第369話 ディーヴァの帰還
話題性というのはスターには必要なものである。
月子はスターではなくムーンであるが。
地球の規模から見れば、より目立つ存在であるのだろう。
ノイズというその時点でトップのバンドの活動休止は、確かに色々な憶測を生んだ。
中でも信吾と栄二は、時折日本に帰って来ては、ヘルプに入ってもいたので。
この二人は二人で、かなりドライな考えを持っている。
月子が無事に完治すれば、もちろんそれに越したことはない。
だがもしもそうでなかったら、というのを特に家庭持ちの栄二は、しっかりと考えているのだ。
信吾にしてもノイズが解散するのは、月子か俊のどちらかが欠ければ自然なこと、と思っている。
自分が生きていくためには、コネクションを強くしておかなければいけない。
ノイズがなくなっても、生きていけそうなのはまず俊である。
コンポーザーとしての力以外にも、アレンジ、そしてプロデューサーの能力を持っている。
千歳も俊の弟子のように、色々とやることをやっている。
最近では自分で、作曲も始めているのだ。
俊からの駄目出しが多かったり、半分以上を変更されて採用されたりしているが。
暁は暁である。
ノイズがなくなれば、もう大きなステージで弾くことはないのではないか。
だからといって我を殺すバックミュージシャンとしても、暁は演奏しにくいだろう。
だが逆に、ギターを弾かなくなる姿も想像できない。
「月子の病気のことは別にしても、ずっと続くバンドなんてそうはない」
栄二の言葉には信吾も頷く。
「むしろ成功して、ここまで続いている方が珍しい」
「それは俊の最初の方針が成功だったな」
アーティストと言うよりはビジネスマン。
その言い方に悪意があると思うなら、プロモーターかプロデューサーだ。
俊でなくても優秀なプロデューサーが、五人を率いて成功させることが出来たであろうか。
それもちょっと違うだろうな、とこの二人は思っている。
「俺ならあの時、千歳を入れるなんて出来なかっただろうしな」
「それは俺も出来ない」
二人はこうやって、過去を振り返りながらも、フェスの設営がされていくのを見ている。
今回のフェスはノイズのメンバーは、出来るだけ一日目から見ていこうという話になっている。
そういう時に問題になるのが、子供の面倒は誰が見るのか、ということである。
昔はそんなことは考えず、全力で音楽だけに向かっていた。
栄二にしても昔は、そうであったのだ。
一度は表舞台に立つことを、諦めたからこそ見えるもの。
信吾はまだ若いんだな、と栄二は感じている。
信吾の生き方は、実は一番ロックスターっぽい。
地方から出てきて、女のヒモのように生きて、それでスターダムにのし上がる。
結局彼を支えていた女性たちは、自分だけを見てくれる男性と、くっついていった。
信吾は今はファンを食うことはなく、業界人同士で刹那的な関係を結んでいるという。
アメリカでも英語を達者にするため、あちらの女性ともよく話していた。
女性陣は呆れたものであるが、あまりに女性関係が多いと、そのうち刺されるかもしれない。
「お医者さんと違って、縫ってくれないんだからね」
月子はそんなブラックジョークを言ったものだ。
今年最後のフェスが始まる。
だがノイズにとっては、今年最初のフェスでもある。
大舞台は本当に久しぶりで、この間のライブ一回で、調整が出来ているのかは分からない。
セッティングとリハは、まず開催の前日に一度やる。
そしてタイムテーブルの入っていない午前中に、直前のセッティングとリハをやるのだ。
前の組との間には、それなりの空白時間がある。
ここで最後のセッティングの調整を行う。
微調整して演奏の準備へ。
かつてと同じような、フェスの流れである。
やっと帰ってきたんだな、とメンバーの全員が思い出す。
ライブで楽しめなければ、やはり音楽とは言えない。
もちろんクオリティの高い音源を、作るというのも一つの喜びではあるが。
他のステージを見ていても、盛り上がっているのが分かる。
