第368話 そしてフェスへ

 ノイズの活動再開は、月子のスピーチから始まって、大きな話題になった。

 こういうのも人生の切り売りというのかもしれない。

 だが普通の人間が闘病したぐらいでは、そう大きな話題にもならないであろう。

 ノイズのルナのキャラクターが強いからこそ、大きく取り上げられるのだ。

 リーダーである俊と暁は、マジックアワーの親つながり。

 ここもバックボーンがあるが、月子の場合は自分自身に、特集されるだけの過去がある。

 年末のフェスに向けて忙しいところに、取材の申し込みなどがあったりするが、全ては目の前のことが終わってから、と返答は同じようにしておく。


 千歳などが街を出歩くと、向こうから接触してきたりする。

 他のメンバーに比べれば、与しやすいとでも考えたのかもしれない。

 だが千歳もこの業界が、もう長くなってきている。

 嘘は言わず、解釈のしようがある言葉を使い、対応する能力がある。

 ノイズの中では俊の次に、作詞を手がけることが多いのが千歳だ。


 ノイズは日本に帰って来てから、他のミュージシャンのゲストで一曲だけやる、などという限定的な露出を行った。

 これに関しては永劫回帰とフラワーフェスタが、逆に食われることなど考えず、協力してくれたりする。

 大きなムーブメントを、ずっと作り続けるのだ。

 お互いに刺激を与え合って、飽きられないように音楽を変えていく。

 いつものあれ、というのも確かに安心感はある。

 だがいつかは飽きられるのだから、常に変化して進化し続ける必要がある。


 音楽業界のパイを奪い合う競争相手の面もある。

 だがおおよそはおたがいが共鳴しあい、パイ自体を大きくして行く。

 国内の需要が少なくなるのだとしたら、海外に出て行く。

 ある程度の成功はもう、当たり前のように成立する時代になってきた。

 俊が子供の頃はまだ、洋楽の方が圧倒的に優位という風潮もあったのだが、少なくとも国内ではその論調はない。


「まだ死ねないんだろうね」

「それは貴女も同じでしょ」

 久しぶりに集まった、俊とゴートと白雪の首脳会談である。

 白雪は最近、自分の曲を発表することを、控えめにしている。

 純粋に作曲の情熱が、冷えてきたというのは嘘だと思う。

 コンポーザーとして、果てしなき流れの果てにを作った時点で、もうやりきったという感じがあったのだ。

 だからこそMNRを発展的な解体に持っていけたというのはある。


 最近はフラワーフェスタの楽曲の、アレンジ部分に協力することが多い。

 基本的にフラワーフェスタの楽曲は、かつて存在した伝説のアーティスト、イリヤの遺作から発表されていく。

 ただし彼女の作った曲は、基本的にピアノを使ったものであるため、他の楽器のパートが書かれていない。

 そこをどうにか補強していくのに、白雪の力が必要になった。

 フラワーフェスタのなかなか弾けきれない様子に、紫苑が提案したというものだ。

 アレンジぐらいならなんとかなるか、と白雪は思ったものだが、彼女ぐらいの年齢になっても、普通に現代にマッチしたアレンジが出来るのは才能だ。


 また彼女はプロデューサーとしての力も持っている。

 MNRをさっさと売り出したのは、彼女の持っている伝手が大きい。

 そして紫苑は白雪にとって、自分を超えた弟子なのだ。

 もっとも紫苑の方は、まだまだ表面的な部分しか、上回ってなどいないと思っているのだが。




 月子の病気は基本的に、白雪のそれと同じタイプだ。

 ただ白雪の場合は、ポリープは出来てもまだ良性のもので、変に巨大化したりはしない。

 だが悪性になるリスクはずっと高いままで、全部摘出でもしなければ、いつかは必ず癌化する。

 遺伝性のものであるのも、月子と同じである。

 もっとも発症する年齢は、白雪の方がずっと上であったが。


 俊は白雪に対して、子供は欲しくなかったのかな、と思ったりもした。

 自分で産むのは難しい、と言われた月子が、子供を欲しがったからだ。

 デリケートな問題なので、俊が尋ねることはない。

 男はもちろん同性であっても、微妙な問題であるのだ。

 ただ白雪は少なくとも、紫苑を娘とまではいかないが、姪っ子のように扱ってはいる。

 紫苑からすると白雪は、生活がすぐに破綻してしまう、駄目駄目な叔母さんという感覚なのかもしれない。


 この三人の中では、ゴートも結婚している。

 永劫回帰のドラムから、プロデュースに専念するようになった段階で、しっかりと政略結婚をしている。

 ただ彼のことであるので、見合いのような形で紹介されたご令嬢は、何人も試されたそうであるが。

 変人っぷりを見せ付けているが、実際のゴートはひどく計算高い。

 自分を受け止める度量のある人間を、という条件だとかなり狭まったものだ。


 結局は自分より、一回りも年下の女性を選んだのだとか。

 芸能人ではないが、芸能人の家族を持つ、コネクションを増やせるためのつながり。

 ゴートからすると白雪は、死んだ男にいつまでも、操を立てているように思えるらしい。

 死んだ人間は美化されるのだから、誰も勝てる者などいない。

 実際のところは確かに、カリスマ性のある美形ではあったが、性格の方はかなりのクセがあったらしいが。

 

