第238話 壁
フォレスト・ロック・フェスタは無事に成功して終わった。
もちろん上の方では色々とあったのかもしれないが、俊たちまでは話は下りてこない。
せいぜい阿部が何かを言われた程度であるかもしれないが、特に落ち込んだりもしていないし、むしろ嬉しい時の難しい顔などをしていた。
なんとなく理由は分からないでもない。
ALEXレコードとサミー・レコードとGDレコード。
日本にはメジャーレコード会社は多いが、この三つは特に大きな五つに含まれている。
年末の東京ドームを抑えた企画。
永劫回帰とMNRと、そしてノイズ。
他にあと一つほど、人気バンドを持ってきて、そして花音を使う。
必要経費はALEXレコードが持ち出して、他のバンドには出演料を払うのか、それとも完全に合同企画とするのか、それは分からない。
だが確かにこれに向けて、水面下で動き出しているのは確かだ。
夏の大きなイベントは、あとは仙台ツアーと八月下旬のROCK THE JAPAN FESTIVALである。
話題性も大きく出来たし、ノイズの周辺環境は整ってきている。
だがそんな中で、問題も発生していた。
俊の作曲のスランプである。
元々俊は小器用に、どんどんと作曲をしていって、そこから使えそうなものを育てていくという感じで曲を作っていた。
だがそれが最初の部分で、すぐに後の展開が読めてしまって、駄作判定をしてしまうのだ。
作曲をする上で、すぐに壁に当たってしまう。
今までにしても完全に、傑作ばかりを作ってきたわけではない。
重要なフレーズなどを少し思いついて、そこから曲を育てていって、最終的にはメンバーの意見も聞いて完成させる。
そのサイクルが序盤で止まってしまうようになったのだ。
以前にもこの経験はある。
月子と出会う以前の俊は、これと似たような感覚を味わっていた。
ただこのスランプのひどいところは、過去に自分が作った曲さえも、ほとんどが駄作に思えてしまうことだ。
「いやいやいや」
ヘッドフォンを装備させて、ノイズの曲だけではなく、過去の多くの名曲を聴かせ続ける。
ビートルズ、ツェッペリン、QUEEN、ディープ・パープル、メタリカ、マイケル・ジャクソンetc……。
ハードロックから始まって、カーペンターズなどのカントリーも入れていく。
さらにはもっと遡って、JBまでやってみたり、ジャズまで聴かせる。
およそ三日間の、拷問としか思えない治療によって、とりあえず一定の成果は出た。
「全部リマスターしたい」
「夏休みが終わってからね」
阿部はそう言ったが、この俊の症状はなんだったのか。
間違いなくフォレスト・ロック・フェスタの影響であるとは思うのだが。
これまでも大きなフェスで演奏したことはあった。
それこそ武道館などは、人数こそフェスには及ばないが、二時間を二日で四回と、濃密な時間を過ごしたはずだ。
あの舞台の熱量が、フェスに劣っていたとは思えない。
もちろん決定的に、他とは違ったものもある。
ノイズメンバーだけではなく、白雪がほんの少し参加したことだ。
ここのところの俊の作曲は、かなり安定して変化をしていた。
駄作もあって、それはすぐに断片で終わらせるというのは、ずっとやってきたことなのだ。
しかし全く新しい曲が出来ず、昔の自分の曲でさえ、満足させるものがない。
実のところ月子には、これにしっかりと見覚えがある。
ノイジーガールを初期のものでは足りず、バンド用に装飾していった過程だ。
もちろんずっと俊は、インプットを続けてきた。
千歳に言ったように、アニメやマンガという媒体は、全く違う経験値となって俊のインプットとなった。
だがあのライブでは、本物の演奏を、そのまま普段より一つ上のレベルでやっていた。
白雪が混じっただけで、別物となってしまったのだ。
彼女の提示したものは、決して本当に優れたものとは限らない。
しかし俊にとっては、新しい何かであったのだ。
楽曲を作るというのは、創造性がそれほど大事なものであろうか。
もちろんアーティストなどと呼ばれるように、芸術性が高いことが求められる。
