第235話 助っ人仕事人
プロ意識が足りない。
俊が最初に思ったのはそんな感じだが、元から千歳がそういう人間だとは、分かっていたはずではないか。
それにやってしまったものを責めるのは、全てが終わってからだ。
このフェスの演奏だけではなく、仙台ツアーや月末のフェスまで、完治には時間がかかるかもしれない。
とりあえず今回は、大至急ヘルプを見つける必要があるだろう。
千歳のギターパートというのは、基本的にはそれほど難しくはないものが多い。
だが一部の曲は、やはり印象的なツインギターの部分がある。
重要なのは単純にギターが上手いというのではなく、千歳の音とある程度似ていて、またノイズの演奏に合わせられることだ。
(まずは阿部さんに報告だけど)
そもそも歌うだけならば可能であるのか。
「今日の夜は痛みが出て、明日は本格的に腫れるだろうね」
それが医者の診断である。
最悪、痛み止めを飲んでならば、歌うだけは出来るだろう。
「腫れが引くのに10日ぐらいかな。ちゃんと治るのには一ヶ月ほどは見ておいた方がいい」
下手に大丈夫と思って動かしたりすると、後遺症が残る可能性もあるのだ。
捻挫は甘く見てはいけない。
そんなわけで一度、湿布を貼った上で病院で、しっかりと見てもらうことにした。
無理のない範囲内で、一時間のステージには立てるだろうと言われたが、数日は動かせないだろう。
仙台ツアーはともかくとして、問題はこのフェスである。
出来ればテレキャスのギタリストがほしいが、この際ならば贅沢はいえない。重要なのはノイズの演奏に合わせられるかだ。
トリ前の、五万人は集まるステージで、演奏出来るだけの力。
純粋な技術だけならば、いくらでもいるだろう。
しかし合わせるということが、どれだけ難しいことであるか。
いわばノイズと、世界観を共有するだけの、想像力さえなくてはいけない。
俊には確かに、コネも伝手もある。
だがそれにしても条件が限られているし、ノイズの音楽を理解するだけのベースが必要となる。
「そんなわけなんですが」
俊が頭を下げに行ったのは、MNRの白雪の元であった。
「紫苑は合わないと思うけど」
技術的にはおそらく、暁にも匹敵する女性ギタリスト。
だが俊がここで求めたのは、彼女ではなかった。
「セツさん、今もギターの練習、普通にしてますよね」
「私か」
少しだけ目を見張ったものの、白雪はすぐに理解した。
MNRのギターは紫苑であるが、彼女にギターを教えたのは白雪である。
弟子の方が師匠を上回る、という例は普通にあることだ。
師匠である白雪も、技術的には紫苑の方が上回った、と考えてコンバートした。
ただそれはあくまでも、技術の一部分だけであると言える。
現在の白雪の作曲するMNRの曲は、とにかくスピード感があるものだ。
早弾きと正確さの技術に特化させて、それがMNRの疾走感をもたらしている。
他のバンドにあっさりと合わせていく能力などは、白雪の方が上である。
単純に技術以外の問題もある。
それはレコード会社や事務所、レーベルの関係によっては、ヘルプに入るなど言語道断という関係であることもあるのだ。
ただ白雪はレコード会社の社長とも、普通に話すほどの影響力を持っている。
そしてさらに過去に遡れば、俊の父との貸し借りの関係もある。
なおここでは関係ないが、白雪をセツと呼ぶのは身内に近い一部のみ。
シラユキは今の芸名で、昔の芸名はコユキ、そして本名がセツコなのである。
状況を聞かされた白雪は、ふむと考え込んだ。
「めんどくさいな」
「先生、そんなことを言わずに」
「助けてやればいいじゃん」
なぜかMNRの他の二人も、ノイズを援護してくれていたりする。
「だって平均年齢20代前半だよ? 私みたいなアラフォーがそこに混じって浮かないかな?」
見た目は中学生ぐらいで、半分ほどの年齢にしか見えないのだが。
知っている人間は、合法ロリと言ったりするが、そこまで幼く見えるわけではない。
少しは駄々をこねたが、身内からの説得もあって、最終的には頷いてくれた。
これはノイズは白雪だけではなく、MNR全体に借りが出来たようなものだ。
「うちの社長とかには私が話を通しておくけど、そっちはそっちでちゃんと了解を取ってよね」
当たり前の話であり、俊も頷くのだ。
「じゃあ今からでも、ちょっと合わせてみようか。……面倒だな」
本当にこの人でよかったのか、と付いてきた信吾などは不安になっていた。
状況を伝えた阿部は、それはもう驚いた。
『白雪って、元ヒートの小雪のことよね?』
彼女の年代からすると、そちらの名前の方が知られている。
音楽シーンをおおよそ一年間ほど駆け抜けて、そして消えていった伝説のバンドだ。
この業界には伝説のバンドとか伝説のミュージシャンが、それなりにいる。
