第373話 懐かしさの精算
五月の上旬と言うには、信じられない暑さである。
だが本当の夏に比べれば、まだ耐えられる範囲の気温である。
スタジオリハでは基本的に、ちゃんと空調の利いた部屋で、練習をしている。
通しのリハを行えば、それでも汗をかいたりはするものだ。
ライブハウスの熱気を思えば、それほど違いもないとは思える。
ヘッドライナーの時間であれば、日没後に急激に気温も下がるのだ。
その温度差こそがむしろ、調子を崩す原因となるかもしれないが。
俊はあちこちを見て回ったが、月子は顔見知りの楽屋に向かっては、そこで涼むことが多かった。
相変わらずのアイドル好きで、ここ最近の売れてきたグループもチェックする。
そして思うのが、やはり消費されるのが早いな、ということだ。
グループアイドルの時代には、メンバーを入れ替えてその鮮度を保つという手段が取られている。
だが逆にそれによって、顔も名前も憶えられない、という状態になってしまっているのだ。
そもそもグループアイドル時代を支えたドルオタが、もうその熱意を失っていたりする。
ここにもまた、昔は良かったと懐古現象が起きている。
女性アイドルというのは昭和の時代が、一番強かったとも言われる。
ピンのアイドルが、まさに売れていた時代である。
松田聖子や中森明菜といったあたりがいて、女性アイドルはわざと下手に歌ったりもしていた時代。
イメージ戦略で売っていたアイドルもいて、本当に生活も謎に包まれ、偶像になっていたのだ。
ただし会いに行けるアイドルが、このアイドル文化を完全に破壊した。
もちろんグループアイドルというのも、アイドル文化を破壊したのではなく、むしろ延命したのだと考える人もいるだろうが。
月子の目から見ても、アイドルというのはキラキラしていたものだ。
もちろん相貌失認の月子は、ほとんどのアイドルの区別がつかなかったが。
ただほんの一部に、ちゃんと区別できる人間がいた。
アイドルという括りの中に、そういう人間が比較的多かったのだ。
それが月子の、アイドルへの憧れという形になったわけで。
そう、月子にとってはまさに、特別な存在であったのだ。
自分もそうなれるかな、と思っていた。
そして今は実際に、違う形ではあるが特別になっている。
偶像ではない、本物の歌姫だ。
ただしそれでも、虚像の面はある。
音楽というもの自体が、人間にとっての祭りから始まった。
つまり非日常の存在なのである。
非日常の存在として、金を稼いで飯を食っている。
そのあたりのことを忘れてはいけない、と言ったのは俊ではない。
津軽三味線で門付けなどをしていたのは、盲人が多かったのが戦後までの歴史だ。
あの時代は国に、伝統などを守る余裕はなかった。
現代でこそ多くの日本の文化が、しっかりと守られる時代になっている。
それでも実際は、田舎の名士などが金を出し、個人的に守っている文化遺産は多くある。
そういったことが出来る国である間は、日本はまだ本当の衰退に入ってはいない。
哀れまれる存在でありながら、同時に文化の担い手であり、ラジオが始まるまでは地方へと音楽を届ける存在であった。
古くは卑しいとされる存在が、同時に文化を伝えていたのだ。
平家物語の時代から、そういった存在はいる。
そしてそういった存在がいたからこそ、方言のある日本であっても、かなりの共通語が通用していたわけだ。
こういう面を知っている人間は、意外といなかったりする。
月子は思うままに、予定の時間まではあちこちを歩いた。
そして約束の時間になると、フードエリアにやってくる。
「ミキ」
もう月子をその名前で呼ぶ人間は、他にはいないであろう。
月子でもルナでもなく、アイドルであった時代の自分。
月子は普通の人間の顔を記憶することが出来ない。
だが顔と名前以外の何かを含めれば、しっかりと記憶できるのだ。
「皆……」
かつてメイプルカラーと呼ばれた、地下アイドルの五人。
それが久しぶりに揃ったのである。
普通に働くようになった者もいれば、他のグループのテストを受けて、まだこの世界に残ろうという人間もいた。
わずかな時に接触する程度には、月子の付き合いも絶えていたわけではなかった。
なにしろ月子はメイプルカラーの解散から間もなく、インディーズのくせにメジャーシーンに出てきたのであるから。
