第236話 +α
バンドというのは単純な足し算ではなく、相乗効果を狙って組まれているものだ。
ノイズはなんだかんだ言いながら、もう二年も同じメンバーで演奏をしている。
一人ずつ増えていって、他のバンドのヘルプをしたことはあっても、本格的なヘルプを頼むのはこれが初めてと言ってもいい。
朝の比較的早い時間に、近くのスタジオを借りる。
とは言っても普段はそんな時間、やっていないというところをかなり金を積んだのである。
市内の病院に、一日そのまま入院していた千歳とは、スタジオ前で合流。
この事態に一番眠そうにしているのは、助っ人であるMNRの白雪であった。
「有名人だけど、ベーシストだよね?」
かくんかくんと舟をこいでいる白雪に、MNRギタリストの紫苑が付きっ切りで髪などをとかしている。
「紫苑さんじゃなくて?」
「私のギターは、あまり他の人とは合わせたことがないので」
元は白雪がギタリストであったとは、説明は受けている。
ただ若手の女性ギタリストで、技術に優れた者などは、暁の他には紫苑ぐらいでは、というほどの評価をされていたりする。
暁もまた、ノイズの中では暴走しやすいギタリストではあった。
テーピングで手首をガチガチに、固定した千歳が痛々しい。
一応は三日分ほどの痛み止めをもらったが、クスリをキメてステージに上がるわけにはいかない。
……いや、問題はないのであろうが。
薬であって、ドラッグではないのだから。
ステージに上がる直前までは、腕を吊っておいたほうがいいとも言われた。
血流の問題であり、またしばらくは冷やしておく必要がある。
ちょっと痛い程度だなと思っていると、年を取ってから痛みが出てくるともいう。
どのみちギタリストであるのだから、手の怪我などは慎重に治していかないといけない。
ほんのわずかな違和感が、演奏には大きく影響するのだ。
ただしジャンルにもよるが、そんな演奏のささいな違いなど、ノリが良ければ関係ないのだ。
レコーディングなどはいっそ、他の人間に頼んでしまってもいい。
そもそもボーカルは最後に入れるのだから、そういうことが可能であるのだ。
ボーカルに専念して千歳が分かるのは、いかに自分の技術がまだ拙いかということ。
リズムギターは賑やかし、などという考えがあったのだろうか。
自分ではしっかりと弾いていたし、レコーディングではチェックが入っていた。
ただステージの前のスタジオリハで、こうも違いを見せ付けられるとは。
しかも相手は元のストラトキャスターではなく、千歳のテレキャスターを使っているのだ。
「経験を重ねてると、器用にはなるからね」
そう軽く言っていたが、言葉をそのまま受け止めてはいけないだろう。
一時間のタイムテーブルだが、実際は少し延長することを考慮されている。
そしてセットリストの中に、ハッピー・アースデイを見つけた白雪は、少ししんみりした顔になる。
「あ~、1クール目ですみません」
「君が謝ることじゃないでしょ」
アニメ化大失敗の影響は、ノイズよりもMNRの方が大きいはずだ。
OPが変わるまでに、多くの視聴者はもう切っているはずだからだ。
「それにまだ、どんな作品に使われるか分かっているだけ、昔よりはいいよ」
曲が完全に出来てから、何に使われるかが決まった、という例もコンポーザー時代に経験している。
作品のイメージと全く合っておらず、散々に言われたものであるが。
「ただ昔と違って、今だと本当にネットで好き勝手言われるからね」
もっとも責められるのは、楽曲を提供しているミュージシャンになることは少ない。
MNRの強いところは、そもそもの蓄積から大きく違い、その楽曲を作れるところである。
つまり提供はしたものの、作曲や作詞は白雪がやった曲を、MNRでも出来るというわけだ。
バンドやミュージシャンに合わせて、妥協した部分などもあるが、それを本来の形で使うことが出来る。
蓄積したものが、俊とは全く違うのだ。
懐かしい名曲を、そのまま自分で使うのに、かかる手間が圧倒的に少なくて済む。
ただそうやって提供してきた中に、どうにもならない場合もあるのだ。
「全編シリアスなファンタジーに、ポップロックの曲を提供して、それが通ったりしたもんだよ」
当事者の言葉は重い。
「それに比べれば星姫様は、まだしも作品にマッチした曲が作れた」
2クール目も、1クール目のOPが良かっただけに、OPだけは見るという人間もいるかもしれない。
白雪としてはあとは、売っていくのはレコード会社の仕事である。
そのあたり白雪としては、逆に俊のことを凄いなとも思っているのだ。
ノイズの売り方というのは、明らかに金をかけていない。
絶対に売れるというような確信があって、それでこんなやり方をしたように見える。
