第300話 この時代

 ブラジル人とは何か。

 文化的にはラテンと思われるが、実際には黒人文化も色濃く残っている。

 アメリカよりもよほど多くの黒人奴隷を移動させ、そして現地人とも混血していった。

 アメリカ人に比べると、白人とはっきり分かる人間の数は少ない。

 どんどんと混血していったため、はっきりと分かる差別はアメリカに比べて少ない。

 ただ黒人への差別が、全くないとも言えない。


 カーニバルで踊るサンバなども、元は黒人由来のものである。

 アメリカのブルースなども黒人由来であり、それを考えれば今のPOPSは黒人の音楽なのか。

 もちろん様々な要素が入っているが、黒人音楽がなければ、発生しなかったというのは確かだろう。

 日本は明治の時期に、ヨーロッパの音楽を取り入れた。

 そこからやがて、昭和歌謡や演歌が現れる。

 演歌が実際は新しい音楽であったことは、知っている人間は知っている。

 俊はさらに古い、民謡などの要素は取り入れた。

 そして60年代から90年代までの洋楽を、特に前半を取り入れて、90年代の邦楽とも調整している。


 最後に入ってきたのがボカロ曲である。

 人間には不可能とも思える、超絶技巧のボーカロイド。

 しかしそれを可能にする歌い手も出てきたのだ。

 これはほぼ日本にしかなかった音楽で、ひたすら一人で作り出し、ただ影響は与え合ってきた。

 行き詰るともう一度、原点に戻っていく。


 来てよかったな、と俊は思う。

 インプットというのは部屋の中で、ただ音楽を聴いていればいいというものではない。

 この空気の中で、漂ってくる音楽は、確かに新しいもの。

 今までの俊にはなかったものだ。

 画面越しに感じる、アメリカやヨーロッパでのステージとも違う。


 南半球であるのだから、暑いとは思っていた。

 だが日本の夏に比べれば、それほどでもない。

 風邪だけは引かないように、と注意はされていた。

 しかし夏の地域から冬の地域に移動することと比べれば、それほどひどい寒暖差はない。

 ホテルにいる間は、快適である。

 野外に出た場合は、さすがに暑さを感じるが。


 初めての海外フェスに、南半球を選んだのは、正解であったのか。

 時差ボケもあるがそれ以上に、気候の反転が大きい。

 もっとも亜熱帯に近いのに、日本よりは過ごしやすい。

 特にリオも郊外までやってくると、日本の避暑地よりも過ごしやすくなる。


 世界で一番の森林地帯であるアマゾンは、熱帯気候。

 南米においては最大の面積を誇るため、国という単位では気候を一口で言えない。

 亜熱帯気候もあれば、温暖湿潤気候もある。

 ここいらは亜熱帯に近いが、極端に気温が高いわけではない。




 やはりフェスに参加するなら、イギリスなどの方が良かったかもしれない。

 もちろんそういったところから、オファーがかかるのは難しいのだが。

 ブラジルの文化には、ある程度は日本の香りもついている。

 それでも本格的な移民というのは、第二次大戦以前のものであった。

 他の国に比べれば、現地との同化は進んでいるとも言われる。

 確かにサッカーは人種関係なく、圧倒的な人気ではあるらしいが。


 リハのセッティングまで済ませることが出来た。

 しかし通訳を通さなくてはいけないのが、面倒な感じはした。

 英語もある程度は通用するのだが、それはスタッフに米英の人間が入っていたりするからだ。

 どうしても日本のフェスに比べれば、不自由さは感じられてしまう。


 あるいはノイズのメンバーが、ほとんど若いことも関係しているのか。

 特に女性陣などは、確かに10代までいたりもするのだ。

 栄二はさすがに大人には見られるだろうが、俊たちでさえどうなのか。

 もっとも音楽の世界では、年齢というのは関係がないはずだ。

 暁はそれを見せ付けるかのように、ギターのリフで周囲を挑発する。


 子供のような女の子が、なんだか凄く上手いギターを弾いている。

 そして単純に技巧に優れているだけではなく、個性的でもある。

 なんだかんだ言いながら、暁のギターの音はこの中で、最も雄弁なものである。

 歌詞が分からないのであれば、ギターのサウンドは一番、伝わりやすいものであるのか。


 暁のギターの音には、半世紀前の響きがある。

 もちろん今風に弾くことも、当然ながら出来るのだが。 

 様々なレジェンドのコピーをして、やがてはそれに物足りなくなる。

 あるいは自分の音が欲しくなる。

 そうやって誰もが、自分のギターを奏でていくようになるのだ。


 本物のギタリストというのは、そういうものである。

 信吾にはギターなど、正確な伴奏という意識が強かった。

 どうせリズムを取るのなら、低音で鳴らしていくベースの方がいい。

 そういう好みもあって、ギターからは手を引いたのだ。