ダンスの振り付けも下手で、上手く愛想笑いも出来ない月子が、結局は一番の成功者となった。
しかしその人生の紆余曲折を思えば、単純に嬉しいというわけでもないだろう。
月子の歌声は、透き通っているがソウルフルなものである。
本当ならばソロでもいけるのでは、というものが今の月子の力なのだ。
そんな月子とこうやって、かつてのメンバーが揃う。
連絡を取ってきたのは、向こうからであった。
月子も皆も、今となってはあの時の背景を知っている。
事情を消化するためには、長い時間が必要だったが。
リーダーのルリのために作ったグループが、月子の歌唱力中心となっていった。
存在意義が変化して、月子は生活が安定しそうで、そしてアイドルという以外の姿で世間に注目されかけていた。
そんな五人がフードエリアで、まだ少し気まずそうではあるが、それでも過去を俯瞰的に見つめることが出来る。
「皆は、今は何してるの?」
月子の過去から今までのことは、少し調べればすぐに分かる。
だが他の四人は、いわゆる一般人になったのだ。
結婚している者もいれば、趣味の延長から働く場所を得た者もいる。
子供がいる者もいたが、やはり東京にいると晩婚化と高齢出産の傾向にあるらしい。
その中で月子が子供がいるというのを、聞いて驚いた四人であるが。
「代理母って……それでアメリカに行ってたの?」
「ううん、それは本当に、病気の治療のためだったんだけど」
「その、本当にもう大丈夫なの? 巷では癌だったって言われてるけど」
「一応手術で取れたはずなんだけど、遺伝子的に癌にはなりやすくて」
今もまだ、再発の恐怖とはずっと戦っている。
だがその恐怖も、そろそろ麻痺しかけているのだが。
この再会もまた、月子にとっては自分の過去を振り返るものになる。
東京に出てきてすぐにスカウトされて、小さなハコで毎週のように歌って踊った。
俊のプロデュースが入ってからは、それなりに受けるようになったものだ。
ルリのわがままで、解散したようなものだ。
ただアンナとカナエは、まだ他のグループにも入ったらしいが。
そんなルリが既に結婚して出産して、働きながらも主婦をしている。
音楽業界にまだしも関わっているのは、メイクなどをするノンノ。
アンナは一応ダンススクールに雇われていて、カナエはこちらも結婚したが子供はまだらしい。
それぞれとは過去に数回、特にノンノとは接触することもあった。
だが月子のスケジュールが詰め込み状態であった頃は、予定をまとめることが出来なかったのだ。
「チケットありがと」
ルリにそう言われて、パタパタと手を振る月子である。
世界的なスーパースターというか、間違いなく日本の中では、花音と並んでツートップの女性シンガーだ。
バンドの中にいるので、ボーカルであるのだし、三味線の演奏もしているが。
幸福になれたのか、と他の四人は関心がある。
ある程度の嫉妬があるのは、どうしようもないことだろう。
しかし月子の病気のことを考えると、子供がいて仕事が充実していても、幸福だとは限らない。
成功と幸福、どちらを考えるべきであるのか。
月子の場合は前半生が、不幸と不遇で埋め尽くされていた。
ノイズのボーカルになってからは、着実に成功の階段を上っていったが。
それでも生きるのが難しいことはあった。
俊たちに助けられて、日常生活を送るのは楽になったが。
「ねえ、ダンナさんって誰なの?」
「え、ああ、遺伝子バンク利用したから」
これは対外的な話であるが、いくら過去の仲間たちとはいえ、少し話しすぎている。
月子はいまだに、対人関係の距離感を、いまいち掴みきれていない。
だが俊から遺伝子を提供してもらった、というのは言わない方がいいと思った。
「ミキはサリエリさんに気があると思ってたんだけどなあ」
「むしろサリエリさんが、ミキに気があったんじゃない?」
「それな」
薄い友人関係が、この中では成り立っている。
同じグループにいても、共に戦うという意識がなかった。
ノイズの仲間は、それこそ戦友という意識が強い。
音楽に関することは、他の五人は裏切らない。
そういう共通の意識があるので、そこは信用できる。
月子は本来、人の悪意には敏感である。
ただ本人の性質としても、悪意を呼びやすいものはあった。
だからこそ身内扱いになると、それを全面的に信用してしまう。
それがいいことか悪いことか、本人の性格もあるので、一言では言えない。