実際のところ俊は、これだけやっても売れるという確信を持っていたわけではない。
ただ失敗したとしても、何度もやり直したであろう。
月子に歌ってもらって、そしてユニットとして成功を目指す。
それがどうして、こんなことになってしまったのか。
コンポーザーとして、月子と組むユニットが、絶対に売れるとは思っていなかった。
そんな直感など、俊は何度も経験しては裏切られていたからだ。
だがバンドを組むにあたって、さすがに成功する必要が出てきた。
月子の所属するアイドルグループも解散したし、信吾や栄二が加わったからだ。
「まあそんなもんだよね」
白雪はまだ、レコード会社が大資本によって、音楽を売っていた時代を知っている。
とにかくプッシュしていけば、ヒットチャートのトップは無理でも、ベスト10ぐらいには入っていた時代だ。
そこから先、本当に売れて行くかどうかは、バンドやミュージシャン次第である。
だが白雪にしても、どうしてここまで売れたのか、逆にどうして売れないのか、分からないミュージシャンはいる。
たださすがの彼女も、80年代のアニソンなどというのは、守備範囲外であった。
そもそも現在とは、アニメの製作体制が違う。
クールごとに作っていくというスタイルが、かつてはオリジナルエピソードを入れていたなど、信じられないことだ。
そもそも視聴率が30%をオーバーするアニメなど、想像すらしえないものである。
午前中を使って、演奏する曲を全て合わせた。
変幻自在と言うか、まさに白雪は慣れないはずのテレキャスターで、しっかりと千歳の上位互換的な演奏をした。
「まあ私も、ギターはストラトキャスタータイプを使ってたからね」
それに自宅にも、やはりギターはコレクションしているらしい。
ベースはジャズベースを二本だけど、すごく少ないものであるが。
千歳は今回のことは、完全にMNRの好意に甘えていると思っている。
なので頭を下げたのだが、白雪の反応は淡白なものであった。
「聴きたいと思ったなら、前に行くのは仕方がないよ」
不注意による怪我を、完全に擁護した形である。
「私たちはアーティストなんだから、精神の自由がなくなったら死んでしまう。自分のイメージとインスピレーションに従って、生きていくしかない」
聞いていた俊が驚くほどの、フリーダムさと言えるだろうか。
ただ責任は取らなくてはいけない。
窮屈な生き方をしていては、自由な音楽は作れない。
破天荒さが許される時代を、わずかに経験しているのが白雪の世代だ。
ネットで炎上していたとしても、それを気にしないのがこの世代なのか。
ネットネイティブではない世代である。
ロックスターなら日常を破壊してでも、新しい音楽を求めるべきだ。
そういう空気をかろうじて、白雪は感じた世代である。
もっとも現代でそれをやるのは、とても難しいとも分かっている。
なので基本的に、SNSなどはやらないのだ。
見た目に比べてみると、随分と保守的である。
そしてロックにとって保守的というのは、今よりもよほど過激であることを意味する。
白雪が考えるに、俊は小賢しすぎる。
過ぎているわけではあるので、悪くはないとも思うが。
中途半端にまとまってしまうのが、一番良くないことだ。
もっとも俊の父の破滅を知っているので、リスク管理をしたいという気持ちも分かる。
生活のレベルを落とせなければ、それで破産してしまうのだ。
もっともアーティストというのは、キラーチューンが一曲あれば、それなりに生きていくことは出来る。
年を重ねれば重ねたなりに、音が変わるのが音楽のいいところだ。
おおよそのスポーツなどは、年齢によって全盛期は、生涯の半分にも至らないうちに終わってしまう。
セカンドキャリアを積むのが、音楽と違って難しい。
ただ成り上がることなどは、音楽よりも才能が左右する。
音楽業界をただの腰掛に、芸能界で生きていくという人間はいるのだ。
おおよそが金持ちの子弟であり、家業を継げない人間というものであったりする。
親が太い家に生まれることの利点は、とにかくスタートダッシュが利くことと、選択肢が増えること。
文化的財産を、子供に残せるかどうかというのは、重要な問題なのだ。
もっともMNRのメンバーは、白雪以外の二人は家庭に恵まれているというわけではなかった。
虐待を受けていたとかそういうことではなく、普通に二人とも親を亡くしている。
なんだかそういう背景でもないと、大成することはないのかと、俊は考えてしまったりする。
不幸や不遇が音楽に深みを与えるというのは、確かに本当なのかもしれない。
元々が自分の中で消化できない感情を、発散させるのが音楽なのである。
その最初に技術はいらない。
まずやってみることが重要であり、やり続けることによって道が見えてくる。
(若いなあ)