そこに上手く大衆性を含ませなければ、突き刺さる人にしか刺さらない。
俊が作りたいのは、そういう分かる人にしか分からない音楽ではない。
一般大衆に受けるものであり、なおかつ芸術性にも優れたもの。
そんなものを作るのは、とんでもなく難しいものなのだ。
99%は過去の遺物。
それを再構築するだけで、ほとんどの楽曲は作られる。
まだしもロック黎明の頃であれば、コード進行などがどんどんと生まれていったろう。
ジミヘンはギターの演奏を革命した。
ビートルズはそのスタイルからして、完全に革新的であった。
ノイズの楽曲で一番、そういった革新性のある曲。
それはノイジーガールではなく、月子の作った霹靂の刻であろう。
ただそれさえも今の俊は、アレンジなどを全て作り直したいと思っている。
これは自分の過去の作品に、どんどんと粗が見えてきたからこそと言える。
しかし欠点は見えるのに、それを上回る作品が作れない。
これは創作者にとって地獄である。
俊の苦しみに関して、真に共感出来る人間など、ノイズの中にはいない。
なんだかんだ言いながら、作曲に必要な蓄積が、圧倒的に俊とは違うのだ。
他の人間が身近なもので遊んでいる時、俊は父や母によって一流の遺産を見せられてきた。
今まではそれを使って、上手く曲を組み上げていった。
難しかったのはむしろ、作詞の方であったろうか。
それも蓄積されたものが、しっかりとメッセージとなって語彙を選択していった。
今は作曲の段階で、それが止まってしまっている。
阿部としてはとりあえず、ツアーとフェスを一つずつ終わらせれば、あとは定期的なライブを行って、それでいいと思っている。
そもそも俊の作曲のスペースは、異常なものではあったのだ。
傑作は確かに少ないし、新しい要素があるものも少ない。
だが「そうそう、これでいいんだよ」という曲をちゃんと作ってきたのだ。
それに満足できなくなったということは、俊の戦う創作のステージが、一つ上がったことも示している。
阿部としては不安がないではない。
俊は元々、コンポーザーよりもプロデューサーに向いているのでは、と思っていたのだ。
レコーディングに関しても、貪欲に知識を吸収していっている。
そして舞台の演出も、しっかりプランを考えてきていたのだ。
蓄積されたものを、上手く引き出してプランを立てる。
これは芸術性と言うよりも、職人的なところがないではない。
柔軟ではあるのだが、本質的にはこだわり屋。
そんな俊が基本に戻れば、また作曲にかかる時間が増えるのは当然のこと。
「俺たちも協力していかないといけない」
一番年長の栄二がそう言い出すが、まずは夏を終わらせないといけない。
幸いなことに、オファー自体を受けている、というものはない。
本当ならこのタイミングで、またタイアップなどを仕掛けていきたいのだ。
だがここもまた、基本的には少ない資金で動いている、インディーズのいい部分と言えようか。
事務所の人件費なども、それほどたくさんかかってはいない。
また設備投資なども動いてはいない。
年末のイベントに参加するのなら、それまでに新曲はほしいところだが。
壁にぶち当たっているのだ。
今まではそれを、横に動いて移動距離を稼いでいた。
しかし本格的に、壁を破るか乗り越えないと、道の先が見えてこない。
普通の人間であれば、これは才能の限界と言えるものだ。
だが創作の世界というのは、限界というものが見えにくい。
それでもスポーツなどと同じで、限界は存在する。
ただこれは想像力の問題なので、インプットなりフィーリングなりで、壁を破壊できる人間がいるのだ。
100mを9秒で走れる人間はいない。
だが100mを9秒以内で走る存在は、人間なら簡単にイメージ出来る。
このイメージの重要さが、まさに創作の重要さだ。
そして俊がいくらスランプでも、バンドとしての予定は入っているのだ。
まずは仙台ツアーである。
これは大きめのハコを使うが、正直なところ儲けとしてはとんとんといったところだ。
新規のファンの開拓のために、企画されたものである。
これまでノイズは、東京から西の方にばかり進んでいた。
