える。

 音までは聞こえてこないが、まさに夜を徹して祭りは行われているのだ。

 これまでのフェスとは、やはり違う。

 バブル期に建てられて、しっかりリニューアルしたホテルの中では、廊下で出会う人間がほとんど業界人。

 女性陣は下手に出歩かない方がいいかもな、などと俊は思ったりする。


 この業界はなにしろ、手の早い男が多い。

 素人相手よりもむしろ、同じ芸能人であった方が、割り切って色々と遊べるというものらしい。

 俊はそれに嫌悪感を感じるわけではないが、面倒だとは思っている。

 俊は繊細というか、こだわりのあるミュージシャンだが、ロックスターではない。

 そう言えるのはわざわざ、破天荒な真似はしたくないと、心の底から思っているからだ。


 60年代から70年代は、本当に無茶苦茶な時代であったという。

 親の世代でもまだ新しい、かろうじて子供であった時代なのである。

 ただそういう時代は、社会的な背景が色々とあった。

 ベトナム戦争によってドラッグがアメリカ軍を汚染し、それは本土に帰国後も多くの兵士を苦しめ、そして一般にも広がっていった。

 当時はドラッグというのはむしろ、神秘体験をして新たなステージを開ける、魔法の薬だと思われていた。

 そんな馬鹿なと思うかもしれないが、当時のミュージシャンはほとんどがドラッグをやっていて、ポールも大麻で普通に捕まっている。


 ただ音楽の中でも、サイケという分野に関しては、ドラッグの力がなければ生まれなかったのでは、などと言われている。

 ビートルズも活動終盤には、様々な実験作を作曲していた。

 俊の父親の世代でも、普通にドラッグは芸能界を汚染している。

 当の俊も一度は使ってみたし、つまりいまだに芸能界や音楽業界には、ドラッグは蔓延しているのだ。


 ステージのプレッシャーに、薬がなければやっていけない、というミュージシャンもいる。

 日本のミュージシャンでトップクラスでありながらも、覚醒剤で逮捕されたという人間は多い。

 芸能界にまで広げると、むしろこれは暴力団と大きなつながりとなっている。

 地方都市ではどうだか知らないが、東京では普通にドラッグは買えるものだ。

 もっとも今ではオーバードーズなどといった手段で、薬を使用していたりする。


 このフェスにもその、狂乱の時代を生きたレジェンドたちがやってきている。

 実際に生のライブで聴いてみると、確かに何か、自分たちとは違うと思う。

 音源に残されたものとも、やはり違ったものである。

 だがそれが優れているのかは微妙であるし、自分たちの音楽を過去のレジェンドは、やることも出来ないだろうと思うのだ。

 時代性というものがある。 

 そのあたりむしろポップスよりも、演歌の方が日本では、長生きする歌手は多かったのではないか。

 それこそ月子など、演歌路線でもいけたと思う。




 ホテルの最上階ではバーやレストランがあって、今日ばかりは特別な集まりとなっていた。

 ここからもやはり、テントスペースや屋外小規模ステージの、人の動きが見える。

「人がゴミのようだ」

 千歳がまた馬鹿なことを言っているが、言いたくなる気持ちも分からないでもない。

「ふはははは、見ろ、人がゴミのようだ」

 棒読み口調だが千歳よりも大きな声で、さらに馬鹿なことを言っている。

 誰かと思えば、永劫回帰のゴートであった。

「先生、恥ずかしいから喋るな」

 辛辣に言っているのは、永劫回帰のギタリストであるキイ。

 ステージでは棘棘頭にしているが、今は普通に下ろしているので、パッと見では誰か分からない。


 ノイズはメンバー全員で、大きめのテーブルを半分ほど占拠していた。

 対して永劫回帰は四人組で、近い場所のテーブルに座っている。

 彼らを別にしても、ビッグネームや新進気鋭の若手、業界人が大量にいて空気がまるでパーティーのようだ。

 料理もしっかり高級仕様だが、ドレスコードは完全に無視されている。

 ロックである。


 ノイズメンバーはこれまでの実績に比べると、あまり大きなパーティーなどへの出席がない。

 そういった場所ではさすがに、ドレスコードも必須となるのだが。

 うまうまと食事をするメンバーたちに、幼少期に贅沢な食事に慣れた俊は、食いすぎないようにしろよ、と思うのみである。

 実際のところこのメンバーの中では、味覚が鋭いのは月子であったりする。

「うちらってこういうパーティー、あんまり呼ばれないよね」

「インディーズレーベルだからな」

 暁の疑問に、俊は単純に答える。


 実際にノイズは、身内の打ち上げなどはともかく、なんらかのイベントのパーティーに呼ばれることは少ない。

