第371話 春の後に

 年末のフェスから手術を終えて、体力の回復を待つ。

 するとすぐにもう、春がやってくる。

 ノイズというのはその認知度が高くなっても、相変わらずライブハウスで演奏を行う。

 戦略的に必ず採算が取れるから、という理由もないではないが、それ以上にライブハウスの空気が好きなのだろう。

 プレミア感の演出も、簡単に作れるという理由もあるが。

 ノイズのライブは若者も多いが、今どきのライブハウスは、かなりのおっさんなどもいる。

 若者はもっと、クラブなどに集まったりするらしい。

 そもそも若者があまり、外に出なくなっているのかもしれないが。


 200人規模のハコで、ワンマンライブを行う。

 月子の体力が回復しているか、それが重要になってくる。

 スタジオリハでは何度も繰り返し、セットリストをこなしてきた。

 だがライブというのは練習した以上の力が出て、そしてそれだけ体力も使ってしまうのだ。

 ステージでの熱量は、魂を削っていくのかもしれない。

 しかし命の燃焼はむしろ、病魔を体の中から焼き尽くしてくれるのかもしれない。


 医学の分野では信じられないことが、時折起こるものだ。

 余命三ヶ月と言われていた人間が、一年以上も生きたりする。

 絶望的な状況から、回復する人間もいたりする。

 月子の持つ魂の力が、肉体にどれだけ作用するのか。

 より深みを増したその歌声を、少しでも多く届けなければいけない。


 レコーディングにおいても声に力が戻っている。

 いや、前よりもさらに強くなっているであろう。 

 これに千歳の声をサブで被せていっても、押し負けそうになる。

 命の危機からの帰還、また死への恐怖といったものが、月子を切実に強くさせたのか。

 ただ置いていかれそうにならない、千歳の努力も凄まじい。

 元々千歳の声というのは、バンドボーカルに合ったものなのである。


 声質では敵わない。

 だから情動で勝負する。

 別に不幸であったからとか、命の危険があったからとか、そういう理由で人は強くはならないと思う。

 それを糧に出来るかどうか、それは個人の才能次第なのだろう。

 月子はそれを、自分の力として得ることが出来た。

 ただいまだにずっと、再発の可能性に怯えてはいる。


 いつ死ぬのか分からない。

 和音がもっと大きくなるまで生きていたい。

 人の顔も記憶出来ない月子は、恋愛をすることなどは諦めている。

 だが自分の子供の顔は、はっきりと分かるのだ。

 このかけがえのない存在を、何よりも大切にしたい。

 母親となったこともまた、彼女を強くしたのかもしれない。




 人はいつ親になるのか。

 もちろん子供を持っていたら、それは親であるだろう。

 しかしここは意識の話だ。

 自分が親になったと思った時から、それは親になったと言えるだろう。

 月子は親になったが、親になりたいと思った理由。

 それは自分の命が尽きるから、という理由だけではない。


 単純に暁と響を見ていて、子供がほしいなと思ったことはある。

 完全に出来ちゃった子供ではあるが、暁は愛情をかけて育てていた。

 月子としてもその世話を、随分と見てやったものだ。

 だから自分もほしくなったのだし、それに子供に愛情を与えてやりたかった。


 両親が亡くなるまでの記憶は、それほど多くないが優しく明るい。

 その後の記憶は厳しく辛いものであり、それを上書きしたかった。

 虐待されて育った子供は、自分の子供も虐待する傾向にある、という話がある。

 ただ月子は祖母との暮らしでさえも、虐待とは少し違うと思っている。

 確かに多く失望され、精神的には傷ついた。

 また手を叩かれるなど、今の基準でも虐待、というものはあったものだ。

 しかし理不尽なものは、思い出してもほとんど出てこない。

 厳しすぎることも当然、虐待なのだとは言われたが。


 祖母のつけていた日記、というものがあった。

 叔母が持っていたもので、長らく月子はそれを読めなかったし、叔母もあえてそれを読むことはなかった。

 しかし月子が己の強さを身に付けた時に、ようやくその内容を語ってくれたのだ。

 それは月子に対しての愛情などは、さすがに書いていなかった。

 だが月子が生きていくための力を、必死で与えようとしてた記録。


 祖母もまた不器用で、そして風習に縛られていたのだ。

 息子も娘も共に、自分から離れていった。

 月子も当然離れていくと考えて、だから離れていっても悲しくないように、そして離れていっても生きていけるようにしてやりたいという願い。

 そんなことは考えず、普通に愛情をかけていたらよかったのではないか。