音楽の中でもポピュラー音楽というのは、共鳴するものがあるのだ。
ミュージシャンとオーディエンスの間に、共有するべき熱が発生する。
それによってパフォーマンスは、普段よりも激しく大きなものになるのだ。
既にステージの前には、数万の観衆が集まっている。
月子の病気については、かなりの話題になったものだ。
闘病からの復活という、ありふれたシナリオ。
だが分かりやすいがゆえに、共感もしやすいのだ。
この一年の中で、ノイズはネットでの配信のみの存在であった。
先日の復活ライブは、ほんの300人規模のハコ。
しかしこの年末のフェスには、10万人ものオーディエンスが集まる。
実質的にはこれが、復活ののろしである。
月子が一番に心配であったが、暁も妊娠と出産で、かなり体力が落ちていたはずだ。
しかしその後の育児までしながら、しっかりとライブの出来る状態にまで戻してきている。
物心つく前から、ギターを弾いていた暁。
パワーが不充分であるなら、それなりの演奏をすることが出来る。
それにアメリカでは妊娠中でも、練習は散々にしていたものだ。
そして帰国してからは、子供の世話をしながらでも、毎日八時間はギターを弾いている。
普通にサラリーマンでも、八時間は働いている。
だからミュージシャンでも、八時間ぐらいは練習して当たり前。
元々高校を卒業してからは、バイトの休みの日などは、それぐらい演奏していたのだ。
あとは張り切りすぎて、体力を使い切ってしまうのが心配だ。
他にも心配は、ないではないが。
暁は今、ノってきてもTシャツを脱ぐパフォーマンスはしていない。
なぜならカップがさらに大きくなって、こぼれやすくなっているからだ。
一応はTシャツの下にビスチェを装着はしている。
なので脱いでしまっても、ポロリはないはずなのだが。
いよいよ準備は完了する。
一年以上の時間を超えて、やっとまたここに戻ってきた。
ステージが明るくなり、千歳が叫ぶ。
『みんな~! 久しぶり~!』
そんな簡単に言ってしまって、いいことでもないと思うのだが。
『もう皆、色々なことがあったって知ってるとは思うけど、あたしたちには本当に、この一年以上の間で色々なことがあったんだ』
もちろん主に月子のことだが。
『それでさ、結局思うのは、今をどう生きるのが大切か、っていうこと』
ただし短絡的に、今日だけを見て生きるということでもない。
『未来を見てもいいんだ。10年後を目標にしてもいい。でも重要なのは、その10年後のためにでも、今を必死で生きるということ』
それが本当の意味での、今を生きるということだ。
ここでMCは月子に代わる。
滅多に自分の言葉では話さないが、別に月子は話すのには何も支障がない。
『わたしは今回本当に、自分の死について意識しました。そして今も本当に完治したのか、不安でたまりません』
夜中に何度も目が覚める、という経験をしている。
しかしその都度、ベビーベッドの和音を見て、安心もするのだ。
『もう一年しか生きられないとしたら、どう生きていくのか』
これは本当に月子が、何度も考えたことだ。
『けれど事故で突然に、予兆もなく死んでしまうことに比べれば、精一杯生きようと考えられるだけマシだと思う』
そう、事故によって、月子の両親は失われた。
人の死の原因というのは、病気や事故だけではない。
若い世代では自殺が増えているというのは、本当に危険な兆候だろう。
『死にたいという人間の、その意思を止めようとはわたしは思わない』
死ぬことが出来るのならば、それも好きにすればいいのだ。
『けれど絶望している人は、自分がどうして絶望しているのか、それに向き合うことも考えてほしい』
それを死ぬほど考えた上で、自殺を選択する人間もいるのだろう。
『せめて死ぬ前に、一度ぐらいはわたしたちの音楽を聴いてほしい』
他者の人生を左右する。
それぐらいの力が、ノイズの楽曲にはあるのだ。
勇気を与えてくれたとか、自分に共感してくれるようだとか、色々と言われることはある。
