第134話 コンピレーション

 結果だけを言うなら、俊は注意は受けたものの、むしろ誉められた。

 そもそもその場でコンピレーションアルバムの件が出てきたのだから、事前に相談のしようもないのだ。

 コンピレーションアルバムというのは基本的に、事務所側が損することはないのだ。

 印税はしっかりと入ってくるし、なんならそこを起点に他の曲も聴こうと思い始める。

 ただそのためには、やらなければいけないことがある。

 一つは霹靂の刻のMVの作成。

 そしてもう一つは、サブスクなりDL販売なりの、音源の提供である。


 CDが全く売れなくなった時代というのは、つまりコピー技術が発達した結果とも言える。

 PCを使ってCD-Rにコピーすることを、データを焼き付けることから「焼く」とした時代である。

 レンタルショップはこの時期、その規模を拡大している。

 CDの現物が求められた時代なのである。

 また同じくPCのソフトによって、データだけを抜き出すことも出来た。

 PCの中に仮想CDドライブを作り、そこにセットすれば普通にCDが聞ける。

 もちろんこの時勢をどうにかしようと、コピーの不可能なCDも出たのだが、これが通常の視聴も出来ないというパターンがあったりした。


 もっともこの時代もまだ、完全にCDが売れなくなったというわけではない。

 問題になったのは、ネット回線が高速化した時代である。

 今となっては便利さだけが目立つが、当時は大きなマイナス要素もあったのだ。

 それがネットによる、データの取引である。

 PCゲームの発売日など、その発売する前から前日売りのデータを抜き出し、交換し合うという時代であった。

 そう簡単にデータを送られないよう、大容量のDVD化するゲームもあったが、回線の高速化が全てを無意味にした。

 これはゲームだけではなく、音楽CDにも同じことが言えたのだ。

 またコンシューマーのゲームさえ、一部は改造してプレイできるようになっていた。


 ここからがまさに、CD販売冬の時代と言えよう。

 もはや特典に価値をつけなければ、売れない時代となったのだ。

 意外とレンタルの方では、自分の好きな曲を集めて、勝手にアルバムを作るということもPCなどでやっていて、そこそこ稼げていたらしい。

 しかしこのレンタル文化も、そもそもネットから直接ダウンロード出来るようになると、わざわざレンタルもしなくなる。

 店舗に行けば貸し出し中で借りられない、ということがネット配信ではないのだから。

 これは回線が高速化し、安定するごとに環境は悪化していった。

 レンタルショップの次々と閉鎖されるのは、音楽もDVDも、配信がメインになっていったことによる。


 そう、つまり配信なのだ。

 実はまだ日本というのは、比較的CDが売れている国なのだ。

 それはやはりコレクターズアイテムという扱いが強いし、あとは特典商法もある程度上手くいった。

 ただこの時代はネットにおいて、後のボカロP全盛の萌芽を迎えてもいたのだが。

「そんなにサブスクが嫌?」

 事務所で阿部にそう問われても、俊としては困るところなのだ。




 俊自身も現在は、音楽は配信で聴くものだと思っている。

 だが父はCDどころか、LPを出して聴いていたりもしたのだ。

 LPとは、つまりレコードのこと。

 圧縮されていない、アナログな音声のことである。

 レコードの愛好者というのはずっといて、リバイバルブームで流行ったりもする。

 確かに耳がいいと、レコードの方が心地いいと感じる人間はいるのだ。


 音楽というのは本来、クリアなものではない。

 特にライブバンドの音というのは、どこかにそのバンドの持つノイズを含んでいる。

 そしてそのノイズこそが、バンドの魅力でもあるのだ。

 俊としては不思議な感覚であうる。

 ボカロで、つまりDTMで音楽を作るというのは、演奏した音を録音するのでなければ、クリアなものとなる。

 それにわざと個性的な濁りを足していくのも、それはそれで大変なものだ。


 ライブであれば、そして楽器によるレコーディングであれば、その魅力的なノイズを拾いやすい。

 完璧であることが正しいことであるなら、完璧であることは全く美しくない。

