第370話 輝く月
月子のボーカルに凄みが出てきた。
元々歌唱力は高く、その声質も珍しいものであったのだが、フェスでのパフォーマンスはサブボーカルの千歳から見ても圧巻のものだった。
誰もがいつかは死ぬことを、人間はもちろん知っている。
だが自分自身の命を意識すると、果たしてどれだけのことが出来るかと、本気で考えるようになってくる。
死に近づいたことで、命の持つ力を感じる。
逆説的だが、月子はそれを体現した。
両親の死に祖母の死に加え、月子は祖母の知り合いなどの葬儀に、共に出ることが多かった。
田舎過ぎる田舎ではないが、それなりに近所づきあいが密接であったため、葬式の手伝いをしたものだ。
葬儀場ではなく、自宅での葬式をするのが、地方の当たり前。
もっともそれも、出来る手順を知る人間が、普通にいなくなってはいる。
ただ一般的には、普通に年寄りが死んでいったものだ。
自分の死を現実的に感じたわけではない。
ノイズの面々は、無宗教なわけではないが、無神論的なところがある。
俊が徹底的な現実主義者で、死後の世界など信じていないからだ。
洋楽の影響は大きく受けているが、キリスト教を馬鹿にするという一点でのみは、パンクも認めるといった具合。
日本人らしいところは、普通に仏教や神道の価値観は受け継いでいるということ。
ただ欧米での活躍が長い母の影響で、キリスト教の祭典などに関しては、お祭り騒ぎとして受け止めているところはある。
そういった面では信吾や栄二も、無神論に近い。
無神論ではないにしろ、神の善性などを全く信じていなのは、月子や千歳も同じである。
少なくとも現世利益は、全く信じてなどいない。
これは自分の人生において、両親を事故で失っていることが大きいだろう。
また葬儀後の集まった親戚の席で、醜い押し付け合いを見たからというのもある。
暁は実母がカトリックなので、普通にカードを送りあったりはしている。
これをやらないと非常識だというのが、欧米での習慣であるそうだ。
そんなノイズの面々であるが、俊は同時に哲学や倫理学は、それなりに本を読んでいる。
その中で一番、宗教としても納得出来るのが、小乗仏教である。
自力救済により悟りを得て、輪廻の輪から抜け出すということ。
死んでしまえば同じことだ、と完全に開き直っている。
どんな偉大な人間でも、いずれは死んでしまうもの。
だからこそ死ぬまでに何をするかで、人間の価値は決まっていくものである。
ただ救いがあるのは、どんな偉大な人間でも、死だけは共通して訪れる、ということだ。
宗教観というのは案外、結婚後の生活において、明らかになって問題になったりする。
その点ではノイズの人間は、誰もが日本人らしい無宗教であった。
だがなんとなく、死んでもそのあたりに拡散するような。
俊としては明確に、世界に響く音の中に、自分が残っていると考える。
だから往年の音楽家は、音源が残っている人間はもちろん、楽譜が残っている音楽家も、本当の意味では死んでいない。
月子などは本当に、死んでもまだ生きている、という状態を作るためにMOONを作ったように見える。
もちろん作った時はこんな、恐ろしい事態は考えていなかったが。
SNOWとMOONは共に、声質の特別な二人のもの。
もっとも月子の場合は特に、本人でさえ出ない高音が、しっかりとカバーされる。
打ち込みのコーラスで使うには、本当に便利なものであった。
だからこそ話に乗った、というのも事実である。
年末のフェスが終わって、新年が始まる。
この時期に月子は、後回しにしていた子宮筋腫の手術を行う。
一応は子宮は温存出来そうだが、手術中に何かあれば、摘出すらありうる。
可能性としては低いが、と医師からはそう説明されているのだ。
もっともこの病院の外科医は、世界的に見ても相当に腕は立つのだ。
あっさりと成功して、あとはまた体力が戻るのを待つ。
出来れば春休みの期間中に、また大き目のところでライブをしておきたい。
そしてゴールデンウィークのフェスには、また出場するのだ。
この一年ほどの間に、三度も手術を行っている。
大腸に肝臓に子宮と、よくもここまでの手術をしたものだ。
人間の体というのは、出来るだけ手術はしない方がいい。