男女のラブソングは少ないが、生きていく上で大切なことを、ノイズの音楽は求めているのだ。
誰もがいつかは必ず死ぬのである。
それは絶望ではなく、安心であると思えばいい。
いくら絶望したとしても、死によって解放されるのだから。
だから死後のことを語るような宗教は、全て敵だと俊などは考える。
死後の世界を創造することで、人間の精神を保つというのは、一つの手段である。
だが俊は現実主義者で、一生の中で何をするかが、人間にとって重要なことだと思っている。
その中には食欲と性欲があって、子孫を残していくのも重要なことのはずだ。
俊はずっとそんなことは考えず、自分の音楽を社会に刻み付けることだけを考えていた。
それが今では二人の子供の父親となっている。
月子がどう考えていようと、俊は和音の父親でもあるという意識が強い。
特に娘であっただけに、向ける感情はちょっと長男の時とは違う。
息子の成長を見ることで、自分の人生を追体験する。
それが今の俊の人生である。
この記憶の遡行によって、新しい曲や歌詞を作ることが出来た。
そして娘を持ったというのは、また違った可能性を感じる。
やがてはどういう道を行くのか、それも分からないことではあるのだが。
今は、やることは一つだけ。
このステージで全力で、演奏するのだ。
『行くよ~!』
そして最初の曲は、やはりノイジーガールであった。
ただしこれはもう、何度もバージョンを変えたものだ。
どんどん変化していくノイズに従い、過去の曲もアレンジされていく。
そして曲のパワーは、どんどんと強くなっていくのだ。
激しいギターリフから始まり、イントロを駆け抜ける。
月子と千歳の歌が、最初からハーモニーとなる変化。
千歳のギターも上手くなったもので、そうなると暁はさらに複雑な演奏をすることが出来るようになる。
今日のセットリストは、一時間で終わらせるものである。
もっともアンコールがかかることは、当然ながら予想しているが。
後ろの組に迷惑がかからないよう、色々と考えてはいる。
しかしフェスというのは、予定外のことが起こるものだ。
その中でタイムテーブルを守るというのが、スタッフの力量である。
もちろん演奏するミュージシャンは、それに敬意を抱かなければいけない。
激しい曲から始まって、今度は霹靂の刻となる。
これもまた激しい曲だが、イメージは全く違うものだ。
ドレスアップした月子であるが、三味線はしっかりと持っている。
そして高く透明であるのに、分厚い声で音圧を加えていく。
オーディエンスを圧倒するのだ。
そんな演奏をしていると、むしろあちらからも激しい反応が返ってくる。
三曲目あたりからは、新曲も混ぜていく。
タイトルは愛の遺伝子。
バラードに近い歌い方になるが、演奏自体はそれなりに早いテンポ。
ドラムのリズムもギターの旋律も、とにかく強いものになる。
人は遺伝子の入れ物だ、という考えがある。
人間という存在のその先に、いったいどういう未来があるのか。
他の動物が全て、生存や進化を目的とするのとは、違うように存在するのが人間である。
歴史を持つことが出来る人間。
記録を残すことが出来るのが人間。
太陽の寿命を計算し、宇宙の寿命さえ計算してしまう。
その中で人間という存在は、何を残していくのか。
愛というものはなんであるのか。
誰もが最初は、そういったものを感じたことがあるのではないか。
ただ世界には、愛をもって生まれたわけではない存在もいる。
そして命が、とても安い場所が存在する。
そんな人間であっても、誰かを愛することは出来るだろう。
そういった感情を持てるのが、人間だけなのだ。
動物の母体は確かに、子供を守ろうとする。
しかしどちらもが死にそうになれば、普通に子供を見捨てたりする。
次の個体を作ればいい、という考えになるからだ。
おおよその人は愛されて生まれてきた。
そうではなく生まれた者も、生きていく上では愛情を受けたであろう。
それを感じ取れないとしたら、それこそが不幸なのである。
人間の遺伝子は、誰かを愛するために存在する。
