第104話 事務所やレーベル

 俊の音楽に対する姿勢は、極めて俗物である。

 要するに一言で言ってしまえば、成功したいというものだ。

 名声を得ること、遠い未来に曲を残すこと、そして稼ぐこと。

 だが三番目のことに関しては、それほど自身は重要と思っていない。

 しかしバンドを組んだということは、そのメンバーに対して責任を持つこととなる。

 俊がリーダーであることは、一度も誰からも文句は出ていない。

 愚痴をこぼすぐらいは仕方ないが。


 世界中に音楽を届けたい。

 残念ながら音楽で世界を平和にするとか、人類を新たなステージに持っていくとか、いずれ訪れる宇宙人との対話に役立てるとか、そんなことは考えていない。

 ただ自分の音を残したいのだ。

 哲学や物語ではなく、音楽を選んだのは成り行きではある。

「いずれはメジャーの資金力が必要になる」

 世界を目指すなら、資金にノウハウ、そして宣伝媒体などが必要になる。

「ただそのメジャーとの契約のためにも、まずはインディーズで圧倒的な成功を収めたい」

 難しいことを言うな、と分かっているのは栄二である。

 信吾もある程度は、分かっていなくもない。


 今はいい世の中になったものだ。

 CMや雑誌などで大きく宣伝したり、テレビに出る必要もない。

 ネットによって個人の力で、宣伝していくことは出来る。

 もっともそこにはノウハウがあって、また宣伝にも資金があればあるほどいい。

 しかし良く出来たCMよりも、個人の口コミの方が、むしろ信頼されることさえあるのが今だ。

 そのあたり俊は元々当たり前だと思っているが、岡町などからすると大きな変化であるのだ。


 またいまだに音楽を流す媒体としては、ラジオが優れていたりする。

 テレビは、少なくとも電波のテレビは没落し、それよりはネットの番組の方が世の中には広がっている。

 情報の伝達が、とにかく早すぎる時代であるのは間違いない。

 それこそプラットフォームを利用すれば、自分たちで完全にプロデュースすることも出来る。

 実際には机上の空論に近いが。


 目標とするのは、今はまだまだ知名度を上げていくことだ。

 今はコンテンツが拡散し消費される速度が速い。

 ただし一度爆発すると、長く続く場合もある。

 音楽に限らず、マンガや小説でもそうだろうが、何が本当に売れるのかは分からない。

 ただし作家の名前が、一つのブランドになることはある。


 書籍などは全体での売上は低下の一方ながら、限られたトップレベルはとんでもなく売れる。

 その理由の一つには、コスパとタイパが挙げられる。

 コンテンツがあふれている時代だけに、無駄に金も時間も消費したくない。

 だからある程度のインフルエンサーがいいと言えば、それにならってしまうというものだ。

 自分が時間や金をかけたものを、つまらないと思いたくないという感情。

 そこを上手く突くことが出来たら、世間に周知されることが多くなる。




 ブランド化というのは、重要なものだ。

 今の世の中は本当に、人の余暇を奪うためのものであふれている。 

 その基盤にあるのが、インターネットだと言ってもいいだろう。

 極端な話これは、出生率の低下にまで及んでいると思う。

 娯楽がなかった時代は、夜にやることなど限られていた。

 しかし今はネットを通じてほどよく他人と接触し、いくらでも娯楽を満喫することが出来る。

 そんな便利な世の中で、あえてライブに来るという人間が、意外と若者にも多い。


 人間はデジタルなものに慣れすぎると、アナログなものに憧れるという習性がある。

 似たようなものとして、データとして保存しているものが膨大になってくると、実体のあるものを特別と思う。

 ノイズのアルバムが売れたというのは、ちゃんと定価で買えるものだが、希少価値はあったものだからでもあろう。

 通販の充実と再プレスの告知により、下手に転売などが起こらなかった。

 ただほしいことはほしいが、実物でまでは欲しくないという層もいるだろう。

 そこから中古市場に流れる、というのも確認したりはしている。


 一度ネットの違法サイトなどに流れると、それを消すことはほぼ不可能である。

 もう流れてしまったら、それは宣伝というぐらいに割り切らなければいけない。

 もっとも堂々とネットサイトで海賊版を流しているものは、さすがに例外であるが。

「実体に価値を持たせたいんだよな。あとはライブとか」

「ライブはうちの場合、学校の問題があるな」

 俊は栄二とそんな話もしながら、メンバー全員でメジャーレーベルABENOの入ったビルを訪れた。

 ビルは同じであり、また上に入るレコード会社も同じであるが、新しいレーベルと事務所は別個のもの。

 ややこしい限りである。


 そもそもABENO自体は女性歌手を中心に扱っているレーベルなのだ。

「事務所がマネジメントをし、レーベルが音源を作り、レコード会社がそれを販売する。だいたいレコード会社の下に複数のレーベルがあり、レーベルの下に一つか複数の事務所が所属している場合が多い」