 インディーズ契約をやっているため、音楽だけで利益を出しているからだ。

 もっともこれはイメージ戦略として、むしろいい点でもある。

 出し惜しみをしているように見えて、希少性があるのだ。

 逆にイメージ戦略を最大に使っているのが、永劫回帰なのであろう。


 ちょっと昔であれば、ミュージカル・パイレーツが売れ線の中で色々とやっていた。

 音楽のメロディ自体は、普通にポップスであるのだが、歌詞の内容は完全にパンクかサイケ。

 俊としてはこのまま、ノイズの知名度は自然と上がっていくのに任せた方がいいと思っている。

「明日の予定はどうするんだ?」

「いくつかは見たいバンドはあるけど、必須はそこまででもないかな」

「あ、じゃあエイプリルフール見に行かない?」

 月子が言ったのは、最近出てきたアイドルバンドである。

 アイドルなのにバンドをやっているわけであるが、その演奏がそこそこいい、という評判なのだ。


 月子のアイドル好き、しかも同性のアイドルに憧れるというのは、ずっと以前からのままだ。

 男のアイドルには全く興味がないのだが、これは自分のなりたい姿を投影しているということなのだろう。

 男のアイドルでバンドというのは、普通に男性アイドルグループの黎明期にもあった。

 ライブなどでは明らかに、楽器を弾いていないという評判であったらしい。

 まあ今でも打ち込みで、全てをやっているバンドはないではない。

 楽器を演奏するというパフォーマンスが、ダンスを見せるパフォーマンスに、置き換わったようなものなのであろう。




 ノイズの音楽性は、自由度が高い。

 強いて言うならポピュラーミュージック、という大枠の中に入るのであろう。

 だが音楽性はともかく、そのバンドとしての方向性は、あくまでも演奏が第一。

 ステージパフォーマンスに関しては、ギターを燃やしたり破壊したり、そういうことはしない。

 ステージ衣装のスタイルは、完全に固定されている。

 普段着をちょっとお洒落にした程度、というメンバーの中で月子だけをゴージャスにする。

 そのくせ顔を見せないのだから、ミステリアスな部分が発生するわけだ。


 ビジュアル的には玄人好み、ということが言えるであろう。

 ステージでも暁が脱いだりする以外は、特別なことをするわけでもない。

 特に千歳などは、ギターボーカルとしては当たり前なのだが、マイクの前でひたすら丁寧にギターを弾き、そして歌う。

 このあたりのスタイルは、音楽性とは逆に完成している。


 常に新しさを追及するのと、これこれ、これでいいんだよを求めるもの。

 ノイズはこれを音楽性と、パフォーマンスで完全に分けている。 

 当初は意識していたわけではなく、そもそも演奏に集中するので精一杯だった。

 だが常にこのスタイルであることは、逆に個性となってくる。

 暁などはバンドTシャツを色々と変えているが、洋楽バンドである点だけはずっと同じだ。

 わざと袖がへろへろになったような、そういうTシャツも捨てていない。


 バンドの個性やスタイルというのは、確かに重要なものである。

 それを衣装にしてしまって、実際の音楽は色を変えていく。

 今から思えば、それなりにいい作戦だった。

 なにしろバンド衣装に、無駄な金がかからない。

 武道館でもその前のフェスでも、ずっとこのスタイルである。

 もっとも冬場はさすがに、暁が厚着になったりはする。

 そして演奏が進めば、やはり脱いでいくのである。


 ハードロックのコードを使ったりするのに、ビジュアルスタイルは全てバラバラ。

 統一感のないことを、むしろ売りに出していると言おうか。

 もっともメイクなどはしっかり、専門家にやってもらっている。

「服を変えると気づかれないもんだね」

 そんなことを言う暁は、ちょっとガーリーなワンピースに、三つ編みと帽子というスタイルだ。

 完全に避暑地の女の子、といった感じである。

 背が小さいので、こういう格好が似合う。

 

 逆に月子はブランド物ではあるが、ジャージなどを着たりしている。

 上はTシャツというのは、さすがにこの暑さでは仕方がない。

「アキは本当はそういう格好が似合うよね」

 月子としては一緒に出かけると、だいたい暁に合わせてお洒落をする。

 もっとも月子の場合、本気で正装するとなると、着物を出してきたりするのだが。

 彼女は中身はかなりポンコツだが、外見だけならコンサバやモードなどの大人っぽいものが似合う。

 そして千歳は無難にカジュアルなので、外見的には実はかぶっていない三人だ。



 