すればするだけ癒着して、他の病気を併発しやすくなる。
だが腕のいい外科医であれば、そのリスクも最小限にしてくれる。
有名な医者の手によって、問題なく手術は成功した。
三年ほども待ってみて、癌の再発もなければ、自分で子供を産むことも可能になるだろう。
そうは言われたものの、相手がいなければその心配もない。
既に生まれた娘がいれば、他にまた産みたいとも思わない。
パートナーとなってくれる男性がいれば、また別の話だが。
月子が俊に抱いている、戦友との絆。
愛情と言うよりは友情に近いかもしれないが、これを上回る関係はそうそうないだろう。
信吾や栄二といった仲間も、家族同然に感じている。
一緒に住んだ数年間で、それだけの関係を築いている。
そして今はまた俊の家で、一緒に子供を育てているのだ。
戸籍の上では赤の他人である。
遺伝子的には異母の兄妹。
そして生活においては、本当の兄妹にしか思われない。
なにせ母がおっぱいをあげているのだから、兄もそれを妹と認識している。
「なんだかおっぱい期が戻ってきてるみたいなんだけど」
「下に弟妹が出来ると、上の子はそうやって甘えてくるらしいな」
ここで逆に月子が、響の相手をしたりする。
もっとも退院したばかりで、まだ調子も完全ではないのだが。
響に対して和音のことは、どう説明するべきか。
事実としては兄と妹であることは間違いない。
ただ社会的な関係としては、他人なのである。
自分の母から生まれたのに、他人であるという意味が分からないだろう。
だからしばらくの間は、普通に妹として接してもらう。
月子がこの家を出ることになれば、養子として月子に渡す、という扱いにするだろうか。
そして詳しい話をするのは、反抗期が終わってからにしようという話になっている。
俊も暁も、そして月子も一人っ子だ。
暁は正確には、弟が三人もいるのだが。
俊としても異母の姉と弟がいる。
しかしそれらの姉や弟たちとは、一緒に生活したこともない。
ただ暁の場合は普通に親戚として、実家のマンションに帰ることはある。
俊も仕事の上で、彩や涼と顔を合わせることはある。
普通の生活の中から、音楽が生まれていく。
俊は自分の子供の頃、どういうものであったかを思い出す。
父はあまり帰ってこなかったが、長期で休みを取れた時などは、俊を甘やかすことが多かった。
だから画面の向こうの父を、素直に尊敬していたものだ。
離婚後は母と暮らしたが、正直なところ不満はあった。
ただそれまでは放置気味であったが、するべきことはしてくれていた。
俊の意思を聞いて、それに対するアドバイスなどもしてくれた。
あまり母である、という意識はやはりなかったが。
俊は子育てが下手とかではなく、単純に経験がないのだ。
小さな子供と接するというのも、あまり機会が多くなかった。
彩とは姉と知らされず、それなりに会っていた子供時代もある。
しかし涼とは完全に、没交渉のまま父親が離婚している。
自分がどう育ってきたか、というのを追体験している。
そういう意味では月子や暁は、母親役としてはともかく、純粋に子育ての面では、悪くない人選となっている。
月子は案外厳しい側面があるし、暁は自分のペースで子育てをする。
子供が生まれてから数回、さすがに母も帰ってくることがあったが、子供の扱いに慣れたところは見せなかった。
それでも孫というのは、嬉しい存在であるらしかったが。
自我が確立し始める段階になっている。
そのタイミングで妹が生まれて、不思議そうにそれを見つめる。
情操教育においては、一人っ子というのはクセがつきやすいとも言われる。
兄弟がいることで、身近の子供との接し方を自然と学ぶそうだ。
もっともこのあたりのことは、色々と違う意見もあるだろう。
人格の形成を、子供を通して見る。
人間が本当の意味で大人になるのは、子供に大人として接する必要が生まれるからであろう。
男は心の中に、いつまでも少年を抱いている、などというのは大人になりきれていないから。
確かに子供に接するのは、母親の方が多いのであろうが。
子供を持てば母親は、現実的にならざるをえない。
もっとも俊と暁の関係で言えば、俊は暁よりもずっと堅実で、保守的なところはある。
暁は響との関係も、親子と言うよりは友人のように接している。