 変に美化するわけでもなく、白雪は普通に彼の全てを受け入れていた。

 長くは生きられないと分かっていながら、それでも歌い続けたのだ。

 最後の最後まで、弱音などを吐くことはなかった。

 確実にやってくる死の足音を聞いても、まだ強くいられるだけの力。

 微笑みながら死を迎えた彼に、白雪はずっと囚われている。

 あるいはそれこそが、愛の形であったのかもしれない。


 人は遺伝子か生き様を後世に残す。

 遺伝子は確かに、自分の生きた証明であおう。

 だが音楽はどうであるのか。

 音楽以外にも絵画や小説、また脚本などといった芸術系の作品。

 あるいはスポーツでもいいが、人々の心を大きく動かすという、人間にしか出来ないこと。

 それが出来た時点で、その人の生き方には価値があったということになる。


 自らが死んだ時と、自らが人々の記憶から忘れられた時。

 人間の死は二つあるが、その意味ではマジックアワーのボーカルも、ヒートのボーカルもいまだに生きている。

 楽曲が残っている限りは、モーツァルトもショパンもベートーベンも、本当の意味ではまだ死んでいない。

 それこそ自らローマを作り、そしてガリア戦記などを書いたカエサルでさえ。

 イエス・キリストなどは人類史上で、良くも悪くも最大の影響を残し、いまだに行き続けている。


 音楽もそうだ。

 早世したジミヘン、カート、暗殺されたジョンや、日本人なら坂本九。

 楽曲として残る俊に対して、月子は音源を残し、さらにMOONを作り出した。

 もちろん本人に比べれば、その表現力には限界がある。 

 だが月子は声を残している。

 彼女が死んだとしても、まだずっと彼女の歌は生み出される。

 それに俊は大金を投じて、企業と一緒に次世代型のボーカロイドを作っているのだ。

 もちろん開発して資本投下をしているのは、企業の側であるが。


 美空ひばりが亡くなってから、AIで新曲を出した。

 確かにあればかなり近いものであったろう。

 だがさらに進化させて、やがてはボーカルの劣化を心配しなくてもいい時代になるのか。

 あるいはどれだけ進歩しても、人間の声には勝てないのか。

 おそらく勝てない、と俊は思っている。

 単純に正確なギター演奏に魅力がないように、声には感情の揺れがないといけない。

 完璧でないことこそが、人の価値であるのだ。




 年末が迫ってきて、東京もいよいよ寒くなってくる。

 こうなるとまた夏のフェスがやりたくなるのだ。

 来年のノイズの予定は、あくまでも月子に負担がかからないよう、余裕を持って組まれている。

 体力が低下するのは、肉体の免疫力も低下する。

 肝臓の一部を切除した月子は、普通に体力が全般的に落ちているはずなのだ。


 久しぶりの大舞台である。

 だからといって気が逸っているわけでもない。

 俊が気にしているのは、あくまでも前のようにやること。

 一度はライブを行って、しっかりと調整は出来ている。

 ただフェスの中のステージであると、よくも悪くも周囲に影響されてしまう。


 活動再開を本格的にアピールするために、わざとトリ近くになどは入れてもらっていない。

 後半ではあるが、他のステージの客を取るような、そんなタイムテーブルである。

 ただこれによって客は、早めに来る者も増えてくるだろう。

 そうするとフェス全体としては、飲食やグッズ販売が伸びていくのだ。


 入院している間も、本格的な治療をしている時以外は、ある程度の外出が認められていた。

 暁も大きなお腹で、ギターを弾いていたものだ。

 胎教にいいのか悪いのか、果たして分からない俊である。

 昔はメタルなどを聞くと植物は育ちが悪く、ビートルズなどだとよく育つ、などという馬鹿なことも言われていたりした。

 もちろん胎教というならば、母体がストレスを感じないことが、一番重要なのである。


 新しく作った曲は、アルバムで出すぐらいには充分に量がある。