ヒートはメジャーシーンに出てから約一年、絶頂期に解散した。
リーダーの突然死が原因であったが、これは事故などではなく病気であった。
本当に突然の訃報で、業界が騒然となったものだ。
俊もそれがニュースになったのも憶えているが、そこから逆算すると年齢不詳の白雪の実年齢が、なんとなく分かるのだ。
「一応現場ではそれで通したんですけど、もんだいないですよね?」
『それはもう、彼女は……けれど合わせられるの?』
「明日は午前中に時間を作って、近くのスタジオをなんとか抑えました」
今日は簡単に合わせるのみだ。
泥縄であるが、相手は百戦錬磨の妖怪である。
いや、この状況からすれば、間違いなく救いの女神であるのだが。
白雪はもちろん業界人の常として、流行の音楽は耳に入れている。
だいたい耳コピ出来るというのが、彼女の特技なのである。
しかし阿部が不安になるのは、彼女のギタースタイルは、リードギターであったということだ。
そしてMNRではベースを弾いて歌っている。
「まあどうにかなるでしょ」
そんな感じで軽く請け負ってくれたのだが。
ステージをやった次の日に、初めての相手とセッションする。
そしてそのまま本番である。
これは図らずも、ゴートが考えていた複数のバンドの、交流の実験となるのではないか。
「食われないか?」
栄二は白雪の本質を知っているだけに、その心配をしている。
「そこはちょっと手加減してくれることを期待したい」
「他のことならともかく、音楽で妥協はしない人だと思うぞ」
あまり怖がらせないでほしい。
ともかく状況は共有されて、全員がホテルに戻ってきた。
千歳だけは阿部に連れられ、近くの医者に向かって不在だが。
彼女もボーカルでは参加するので、ここでは合わせることは出来ない。
「ここが使えて助かったな」
ホテルの最上階には、レストラン以外にもちょっとしたホールがある。
ディナーショーなどをするために、用意された場所である。
本格的に合わせるのは、明日になってからになる。
ドラムセットがないのでパッドぐらいになるし、アンプなどもすぐに運べる程度のものになる。
それでもリズムを取るために、スティックなどを持ってきた栄二。
あとの楽器は一応鳴らせるが、シンセサイザーは代わりにピアノを使う。
鍵盤が重いのが、久しぶりで俊も戸惑ってしまうが。
現役時代の白雪は、ストラトキャスターを使っていた。
だがここでは千歳のテレキャスタイプを使う。
「またコスパのいいギターを」
白雪は確かめるように爪弾くが、その動きにはブランクなど感じさせない。
今でも作曲は、ギターをメインでやっているのだ。
彼女はセットリストを見て、それから一部は譜面も見た。
そして全体の楽曲を聴いて、では合わそうという話になる。
「ボーカルがいないところは、私が歌うから」
全く違う印象になるだろうが、純粋にボーカルの力としては、白雪のほうがずっと上だろう。
ヒートではギターを弾いていたが、男女のデュオのような曲もかなりやっていた。
セットリストの順番通りに演奏していく。
初めてのセッションであるというのに、こちらにたやすく合わせてくる。
その上手さを一番感じているのは、やはり同じギタリストの暁だろう。
技術的に上手いというべきか、これはむしろ音が豊かであるとでも表現すべきか。
感情の乗せ具合が、単純に激しいものばかりではない。
能面のようにあっさりとした顔で、難しいところも簡単に弾いてしまう。
プレイする曲の中には、ツインバードが入っている。
ツインリードになる楽曲であるが、これが鬼門かと俊は思っていた。
ドラムがないので暁のギターが走りかける。
しかし信吾が苦労することもなく、白雪のギターがそれを上手く手綱を取った。
こういうギターもあるのか、と思わせる演奏だ。
もちろん音源では、暁もヒートの曲を聴いている。
だが実際にライブで聴くのは、かなりイメージが変わるものだ。
あの時代は天才の色に染められた時代であったが、それでもわずかな期間、このバンドは強烈な光を放った。
今はもう音楽業界で活動しているのは、白雪だけとなっている。
四人のバンドメンバーのうち、既に二人が鬼籍に入っているというのが、なんとも天才の夭折を思わせる。
ギターの演奏には問題はない。
ただこれにボーカルを合わせると、少し難しくなってくる。
やはりボーカルの性質によって、合う音楽というのは決まっているのだ。
「なんとかなりそうだね。あとは明日の午前中に、スタジオで合わせれば大丈夫だろうし」
さほど長くも激しくもないのに、ノイズのメンバーはかなり疲労していた。
その中で白雪だけは、けろりとした表情である。
なるほど確かに、これはレジェンドと呼ばれるはずだ。
俊としては自分の選択が、間違っていないと思えたのであった。