それでいながら叱るところは、しっかりと叱っているようだが。
俊も全く躾をしないわけではないが、あくまでも合理的に理論的に話してしまう。
もっと感情的になった方がいいのかも、と思わなくもないが。
自分はシッターや家政婦に育てられた部分が多いため、本当の親として育てる方法が分からない。
その点では暁や月子は、叱られる時はしっかりと叱られていたそうだが。
恵まれているといっても、親の愛情をあまり受けていない俊。
ただ環境はしっかりと整えてもらっていたので、不幸であるとは思ったことはない。
父よりはずっと、岡町などの方が、父親らしく接してくれているところはある。
特に離婚してからは、音楽の師匠ともなってくれた。
父とは普通に会えると思っていたのだが、あちらはあちらで離婚後、色々と騒動を起こしていたため、心配してくれたのだ。
自分をもう一度育てるという感覚。
それによって俊は、作詞から先に楽曲を作ったりしている。
前に前にと進んでいたが、振り返ればそこにもまだ、見つめるべきものがあったのだと分かる。
基礎からやり直すことは、何も悪いことではない。
ノイジーガールが何度もリマスターされるのは、そういった意味からも正常なことだ。
月子の体力が回復し、練習もしっかりと出来るようになる。
またノイズのメンバーが、俊の家に戻ってきた。
育児経験のある栄二などは、響と遊んでくれたりもする。
また信吾も生まれたばかりの和音を、珍しそうに覗き込む。
「ひーちゃんもこんなだったんだよなあ」
響のことを身内は、そう呼ぶことが多い。
ただ俊は一番、響とそのまましっかり名前で呼んでいる。
子供の扱いが苦手ということは、大人に対するように接するということでもある。
逆にこういう対応も、子供にとっては嬉しかったりする。
子供というのは本質的に、自分中心に考える。
それが当たり前のことであり、それは当然矯正していかなければいけないことだ。
俊としてはその矯正が、また面倒とも思ってしまうのだが。
月子の体調を見て、本格的な活動再開となる。
春休みにも一応、ライブハウスでワンマンライブはしてみた。
二時間のライブというのは、かなり厳しいものである。
凄みを増した月子と言っても、実際の体力はダウンしている。
ミュージシャンというのは真面目にライブをやれば、一気に体重が減ってしまうものなのだ。
五月のフェスにまた、トリに近いところで演奏をするように組まれる。
そこからは都内のライブハウスで、月に一度ずつはやっていく。
そして夏はフェスもあるが、大きなハコでのコンサートもやる。
問題は全国ツアーをするかどうかだ。
かつては全国ツアーというのも、認知度を上げるためにやっていた。
しかし今ではほんの少し前に比べても、ネットでの動きが大きく注目される。
この勢いはもう、止まらないのではなかろうか。
そうとも思うし、違うとも思う。
だがライブ自体は必要だ、と思っているのも確かだ。
一番重要なのは、月子に無理をさせないこと。
子供たちの世話についても、月子はあまり離れたがらない。
自分で産んだわけでもないのに、しっかりと母親としての自覚があるらしい。
対する暁の方は、興味深いとは思っていても、変に可愛がりすぎたりはしない。
もっとも愛情自体は感じているらしいが。
まだまだおっぱいが必要な時期なので、暁は赤ん坊と一緒に寝ている。
響はまだおねしょをするような年齢であるが、それは仕方のないことだ。
俊だって物心がついてからも、おねしょをしていた記憶がある。
寝る前にトイレに行けばいいだけだと、なぜ昔は気付かなかったのか。
それに誰も、トイレに行くようには言っていなかったと思う。
こんな環境の中で、予定は組まれていく。
やはりゴールデンウィークが終わってから、主要都市でライブはしたい。
100万以上の人口がある都市は、日本でも本当に限られている。
だがファンクラブのメンバーの住所などから、どこでやれば効果的かを、ちゃんと考えて行うのだ。
たとえば関西は、大阪でやれば京都や兵庫は、ほぼフォロー出来るであろう。
交通の問題で、かなり金もかかるかもしれないが。
分かりにくいのが四国の扱いである。
九州は福岡でやれば、おおよそフォローは出来る。