 前のライブでもそれを売ったが、かなりの反響があって全部が売り切れた。

 ノイズのアルバムは一番売れたのが、10万枚をオーバーしたもの。

 今の日本ではそれは、充分に凄い数字である。


 ただ本格的に売れる音源は、やはりダウンロードなのだろうか。

 PVが回ったり、サブスクで聴かれたりするのも、それなりに回っていると計算されている。

 契約によってノイズが手に入れた稼ぎは、そこそこのエリートサラリーマン一生分には、もう充分という計算になる。

 もっとも一度に多く稼ぐと、税金が高くなるのが日本の累進課税。

 基本的に日本は、自営業者には厳しい国であったのだ。

 今でも一億稼いだとして、半分ほどは税金で持っていかれる。


 それ以外にも保険料が高くなったり、住民税も高くなったり。

 タックスへヴンの国に行きたくなる、金持ちの気持ちも分かるというものだ。

 もっともそういう国はそういう国で、生活に金がかかる。

 早めのリタイアをしてそういった国に行ったはずなのに、金がなくなって日本に戻ってくる、という例は少なくないのだ。


 子供たちを育てる環境という点では、日本はやはり悪くはない。

 ただ昔に比べると、教育の難易度が上がってきている。

 義務教育だけでは通じないというのは、義務教育の敗北ではないのか。

 塾に行くのが当たり前の世の中で、俊も高校受験のためには塾に通ったものだ。

 大学に関してはペーパーテスト自体は簡単であったため、通う必要などなかったが。




 今回の月子の病気によって、ノイズは幾つかの借りを作ってしまった。

 ただ予約していた大きなハコなどは、レコード会社内で使えたため、特に問題とはならなかったが。

 人間というのはいつ死ぬのか、本当に分からないものなのだ。

 だが大きなツアーなどであると、ある程度の予定を立てた上でなければ、どうしても組み立てられない。


 とりあえず今後の五年間は、長期的な計画を立てるのが、難しくなったノイズである。

 特にボーカルというのは、そのバンドの顔でもあるのだ。

 暁であっても代役を立てられたノイズだが、月子の代わりが出来るなど、果たして他に誰がいるのか。

 実力だけなら充分であっても、そもそもバンドと合うのかどうか、それも問題となる。

 月子の声質に似ているボーカルは、俊は二人知っている。

 白雪と花音である。

 もっとも白雪はともかく花音は、他のバンドに合わせるのは、ちょっと難しいタイプであるらしい。


 過去にドームで、花音とも一緒にステージを作った。

 ゴートと白雪、二人のプロデュース能力とマネジメント能力に優れた人間と一緒にだ。

 その時に感じたのは、花音は本当に感性で音楽をやっている、ということだ。

 ゴートはしっかりと計算を入れているし、白雪も経験からプランを出してくる。

 ただ花音はそれに合わせるのは、かなり難しいらしかった。


 こちらがしっかりと歩み寄って、それで作ったステージであったと思う。

 彼女を中心にやっているフラワーフェスタは、相当の感性の持ち主の集まりだ。

 白雪をゲストにやるぐらいなら、白雪は臨時にMNRを活動再開させるだろう。

 月子のいないノイズというのは、もうノイズではないと言ってもいい。


 もちろんその先も、ノイズのメンバーはやれることがある。

 楽器パートのメンバーは、全員がスタジオミュージシャンをやれるぐらい、安定した演奏が出来る。

 もっとも暁だけは個性が強いので、そのあたりは俊と上手く連動する必要があるだろうが。

 千歳などはもしも解散した場合、自分でバンドを組んでもいいだろう。

 ただ彼女は大学で、俊の助手が出来るぐらいには、色々と学んできた。

 フロントマンとして立つかどうかは、千歳の気持ち次第になる。


 俊は最悪のことを考えている。

 それを考えても、対応出来るぐらいの力を、身につけたいと思ったものだ。