 俊もそうだが、ギターをかつて弾いた転向組なら、暁を見れば正解がそこにあるのが分かるのだ。


 いじめられていたわけではないが、周囲に溶け込むことはなかった。

 それは自分の中心に、確かなものが強くありすぎたからだろう。

 ノイズの中に入って、ようやく自由に弾くことが出来るようになった。

 比較的同世代の、自分と合わせてくれる人間。

 あるいは自分を支えてくれる人間。

 暁はずっと子供の頃から、上手い大人にばかり囲まれていた。

 それが彼女を成長させたが、同時に一つの枷にもなっていたのだ。




 リハからして激しく、しかし軽々と弾いている。

 ローティーンにさえ見えるような、黄色いレスポール使い。

 この音を聴かされて、セッティングスタッフは気合を入れなおしたであろう。

 気のせいかもしれないが、その後のセッティングは、スムーズに進んでいった。

 もっともフェスの場合、すぐにまた音が狂ったりはしてしまうのだが。


 暁のレスポールも、千歳のテレキャスも、演奏中にあまりチューニングが狂わないギターだ。

 もっともちょっと狂ったところで、演奏のパワーがむしろ爆発してしまったりもするのだが。

 ただ暁は普通に、弾きながらチューニングをし直す。

 ステージの規模はそこそこで、順番もほぼ昼間。

 さほどの集客が期待できる要素がない。


 実際にステージに立ってみれば、もっと集まりそうではある。

 しかしそれだけに、集まらなかったら、少ない観客が目立ってしまいそうだ。

 これまでは散々、笑ってきたそういう光景。

 もっともノイズも、一番最初の新人フェスでは、大成功というような集客ではなかった。


 アメリカでの知名度は、むしろ高いと分かっているのだ。

 しかしブラジルではどうなのか。

 おそらくこれがフランスであれば、また影響力はあったろう。

 あるいはアジアのどこかであればどうだったか。


 集客が読めないというのは、確かに不安要素ではある。

 だが読めないというのは、むしろ楽しみとさえ言える。

 俊としても楽しみとまではいかないが、ある意味では注目している。

 果たしてノイズの音楽というのは、本当のパワーを持っているのか。

 英訳されたノイジーガール以外、他の曲は果たして通じるのか。

 未来が分からないことの、楽しみと言えるもの。

 それを感じるのは久しぶりのことである。


 ここでインフルエンサーを獲得できれば、英語圏以外にも伝わっていく。

 配信しているチャンネルなどには、韓国や中国の書き込みも、それなりにあるのだが。

 基本的にそういったものは、見ないようにしているのがノイズである。

 ただ再生数や登録数が、どういった感じで伸びていくか、それは気にしているのだ。


 これはエゴサなどではなく、純粋に反応を見るためのもの。

 コメントの内容などには興味がない。

 純粋に数字だけを見ていれば、世間がどれぐらい反応しているが分かる。

 フェスはカメラでも録画されていて、映像を後からもらうようになっている。

 ただステージの設備というのは、日本に比べるとどうしても、少し安っぽいところがある。




 下手に洗練された演出がない。

 ただ充分に派手な部分はある。

 ライブに必要な、パワーをこの会場は持っている。

 元々ライブにおいては、熱量が重視されるのだ。

 技術ではなくソウルがオーディエンスには伝わっていく。

 そもそも洋楽全盛期の頃、日本人でちゃんと英語を理解出来ていたのが、何人いたであろうか。

 もちろん舶来品というだけで、ある程度の評価が高まっていた、というきらいもある。


 欧米と違う場所、というのは良かったのかもしれない。

 あるいはあとは、台湾などもどうだろうか。

 ただ残念なことに台湾は、それほど音楽の市場規模が大きくはない。

 だからこそ今の内に、進出するという考えもあるのだが。


 市場規模は圧倒的に、アメリカが一位である。

 しかしそれに次ぐ二位の日本も、三位のイギリスをかなり引き離している。

 あとはドイツとフランスで、上位五カ国。

 この五位と六位の間にも、それなりの差があるのだ。


 ちなみにアメリカは現在、サブスクなどの音楽配信が、大きな売上となっている。

 しかし割合的には、それを上回るのが中国であったりする。

 もっとも中国は当局の規制が大きいだけに、あまり市場としては当てにならない。

 なお日本の場合、フィジカル媒体、つまりCDの売上割合が、世界で一番となっている。

 これに次ぐのがドイツであり、アメリカは完全に配信主体になっている。


 ブラジルも世界の音楽売上規模では、おおよそ10位前後。

 そしてその割合は、配信でもCDでもなく、演奏権収入が高かったりする。

 つまりライブなのである。

 規模は小さくても、割合的には高い。

 このあたりに国民性が見えてくるだろう。

 

