第372話 夏に近い五月
ノイズは以前に比べると、ツアーなどを大規模に行うのが難しくなった。
月子の体調が理由である。
それでいてステージでのパフォーマンスには、凄みを帯びたところがある。
だからこそ逆に、それを見たいという人間が、どんどんと増えていくのであるが。
日本人は昔から、闘病物に弱い。
また月子は若く、才能の煌きと人生の苦悩が、より彼女の生涯に深みを添えている。
仮面はまだ外していない。
ただ業界人の間では、それなりに普通に知られてきてはいる。
いずれはパパラッチまがいが、無理矢理にでもその素顔を晒すのではないか。
実際に中学校時代の写真は、それなりに出回ってきたりしている。
京都時代の写真は、全く流出しないのだが。
ただ地下アイドル時代のことも、これまでには普通に知られてしまっている。
もっともその頃の写真などにしても、今とはかなりメイクが違う。
日常ではそう気付かれないのではないか、と月子はのん気に考えているが。
本人にそのつもりはなくても、自然とカリスマめいたものが出てきているのだ。
周囲が勝手にスター扱いする。
もっともそれに相応しい実力と、エピソードも持っているのだが。
「毎年ここは、いい感じだよね」
千歳がのんびりと歩くのに、月子も並んで付き合っている。
メンバーそれぞれが別々に、好きなところだけを見に行く。
そんな中で俊は、新しい人脈作りに奔走している。
今年のゴールデンウィークは、もう夏の気配が強いな、と千歳は感じている。
だが月子はここしばらく、病院にいることが多かった。
また退院してからも、俊の家の中で籠もっていることが多い。
そして和音もそうだが、響の面倒も見たりしているのだ。
練習時間は毎日、みっちりと取ってある。
それに早朝や夕方などは、周囲を見て走ったりもする。
難しい時はマネージャーに来てもらって、ジムに通ったりもする。
体力の衰えを感じているのだ。
それより三つ若い千歳は、病気も何もしていないので、まだまだ衰えなど感じないが。
大腸を切り取って、肝臓も三割ほどがなくなり、また薬によって少しは体が傷ついている。
副作用を防ぐ薬ではあるが、既に癌化していた部分は、自然とそれで殺されている。
トイレが近くなったが、同時に喉も渇くようになった。
暑ければ汗をかいて、水分を発散した方が気持ちいい。
今回のフェスには、そんな暑さが既にある。
千歳は月子と一番近い位置で、ステージに立つ。
後ろから見ている俊よりも、月子の状態が把握できているかもしれない。
長い付き合いになったと言うか、深い付き合いになったと言うか。
今でも千歳は普通に、高校や大学時代の友達と、一緒に遊ぶことがある。
むしろそういった世界の方が、未だに自分のものだという意識があるのだ。
ただどこかしら、頼られることが多いのは確かだ。
変に遠慮したりもせず、あるいは逆に一線をしっかりと引いて、千歳と付き合っている友人たち。
しかしその中に戦友と呼べるのは、ノイズのメンバーだけである。
月子が失われるという可能性を聞いた時、千歳は自分の右側が、ぽっかりと空いてしまった気がした。
それだけ月子の存在は、自分にとって大きなものなのだ。
ましてステージに立てば、その存在感はまるで違ってくる。
月の輝きではなく、まるで太陽のように。
自分の存在を燃やして、パッションを炸裂させる。
それでいながらその声には、変な濁りが存在しない。
不思議なものだな、と千歳は思うのだ。
ボーカルというのは、声に個性がないと務まらない。
あえて言うなら濁り、ノイズがあってこそ、逆にいいボーカルとも言える。
その雑味こそが人間性であるからだ。
しかし月子の声には、濁りなどはほとんどない。
クリアなハイトーンであり、それでいて圧力が凄まじい。
雑味ではなく純粋な力で、鼓膜を押してくるのだ。
声量が増えた、というわけではない。
確かに元から声量は多かったが、体力が落ちてからはむしろ、やや声量も落ちていると俊は言っていた。