 ただ叔母はその点も、祖母の不器用さゆえのことだ、と彼女自身は気にしていない。


 あの田舎においては、自分の性別が肉体と違うのに、悩む叔母など理解されなかった。

 大学で外に出て行くことを、許してくれただけでも充分だと。

 どんな人間であっても、完璧な子育てなど出来ない。

 自分は子供を持つことなどないと分かっている叔母は、そうやって祖母の人格に納得した。

 それで許すというわけでもないが、無駄に憎むことはやめたのだ。


 二人の子供に捨てられた、哀れな母親であった。

 そこに唯一の孫が現れたのである。

 普通なら愛情を、たっぷりかけてもよさそうなもの。

 しかしこれまでの失敗が、彼女の育て方を「間違わないもの」として意識させてしまった。

 頭が悪そうに見える孫。

 字があまり読めなくて、人の顔も憶えられない。

 だからこそ厳しく、生きるための技術を身につけ、生きていってほしい。


 無知だったのだな、と叔母は言っていた。

 そして決して、全く愛情がなかったわけではない、とも言っていた。

 だがそれなりに街ではあるが、都会でもないあの場所においては、一般的な常識で生きなければいけないという問題。

 娘がトランスジェンダーであるなど、あの時代に受け入れることは無理だったろう。

 それに反発した息子が、家を出て行ってしまったのも、彼女に確かに理由はあったのだが。

 夫を早くに亡くした未亡人が、なんとか子供二人を育てた。

 充分に立派な部分もあるのだと、長く生きてようやく納得出来るようにもなったものだ。




 それでも月子は、上書きしたい。

 自分の子供に対しては、愛情を存分に注いでやりたい。

 そうすることによって本当に、過去の自分が救われる。

 月子のそんな考えを、俊は複雑な思いで聞いたものだ。


 アーティストというのはどこか、歪んだところから出発する傾向がある。

 もちろんそうでない人間も、ちゃんといるわけだが。

 別に失敗したとしても、どうにでも生きていける遺産を、親から受け取る俊には、そのあたりを責める資格はない。

 だから他人はどうであれ、自分がどれだけ音楽と真摯に向かい合うか、それが重要であったのだ。


 ある程度は親に反発しながらも、普通に親になった栄二。

 むしろ親には感謝しながらも、自分のやりたい道を進む信吾。

 暁はさすがに、幼少期からのエリート教育で、完全にギターを愛している。

 千歳の歌に感情が乗るのは、彼女が不幸に見舞われたから。


 俊も自分の中の、暗鬱とした記憶を糧に、何かを作ろうとする。

 欠けてしまった何かへの怒りで、その何かに代わるものを生み出そうとするのだ。

 ライブハウスのステージ上では、俊は全て調整役に回る。

 MOONで作った月子のコーラスを、打ち込みで一緒に流すステージ。

 こうやって声の持つ力を、はっきりと区別させる。


 ボーカロイドによる調声というのは、まだどうしても生歌に届かない。

 もちろんそれは俊の技術がまだ、未熟だということでもあるのだが。

 徳島などはこれとSNOWで、デュオの楽曲を発表したりしている。

 これはミステリアスピンクでは出来ないことだろう。

 徳島の持つ、アーティストゆえのエゴイスティックな部分。

 それがミステリアスピンクのボーカル二人を、苦しめているのが俊には分かる。

 声質はともかく歌唱力は、ノイズの二人には及ばない。

 いっそのことボカロPに戻るか、ユニットを解散してあちこちに楽曲提供だけをするか、その方がいいのではと言っている話を聞く。


 俊はそこまでエゴイスティックにはなれない。

 成功者としてのエゴならば、いくらでも持ちたいのだが。

 徳島はコンポーザーとしての能力は高く、そしてその創造性も間違いなく高い。 

 しかし売れるということよりも、創造性を優先してしまうところがある。

 そのあたりプロデューサーと、色々と話すところはあるらしい。

 クオリティを保って上で、さらに売れる曲を作れ。

 無茶な言いように思えるだろうが、徳島はそういう条件ならば作ってしまうのだ。


 徳島の長所というか成功した背景としては、ライブをさほど重視しなかったことにあるだろう。

 ミステリアスピンクは生歌では、それほど素晴らしい歌唱をしない。

 声質自体はどちらも、独特のものがあって個性的だ。

 それだけにレコーディングでは、色々と微調整して上手く作り上げる。

 そしてMVでそれを上げることで、人気を得たのだ。

 フェスに参加して、ちょっと痛い目を浴びてしまったが、あの頃と比べると歌唱力の上達は著しい。

 最近ではフェスでも、それなりの歌を披露している。




 もっともミステリアスピンクは、やはりレコーディングからMVを作って、それで売っていくというのが主流のユニットなのだろう。