 日本はいまだに、CDの売上が大きい。

 しかしその背景には、CDに付属した何かが価値となっているのだ。

 もっともそのおかげで、CDを買うという文化自体が、まだそれなりに残っている。

 アーティストのベスト盤などが出れば、それを買う人間がいる。

 実際にスピッツの人気が再燃したのは、レコード会社が出したベスト盤からであるとも言われている。


 ブラジルでは音楽を、生で聴いて楽しむ、という傾向が強いのだ。 

 もちろん規模で言うなら、アメリカの方が大きい。

 しかしアメリカはそれ以上に、ストリーミングなどが大きいだけである。

 日本はCDが売れているというが、特典商法を除外したら、どうなるのであろうか。

 配信での規模は、イギリスとそれほど変わらない。

 少なくとも日本のミュージシャンは、特典商法が出てきた時には、アイドルなどを毛嫌いしていたところはある。

 だがそれは順番が逆で、CDがそのままでは売れなくなったからこそ、特典商法でCDを売るようになったのだろう。




 CDが売れなくなった2000年ごろは、皮肉にもレンタルが最盛期に入ってきていた。

 そしてPCの普及率が、どんどんと高くなっていったのである。

 CDをコピーすることを「焼く」と言っていた時代である。

 PCのソフトとドライブによって、ゲームや音楽CDが、そのままコピーできた時代だ。


 コピー防止を考えたCDもあったのだが、それはソフトやドライブによって、いたちごっことなってしまった。

 結局は買うほどではない、というCDはどんどんとレンタルされてコピーされていったのだ。

 さらに言えばPCでBGMとして流したり、あるいは他の音源として車で流す場合も、PCのソフトが使われた。

 この時代には既に、一応ネットがそこそこ速くなって来てはいた時代である。

 しかしそれでも、今と比べれば全く比較にならない。


 またストリーミングの前段階として、海賊盤が出回っていた。

 これはゲームなども大きな被害に遭っていた時代である。

 ネットの回線が、まだまだ細かった時代。

 それでもネットによって、CDが売れなくなりコピーがされていった。

 ただレンタル用のCDは、それなりに売れた時代でもある。

 CDレンタルは一定額が決まっており、そこからちゃんと収入にもなってはいたのだ。

 それでもCDが売れていた時代とは、全く違うようになっていったが。


 90年代終盤から、CDの容量のデータは、ネットでやり取りが出来る時代になった。

 この時代になるとWinnyというソフトが出ていて、それでPCゲームや音楽CDのやり取りができるようになっている。

 こういった違法のデータのやり取りは、中国なども多かった。

 またコンシューマーゲームにも、その波はある程度あったのだ。


 ただこの時代から、後の拡大を見せていく分野もあった。

 たとえばアニメなどである。

 深夜アニメではなく、一部の放送局でしか見れないアニメが、ネットによって時差こそあれ、日本中で見られるようになった。

 これもまた海賊版であったが、こういう背景を元にして、やがて有料ではあるが、すぐにアニメを見られるサイトなどが出現していった。

 もっともこれもネットの回線の、高速化があったからこそ出来たものだ。


 音楽のストリーミングなども、ネットの高速化があったからこそと言える。

 さらにこれは、電子書籍の分野にも拡大していった。

 ゲームでも音楽でもマンガでも、実物を持っているというのは大きなスペースが必要になる。

 それがPCのデータにするならば、いくらでも容量を圧縮できたというわけである。

 ネットにさえ接続していれば、PCやスマートフォンで、数千のゲーム、数万の音楽、数万の電子書籍にそのままアクセス出来る。