 ABENOはアイドル部門には手を出していなかった。

 だから月子に声をかけてきたのは、女性アーティストとしての活動である。

 そして今、月子はノイズというバンドとして活動をしている。

 そのノイズは規模はともかく、既にある程度は有名になっている。

 シェヘラザードからアルバムを二枚も出して、それが売り切れて再プレスされているからだ。


 CDなどというものは、そもそも今ではほとんど売れなくなったし、初動が全てと言われる。

 だが通販でまだ売れているというのが、おかしなところであるのだ。

 そんなおかしなバンドを売るためには、ABENOというレーベルでは動けない。

 よって新しく、半独立したレーベルを作って、事務所の用意もした。

 実際にはノウハウはメジャーのものを使えるため、かなり出来ることは多い。




 俊は現在、CDと言うか音源を作る技術は、既に持っている。

 レコーディングに関しては、スタジオさえあればもう、どうにかなるのだ。

 ミックスからマスタリングの作業までは、自前でやってしまえるようになっている。

 このあたり、多芸にもほどがあると、一般のアーティストからは思われるものだ。


 宣伝などに関しても、そもそもシェヘラザードのファーストアルバムが、大規模ショップを中心に売り切ってくれた。

 もっとも通販などの分も相当に多く、異例の再プレスとなったのだが。

 今のノイズが必要としているのは、だからどれだけのCDをプレスするのが最適なのかということ。

 また今後のツアーをするにいたっては、ライブハウスなどのハコの確保に、ツアーのスケジュール。

 取材への対応なども含めた、マネジメントをやってくれる人間が必要になる。

 音楽の方向性などは自分たちでやるが、そこに口を出しすぎるなら、それはやはりご縁がなかったということになる。


 事務所やレーベルに関しては、一応四つとも実在して活動しているところではある。

 このあたりインディーズ全盛の時代などは、完全な詐欺の事務所やレーベルを騙るところもあったのだ。

 レッスン料などの名目で数百万だのを払わされたが、結局は音源を作ることなどなく、レビューも出来なかった。

 レコーディング費用を払わされたものの、CDが店頭に並ぶことはなく、宣伝もない配信だけであった。

 アイドルの場合はもっと露骨に枕営業を強制されたり、これまたレッスンや衣装が自腹というものもある。

「ん? メイプルカラーもけっこうブラックだったんじゃ?」

 暁がそんなことを言うが、あそこはボイトレにダンスの振り付けなどは、回数こそ少ないもののちゃんと事務所が出していたし、衣装代なども出していた。

 ただ圧倒的に給料が安く、チェキで稼がなければ食べていけなかっただけである。


 少なくともマイナスではなかったし、ライブの回数は多かったため舞台度胸はついた。

 時給換算すれば100円以下であったろうが、それでも悪徳の部類には入らない。

 何よりも辞めようと思えば、普通に辞められるものであったのだ。

「最低限の給料とか、あとはレコーディング費用とか、CD販売に配信などの配分がどうなるか、そのあたりがポイントだろうな」

 そしていよいよ、交渉が開始される。




 新しいレーベルは、まだ事務所のテナントも用意しておらず、ABENOの応接室を借りて行われた。

 そこでまず提示されたのが、生活基盤を整えるためのものである。

 今は全員が、自宅や下宿という状況であるが、事務所側が寮という形でマンションを借りることも出来るという。

 これは地方から出てきて、家賃までどうにかバイトで払うようなミュージシャンには、魅力的なものだろう。

 それほど広くはないが、セキュリティだけはしっかりとしている。

 しかしノイズのメンバーは、その点は問題がない。


 あとは一ヶ月の最低限の給料である。

 最低保証給が五万円。

 安いと思われるかもしれないが、何も仕事がなくてもこれだけは保証されるのだという。

 高校生のバイト代より安いであろうし、パパ活をした方が稼げるぐらいだ。

 だがここに普通のバイトか、事務所が持ってくる安いバイトを足せば、充分に生活は出来る。


 新しい事務所は所長が阿部香澄、事務員が一人に、マネージャーが一人という少数体制。

 まだ所属アーティストが0なのであれば、人がいらないのも当たり前だろう。

「そもそも本気で新しく事務所を作る気なんですか? うちらだけじゃなく」

「他に二つほど声はかけていて、そちらは手応えがあるけれど、一番力を入れたいのは貴方たちね」

 事務所も慈善事業ではないので、儲かることを考えなければいけない。


 下手に甘いことは言わず、最低限の保証を告げてくる。

 むしろこれは信用してもいいだろう。

 それにレコーディング費用などは、さすがにレーベルが持ってくれるという。

 俊としては逆に、そこは自分たちでやりたいのだが。

「ボカロPでCDを二枚出してると、分かってるわけね。さすがにマスタリングはこちらでした方がいいと思うけど」

 それは技術と言うよりは、二重チェックの意味合いが強い。


 ノイズが今やりたいと言うか、俊の負担が重過ぎると思っているのは、ライブ開催やイベント参加への交渉などである。

 こういったものこそまさに、メジャーとのつながりさえあるくせに、小回りの利く新興事務所に求めるものだ。

 またマーケティングの数字を持ってくるのも、ビッグデータを持っているメジャー傘下というのがありがたい。

 今日一日で契約がまとまるというものではない。

 だが約束したとおり、最初に声をかけてくれた、阿部に話を持ってきたのだ。

「ちなみに他の三つは?」

「ほい」

「……全部それなりにまともなところね」

 文句のつけようがなかったために、そこは眉間に皺が寄ってしまう。


 信吾と栄二は条件がいいか悪いか、暁と月子はやりたいことが出来るかどうか。

 そして千歳は意外と言ってはなんだろうが、儲かるかどうかが重要だと考えている。

 もちろん俊としても、儲かるかどうかは重要である。

 しかしそれが短期的に儲かるのか、長期的に見ていくのかで、話は変わってくる。

 今のノイズは学生が三人もいるので、どうしても動きに制限があるのだ。

「学生をしながらあれだけライブやフェスに参加してるって、一番負担が大きいと思うんだけど」

 阿部にさえ心配されてしまう俊だが、周りが言っても止まらないのが彼であった。


 そもそも今が、一番やることが多くて充実もしている。

 ここで少しは休みたいと思うほど、俊はこれまで恵まれた環境にはなかったのだ。

(さすがにそろそろバイトは辞めようかな)

 シフトの時間を減らしているだけに、店の方もあまり俊には期待していないのだ。

 データを事務所が持ってこれるなら、CDショップにいる意味は少ないのでは、と思っているのが現在の俊である。

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