第237話 スパイス
ショータイムである。
『残念なことと、嬉しいことが一つずつある』
俊が珍しくも、思わせぶりに煽っていく。
『一つは、昨日の将棋倒しに巻き込まれて、うちのギターのトワが今日は演奏出来ないということ』
ざわめきがあったが、それに合わせて千歳が右腕を上げる。
『後遺症は残らないっぽいから、安心してね~!』
これが左手の指の骨折などであったら、かなりまずいことになったかもしれないが。
右手は右手で、ピッキングに加減の技術はあったりする。
そんなわけで、今日のノイズのボーカルは、千歳が好きに歌える。
むしろ歌うだけならば、普段よりも歌いやすいかもしれない。
『嬉しいことは、助っ人が来てくれたこと。今はベースやってるけど、元はギターで一気に駆け抜けていって、コンポーザーとしても活躍しているミッドナイトレクイエムの白雪!』
『さんを付けろよデコ介野郎』
淡々とした声で、毒舌をぶち込んでくる白雪であった。
『演奏はともかく、MCは色々飛ばしていくかんね』
コーラス用の暁のマイクで、白雪はそう告げていく。
MNRの白雪。ベースボーカルとして有名だが、元はコンポーザーとしての活躍期間が長かった。
そしてそれ以前には、およそメジャーシーンで一年ほどしか活動出来なかった、ヒートというバンドのギタリスト兼コーラスである。
ボーカルもやっていたし、男女デュオの面もあったろう。
俊の半世代上あたりであると、直撃世代と言える。
『今日は! フェスということで! 盛り上げていくから!』
千歳が叫んで、曲名を告げる。
『まずはカバー曲から、タフボーイヘビメタバージョン!』
元々メタルっぽい曲ではあるのだが、果たしてどうジャンル分けすればいいのだろう。
ギターの歪んだ音から入ってくる。
ライブなどでなんだかんだ、一番カバーしている回数は多いのがこの曲だ。
基本的にノイズが、ロックバンドと認識される理由は、これとノイジーガールのおかげであろう。
「「「HEY! HEY!HEY!」」」
ファーストアルバムにも、カバーとして入れてあるので、知名度はまた高くしたものだ。
もっともノイズがカバーする以前から、この曲は海外のミュージシャンが、それなりにカバーしているのだが。
ギターの音がいつもより、重低音寄りになっている。
設定ではなくこれは、演奏技術の問題だろう。
しかし重いのに、より早い。
音を増やして、ものすごいスピードでリズムを取っているのに、涼しい顔をしている。
そして千歳が歌い始めるのだが、すぐにコーラスが入ってくる。
月子だけではなく、暁もここでコーラスを入れるのだが、白雪の淡い声も入ってきた。
二人のギタリストが、声を重ねていく。
たった一人が増えただけで、ここまで音に重みが出てくるのか。
それでいながら鈍くはなく、音の切れ味は増している。
バンドボーカルとしての千歳の能力。
ギターを弾かないことによって、むしろ今日は盛り上がっているのか。
もちろんそれは、白雪のギターに引きずられているところもある。
白雪はかろうじて、1999年に世界が終わるという説の中に生きていた人間だ。
単純に生まれていたのではなく、それを信じる間抜けがそれなりにいた、という時代を経験している。
ただ世紀末と言うのならば、今の方がよほど世紀末だな、とも思うのだ。
まだまだ21世紀は、前半も終わっていないのに。
終末的な雰囲気は、むしろ今の世界にこそ相応しい。
誰かがこの退屈な世界を終わらせてくれ。
ただしその中でも、自分は歌い続けるだろう。
千歳から月子に、ボーカルがパスされる。
短いフレーズを歌い上げて、そして完全に二人のコーラス。
サビまでを疾走して、そこからギターソロへと入っていく。
また歌に戻っていって、その中でもギターが爆音で響いていく。
パワーのあるギターだ。
技術的なものなのか、それともフィーリングなのか。
もちろんフィーリングもまた、技術の果てに存在するものである。
とにかくフィーリングと言っておけば、それでなんとかなるとも言うが。
最初の曲が終わった段階で、既に盛り上がっている。
五万人は集まっているはずで、それ以上は入場制限もあるはずなのだが、地面が完全に埋まっている。
人がゴミと言うよりは、人間でもう地面が見えない。
地面全体が蠢いているような、そんな雰囲気までしてしまっている。
地球の表面を、人が多い尽くす。
産めよ、増やせよ、地に満ちよ。
これは確かに、一瞬であるが聖書の光景だ。
『ノイズwith白雪』
思えばこれを見るオーディエンスは、幸運であるのかもしれない。
イベントのアクシデントによる、ほんの一時的な集まり。
もちろんゴートの狙いが達成されれば、さらに面白いことになる。
だがそこにサプライズはない。
MNRのファンで三日目も残っていれば、これを見れたかもしれない。