手術後しばらくは、鍛えることも出来ていなかったのだから、それは当たり前のことであろう。
それでも迫力が増して、音の圧力が増えるというのは、表現力の問題だ。
結果的には今生きていて、一応は完治が望める状態にある。
しかし当初は転移もあり、かなり難しいと言われた状態で、数ヶ月も待ったのだ。
そして今も、五年間の生存率を考えて、また生きるということの大切さを理解している。
人はいずれ必ず死ぬ。
だが多くの人間は、普段からずっとそれを考えているわけではない。
月子は常に、そればかりを考えている。
切実さが月子の声には含まれ、千歳のパッションを上回っている。
ただでさえ純粋な声では、月子の方が美しいと言われているのだ。
コーラスの部分も、千歳が歌う部分もあるが、MOONを使った打ち込みのものも多い。
あえて機械的な声を使って、これまた表現の幅を広げている俊である。
そしてそれと対照的に、月子の声にはパワーがある。
人間でしか出せない力が、今はまだ音楽にあるのだ。
AIの進歩というのは恐ろしい。
DAWやボーカロイドとは違うが、いずれは人間の声を忠実に再現出来るのかもしれない。
だが忠実な再現では、まだ足りないのだ。
己の限界を突破するステージ。
それが人間に出来ることである。
チェスはかなり前に抜かれて、将棋も抜かれてしまった。
ただ将棋はAIを使うことで、さらに人間同士は強くなっている。
チェスはもう完全に、人間の理解出来る範囲で、最善手が作られてしまったらしいが。
絵画の世界でも、ゴッホの画風をコピーするものがある。
もっとも画風のコピーなら、普通の人間にも出来るものだが。
あるいは受け取る側の感性が劣化した時、人間は機械に追い抜かれるのかもしれない。
あくまでも機械は、人間の可能性をさらに、引き上げるものであるべきだ。
俊もそう考えるからこそ、月子と組んでノイズを作ったのだから。
ノイズのメンバーは多くが、フェスの間に移動する。
知っているミュージシャンの、楽屋に邪魔したりするのである。
ステージの前には緊張して、誰にも会いたくないという者もいる。
だが逆に知っている人間に会って、緊張をほぐしたいという人間もいるのだ。
三日間に渡って行われる、このゴールデンウィークのフェス。
本当ならアメリカでは、この少し後にあるフェスに、またノイズはオファーがあったりした。
しかしさすがに、月子の体調をまだ考えた。
子供の世話をどうするのか、という問題も加えてあったが。
もう少し大きくなれば、子供たちも一緒に来れるような、健全なフェスがこのゴールデンウィークのものである。
もっとも過激なバンドなども、夜の時間帯にはやっていたりするが。
フェスのステージというのも、昔に比べればおとなしくなったものだ。
過去の欧米のフェスやライブなどは、ちょっと今のコンプライアンス的に、アウトのものばかりである。
ペニスケースだけで演奏したとか、そうでなくてもジム・モリスンはステージで何度か逮捕されたという。
露出が好きなバンドというのが、昔はたいそうあったらしい。
暁Tシャツを脱ぐぐらいは、それに比べればおとなしいものである。
基準があまりにひどすぎる、という話は置いておいて。
俊はひっそりとステージを回りながら、顔見知りを訪ねていった。
そしてその先で、新しい人脈が発生したりする。
所属するレコード会社などが違っても、それ以前のライブハウス時代には、普通に仲が良かったりする。
そこからのつながりで、メジャーデビューに引っ張られることもある。
もっともこの音楽業界というパイは、他人にはあまり食わせたくないものであろうが。
俊の考えとしては、もう少し度量が広い。
強いバンドやミュージシャンが出てくることによって、ポップスの音楽全体が強くなっていくのが理想だ。
ただ90年代の最も強かったと言われる時代に、今から戻ることはないと思う。
ノイズが人気を得た理由は、海外のフェスでも認められた、という舶来信仰の延長がある。
それとは別に俊が、ボカロP時代に名前を売っていたというのも、基盤を支えることになっているが。