俊のように身内でさえ、場合によっては裏切っても仕方ない、とドライに考える方が珍しいのだ。
もっとも俊は自分の方から、理不尽に裏切ったりはしない。
食事を終えた五人は、本当に久しぶりに行動をする。
そもそもアイドル活動の時間以外で、プライベートを一緒にすることは、まずなかったのがメイプルカラーだった。
ただこの時期に、月子に会いたいと思う人間が、増えていたのは確かだ。
もっとも悪意で会いたいと思っていたわけではないのが、月子にとっては幸いである。
俊は少し注意しろ、などとも言っていたが。
数万人が集まるステージだ。
ジャンルは違っても、それだけの人間を集めるというのが、それぞれのミュージシャンの力である。
中には虚飾の人間もいるが、それを上手く飾る手際も、芸能界には存在する。
このステージの上に月子は立って、最終日のヘッドライナーとして歌う。
もちろんノイズは、月子だけのバンドではないが、俊はプロデューサーに近いので、月子中心のバンドとは言えるだろう。
同じステージで歌っていた。
だが今は、これだけの差がついている。
成功者であるが、完全に幸福なわけでもない。
月子があまりアンチがつかないのは、引いてはノイズに比較的アンチが少ないのは、支持される理由を上手く作ってもいるからだ。
同時に非難しにくい雰囲気にもしている。
俊の考えは、父の失敗に己の失敗を加えて、そこから生み出したものだ。
それで成功したわけであるが、もしも失敗したとしても、また新たに形を変えて試していったであろう。
いきなり最初から成功する人間など、そうそういるわけもない。
ノイズの中でいうなら、暁と千歳はあまり、失敗経験を知らない人間だが。
音楽は人間性が出てくる創作と演奏である。
暁の場合は周囲と合わない自分への、苛立ちのようなものがあった。
千歳にしても自分を突然に襲った不幸を、体の中でパワーに換えている。
もっとも成功して、さらに恋愛面も上手くいっている今、少なくとも成長はしていないと月子は感じていた。
幸福になるとつまらなくなる芸人がいる。
小説家なども貧困に喘いでいた時の方が、いい作品を書いていたりもするのだ。
暁は常に音楽に対してはハングリーであるが、千歳はどこか少しだけ距離感がある。
幸福になると、そこから力が出なくなるのだろうか。
少なくとも月子からすれば、力が落ちているとまでは思わないが。
この日、ノイズの面々は会場近くのホテルに、宿泊している。
遅めの時間と言っても、午前中の間に最終的なセッティングを終えるため、早く起きた方がいいためだ。
レストランには六人が集まり、今日の感想を語り合う。
それぞれ被ったステージもあるが、数万人もいれば出会うこともなかったりする。
特に俊などは、楽屋の方で話したりもしていたのだ。
ノイズのことに対しては、月子の事情を知りたがる人間が多かった。
完治と言うにはまだ、治療からの時間が経過していない。
だがそういったことは、あくまでも月子のプライバシーなのだ。
月子は昔の仲間と会って、感情に整理をつけてきたようだ。
今の彼女には、辛い過去からの情念など、歌に込める必要はない。
自分の未来がいつまであるのか分からない。
だからこそ強く歌うのだ、という心境であるのだろう。
人の力が生まれるのは、コンプレックスなどからであることが多い。
満たされてしまえば、そこで終わるというアーティストは確かにいる。
評価が高くなれば、エンターテイメント性が落ちていくという創作者。
実際に初期の作品の方が面白いのに、プロモーションに失敗して売れなかった、という作品は確かにある。
それでも続ける程度に売れていれば、爆発することはあるのだろうが。
俊などはボンボンであるので、実生活と音楽と、どちらかを優先するのは明らかであった。
それでも音大で色々なことを学び、成長したことは確かであったが。
岡町などの失敗談から、学ぶことは多かった。
基本的に人間は、成功したことからよりも、失敗したことから学んだ方がいい。
成功するということは、単純に運の要素が絡んでくるからだ。
俊としては充分に、道を舗装した上で、ノイズを出発させた。
月子と暁の三人からだが、それ以前にネットでは月子にカバーなどをさせたのだ。
バンドとして成立してからも、過去の大ヒット曲をステージでカバーしたことは何度もある。