ちなみにノイズとMNRのファン層は、そこそこかぶっている。
最初の盛り上がりから立て続けに、BPMの上がった曲をやっていく。
次はツインバード。
ギターがツインリードになる部分が、かなりある楽曲だ。
そのギターパートを、今日は他に任せてしまって、ボーカルに専念出来る。
すると月子と、上手くハモっていくわけである。
暁のレスポールもこの曲においては、かなり攻撃的な音になる。
それと合わせるのに、テレキャスターの音は丁度いい。
ただ本当なら、レスポール・ジュニアの方がより、適切なギターだろう。
暁のレスポール・スペシャルがおかしなのと、エフェクターによるセッティングで上手く音を作っているのだ。
マスター版と違い、アレンジが入っている。
最初にレコーディングした時に比べれば、千歳のギターもかなり上達しているからだ。
しかし借り物のギターであっても、すぐに合わせてしまうところが、やはり経験の差と言うべきか。
ベースを演奏することによって、グルーヴ感を出しているのが今の白雪だ。
なので合わせるのは、基本的にはリズム隊。
アレンジが違うので、当然ながらイメージも違う。
何よりもテンポが少し速いところがある。
しかし速すぎるということはなく、ステージから発散する熱量を拡大していく。
忙しいのはシンセサイザーを使っている俊である。
打ち込みがある曲であれば、もちろんそれを変えることは大変に難しい。
途中からテンポを変えるにしても、どこでまたテンポが変わるか分からない。
だが単純なキーボードの演奏なら、ついていかないわけにはいかない。
MNRの音楽の特徴は、とにかくテンポの速さだ。
現在の邦楽というのは、とにかくイントロも短くし、サビも早めに持ってきて、全体の構成をすぐに終わるようにしている。
タイパという言葉は、長い曲を聴くことすら、嫌悪感を抱かせるものなのか。
それはもう演奏においても、切り抜いて使われてしまうものだ。
だからMNRのアプローチは、全体的な曲の長さではなく、演奏のスピードにある。
緩急を上手くつけたりもするが、基本的にギターもドラムも速い。
これによって聴く側を、飽きさせない工夫としているのだ。
ボカロPの道を進めば、おおよそ短い曲を作る、ということの意味が分かってくる。
最初からサビが来たりしないと、今の音楽はすぐに飛ばされてしまう。
その注意を引きつけるのは、やはり疾走感であろう。
現代のタイパを逆手に取ったような、スピードキングの演奏。
ボーカルのメロディライン自体は、そこまで速くなかったりもするのだが。
白雪が完全にリーダーシップを発揮しているというわけではない。
むしろ黒子に徹するような、目立ちすぎない演奏をしている。
それでいて影響はバンド全体に及ぶのだから、ステージを支配する力が強い。
しかもそれが不快ではないのである。
バラードに入っていくと、ギターはむしろ歪ませず、クリーンな音をしっかりと出していく。
アルペジオによって単音が印象付けられ、ボーカルの邪魔をしない。
そういう基本的なところは、さすがに切り替えが早い。
当たり前のように合わせているが、心が前の曲に引っ張られない。
基本ではあるが、ノリに任せて走ってしまうことはある。
それを抑え付けて、むしろ暁の暴走を止めたりもしている。
ステージの上のバランサーだ。
普通ならそれは、リズム隊がやっておくべきことである。
しかし暁のギターが、白雪と共鳴するように、暴走しかかっている。
それを抑えるのが、やはり白雪のギターなのだ。
テレキャスターのギザギザした音で、レスポールのハムバッカーのような、太い音を代用している。
午前中にやったスタジオ練習は、結局のところ練習である。
本番とは完全に、環境が違うのだ。
髪ゴムを外した暁は、それでもまだ熱が体にこもっている。
ギターを置くのがもどかしく、手でTシャツを引き裂いていた。
夏の夕暮れの空気が、そのまま肌に感じられる。
水着のトップスで演奏している時よりも、むしろ視線を集めているのだが、本人にはそんな意識はない。
演奏に集中し、白雪の音を良く聞く。
音の響きがやはり、千歳とは全く違う。
単純な音のぶつかり合いではなく、絡み合うように響いていく。
導かれそうになってしまっても、そこから反発して自分の方に引き戻そうとする。
これは、確かにセッションなのか。
単に合わせるというだけではなく、ステージの上ではオーディエンスとバトルするだけではなく、バンド内でも音の駆け引きやぶつかり合いがある。
そこから普段よりも、ずっと大きな熱量が生まれてくる。
たった一度のステージで、経験することがはるかに多い。
だが同時に、スタミナも大きく奪われていく。
白雪は平然と涼しい顔をしているのだが、それでもうっすらと汗をかいているのは、気温を考えれば当然のこと。
