第301話 南半球の熱

 ブラジルの労働としては、管理職を含めてまでも、年に連続30日の有給を与えないといけない、というように決まっている。

 日本人が働きすぎなのだが、残業に対しての割増料金も、また最高の残業時間も、日本よりしっかりと決まっている。

 そんな休みを暑い時期に取るということは、一般的ではある。

 リオの音楽フェスは、カーニバルから続く休みの間に行われるのだ。

 そのため想像以上に、来場者は多くなったりする。


 変な権威がないだけに、普通に売れそうなミュージシャンが多い。

 地元ブラジルのミュージシャンもいれば、北米やヨーロッパ、そして日本からも時折出てくる。

 もっとも日本の場合は、もっとアメリカなどでの活動も、多いミュージシャンに限られているはずなのだが。

 連続三日間のフェスの中でも、初日の公演。

 昼を過ぎて夕方前の、およそ一時間の演奏となる。


「意外と集まってるかな」

 千歳は楽屋となるテントから、こっそりと確認する。

 なんだかんだ言いながら、千歳はこういうステージのプレッシャーに強いだろう。

 ノイズの中には極端に、プレッシャーに弱いという人間はいない。

 強いて言えば俊は、心配性ではある。

 ただ演奏に限って言うならば、自分はあくまでも補助の役割。

 他のメンバーにこそ、力を入れて演奏してほしい。

 ただし肩の力は抜く。


 一万人のステージと言っても、実際には空間を詰めればもっと聴けるだろう。

 逆に間隔を空けておけば、充分に場所を埋め尽くすようにも見える。

 ただ本当に人間が密集していると、地面が波打つように見えるのだ。

 日本国内のフェスでは、何度か見た光景である。

「まあ一万人が適正規模なわけだ」

 俊はそう言って、心を落ち着かせる。

 ただ思ったよりはちゃんと入ってくれているんだな、という程度には思う。


 最初の海外フェスで、観客が集まりきらないことは、仕方のないことなのだ。

 知名度の低さは、それだけ宣伝をしていないので、当たり前なのである。

 だが重要なのは、その少ないオーディエンスにさえも、どのような爪痕を残していくか。

 このフェスはSNSなどでの配信も許可されているので、後からネットに流れていくことも考えられる。


 やはりフェスはアメリカが一番だろう。

 ヨーロッパのイギリスや、フランスにドイツなども音楽人口は多いし、ヨーロッパはEU圏でつながっているので、あちこちで開催はされているのだ。

 ただ歴史的に見ても、やはりアメリカに次ぐのはイギリス。

 数多くの有名バンドを輩出したことで、当然ながら知られている。


 ブラジルが悪いというわけではない。

 だがノイズの音楽はやはり、アメリカとイギリスを元にしていると言ってもいいだろう。

 そもそもドイツやフランスのバンドであっても、世界的には英語で歌うのだ。

 つまりこのフェスであっても、英語の音楽が聞こえてくる。

「そろそろか」

 レスポールを持って、暁が立ち上がる。

 今日はもう最初から、トップはビキニになっている。

 なにしろ気温が充分に暑いのだから。




 これがアメリカであったなら、月子も着物を着ていたであろう。

 だが思ったよりも暑いので、当初予定からは変更している。

 着物ではあっても浴衣である。

 さらにそれに合わせたわけでもないが、栄二は作務衣を着ていたりする。

 純粋に涼しいし、動きやすいからだ。


 ノイズの音楽というのは、混淆かあるいは混沌である。

 雑音と名付けたそのセンスは、確かに今なら間違いないと言える。

 様々なジャンルの音楽から、無節操に取り入れた。

 しかしその交流によって、新しい音楽になったとも言えるのだ。


 ステージに上がってみれば、それなりに多いなと感じた。

 ちょっと感覚が分からないが、少なくとも3000人はいるであろう。

 いや、一万人規模のステージなのだから、半分ほどは埋まっているのだろうか。

(充分だ)