 苦悩も挫折もない人生に、なんの意味もないのと同じだ。

 消してはいけないノイズを、音源として残していかなければいけない。

 なので俊はだいたい、生音に近いミックスを心がけている。


 サブスクだろうがDL販売だろうが、音源が同じであればやはりノイズが含まれる。

 しかし他のミュージシャンの音源と並べられて、それをどう感じられるだろうか。

 個性と取るか、それとも下手と取るか。

 俊がライブをするのは、それが儲かるからでもあるが、音楽の原始的で本質的なところに迫るからだ。

「まあ確かに、このミニアルバムは違うけど……」

 阿部もマスターの音を聴いた時には、完全にこれまでとは異質だと感じたのだ。

 特に霹靂の刻において、それは顕著である。


 三味線という楽器の音を、マイクを使って拾った録音。

 その音に引っ張られるように、歌が感情的になっている。

 歌詞については厳しい季節の流れと、旅を歌ったようなもの。

 月子のソウルフルな歌に、マッチしたものであった。

 彼女の人生について、またそのディスレクシアについて、阿部は話を聞いている。

 ただ彼女が悪そうな顔で言ったのは「じゃあ、そう簡単にはソロになんか行けないわね」というものである。

 俊としてもそんな打算はあったが、言葉にするのは露悪的なものであろう、と思ったものだ。


 ノイズというのはバンドであるが、他のバンドに比べると明らかに、メンバーの仲がいい。

 その大きな理由はやはり、俊の人格にあるのだと阿部は考える。

 俊は単純に善良な人間ではないが、少なくとも悪辣ではない。

 それにメンバーのことに関しては、かなりその将来までも考えて、長期的な視野を持っている。

 とにかく目の前の分かりやすいチャンスにばかり、飛びつこうとは考えていないのだ。

 作詞作曲をやっている自分だけが儲かる、そういうことにならないようにしている。

 その結果霹靂の刻が生まれたのだから、バンド全体としても大きな利益となっている。




 多くのバンドは作詞作曲が、一人の手によるものになっている。

 そのため著作権収入が大きく違い、普通のマンションに住んでいる人間と、タワマンの高層階に住んで外車を乗り回すのが、同じバンドのメンバーになっていたりする。

 こういう経済上の問題が、音楽性の違いなどの理由で、解散や離脱の理由となることがあるのだ。

 ノイズにしても演奏のクオリティをわずかに下げてもいいなら、リズム隊はバックミュージシャンにしてもいいのだ。

 それを俊が良しとしないため、ノイズはインディーズレーベルから音源を出し、格差が少ないようにしている。

 もっともそれでも、長期的に見れば楽曲の使用料などで、俊が一番儲かるのは間違いない。


 いずれは俊のポジションを、他の人間で埋めた方がいいのかもしれない。

 彼にはマネジメントも含めた、プロデュースの方向で頑張ってもらうのだ。

 コンポーザーとして他人からのインプットを必要とする俊は、現場から離れたがらないのであるが。

 かなり音楽業界に詳しい俊であるが、それでも今のままなら限界はあると分かっている。

 大きな宣伝を打つような準備がなければ、キラーチューンとなる楽曲でも、なかなか客に届かないのだ。


 阿部は霹靂の刻などは、上手くすれば海外受けが大きいのではないか、と思っている。

 以前から三味線に限らず、日本の伝統音楽に対して、強い関心を示す欧米人はいる。

 アーティストというのは、新しいものや知らないものに対しては貪欲なのだ。

 その分かりやすい例が、フロントを才能のある三人で揃えた俊であろう。

 ボーカルというのは完全に、他の誰かに似てはいても、同じことは出来ない個性だ。

 もっとも楽器演奏も、高いレベルであれば同じことが言えるのだが。

 暁のギターは単純に上手いし、ライブでの即興など、どうしてそんなリフが出てくるのか分からない。


 究極的にはライブで稼ぐ。

 それがバンドを長続きさせるポイントだろう。

 ノイズはビジュアル売りしているバンドではない。

 そのファッションなどは全員の傾向がバラバラというか、月子以外は基本的に普段着で演奏しているのだ。

 もっとも俊も信吾も、ちょっといいジャケットは羽織っている。