それに本当に、暁の音が全く響いていないというわけでもないのだ。
実際、白雪は驚いている。
暁の師匠は父親で、そしてそのセッションに時々混ぜてもらったとも聞く。
演奏技術は確かに高いのは、普通にライブを見ていれば分かった。
だが同じステージに立つと、さらにその奥深くにあるものが感じられる。
(本気を出しきれていなかったのか)
合わせるということで、ほんのわずかにだが妥協していたのか。
しかし白雪とのほとんどツインリードになっていると、そんな心配をしなくてもいい。
ゴートが考えているのは、こういうものであるのか。
もちろんビジネスとしても、あの男はちゃんと考えてはいるのだろう。
しかしそれだけで満足するほど、殊勝な人間でもない。
彼の考えている企画であれば、事前にしっかりとセッションしていくことが必要になるだろう。
そしてそこから、さらに力を引き出していく。
永劫回帰は現在の、トップランナーと言ってもいいだろう。
だがさらに上を目指していく。そのための企画だ。
もっともそれによって、食われてしまう可能性もあると思うのだが。
ステージは華やかに、そして激しく展開していった。
ノイズの音楽は基本的に、ポップス路線ではある。
ロックの中でもメタルに至る、太い線を辿ってはいるが、なかにはオルタナティブの要素も含まれている。
イントロやソロの部分には、ややパンクやサイケも感じさせるが、基本的には求められる音楽を作っている。
膨大な要素の中から、求められるものをしっかりと出していくのだ。
新しいものや、分かるやつにさえ分かればいい、などという傲慢さはない。
ただ本来ならキャッチーなはずのポップスが、ライブになると強い個性を発してくる。
(丁度よく個性的で、丁度よく大衆的で、丁度よく気持ち悪い)
微妙なバランスを保てるのは、カバーの選曲からも分かる。
随分とマイナーな、それこそ白雪さえも生まれる前の音楽を、アニソンから引っ張り出すというのはどうなのか。
だがそれで成功している。
バラードになると、月子の圧倒的なボーカルが響く。
バンドボーカルではなく、ソロのボーカルとして通用するタイプの声だ。
厚みと透明感、微妙に反するものを備えている。
白雪のボーカルにも少し似たところがあるが、それよりはアメリカのKCなどに近いだろう。
ここに下から、花音が出てくるわけか。
音楽が複雑化する時代かもしれない。
もっともそういうものになると、今度は揺り戻しが来るのが音楽だ。
ハードロックへの回帰というのが、案外起こっては通用していく。
もちろん完全な懐古主義などはなく、より音が洗練されていったり、むしろ他の部分で複雑化したりする。
(昔は作曲まではしても、編曲は任せることが多かったからなあ)
しかしボカロの使用によって、そこまで全てのクリエイターが出来るようにもなってきている。
編曲に定評のある人間の、仕事がなくなっているわけではないが。
バンドというものの存在価値は、やはり相互作用にある。
一人でアイデアを出していた時代とは、もう違うのである。
アメリカなどはこれがさらに極端になり、チーム体制で作曲からアレンジをしていたりする。
売り出すためにかける金が莫大であるため、万一にも失敗してはいけないからだ。
しかし現在の洋楽が、昔ほどには日本で求心力がないのは、そのあたりにもあるのかもしれない。
会議は天才の足を引っ張るもの、とも言われるが集団での制作は、下手をすると無個性になりがちだ。
ヒップホップやR&Bが流行で、ロックの時代ではないとも言える。
だがそれは不正確で、ロックからポップスが生まれているのだ。
魂のことをロックというなら、今もロックは生きている。
特に日本の場合は、バンドブームが定期的に起こるため、そこでやるのはロック調のポップスなのだ。
今はそれに、DAWなどの新しい技術が加わっている。
量産型の気持ちいい音楽だけをするなら、これからはAIが作曲をするかもしれない。
真の創造性の分野では、AIは人間に勝てないと言われていたが、実際のところはその場で経験がものをいう肉体労働などの方に、人間の力は傾いている。
ボカロPの存在というのが、今の日本の音楽には大きい。
様々なリズムパターンや、定番のコード進行などの中から、選び出すセンスが問われる。
その選ぶことは、人生の蓄積された音楽が必要なのかもしれない。
人間の脳は、複雑化したコンピューターで、単純な計算ならコンピューターに勝てない。
だが答えを求めるのではなく、答えを作り出すならば、コンピューターにも勝てる。
アンコールまでしっかりと終わった。
五万人の人間が上げた手によって、大地が波打つように動いて見えた。
本来ならばここで終わりなのだが、急遽入れた曲が一つだけある。