事務所やレーベル、レコード会社間の関係は、色々とあるものだ。
それこそ事務所のほうが、レコード会社よりも力を持っていた場合もある。
基本的にレコード会社は、いくら資本があったとしても、売り出す商品がなければどうにもならない。
ただ傲慢であることは、やはり悪い結果を導きやすい。
白雪本人は、それほど嫌がってはいない。
いや、嫌がっていることは嫌がっているのだが、それはもう純粋に面倒だから、などという単純な理由である。
明日はぐっすり朝寝坊をする予定が、早めに起きてスタジオ入りとなれば、それは確かに嫌なことだ。
だが彼女としても、日本の音楽シーンを引っ掻き回すのを、ALEXレコードばかりに任せてはいられない。
それにこれで、ゴートがやろうとしていることを、少しだけ邪魔することになる。
年下のガキには、ちょっと分からせてやるべきだろう。
あれではそのうち、痛い目を見るかもしれないからだ。
愛の鞭である。
野心家と言うよりは、快楽主義やでお祭り好きのゴート。
クソのように現実主義者で、拝金主義のサリエリ。
どちらも金を稼ぐということを重視しているが、アプローチの仕方が全く違う。
昔ならばゴートの手段しかなかったが、今のノイズのやり方でこのスピードで人気が出た。
もっともキャラクターが、特にフロントが強かったというのはあるが。
MNRは基本的に、旧来のパターンで売っていっている。
裏方に近いところにいた白雪が、名前を変えてまでまた出てきたのは、弟子と知り合いの弟子、二人のためである。
当事者意識が薄いことは、むしろ俯瞰的にものを見ることが出来た。
日本の音楽シーンは、確かにまた変革期にある。
白雪はMNRに関しては、そこまで長くは続かないと思っている。
人気がどうこうではなく、同時代性の問題だ。
もちろん彼女もまた、冷徹に物事を分析しながらも、アーティストとしての傲慢さは持っている。
一世代とまでは言わないが、相当の年齢差がある。
リズムの根底であるドラムに、華であるギター。
しかもまだまだ成長の余地がある。
既に大きく売れているが、まだ何か変化していく可能性が見えている。
その中で白雪は、自分が演奏することは考えていない。
(ボーカルかなあ)
白雪のボーカルも、バンドボーカルとしてかなり特徴的だ。
だが彼女は、本当に最強のボーカルというのを、昔のバンドで経験していた。
実のところ俊のやっている体制は、かなり彼女の理想に近い。
だがバンドメンバーを六人というのは、ちょっと多すぎるのだ。
それにノイズの後ろには、花音がいる。
永劫回帰の稼ぎでもって、ALEXレコードが打ち上げようとしている花火。
さすがにそこに、自分がいるのは違うかな、と思う自称ベテランの合法ロリであった。
音楽業界というのは、地味な化物がうろうろしている。
白雪もまた、その一人ではあった。
二日目はもう、他のライブなどは見ずに、体調管理に徹することにしたノイズのメンバー。
やはり一日目や二日目に出演し、残りの日を見物に回るという日程が、安全のためには良かったであろう。
しかし安全や安心、慎重さなどに徹するのは、ロックではない。
いやもちろん、ロックであろうとなんであろうと、仕事は仕事なわけであるが。
ドラッグを注射してステージに立って、ほとんど演奏すらしなかったロックスターなど、70年代や80年代にはいたものだという。
今の時代にそれをやったら、おそらく完全に炎上する。
昔と違って今は、何度も燃やすのが可能な時代だ。
破天荒であることが悪いわけではないが、逆にストイックさも重要であるだろう。
俊の場合は音楽をやる上で、いらないリスクを取ることの理解が出来ないのだが。
ただ今回の千歳の件は、ちゃんとフォローができた事もあるが、納得できなくはない。
自分が面白いと感じたものに、すぐに飛びついていく感性。
ブラックマンタは女性ボーカルのバンドで、前からずっと注目されている。
格を言うならばノイズとさほど変わらない。
ならば千歳が興味をもっても当然というわけだ。
俊がノイズをタレント売りしないのは、リスク管理という面がある。
下手にアイドル性などを持たすと、無駄に関心を持たれてしまう。
月子や信吾を同居させているというのも、バンドメンバーの仲がいいという空気を見せることになるが、下卑た見方をすれば中で何が行われているか。
メンバーに高校生がいるため、そういったイメージも大切になる。
あとは月子の問題も大きい。
読解障害や相貌失認といった、使いようによってはプラスにもなるピース。
だがそれはもっと、高い地位に至ってからではないと、マイナスの印象を与えるかもしれない。
学習障害の人間に、歴史に名前を残した人間がいる、という説。
エジソンやアインシュタインなどは、その行動パターンから学習障害であったろう、などとも言われている。