 ただ普段のお洒落と、こういう場所のお洒落は違う。

 事前に分かっていたことであるが、会場を動き回ることが多い。

 全員がスニーカー装備で、衣装とは別に持ってきていた。

 別に雨が降っていたというわけでもないのに、数万人が歩き回ることによって、舗装されていない道はぐちゃぐちゃ。

 出演者の中にはホテルに引きこもっていたり、直前までは東京などにいたりするグループがあるのもさもありなん。


 月子のお目当てであったアイドルバンドは、分かりやすいものであった。

 まずルックスを含むビジュアルがよくて、楽曲もそれに合わせたようなもの。

 ラブソングが多くなるのは、当たり前のことであるのか。

「けれど、ちゃんと弾いてるんだな」

 そこは感心する俊である。

「最近だと芸能界を目指すなんて、親が太い人間が多いからね。すると幼少期から習い事をしてるわけ」

 千歳がそんな知識を出してくるが、言われてみればそうである。


 親が太いというのは、俊も自身がそうなので、確かに以前から意識してはいた。

 ついこの間はゴートの話を聞いて、まさに太いコネクションを実感したものである。

 あのアイドルたちにとって、芸能界というのは一種の箔付けであるらしい。

 もちろん全員が、そういうわけでもないだろうが。

 煌びやかな世界で、少しばかり己の価値を高めて、名家同士の政略結婚に使われる。

 運よく人気でも出れば、女優に転身してさらに価値が上がる。


 音楽業界は芸能界の一部であるが、技術はさすがに明らかな優劣がある。

 もっともそこまでの技術が必要であるのか、という楽曲を作れば問題はない。

 だいたいの人間はGOD knowsをやろうとして、そこで挫折するものだろう。

「ちなみに最近は、アイドルよりも声優の世界の方が厳しいらしいよ」

「ふ~ん」

 軽く流してしまったが、俊は引っかかって戻ってくる。

「声優は声の演技だけだろ?」

「今はルックスもよくて、楽器も一つぐらいは弾けて当たり前、みたいな感じ。歌手売りする人もいるし」

 言われてみても、そこまでは意識していなかった俊である。


 声優というのは現在、完全に志望者の数が多くなっていて、アイドルかそれ以上に狭い門になっている。

 らしい。

 らしいというのは俊が、意識していなかったからだ。

 日本のアニメ声優が、演技の使い分けで凄い、などというのは千歳が言っている。

 ただ俊としては、キャラに合っているかが重要で、他はどうでもいいだろうと思うのだ。


 声優の養成学校はあるが、そこを卒業しても食っていける人間は、本当に少ない。

 むしろ劇団などを経由したりして、そちらに入ったりする方が強いのだとか。

 昔は某スタジオが、やたらと声優以外を声に持ってきて、うんざりしたとも言われる。

 俊はあまりそのあたり、意識していない。

 ただどうしてこうなった、という配役は確かにあったりする。




 アイドルグループはおおよそ、昼間のステージであったりすることが多い。

 日焼けが心配な彼女たちだが、印象的には日光の下というのが、やはりイメージとしていいのだろう。

 エイプリルフールを見た後は、それぞれ分かれて移動する。

 基本的に女性陣は、二人以上になるようにと注意する。


 俊はちょっと過保護であるが、この後にステージがあると考えれば、それも無理のないことだ。

 バンドというのは演奏して初めて、そこに価値が生まれる。

 またメインステージのトリ前なだけに、もしもトラブルで中止とでもなれば、違約金が莫大なものとなるだろう。

 ステージの穴埋め自体は、あちこちにバンドがいるため、どうにかなるのかもしれないが。


「ブラックマンタ行ってくる!」

 メインステージの人混みの中へ、千歳が突っ込んでいった。

 分からないでもないが、この人混みはちょっと、入場制限をかけるべきではないのか。

 警備に金をかけない興行は、アクシデントが起きやすいものだ。

 フェスでは観客の前に行こうとする圧力で、怪我人が出ることはしょっちゅうあるし、死人がでたものもある。


 そこまでのことはないにしても、演奏を控えたこの前日、少しでも危険からは遠ざかってほしい。

 そのあたり千歳は無鉄砲なところがあるし、暁もノリで特攻してしまうところがある。

 月子はそのあたり、臆病なぐらいなので、俊としては安心出来るのだが。


 だが俊の不安は的中する。

 押しつぶされた客が倒れて、その下敷きになった中に、千歳もいたのだ。

 慌てて警備が動き、演奏までストップしてしまう。

「いったー」

 ひょこりと出てきた千歳は、案外大丈夫そうであった。

「お前、だから気をつけろって。怪我はないか?」

「ん~、手首ぐきっていった」

 そうは言うがぐるぐると動かせるので、そんな大事に至っているわけではないか。


 ただ本番前であるので、さすがにこれは医者に見せたい。

 熱中症対策のためなどに、ちゃんとそういう医療従事者も待機している。

「どうしよう、なんだかだんだん痛くなってきた」

 そう道中で言う千歳の右手首を見れば、確かに膨らんできている。

 ピックを持つほうなので、固定すればどうにかなるか。

 いや、さすがにそれも難しいか。


 リズムギター担当の千歳だが、曲によってはツインリードになる場面もある。

 とんでもなく難解な部分は少ないが、簡単に弾けるというものでもない。

 ヘルプを頼めるようなミュージシャンは、それこそいくらでも会場にいるだろう。

 だが果たして、即座に合わせることまで可能であるのか。


 意外なほど、アクシデントとは無縁であったノイズ。

 だが武道館と違って、お祭り騒ぎで気が大きくなっていたのか。

 分からないでもないが、ちょっとプロとしてはいただけない。

 千歳のプロ意識の希薄さが、この事態を生んだと言ってもいいのかもしれない。

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