『最後は、ヘルプに入ってくれた白雪に捧げる』
彼女がいたバンドの中でも、初期の作品で代表作である。
『ブレイヴ・ハート』
ギターイントロから始まる、長い期間に渡ってチャートに残っていた曲である。
作曲はバンドメンバー全員で行ったが、作詞はリーダーが作ったものだ。
社会風刺などはなく、純粋に人生に勇気を与える曲。
明るさと強さを感じさせるのだが、本来はこれほどの楽器を必要とはしない。
しかし俊のアレンジは、疾走感と明るさを感じるこの曲に、深みさえ与えてしまうものだ。
この曲に関しては、白雪もテレキャスターは使わない。
当時から愛用していた、ストラトキャスターの出番である。
暁がリードではなくリズムに回るが、完全にリズムを刻むだけではない。
ステージという舞台において、二人のギターが勝負を開始する。
高音と低音を激しく動くギター。
ボーカルの二人がそれぞれ、パートを担当している。
下手をすれば単純に合わせるよりも、これの練習の方が時間がかかった。
だが出来てしまったのだ。
俊はここでは、あまり出番がない。
ギターソロの部分などで、本来はないストリングス系の音を足すのみだ。
とにかくギターソロが長く、ドラムとベースがただ深い低音を刻むが、ストリングス系の音がギターの音を飾る。
ゆらゆらと揺れるだけであった白雪が、ここで激しいムーブを見せる。
長い髪が風になびくように動き、うっすらと目を開いたまま、演奏を続けていく。
人生に寄り添っていく曲だ。
一緒にいたいと願っている曲である。
助け合って生きていくが、依存しあうというわけではない。
一人でも生きていけるけれど、集まれば最強だ。
この世界に音楽を満たせ、とシンプルなメッセージが詰まっている。
この曲を白雪は、どういうつもりで演奏しているのか。
サビの部分では三人でボーカルを担当し、それが見事にハーモニーとなった。
リズム隊がゆっくりとペースを落としていく中、むしろギターだけが加速する。
そして最後の音を残し、余韻が伝わっていく。
大歓声の中で、音楽が終わる。
ギターのネックまで手を動かして、演奏は終わった。
まだいくらでも上がいる。
そう感じさせられたステージであった。
しかも下からは、花音のフラワーフェスタがやってくる。
もっともそれは、単純な敵というものではない。
不思議でもないのだろうが、音楽のシーンが新しくなる時は、強力なバンドが複数現れる。
永劫回帰などは、その最先端であったのかもしれない。
競争によって、よりその力は高められていく。
一人では無理で、一つのバンドだけでも無理で、しかしライバルがいてこそさらに高みを目指すことが出来る。
音楽というのは、響きあうものだ。
その対象は、オーディエンスばかりではない。
影響を与え合うということは、むしろ望ましいことで間違いはない。
ビートルズの時代の前には、プレスリーがいた。
そして彼もまた、単独で存在していたわけではない。
音楽の系譜はつながっていて、楽譜などはクラシックのものと共通する。
民謡にも使える楽譜というのは、とても優秀なものである。
もっともギターなどは、あえてキーを落としたりもするのだが。
テントに戻ってくると、そこにはMNRの他の二人だけではなく、永劫回帰のメンバーが揃っていた。
他のテントにいてもいいのに、わざわざここで待っていたということになる。
「面白いことやってたねえ」
パイプ椅子に逆座りをしているゴートだが、いつも通りの胡散臭い笑みを浮かべている。
「やりたいことは私にも分かったよ」
さすがに汗を浮かべてはいるが、それでも余裕といった表情で、白雪は応対する。
なおノイズメンバーは、武道館で二時間演奏した時よりも、ヘロヘロになっていた。
座ったまま、組んだ腕の上に、顎を乗せるゴート。
白雪は立ったまま、冷たい視線を彼に向ける
「例の件、こちらは進めても構わない。けれどあと一つぐらいは必要になると思うけど」
「GEARを考えてたんだけど、最近はちょっとね」
内部のゴタゴタがあって、パワーを失っていくというのも、バンドあるあるである。
下手に東京にやってきて、足元が浮ついているのか。
ただ他の若手で、ここまでの人気バンドというのは、あまり見ない。
少し年齢が高めであると、いないでもないのだが。
実力に伴って、人気もないといけない。
そのあたりのプロモーションを、果たしてゴートで可能なのか。
「まあ、出来なくても私には関係ないけどね」
「冷たいなあ」
「普通だよ」
ゴートが馴れ馴れしいからというのでもなく、普通に塩対応の白雪。
そのやり取りを見ていても、俊は疲れた頭では、何も考えられなかった。
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