 だがノイズは月子がいなくなれば、本当にもう成立しなくなる。

 名前だけは同じで、全く違うバンドになるのかもしれないが。

「悪いことばかりを考えても仕方ないね」

 年末のフェスに向けて、舞台が組みあがっていく。

 それを見に来ていた俊は、白雪と偶然に会ったのだ。


 白雪もまた、大腸が癌化しやすい病気というか体質である。

 ストレスを避けて食生活に生活習慣を改善し、検査を定期的に行うことで、どうにか悪化を防いでいる。

 ただ予後のことを考えれば、もう今の内に取ってしまった方がいいのだ。

 それをしないのは白雪が、単純に長く生きるのではなく、生きたいように生きることを、ずっと考えているからだ。

 しかし俊にはそれは出来ない生き方だ。

 子供が生まれてからはどうしても、その将来を考えるようになった。

 なんだかんだと言いながらも、自分は充分な教育を受けさせてもらえる環境にあった。

 それを自分も、息子や娘に提供する。

 自分以外の誰かのために、この先を長く生きていくこと。

 俊はそれを考えているのだ。




 年末のフェスを前に、ノイズは忙しくなってくる。

 しかしそれと同時に、日本での生活が戻って、色々と感覚も戻ってきた。

 フェスの前にやることは、あとは練習ぐらい。

 月子が同じ家にいる生活は、昔を思い出させる。


 響は完全に和音のことを、妹扱いしている。

 確かに母が産んだのだから、そう考えても全くおかしくない。 

 遺伝子的にも異母妹なのだから、本当の兄妹であるのは間違いないのだ。

 ベビーベッドで眠る赤ん坊を、うっとりと見つめる。

 何がそんなに楽しいのだろう、と俊などは思ったりするのだが。


 やはり生活においては、三人でいた方が子供は、育てやすいのは間違いない。

 なんだかんだと響の時も、暁は月子に頼ることが多かった。

 そして今回は二人とも、出産と手術で体力を失っているが、一人目に比べれば楽であったと、暁などは思っている。

 月子も響のことは、甥っ子のような感覚で世話をしていた。

 それが今回は自分の子供を、しっかりと面倒を見るだけである。


 基本的に母乳で育てる、というのが暁の主義であるらしい。

 せっかく出るのだから、使わないともったいないではないか、というのがその主張だ。

 もちろん完全に母乳なわけではなく、粉ミルクも併用している。

 重要なのは赤ん坊が、しっかりと育つことだ。

 そこに変な主義を入れて、おかしな育て方をしてはいけない。

 例えば幼児にヴィーガン食をさせて、餓死させてしまったような。


 ミュージシャンの中でもアーティストぶっている人間は、変な主張をしやすいものだ。

 だがそれは今の時代では、パフォーマンスとしても流行っていない。

 それでもノイズは月子の顔隠しなど、色々と売るためのパフォーマンスはやっている。

 そもそも月子の存在自体が、一つのパフォーマンスであるのかもしれない。


 存在自体がスター。

 この世界に入ってこなければ、果たして月子はどういう人生を送っていたか。

 かつては音楽をやらなければ、ヤク中かアル中で死ぬばかり、という人間がいたのがロックの世界。

 もちろん今では充分すぎるほど、つまらない健全な世界になったものだが。

 そんな中で話題を提供出来るのは、ノイズの強さと言ってもいいのだろうか。

 月子の不幸を、強さと言うのは不適切だろうが。


 フェスに向けての準備は、問題なく進んでいた。

 クリスマスにおいては、響にプレゼントを買ってやる。

 そして暁には、実母からのカードが届いたりする。

 こうやって母と娘は、お互いの存在を確認しあう。

 年末のフェスは、昨年は出られなかった。

 大きなフェスに参加するのは、一年以上のブランクがあるノイズである。

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