過去に遡っていったらどうだろう。
愛などという言葉は、実はそれほど古い言葉ではない。
キリスト教が日本で布教をした時などは、愛というのは男女間の情愛が主な使われ方であったという。
そういう時に宣教師は、デウスのお大切、という言葉を使ったらしい。
神は貴方を大切にしています。
誰からも愛されない人間にも、神は愛を注いでくれるのだという。
聖書を読んだ俊としては、鼻で笑ってしまったものだが。
ロックは反戦、反体制という時代があった。
パンクやメタルの領域を進めると、アンチキリストの領域にまで達したりする。
日本の場合は別に意識しなくても、普通にキリスト教には懐疑的である。
ラスボスを神にすることに、全く抵抗がないのが日本人。
このあたりの文化的な差が、今でも色々と軋轢を生むのだが。
ノイズも愛を歌うのだ。
だがそれはいわゆる、ラブソングというものとは違う。
人類愛だとか、そういうものでもない。
博愛に近いことはあるが、それよりは友愛であろうか。
誰からも愛されないと思っていても、それを見つめる誰かがいる。
その愛が届くことはないのかもしれないが。
月子は娘を得た。
自分の子供が、どうやって育っていくのか。
ずっとそれを見たいと、生きていくことに執着している。
長い間自分の人生が、なんのためにあるのか分からなかった。
もちろん生き残った自分は両親のために、自殺などしてはいけないと思っていたが。
月子の鈍さと、強い心。
それが今は母親として、強い愛を娘に注いでいる。
俊のことは確かに好きだった。
だが暁とくっついても、素直に祝福できるような愛であった。
自分をここまで連れてきてくれた、それが俊という存在である。
同時に俊も月子のことを、特別だとは感じているのは分かっていた。
酒の過ちにしてしまえば、自分との未来もあったのかもしれない。
しかしその場合は、闘病はより苦しいものとなった可能性もある。
月子にとって家族というのは、叔母と娘以外にもいる。
ノイズの存在は月子にとって、擬似家族のようなものだ。
だから栄二の娘に会っても、お年玉をあげたりする。
愛するという感情は、もっと素直に誰かに伝えていくものだ。
周囲に優しくすれば、周囲からも優しさが返ってくる。
こんな業界であっても、月子はそれを忘れない。
地下アイドルの時代などは、客の顔を憶えることも出来なくて、とても悪いことをしたなと思っているが。
今はステージの上で、全力で演奏し、そして歌う。
自分の歌を届けることで、誰かの力になればいい。
ライブで歌うということは、ただ声を発するというものではない。
その声の中に、自分という存在の全てを、丸ごと込めて歌うのだ。
ここに自分がいる。
ノイズのルナという名前で歌う、一人のボーカルである。
シンガーと言ってもいいが、あくまでもバンドの中の存在なのだ。
自分のために俊が曲を作ってくれて、そういった曲がいくつにも増えていく。
これを歌っていくことで、月子は太い人生を生きることとなった。
今は死というものをはっきりと意識している。
だがそれを意識することで、逆に生きていることへの感謝も生まれるのだ。
この生きているという思いを、歌に含んで発散する。
生きる力を、多くの人に伝えたい。
そういう感情こそが、オーディエンスに伝わって、共感されて熱量となる。
人間は生きていると、熱を発する存在だ。
それが失われた時、人は死んでしまうのだ。
月子の歌は、今日は今までにもましてキレている。
感情がこれまでよりも、さらに強く出てきているのだ。
そしてそれに反応するオーディエンスも、このライブだけでノックアウトされそうなぐらい、盛り上がっている。
ノイズは復活した。
ディーヴァは帰還した。
それがいつまで続くのか、もちろんそれは分からない。
ただ月子が、さすがに27歳の壁を破るであろうこと。
それだけは信じたい、ノイズのメンバーたちであった。
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