俊は基本的には、インドアで楽曲を作るのが好きな人間である。
しかしボカロPに対する偏見とは違って、普通に社交的な人間だ。
今日も色々と出会っては、弱いつながりを再び強くしたりする。
ただし相手の様子を見ては、色々と対応の仕方も考えていくのだが。
昔のロックスターなどは、とにかく破天荒なことが求められた。
一番破天荒とでも言えるのは、自らの人生を終わらせたカートの自殺であろうか。
俊の好きなフレディなどは、乱交パーティーを開いていたという。
才能と人格は別、と判断しなくてはいけない。
しかしパフォーマンスこそが、音楽の一部であった時代はあるのだ。
音楽もまた、ミュージシャンなどではなく、アーティストと呼ばれることも普通にあるのだから。
ノイズのステージは基本的に、優等生のものだ。
そしてそれが悪いとは思わない俊である。
今の世の中ではちょっとしたことで、すぐに炎上騒ぎが起こったりする。
あえて自分たちからそれを起こさないために、ノイズは個人がSNSで発信することを禁止している。
もちろん完全に匿名でならば、何を言おうと別であるのだが。
イメージ戦略というのは、重要なものなのだ。
昔はロックスターにしろ、芸能人やプロスポーツ選手などは、遠い存在と思われてきた。
だからこそ許されていたというか、そういう特別な存在であってほしかったのだ。
だが今はもう、芸能人であろうがなんであろうが、過去のことがすぐに出てくる。
ノイズにしても月子と暁以外は、すぐに情報が拡散されていった。
暁の場合は友達がいなかったため、昔の悪事なども誰も知らなかったが。
月子の場合は逆に、ここからイメージ戦略をしていった。
ハンデキャップを持つ彼女を、下手に悪いイメージで攻撃すれば、逆にマスコミが非難されるという形である。
信吾の過去の女性遍歴は、ちょっと問題ではある。
だが単にモテて、よく手を出していた程度なら、致命傷ではない。
これが未成年に手を出したとか、人妻に手をだしたとかなら、かなり危険であるのだが。
「まあ人妻に手を出したこともあったけど」
それは短い期間であったし、向こうも言えるはずがないので、問題はない。本当か?
俊の場合は性格が悪い、とはよく言われたことである。
単純に興味の方向がかなり限られていたので、ぶっきらぼうであっただけだが。
普通に知っている人間は、擁護する意見もあったものだ。
ただ小学校時代や中学校時代など、誹謗中傷が出たことはある。
これに関してはしっかりと、法的な措置を取ったものであるが。
敵を作らないことは難しい。
成功者とは常に、妬まれる存在であるからだ。
よって重要なのは、インフルエンサーを味方につけること。
一般人の主観よりも、業界人の言葉の方が、よほど影響力はある。
それに俊の場合は、裏方への根回しがしっかりとしていた。
こういう対応を取っていれば、ネットではなく直接の対話で、評判が広がっていくものである。
不特定の人間の言葉は、上手く潰すことが出来る。
ネット社会も変化してきているので、対応の仕方は変わってきているのだ。
ゴートの場合などは、永劫回帰への誹謗中傷には、徹底的に相手を追い詰めて、叩き潰したという過去がある。
これはゴートの場合、圧倒的な強者が身内に多かった、という条件でもあった。
俊がこれをやるとしたら、ちょっと割りに合わないことである。
もっとも千歳の情報として、悪気があったかどうかはともかく、高校入学直前に両親を亡くした、などというのは割りと知られることとなったが。
なんだかんだと一番言われるのは、ボーカルの月子である。
これは意識して、バンドの顔としているのも関係する。
もっともそれを守るために、仮面をしてまたイメージ戦略も取っているが。
マスコミやネットというのは、上手く扱っていかなければいけない。
ただ魂がロックであると、そういうものに反抗してみたくなるものなのだろうが。
初日が終わって、客も引いていく。
ノイズのメンバーも集まって、この日は東京まで撤収した。