だが四国は交通事情を考えても、高知県が陸の孤島などと呼ばれていたりする。
しかし愛媛などもそそこの人口はいても、これまた他の地区からは遠かったりする。
ただ高知は冬場であっても、そこまで寒くはならないとかどうとか、そんな説明はされた。
あまり意味がない。
北信越地方では、どういう戦略を取るべきか。
人口の多いところならば、新潟が比較的、100万人に近い。
そこまでの交通網もそれなりに整備されているのは、田中角栄の地元であったからだ、という話もある。
日本列島改造計画などがあったので、あながち間違いではないのだろう。
中部地方は名古屋で行うか。
東北地方はやはり、仙台が一番大きい。
ただその東北でも、月子は一度青森に行ってみたいと言っている。
なんだかんだ言いながら、津軽三味線の故郷とも言える、青森でのライブ。
津軽でやるのはノイズにとって、自然なことだとも思うのだ。
夏場はフェスにも参加して、あとはアリーナを抑えるといったところか。
海外のフェスに参加するのは、今はまだやめておく。
子供たちの世話もあるが、何かが起こった時に対応しにくい。
月子の体調が万全になるには、一年ぐらいは見ておいた方がいいだろう。
どうせ音源は配信されるのだし、そこでは悪いことも起こらない。
月子の病気に関しては、普通に海外でも報じられている。
それなりにいるノイズのファンは、やっと安心できたといったところだろうか。
またアメリカツアーをという声もあるが、それはさすがに難しい。
海外にいること自体が、心身ともにストレスにはなるのだ。
月子も本来なら、牧歌的な人間なのだ。
予定の中で一番大きなものは、やはり八月に行うアリーナ公演である。
去年の時点から既に、イベント屋と組んで押さえてはいたのだ。
もっとも月子の容態次第では、他のミュージシャンに譲ることもあっただろう。
かつて彩が、武道館をノイズに譲ったように。
その武道館はどうなのか、とも言われる。
実際にアリーナと比べても、武道館のネームバリューは大きい。
ただ音響などに加えて、設備にかける金も一筋縄ではいかない。
やはり最初から専門の設備となっている、アリーナなどがいいのだ。
ドームで公演をしないか、という話は前からあった。
東京ドームを中心に、四大ドームでの公演である。
ただこれは確かに話題にはなるし、その話題は大きな財産だ。
しかし東京ドームの別格なレンタル料に加えて、そこを除いても他のドームを埋められるかという問題はある。
一万人規模のハコであれば、おそらく今でも大丈夫なのだが。
音楽をやる場所というのは、昔と比べると色々と増えている。
野天型の会場を用意するというのも、一つの手段ではあるだろう。
ただ野天型は天候に左右されることがあるし、どうしても音響の問題が出てくる。
するとやはりアリーナ、というのが安心できるところなのだ。
単純に演奏を出来るところと言うなら、各地にある野球場かサッカースタジアムが、どれも数万は集められる場所だ。
これがもっと天候の分かりやすい国なら、選択肢としても悪くはないだろう。
だがもしも天候で中止などになれば、その損害が大きなものになる。
そういったことに加えて、一応保険などには入って行うものなのだが。
秋になって、そして冬になる。
また同じように、一年が過ぎていく。
ただその一年というのが、確実にもたらされるものとは限らない。
月子の病気というのは、ノイズのメンバー全員に、その恐ろしさを教えてくれた。
暁の代わりは、紫苑がやってくれた。
千歳のパートを白雪が弾いたこともある。
だが月子の声の特徴は、他の誰にもカバー出来るものではない。
あえて近いのは、白雪や花音なのであろうが。
これからの時間は、無駄には過ごしたくない。
本当ならばまだまだ、インプットに時間を使える年齢なのだが。
アメリカでも言われたのは、おそらく50歳ぐらいまでに、色々な臓器が癌化しやすいということ。
それを根本的に治療する方法は、まだ見つかっていない。
月子に残された時間で、果たしてどれぐらいのことが出来るのか。
自分のこと以上に、俊はその時間を意識していた。
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