 あちらもノイズと同じように、ホリィの妊娠と出産があって、ライブなどには出にくかった。

 ミスティはまだしも、ホリィは完全に素質型のボーカル。

 なので最初は色々と、ミステリアスピンクの下手なほう、などとも言われたものだ。

 肝心の徳島はあまり、気にしていなかったようだが。


 ゴールデンウィークのフェスには、ミステリアスピンクも参加してくる。

 国内の有名どころは、フェスに参加しない路線を辿る一部を除き、ほぼほぼ集めたといっていいだろう。

 特にノイズは、一年以上のライブ活動休止から明け、また少しライブをしていなかった。

 とはいえレコーディングからの発信自体は、しっかりとやっていたのだが。

 本格的に活動再開となると、大量に仕事も入ってきそうになる。

 それを抑えなければいけないのが、阿部の主な仕事になってくる。

 もっともこれは完全に、月子の病状次第となるので、断るのも難しくはないだろう。

 ただCM曲などに、昔の曲を使えないか、というようなオファーがあると、これはむしろありがたいものなのだが。


 ネット配信限定のアニメの、主題歌をまた注文してくる。

 こういった仕事は基本的に、断りたくない俊である。

 三ヶ月の間、ずっと耳にする曲になるのだ。

 場合によっては2クール、半年も使われることもある。

 これはかなり、珍しい例ではあるのだが。


 昔はレコーディングなども、かなりの無茶なスケジュールでやっていたものだ。

 一応はベテランで、大御所扱いされつつあるとはいえ、仕事の選別は贅沢なものだとも思う。

 しかしそれでも、月子の健康が最優先。

 そのためにはまず自分が、一番早く作曲と作詞を上げるという、そういう無茶を俊はする。

 結婚しても子供が生まれても、最優先にするのは音楽。

 まったく困ったお父さんだ、と暁などは思うのだが、これはあまり人のことは言えない。

 自分の息子に対しても、ギターを使って接することが多かったのだから。


 困るのはあまり、長期的な仕事を入れられない、ということである。

 月子の病気は、まだ現状では完治したとは言えない。

 五年間の再発がなかったら、その時こそ完治と言えるのが癌である。

 もっとも月子の場合は、それがなかったとしても、ずっと癌になりやすい体質であるのは変わらない。

 一つだけ幸いであったとするなら、それは和音の方には、遺伝しなかったということか。

 生後にあった普通の検査で、遺伝的な病気について、色々とチェックしてもらった。

 その結果としては、月子に由来する癌になりやすい遺伝子は、和音には見られなかった。


 昔に比べれば、若年層での癌も増えているという。

 この理由については、色々と言われて入るが決定的なものはない。

 複合的に見て、こうではないかというものはある。

 ストレス社会や睡眠不足。

 連絡がすぐに取れる便利な社会は、逆にすぐ対応しなければいけない社会にもなったのだ。


 俊は特に、睡眠不足と言われる。

 もっとも俊は睡眠が不足なのではなく、不規則なのだが。

 それなりに七時間程度は、おおよそ眠っていることが多い。

 ただ作曲などが煮詰まってくると、自然と眠れなくなるだけなのだ。

 あとは生活が不規則であるというのは、これは確かにどうしようもない。




 ゴールデンウィークもまた、東京近郊の公園にて、フェスが行われる。

 メインステージを一時間となっており、ここではヘッドライナーとなっている。

 復帰して半年ほどになるのだから、そろそろやってくれ、という感じである。

 確かに月子も二時間のライブに耐えて、フェスの一時間はいけそうな感じである。

 真夏の野外フェスとは違い、それほどの体力の消耗もないであろう。


 この間に響は、幼稚園に通うことになる。

 これまではあまり、保育園にも預けていなかった。

 もちろん金はあったのだが、色々と条件が噛み合わなかったので。

 短い期間に公園に行ったり、河川敷で他の子供と接することはある。

 だが子供社会へのデビューという点では、親の目からすると心配だ。

 俊は作曲に必死で、その視点に欠けていたが。


 魂がロックな暁であるが、やはりこういうのは母親の方が心配になるのかな、と思ったりはする。

 別にそういうわけでもなく、暁は昔からあまり、同年代の中では上手くいっていなかった。

 父親の仕事仲間の間で、ギターを弾いていることが多かった暁。

 だから心配になっているのだ、と普通に考えればいいだろう。


 なお育児とまではいかないが、こういった送り迎えに関しては、マネージャーの春菜も協力している。