 なお電子が出てくるまでは、紙の雑誌や単行本を、それぞれ切断してスキャンし、自力で電子化していたという時代もある。


 この時代は一番、混沌としていた時代ではないか。

 今ではゲームなどは、PCゲームでもネット認証がなければ、プレイできないというものになっている。

 かつては音楽は、ダウンロードが主流であったが、今では定額でいくらでも利用する、という方向になっている。

 書籍にしても電子であれば、本棚がいらなくなる。

 ネットの時代というのは、本当にライフスタイルさえ変えてしまったのだ。




 海賊版への対処というのは、それを止めようとしても、ほぼ無理なものであった。

 下手をすればたった一人が原盤を買えば、そこから全てコピーが出回っていたのだ。

 それを止めるならば、最初からネットでの配信を主流にしてしまう。

 その代わりに金額を安くする、というシステムにしたものだ。

 もっとも音楽の場合は、それが上手くいっていたのは最初のみ。

 すぐに定額で無限利用、という方向になっていったのだ。


 ただ音楽は一部、またネットのアニメ配信にも、限定したサービスというものがある。

 そうなるとそのチャンネルだけでしか、また見れないというものになる。

 金額が大きいと、これまた海賊版が流行することになるだろう。

 どれだけのコンテンツを用意して、複合的に提供していくか。

 今はそういう時代になっているのだろう。


 アメリカの場合は配信大手が、人気ミュージシャンを独占配信、という手法が存在する。

 これはもう聴かれた回数などではなく、そこに限定することによって、契約で金を払うというものだ。

 本当に全世界的に売れているミュージシャンなら、これが事実上の独占販売となる。

 ただ一つや二つの人気ミュージシャンを囲うだけでは、上手くいかないのも確かであろう。


 このあたりはアメリカの、スポーツの放送権料とも似ている。

 四大スポーツが大きく収入を得られるのは、ネットでの放送権を高く買ってもらうからだ。

 アメリカはスポーツの興行が、この独占配信で上手くいったと言える。

 放送権料の高騰というのは、確かに言われている。

 しかしおかげで、選手には高額のサラリーを払えるようになっているわけだ。


 日本にしても確かに、こういう部分での収入は出ている。

 ただしこういった興行への出費は、人間の生活に余裕があればこそ出来るものだ。

 生活に困窮すれば、そういったチャンネルは切らざるをえない。

 そうなった時に、果たしてどういう現象が起こるのか。


 ネットは現代の文化に、また生活において、必要不可欠なものとなっている。

 今の30代から40代以上の年齢の人間ならば、まだしもネットのなかった時代を知っている。

 あるいはネットが今ほど、支配的でなかった時代か。

 ただしネットネイティブにとってみれば、今はネットでいくらでも時間が潰せる。

 Yourtubeなどのチャンネルで、一日が潰れてしまう。

 そんな時代もあったものだが、今はチャンネルが増えすぎた時代。

 黎明期を終えて、技術や知識、そしてまた資本を使った、安定期に入ったと言えるだろう。


 結局は人間と金を用意できれば、それで勝ってしまえるのだ。

 夢のない話かもしれないが、それが資本主義としては正しい。

 しかし俊などは、金を払ってまでインプットするものか、という考えがある。

 無料サイトで個人がやっているものなどは、結局検証が出来ていなかったりする。

 この時代には、再びクオリティが問題となってきた。

 そして音楽は宣伝するのではなく、選択される時代になってきたと言っていいだろう。

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