だが学習障害が、成功しやすいかというと、そんなことはない。
世界を動かしているのは、一般的な人間と言うか、平均的な人間である。
そもそも学習障害についても、その程度問題というのがある。
月子の場合は知能そのものは、むしろ平均よりも高いのではと思わせるが、感性がやや特殊だとは感じる。
また学習障害ではないにせよ、人生において大きなショックを受けてしまった人間は、一般的な幸せを手に入れにくくなる。
極端な話、性犯罪の被害者などは、恋愛関係を築くのが難しくなるだろう。
俊にしてもそういったショックを、音楽の世界で癒している、という傾向がないわけではない。
ただ俊が幸いであるのは、自分を客観視することが出来るぐらいには、集中しすぎない人格であったことだろうか。
千歳もその人生で、大きな精神的なショックを受けた。
それがなければ彼女のボーカルに、痛みを感じさせるものはなかっただろう。
ひょっとしたら千歳は、普通の幸福を手に入れることが出来たら、そのボーカルの能力を失ってしまうかもしれない。
芸術家というのは、幸福であるとつまらない作品しか作らなくなる、などと言うではないか。
詩人や小説家などは、確かに己の不遇から、名作を生み出すことがある。
だが不遇で不幸な人間は、大半がそのままの人生を送るものだ。
むしろ不幸というのは連鎖していく。
俊の場合はなんだかんだ、親が太いということが、最終的なセーフティネットになっている。
こんな金持ちがどうこう言っても、バイトを掛け持ちしながらバンドをしている人間には、全く感じるものはないだろう。
だが今はむしろ親ガチャなどという言葉どおり、あいつが成功しているのは恵まれていたからだ、と考えた方が楽になれる人間もいたりする。
あるいは自分の能力の低ささえ、そういった言い訳に使ってしまうものだ。
どこからどこまでが自分の責任なのか、今の若者はかなり言い訳が多い、などとも言われたりする。
しかしそれは情報化社会が行き過ぎた、今の一過性の出来事であるのかもしれない。
社会が変革期にあるのは確かだ。
その先を見つめなければ、単純に作品を作っているだけでは、成功はしないのではないか。
なんだかんだ言いながら、人の数倍は努力している俊は、それを特に努力とは思っていないのであった。
千歳としては自分のミスで、周囲に心配と手間をかけさせた、という認識はある。
彼女は自分で思っているよりも、実際はかなり責任感と言うか、事態を厳しく見ている。
彼女の叔母である文乃は、一緒に暮らしていく最初に、厳しく言ったものだ。
「私は貴女の親ではないから、甘やかすことも出来なければ責任を持つこともしない。ただ、貴女の尊厳は守るし、その意志は尊重するし、助言はしっかりと与える」
両親を失ったばかりの姪に、これが言うことであろうか。
ただ今となってみれば言葉だけが優しい親戚よりも、千歳を引き取って育ててくれている叔母は、ものすごく厳しい優しさを持っている。
おそらく月子の祖母も、やり方は月子に合っていなかったにせよ、考え方は同じであったのだろう。
将来を生きていけるように、と月子に特殊技能を仕込んだ。
中学生ぐらいまでは、知能の低さを疑われたぐらいなのだから、それはもう覚悟が必要であったはずだ。
千歳の周囲は、いい大人に恵まれている。
大人というには年齢は近いが、俊なども千歳から見れば、かなりストイックな人間だ。
何より俊は、現実的であるのがいい。
暁はもうどうしようもないとして、千歳には大学に行くことを勧めた。
そしてそのためにはどうすればいいか、具体的に教えてくれたのだ。
才能はないなどと、自分のことを卑下している。
しかしそれを言い訳に、努力を怠ったりはしない。
俊にとって才能がないというのは、単純に天才の数倍の努力をしなければいけないだけのことなのだ。
今回の件も、助っ人をしっかりと確保する。
まさかと思える人間を、どうやって口説いたものやら。
確かに知り合いではあるのだろうし、それなりの交流はあったはずだ。
しかし事務所はもちろん、所属するレコード会社まで違っては、簡単に通る話ではないと思ったのだ。
(明日はもう、全力で歌わないと)
ギターを持たずにマイクの前に立つというのは、千歳にとって普段とは違うことだ。
だがそれは、新たなチャレンジでもある。
痛みが出て眠れないようなら、と言われて痛み止めをもらっていた。
確かに手首の血流によって、痛みがしっかりと出てきている。
とりあえず今日だけは、まさに薬の力を使おう。
そんなことを考えながらも、けっこうあっさりと眠れる千歳は、やはり図太いのかもしれない。
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