もっとも関東圏内であれば、北の方にも動いているのだが。
仙台から北には、巨大都市はもう札幌ぐらいしかない。
いずれはそこでも、ノイズはコンサートを行うだろう。
しかし新たなステージに達した場合は、まずバンド内で発生した問題を、解決するのが優先されて当たり前だ。
ノイズはとにかくライブを行うバンドだ。
しかし俊の本来の考えでは、レコーディングを行ってインディーズの販売網で、稼いで行くのがメインである。
今の世の中では、フィジカルのCDは売れないが、それでもそれなりに売ることは出来た。
またカバー版の需要も高まっていそうなのだ。
最初のアニソンカバーのアルバムは、ノイズが有名になるに従って、海賊版が出てしまっている。
そのため今度はアルバムという形で出しても、儲けるのは難しいかもしれない。
通販でさえもそうなのだから、直販で儲けるか。
レンタルの流通には乗せていないのだから、海賊版で儲けようというリスクは高くなる。
サブスクなどで流した方が、結果的にはいいのかもしれない。
だがそれにもタイミングというものがある。
そもそも知名度の低いミュージシャンでは、あまりメリットがないだろう。
DL販売の方が、まだ俊の意図には通じている。
本当はコンセプトアルバムを作りたいのだが、このスランプになったせいで、曲をそろえることが出来なくなっていた。
アニソンカバーを作って、とりあえずの収入にしようか、と考えてはいる。
元になる曲があれば、それを現代風にアレンジするのは、かなり簡単であるからだ。
0から1を生み出すのは、1を100にするよりもはるかに難しい。
流通を限定して売るならば、かなりの儲けにはなると思う。
そもそもアニソンカバーというのは、ある種のコンセプトアルバムではないか。
それは夏が終わってからの話で、それまでに俊のスランプも落ち着いているかもしれない。
本当ならこの夏の間にも、それ以降の準備をする予定ではあった。
しかしそろそろ千歳も、大学受験の準備に入らないといけない。
推薦入試といっても、面接や小論文というものがある。
成績も平均以上を維持しないといけないので、それなりに難しいものなのだ。
だが試験自体は、今年中に行われる。
すると年末は、充分な時間が取れるのだ。
もちろんその時期に、問題行動でも起こせば、入学許可は遠のく。
なお紅白に出たがっているのは月子だが、千歳にも充分なメリットがある。
紅白にいまだに価値を見出しているのは、保守的な人間が多い。
そしてそういった保守的な人間が、面接などをしたりするのだ。
ツアーの準備に関しては、今回は阿部がおおよそを行った。
俊は練習を行うのと、あとはスランプ脱出に努力している。
これはスランプと言うよりは、一つの壁ではあるのだ。
才能の限界、あるいは人間の限界。
だが想像力の世界なら、それを乗り越えるか破壊することが出来る。
バンドの中では大きな問題が起こっているが、信吾は凱旋を楽しみにしている。
仙台からこちらに出てきて、帰郷したのは数えるほど。
場合によっては盆暮れなども帰ることはなかった。
金がなかったからである。
ノイズに加入してよかったことは、やはり金回りの問題であろう。
家賃がほぼいらなくなったとうのが、大きな利点である。
わずかに電気代などは払っているが、これまでに比べたらほんのわずかなもの。
バイトをしなくても生活出来るどころか、ほとんどの時間を練習に割くことも出来る。
チケットノルマもすぐになくなり、どんどんと金が入ってくるようになった。
それでも一般的なサラリーマンより、ちょっといいぐらいであるのか。
インディーズでやって、しかも俊がエンジニアをやっているので、抜かれる金がとても少ない。
CDを実物で売ることが、大きな収入になるなど、昔のバンドではなかったことだ。
ライブハウスで物販として売るにも、アイテムがどんどんと増えていく。
成功するというのはこういうことか、という実感が湧いてくる。
それだけに信吾としても、女性関係はどうすべきか悩むところではあるのだ。
準備をして仙台へと向かう。
設営などはこれまた、業者にしっかりと任せているのだ。