 栄二などは時々、ツナギを来てステージに立ったりもする。


 この月子以外はあえてファッションにこだわらないというのも、逆の意味でファッションへのこだわりなのだ。

 暁のバンドTシャツで統一されているのも、その一つである。

 キメすぎるとかえってダサいというのもあるが、一人だけドレスアップした月子を目立たせる作戦でもある。

「そういえば素顔を隠すのいつまでやるの?」

「普通に知ってる人は知ってますけどね。ただアイドル時代の活動がプラスマイナスのどちらに働くかということと、一番いいタイミングはどこか迷ってて」

 一応サングラスをかけてマスクをしている月子だが、打ち上げではマスクは外すし、ステージでも目の周り程度しか隠していない。

 それに楽屋で関係者には、普通に素顔は見られている。


 いつかは明らかにしてもいい。

 ただ、今は必要性を感じない。

 ノイズというバンドに存在する、どこかミステリアスな要素。

 それはほぼ日常のスタイルで演奏する楽器隊の中、一人ドレスアップした月子によるところが大きい。

 正直なところ、ビジュアルで売っていくというスタイルも、あるだろうとは思ったのだ。

 とりあえずアイドルと同一だと思われるのを、当初は避けるためであった。

 だが今はその素顔を、知りたいと思う人間も増えている。

 顔出しNGの歌手やVの人気を考えれば、この路線は良かったのではないかな、とずっと思っている。




 とにかく重要なのは、目の前のフェスを成功させること。

 1000人規模のハコでトリというのは、ある意味これまでで最大の期待値となるのではないか。

 さすがにCD1000枚は売れないだろうな、と俊は考えている。

 それでは演奏を聞いた全員が、買ってくれることになるではないか。


 最近はTシャツやステッカーにマグカップと、地味に物販も充実させていっている。

 この利益が案外、馬鹿にならないのである。

 デザインは佳代や、彼女が苦手なものであれば、その知り合いに頼んでいる。

 やはりネットなどでの依頼よりも、直接知っている人間の方が、意思疎通がスムーズである。

 微妙なニュアンスまで伝わるというのは、それこそまさにライブ感覚と言えるであろうか。


 ライブの持ち時間もそれなりにあるので、また千歳の要求によるアニソンカバーをしたりする。

 まあそちらは俊も、かなりノリノリでやったのだが。

 そのうちまた、アニソンカバーアルバムはやってもいいかなと思ったりするようになった。

 今度は2010年以降の、普通にまだ新しい楽曲をやってもいいだろう。

 それに俊は、ボカロカバーもやってみたいとずっと思っているのだ。

 元はボカロPをやっていただけに、素晴らしいのになぜか受けていない、というPも知っている。

 いや、正確に言えば充分すぎるほど受けているのに、なぜかメジャーレーベルから声がかかっていないそうだが。


 俊がサリエリとして発表していた程度のものや、あまりにネタに走ったスキスキダイスキはともかく、あれだけ再生されていて問題があるのは、ひょっとして公務員か何かで副業が禁止なのかな、と思ったりもする。

 天才がまだ埋没している。

 それがネットの社会なのである。

「ノイズさん、そろそろです」

 楽屋にスタッフがやってきて、俊たちを促す。

 普段通りのメンバーの中で、今日は月子が三味線を持っている。

 もっとも以前にも、少しだけ使ったことはあるのだ。


 去年の年末にやったのと、規模は同程度。

 だがオーディエンスからの、期待値は全く違う。

 それに相応しい演奏が出来るよう、ずっと練習してきた。

 特に月子の三味線は、鬼気迫るものがあった。

 あれが芸の世界であるのだろうか。暁のギターとも通じるものがあった。


 色々と考えることはあるし、これが終わってもまたすぐに次の仕事と、充実してはいるがあまりに忙しい。

 それでも目の前のライブに、全力を尽くすのみ。

 ステージ脇までやってきて、最初に足を踏み出すのは俊だ。

 変に派手なことをしない、まるで骨組みが見えるようなステージ。

 ノイズの発する雑音は、それでも世界に届いていく。

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