おかげでさほどのヒットもしていなかったアニソンが、やたらとカバーされるようになったりもした。
面白い現象であったが、さすがに最近はオリジナルがほぼメインである。
暁と千歳は二人で、普通にステージを回っていた。
この二人はステージの上とそれ以外とで、オーラが全く違うので、変なファンに追いかけられることもない。
月子の場合はオーラを発散しているが、顔出しをしていないのが効果的なのだろう。
そして信吾と栄二は、かつての仲間たちの中で、まだこの業界にいる者を、見に行ったりしていた。
技術的にはずっと、売れていて時よりも上手くなっている。
だがもう旬が過ぎてしまった、というミュージシャンたちだ。
稼いだ金で他の仕事をしたり、あるいはバックミュージシャンやスタジオミュージシャンとして、音楽は捨てられなかったりもする。
そんな中でノイズの二人は、確実な成功者であったのだ。
特に栄二などは、子供のためにも一度、サラリーマンミュージシャンになったというのが、過去にあった次第である。
それが今のトップバンドにいるのだから、世の中はどうなるのか分からない。
永劫回帰にフラワーフェスタと、三日間の間にそれぞれ、メインステージのヘッドライナーとして演奏していた。
ノイズが最終日に回されたのは、復活を印象付けるためのものでもある。
三日間を全て、回るチケットを買っている客は少ないだろう。
だからこそそれぞれの日に、客を呼べるアーティストが必要になる。
フラワーフェスタの演奏が、一番凄かったと思う。
五人組体制になってから、花音が多くボーカルを担当できることが大きい。
花音の声もまた、月子と似た部分はある。
だがあちらの声には、月子の透明感とは違った、華やかさが備わってきている。
本人の性格とは異なるが、月子の歌には冷たささえ含まれている。
淡く輝く月であるが、実際にはその表面には、何者も生物を許さない冷たさがある。
月子の声が本人の人格と別にそう感じられるのは、漂う死の気配が関係しているだろう。
同時にそれを打ち消す、生命の鼓動もあるので、矛盾したイメージもある。
女声ボーカルのノイズは、デュオの体制である。
対してフラワーフェスタは、四人がそれぞれボーカルが出来るし、紫苑も歌えないことはない。
ただ男はともかくとして、今の日本の音楽業界で、歌姫とされるのは月子か花音のどちらかだろう。
声の質としてならば、たまに新曲を発表する、白雪なども近いのだが。
彼女は本質として、コンポーザーでありギタリストだ。
ボーカルとしての力は、ヒートのリーダーには及ばないと、自分でも言っていた。
今日のフラワーフェスタも、ヘッドライナーに相応しい盛り上げであった。
最終日の明日は、自分たちはそれ以上のパフォーマンスを見せなければいけない。
ここで勢いをつけて、夏へと向かう。
久しぶりにワンマンで、数万人を集めるライブを、またアリーナで行うのだ。
年末のフェスにおいても、しっかりと反応は返ってきた。
月子は変化はしているが、衰えてはいない。
確かに力は、わずかに弱まったのではないか、と思わないでもない。
だがその弱くなった部分が、むしろ上手くアクセントとなっている。
「明日はどうすんの?」
セッティングとリハを終えれば、一度ホテルに戻ってくる予定である。
本当ならあちこち見たいものはあるが、なにしろ任されている役割が大きすぎる。
いくらなんでも急な怪我人が出たら、どうにもならないであろう。
俊からするとまだ、月子のことは心配である。
食生活に気をつけているし、飲酒などもしていないのが月子である。
体力を取り戻すため、ジムがよいなども始めた。
そういった姿を見ているが、どこか危ういところを感じさせるのは、月子ではなく俊の方が、あの病気の影響を引きずっているからかもしれない。
人はいずれ死ぬ。
俊の父も死んだし、周囲でも死んだ人間はいる。
多くの偉大な音楽家は、半分以上は墓の下だ。
それでも今、生きている自分たちは、何かを刻み付けていきたい。
音源として残すものは、確かにあるのだ。
だがステージでのライブは、いくら後から見ることが出来ても、その体験は一度きり。
明日のライブもまた、一期一会の存在である。
月子がおそらく一番、それを意識して歌っている。
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