前日にセッティングをして、リハなども行う。
ホテルに宿泊して、また午前中には最終チェック。
メンバーには随分と、余裕がある日程で組まれている。
信吾は実家に帰らなくてもいいのか、と俊は思った。
確かに仙台は実家であるが、家族に会うのはライブが終わってからでいい、というのが信吾の考えである。
以前は高校時代、仙台でバンドを組んでいた。
卒業後もそれを続けていたが、しょせんはお遊びであったのだろう。
東京に出てきてからが、信吾の本当のバンド活動であった。
もっとも最初はメンバーを集めるのにも苦労して、むしろベースが抜けたところへ入っていったものであったが。
アトミック・ハートではベースからギターにコンバートした。
リードギターの割には遊びの少ない、正確なリズムが持ち味であった。
メジャーデビューの直前に、俊たちを見てこれではいけないと思ったのだ。
よくよく見ればアトミック・ハートはビジュアル売りの要素が強い。
これは違うと思って脱退し、アトミック・ハートが確かにメジャーデビューしても、後悔することはなかった。
実際に今のアトミック・ハートはそれほどの人気も出ていない。
ネットによる情報拡散は、新たなバンドをどんどんと発見出来る。
そうなると重要なのは、やはり東京でライブをどれだけやるのかということ。
このあたり俊は、本当にバンドが続くために、経済的な基盤を築いていた。
信吾からしても俊という人間は、不思議な感じに思える。
栄二とも話し合ったことがあるのだ。
俊は自分を天才ではないと言い、確かに天才と言うよりは秀才、という言葉が似合うような人間だ。
だが天才ではないにしろ、常軌を逸した執念を見せるのは、音楽に取り付かれているからであろうか。
結局のところ俊は、音楽の世界に魅了されている。
そして苦しみながらも楽しんで、楽曲を生み出している。
天才とか才能とか、努力できる才能とか、そういうものの正体は集中力であるのだろう。
色々と言い訳を作っては、自分が出来ないことを正当化する。
今の世の中はそういう言い訳が、いくらでも見つかる時代である。
まったくもって甘えた人間に優しい時代で、優しい社会であろう。
だがいくら理由を並べても、結局自分がなりたい自分には、自分の力でなるしかない。
それが嫌なら結局は、やるしかないというのが正確なところだ。
俊としては自分の才能のなさに、絶望したことは二度ほどある。
しかしそれでも、音楽からは逃げなかったし、逃げられなかった。
人格の根本を築き上げているのに、音楽があるからである。
このスランプというか、今までの自分の作品が、全て陳腐に見える現象。
ただしそれだけ、より新しいものを求めている。
視点がまた変わったため、新しい道が見えそうで見えない。
作曲の序盤から、あるいはサビから作ろうと思っても、上手くつながっていかないのだ。
楽器を演奏する技術は、それほど優れているわけではない。
歌も歌えないし、シンセサイザーを使うのも完璧にはほど遠い。
だがそれでも俊は、まだ遠くに光を見ている。
それに今は、仲間がいる。
ただのバンドメンバーというわけではない、仲間と呼べる存在だ。
俊はその仲間の期待に応えるために、日夜苦労している。
だが苦労しているのは俊だけではなく、色々なアイデアをメンバーは出してくれる。
かつては作曲を、自分で全てやっていた。
しかしそれだけでは無理なのだと感じたのは、月子との出会いからであった。
ノイズが結成されてからは、とにかく作曲のスピードは上がっていた。
表面的な技術を上手く使って、いくらでも作曲が出来ると思っていたのだ。
これは、確かに壁である。
壊せるのか、乗り越えられるのかも分からない。
だがここを突破してしまえば、また新しい道があるだろうと、それは確信している。
自分の才能など信じないが、ノイズの可能性は信じている。
俊が絶望しなくて済むのは、ノイズという集団の中で、孤独を感じていないからであろう。
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