下手をすれば周囲よりも、見た目だけは若く見える白雪は、そんなことを感じる。
ノイズのメンバーは、ドラムの栄二以外は結婚もしていない。
家族と一緒に暮らしているのも、少ないぐらいである。
そういった生活を送っていると、自然と自立した精神が育つのかもしれない。
不幸や不遇を形にすることが出来たなら、それは才能になるのだろう。
そこで初めて、技術というものが発生する。
順番はこうだ。まず感情があって、そこから技術が生まれる。
逆ではない。
一見するとまず、技術を習うように見えるが、それよりも前にやってみたいという気持ちがある。
そして反応するのだ。
今回のアクシデントについても、むしろ面白いではないか。
ヒートでギターを弾いていた頃、既にCD販売数は斜陽となっていた。
だがそんな中でも、売れる者は売れた。
メンバーを引っ張るリーダーシップが、ヒートの最大の魅力であったろう。
短い命と、おおよそ分かっていたがゆえに、そこまでの熱量を発したのか。
ノイズのメンバーを見ていると、女性陣に女性らしさが感じられない。
いや、あることはあるのだろうが、白雪と同じく歪なものに見えるのだ。
別に自分から調べたわけではないが、こういった急成長するバンドやグループの情報は、自然と白雪のところにも集まってくる。
俊のことはともかくとして、ボーカル二人が事故によって、両親を同時に失っている。
一気に環境が変わるという経験を、この二人はしているのだ。
あらゆる楽器の中で、最も魂の咆哮に近いのが声。
ボーカルがバンドの顔というのは、やはり間違っていない。
その意味ではMNRは、いずれ発展的な解散をするのかもしれない。
白雪としても託された二人は、独り立ちするまでは育てるつもりである。
だがいずれは巣立っていくだろうな、とも思っている。
まだまだ伸び代がある二人と、これまでの蓄積だけでやっている白雪では、ベースになる部分が違うのだ。
午前中でどうにか合わせるのが終わって、またも広大な会場に戻ってくる。
少し道が混んでいたが、かなり余裕を持って出てきたのだ。
お盆の帰省と重なっているので、ある程度は予想していた。
こういったことまで昔より、便利になったなと分かるのは阿部や白雪である。
俊の年代あたりだと、これが当然となっていた。
かつては待ち合わせの場所を、指定していたものである。
何かがあった時のために、伝言板などが置かれていた駅がる。
そこでXYZと書き込めば、問題解決のハンターに連絡が取れたとか。
何かがあっても、電話も出来なかった深夜だが、今なら普通にメールの類で連絡が出来る。
おかげですれ違いものが描きにくくなった、とマンガ家などは言うらしい。
もちろんネットネイティブの若者は、それがあった上で普通にすれ違いものも描けるのだが。
無事に到着したのは、午後を回ってからである。
ステージまで残り三時間と、それなりに際どい時間であった。
千歳の吊られた手に、周囲の視線が集まる。
いや、ギプスをしてステージに上がるというのは、逆にロックではないのだろうか。
周囲への説明はスタッフが行っているし、それほどセッティングが変わるわけでもない。
テレキャスターを白雪が持って、千歳は歌うだけと変わったのだ。
シールドの長さなども問題なく、まだ明るいためスポットライトもさほど目立つわけではない。
大きなスクリーンには、それぞれの演奏を順番に映していったりもするのだが、基本的に白雪は完全に映らない。
いっそのこと顔も隠して出た方がいいかなとも思ったが、それは逆に面倒なものである。
衣装の問題は、背丈などのサイズが、胸以外は暁とほぼ変わらないので、そちらを借りることにした。
月子は例外であるが、普段着でステージに上がるというのは、ノイズのファッションのスタイルである。
別にこの際はどうでもいいと俊は思っていたが、さすがに中学時代のジャージをいまだに着ている白雪に、その姿でステージに上がってもらうわけにはいかない。
学校指定ジャージは使われることが多いだけあって、頑丈なものなのだ。
白雪はリラックスのために、こういった適当な服装をしているので、ステージ用の衣装は自分たちの分しかない。
そしてそれを使いまわすのは、さすがに問題があった。
衣装の提供に、スポンサーの意向などもあったからである。
そのあたりはレコード会社と事務所の方針による。
演奏に支障がなければ、どんな格好でもいいのだ。
それこそ男などは、パンツ一枚で歌っているなど、珍しいことではない。
ペニスケースだけで演奏していたのは、果たして誰であっただろうか。
ジム・モリソンなどはそれで、何度も警察のお世話になっている。
日本のバンドでも、演奏中にパンツが脱げて、警察に捕まったという人間はいないではない。