 他人の子供の世話を必死でしつつ、自分はいったいどうなのか、と思わないでもない春菜。

 ただノイズだけではなく、他のミュージシャンやバンドも、彼女は手がけることになってきている。

 事務所が大きくなっているため、春菜の下についているサブマネージャーなどもいるのだ。

 そしてその中で一番優先されるのが、ノイズというわけである。


 事務所としてはもちろん、レコード会社から見ても、ノイズは一番の稼ぎ頭なのだ。

 アメリカでの販路拡大などによって、GDレコードはその売上規模を拡大している。

 現在では国内で、第三位のメジャーとまでなっている。

 なおノイズの場合は事務所はともかく、レーベルは自主レーベルにしているので、相変わらず儲けの配分を取っていく。


 ミュージシャンが儲からなくては、続いていかないと俊は考える。

 ただレコード会社やレーベルにしてみれば、代わりはいくらでもいるように見えるのが、今の時代なのである。

 ネットによって地方から、発信出来るようになった現代。

 これは多くの才能が世に出てきた時代であるが、パイ自体はそれほど変わらない。

 そのため使い捨てにされることも多い。

 それが嫌ならさらに売れてみろ、という地獄のような世界である。

 最初からそれが分かっていた俊は、だからこそ慎重に動いたのだが。


 ノイズがデビューした頃にいたバンドは、もう多くが解散している。

 俊がこれはと目をつけていたGEARなども、既にメンバー全員が、この業界からは消えているように見える。 

 少なくとも見かけないのだから、それはもういないのと同じだ。

 アトミック・ハートも解散してしまって、信吾の連絡先にはもう、ほとんどかかってくることがなくなった。

 ただメンバーは、活動自体はしているらしいが。

 本業を持った上で、たまにバンド活動。

 別に珍しいことではないが、一度メジャーデビューしてしまってからは、都落ちのような印象がある。


 ただパイレーツのように、それこそ俊が生まれる前から活動しているバンドは、いまだにずっと続いている。

 あそこまで長く活動していると、もう固定ファンががっちりと存在するのだろう。

 ノイズにしてもファンクラブの会員数などから、そういったものを計算することは出来る。

 どの会員がお金を使ってくれているかなどは、ちゃんと分かるものなのだ。

「結局は音楽なんて、人気商売なわけだしな」

 そうは言うが音楽は、まだしも商品として分かりやすい。

 ポリコレによる肥満モデルなど、認めたくはない俊である。

 そもそも日本では、あんなものは通用していないが。




 ゴールデンウィーク期間にいよいよ入る。

 ここでは栄二が、久しぶりに娘から、フェスのチケットは手に入らないか、とおねだりをされたらしい。

 基本的に栄二はというか、ノイズのメンバーはメンバーの子供たちに甘い。

 チケットぐらいはいくらでも、というのがメンバーの総意である。

「反抗期、そろそろ終わったんですか?」

「う~ん……」

 女の子の男親に対するものは、それなりに激しいものである。

 もっとも栄二のところは、しっかり母親が父親の仕事を理解しているので、まだしもマシであるらしいが。


 響もそのうち反抗期が来るのかな、と俊は珍しくも心配になる。

 ただ今こそがまさに、自我の確立からなる反抗期の終盤であるのだ。

 一次反抗期と二次反抗期があり、三歳ぐらいまでが一次反抗期。 

 しかし響に関しては、特に反抗期などなかったような気がする。

 自己主張が強くなったな、とは確かに感じていた時期がある。

 なんだか人間が出来ていくようで、面白かったものだ。


 それこそがまさに、一次反抗期であった。

 だが生物的な一次反抗期と違い、二次反抗期はもっと社会的なものだ。

 まさに社会や、親に反抗するのが、そういう時期なのである。

 ただそんな括りをするのならば、ミュージシャンなどはほとんど全員が反抗期だ。

 こんなヤクザな仕事をしている時点で、ちょっとおかしいのである。


 自分は果たしてどうであったか。

 思い出す俊としては、二次反抗期はそれどころではなかった、という記憶がある。

 彩との関係などで、色々と問題があった。

 それにそもそも、親との接触が薄かったのが、この時期ではないか。

「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」

 そう思う俊であるが、男の子の反発に関しては、正面から反発されると分からない。

 周囲の反抗期らしき人間を、不思議そうに見ていたのが、過去の俊であったのだから。

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