最終日のヘッドライナーとは、ノイズも出世したものである。
だがこういった人気が、いつまでも続くとは限らない。
永劫回帰も今では完全に、大御所扱いされてしまっている。
かといって新しい楽曲が、受けていないわけでもないのだが。
ゴートがプロデューサーやコンポーザーに専念した新体制は、成功したと言っていいだろう。
またそれによってフラワーフェスタが、しっかりとした人気を取れるようになった。
国民的なバンドとして、長く人気を得るのがいいのか。
そういう点ではパイレーツなどが、かなり長期的な人気を誇っている。
なんだかんだと30年間、毎年それなりに話題になる曲を発表する。
一時期は休止していたが、また再開するという具合で活動しているのだ。
永劫回帰ももう、10年以上である。
ノイズにしてからが、結成から数えれば、九年目に突入したというところか。
一年間の休止によって、イメージが変わったところはある。
しかしスムーズに活動再開を出来たのは、幸いと言ってもいいだろう。
今の時代は供給過多の、パイを奪い合う時代。
だがノイズの音楽を待っていてくれた人間が、そんなにも多かったということなのだから。
月子の病気に関しては、彼女にまた新たな属性を付けることになった。
これだけキャラクターが強いということこそ、まさに今の世の中では受ける理由なのだろう。
マンガなどでも一番重要なのは、ストーリーや世界観でもなくキャラだという。
実際に音楽業界は、キャラクターで打っているバンドなどはあった。
もっとも実力もちゃんとあったので、より売れたということは言えるだろうが。
月子は象徴となりつつある。
彼女がかつて諦めた、まさにアイドルというものだ。
正確な意味ではそれは、偶像というものなのだから。
月子は別に、アイドルになりたかったのではない。
ただ色々なものを奪われて、与えられることの少なかった、自分が自分だけの存在になりたかった。
そしてそれはもう、成功したといってもいいだろう。
下手をすればモチベーションが落ちて、解散の危機にもなりかねない。
そこに病魔がやってきたのは、皮肉だが月子のモチベーションを、高めることになったのだ。
まだ死ぬわけにはいかない。
そして月子が一番輝くのは、ステージの上である。
自分が生きていることを証明するため、ステージに立つのだ。
もちろん体力が落ちているのは、充分に承知の上であるが。
終りがあるからこそ、そこまでの過程を考える。
いつかは死ぬからこそ、何かを残したいと考える。
ここでどうせ死ぬのだから、何をしても一緒と考えるなら、それがその人間の価値であるのだ。
消える命であるからこそ、何かを残さないといけないと、人は懸命になる。
その結果として子供を残すのかもしれないし、あるいは事業を残すのかもしれないし、人を育てるのかもしれない。
全てを満たそうと貪欲に、ハングリー精神を持って生きていくのがアーティストなのかもしれない。
俊は今、月子の生きた証を、最大限に刻むために、自分の人生を捧げている。
一応は完治したと言えるが、それはまだ時間が経過しなければ、はっきりとしないことである。
健康に留意しながらも、全力で生きていく。
そうやって歴史に名前を残した人間は、たくさんいるではないか。
(どうにか27歳は超えられそうだけど)
そんな年齢で死んでしまうミュージシャンが、かつては多いと言われたものだ。
このフェスが終われば、夏休みのコンサートの準備も始める。
月に一度は大きなハコで、ライブをしていくことにもなるだろう。
今が一番充実しているが、同時に仕事を入れすぎないようにもしている。
残された時間が不明だからこそ、すぐ目の前のことに全力を注いでいく。
月子も心配であるが、相変わらず俊も暴走して寝落ちしやすい。
ただ今は暴走しがちなはずの暁が、それを監視しているという状況で、俊は比較的まともな健康状態になっているのであった。
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