暁の上半身ビキニというのは、とてもおとなしく健全なものであるのだ。
ただ、白雪はちょっと文句があった。
「……胸元が余る」
ノイズメンバーの中では一番の巨乳は、一番背の低い暁である。
なのでTシャツについても、実は胸元が強調されるのだ。
ワンピースなどに関しても、ちょっとシルエットに合わせなければ、デブに見えてしまう。
だからそういった服を、特に選んで探したりしているのだ。
まあ白雪の微妙なコンプレックスはどうでもいい。
本人だけの問題であるのだし。
ステージに立つ時の衣装などは、フリフリでも着せられてさえ、あまり無頓着な白雪である。
現在のMNRでは、比較的スタイリッシュな格好をしているが。
さすがにこれ以上のアクシデントは避けたいと、ノイズメンバーはテントの中で待機する。
ただ逆に今度は、時間の経過が遅く感じる。
そしてこういう暇な時間が出来てしまえば、インプットなるアウトプットなりをしてしまうのが俊なのである。
普通なら聞き慣れた音楽などを聞いて、リラックスしたりするのだろう。
だが俊はこんな時にも持ってきた、アコギを使ってメロディーなどを作っている。
ピアノやギターよりも、今ではソフトを使うことが多い。
しかし頭の中では、楽器を演奏しながらソフトに落とし込んでいるのだ。
何をやっても緊張するなら、何かをやっていた方がいい。
ステージの時間は一時間なので、普段のワンマンライブよりも楽なはずだ。
もちろん環境の違いなどはある。具体的には夕方になっても、さほど下がらないこの八月の気温。
それでも直射日光を浴びるよりは、ずっと楽な時間帯である。
リフを工夫したり、アレンジを考えたりと、暁は一番走りやすいことをしている。
だが何それ知らない、という曲のメロディを奏でていたりもするのだ。
インプットをするというか、純粋に他の音楽を楽しんで聴いて、その果てにあふれ出すものがある。
それに自分の色があれば、創造性となるのだ。
別に売れるだけならば、本当の創造性なども必要ない。
そう、必要されるのは、需要に応える音楽である。
ただし需要に応える音楽だけをやっていると、発展性が全くなくなる。
偉大なるテンプレとか、期待通りのいつもの、などと呼ばれるかもしれないが、それはアーティストにとっては死も同然である。
創造性に偏りすぎているのが、俊の知る限りだと徳島だ。
彼は実際は、発表しているよりも多くの曲を作っているが、プロデューサーがその中から使えるものを選ぶのは、ほんの一部だという。
時代が変わるなり、シーンが変わるなりすれば、受け入れられることもあるだろう、というものだ。
逆に商業主義に走りすぎても、それは飽きられる。
ノイズの場合は基本的に、商業主義を意識はしている。
だが実際に出来上がってくる曲は、芸術性と娯楽性を共に持った作品になったりする。
俊は自分を天才だとは思わない。
だが客観的に、優れた楽曲を評価する、批評家としての耳は持っている。
あとはそれを、上手く組み合わせていくだけである。
かつてと違って今ならば、ソフトを使ってそのシミュレーションもある程度は任せることが出来る。
これは今までの作曲家に必要だったのとは、また別の種類の才能である。
才能と言うよりは技術に近いが、技術ならばほんの少しずつでも、磨いていくことが出来るのだ。
待機中のテントの中で、さすがにここはアコギを使う。
だがノートPCはいつも、所持して離さないのが俊である。
使いたい時に、すぐに使えるように。
ボカロPの中には、思いついたメロディなどを、すぐにスマートフォンに録音する人間もいる。
機材の発展によって、音楽もまた発展してきた。
新しい時代のムーブメントは、そこから生まれている。
そして今は誕生ではなく、成熟の段階にある。
さらに次の段階に進むのに、果たしてどれぐらいの時間がかかり、そしてどういった才能が必要とされるのか。
単純な創造性ではなく、習得した技術によってそれも変わる。
俊のギターを聴きながら、それぞれがまた思考をしたりする。
失敗するというマイナスのイメージは、特に思い浮かばない。
千歳のこのアクシデントでさえ、成功させてしまえば一つのエピソードとなる。
物事というものには、全て表と裏がある。
月子の経験した不幸と、マイナスにしかならない障害。
しかしこれを乗り越えることが出来れば、逆に美談ともなるのだ。
時間の経過が、またいつも通りになった。
そして太陽は、大きく西に傾く。
いよいよヘッドライナーの前、大舞台にがノイズのメンバーを待っている。
既に演奏を終えている白雪がいることが、むしろこうなっては心強いと感じられるのであった。
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