 少なくとも日本のコンサートホールでは、せいぜい1000人というところが多いのだ。

 野外フェスでこれだけの人数が集まってくれたなら、


『オラ』

 俊はほんの少しだが、ポルトガル語の挨拶程度は勉強した。

 英語では『ハイ』ぐらいの軽い挨拶であるという。

 拳を何発もめり込ませそうな掛け声であるが、これでいいらしい。


 開催地の言葉で挨拶をするというのは、相手に対する歩み寄りだ。

 その後も俊は、完全に通訳に翻訳してもらった言葉で、わずかに語りかけたのだ。

 ノイズという日本のグループ。

 初めての海外フェスで、このブラジルに来ているということ。

 そしてそれを光栄に思っているということ。

 ブラジルには日系の移民もいるそうだから、その人たちにも聞いてもらえていたらうれしいということ。


 なんとなくこの集まりには、日本人っぽい顔立ちの人間がいたのだ。

 そもそもブラジルは無国籍風の顔立ちが、そこそこ多いともいう。

 ヨーロッパに黒人とインディオの混じった顔立ち。

 対してノイズも、浴衣姿に作務衣姿と、統一感のないファッションである。


 型にはまるというのを、俊は嫌った。

 そもそも自分の才能では、限られた表現の中では、作曲の限界があったとも思える。

 日本の音楽というのは、影響をどんどんと取り込んでいるともいう。

 なので作風の変わらない演歌は、支持を失いつつあるのかもしれない。

 あれこそまさに、日本が生み出した音楽ではあるのだが。


 俊も演歌は、ほぼ取り入れていない。

 だが発声に関しては、月子が自分で勝手に取り入れているところはある。

 民謡の節回しは、演歌の中に取り入れられている部分があるので、そこは難しくなかったのだ。

 そしてこの海外のステージで、最初に演奏するもの。

 まずはアメリカから、おそらくブラジルにもある程度届いている、霹靂の刻である。




 撥ねて、そして叩きつける、三味線の音。

 ひょっとしたら日本から移民した人間の中には、三味線の心得がある日ともいたかもしれない。

 ただ主に移民したのは、肉体の頑健な健常者。

 農村の若者には、三味線を弾く人間は少なかっただろう。


 三味線にも種類はあるが、月子の太棹の方は、主に東北地方で流れていたもの。

 かつては盲目の演奏者が、村々を回って演奏したものだという。

 その風習は大戦が終わって、しばらくしてからも続いていた。

 平成の時代には、もう途絶えていたそうであるが。


 日本の伝統芸能として、主に東北で生きている。

 もっとも純粋に演奏は、日本各地で行われているのだが。

 津軽を発祥とする津軽三味線。

 だがそれは現代において、新曲などを作るようにもなっている。

 月子が作曲したのも、その流れの一つ。

 ポップスにしたのは、かなり珍しいものであろうが。


 アメリカで使われたことで、全世界に広がっていく。

 これは多くの文化が、同じ経路を辿っている。

 発信能力としては、アメリカは最大のもの。

 もっとも文化的な側面、ドラマや映画などは、かなり停滞しているのであるが。


 オリバーがアメリカ人なのに、完全に日本人キャラしか出てこない、江戸時代風のアニメーション作品を作った理由。

 それはポリコレへの強烈なメッセージであっただろう。

 日本人を監修に入れて、極力おかしなところを排した作品。

 それはアメリカのアニメーションであるが、同時に日本にも理解される、不思議なものとなったのだ。

 OPに使われた曲なので、ブラジルでもそれなりに知られている。

 翻訳されたものが、しっかりと流れていたのだから。


 知っている曲を最初にやるというのは、盛り上げるために重要なことだ。

 完全に燃え始めたとまでは言わないが、少なくとも着火している。

 あとはここに、燃料を注ぎ込めばいい。

『ノイジーガール!』

 英語歌詞バージョンである。

 基本的にブラジルは、ポルトガル語の中でも、特にブラジルに特化したものが公用語だ。

 そしてスペイン語がかなり通じる。

 英語は実は、それほど通用しないのだ。

 なので前半は英語、後半は日本語という、ちょっとミックスしたバージョンになっている。


 音楽をやっていれば、当然ながら欧米の影響はある。 

 俊はともかく暁などは、完全に洋楽で英語を覚えたという段取りだ。

 そして月子と千歳だけではなく、暁もここは英語のコーラスを入れていった。


 ノイジーガールは分かりやすいポップ・ロックである。 

 俊の作った楽曲の中では、いまだに一番受けやすい楽曲ではある。

 明るく速いテンポに、月子と千歳のメロディアスな歌声。

 オーディエンスがノるには、丁度いい楽曲であった。

 日本語の意味が分からなくても、声に込められたソウルは感じるだろう。

 音楽と言語と、どちらが先に生まれたのか。

 このステージで二人の歌声は、立派な楽器であった。


 


 そして三曲目、日本語の楽曲ではあるが、ラテンのノリを入れた曲。

 タイトルは新月である。

 本来は明るいラテンのノリで、どこか妖しくも感じる雰囲気を入れていく。

 月明かりさえない、真っ暗なイメージであろうか。

 ラテンには合わないような気もするが、それは固定観念というものだ。


 どのような明るい文化や文明であっても、暗黒の側面はあるのだ。

 デスメタルのような悪魔崇拝的なものではなくても、人は人間の闇の部分に憧れてしまうことはある。

 ノイジーガールとの、ギャップもしっかりと感じさせる。

 ただ盛り上がっていたのとは違い、こちらの作った世界に引きずり込むのだ。


 メタルな曲もあれば、オルタナからグランジもあり、プログレの風味もある。

 そして純粋なハードロックに戻っていく。

(増えてきたな)

 ステージから見ていると、徐々にオーディエンスの数が増えてくるのが分かった。

 立ち去る者はおらず、どんどんと集まってくる。

 それだけ拡散されているのだろう。


 おおよそ想定通りの反応だ。

 これを引きずり出すために、色々とセットリストは頭を悩ませた。

 霹靂の刻で一度置いた三味線を、また月子は抱える。 

 今度の演奏は雷である。


 三味線ロックの姿というのは、かなり新鮮なものだろう。

 最初からいなかった人間には、これが最初の三味線を使った曲となる。

 月子と千歳、どちらでもこの曲は歌うことが出来る。

 上質のボーカルを二人も揃えているのは、日本でもノイズだけであろう。

 コーラスなら暁や信吾も入ることは出来るのだ。


 熱量が高まってきた。

 ここからはハードロックを続けるが、J-POPのメロディアスな曲にもなっている。

 間奏の間には、ギターソロが入ってくる。

 リフは暁がアレンジするが、とりあえず時間さえ間違えなければそれでいい。

 そのスピードは間違いなく、メタル系の音を思わせる。




 やがてバラードへとつながっていく。

 月子の高音の声は、透明感に満ちている。

 それでいながらしっかりと、オーディエンスを圧倒するような力も感じる。

 バンドボーカルと言うよりは、シンガーとしての声。

 千歳と組み合わせると、無限の曲調になってくるのだ。


 盛り上がる部分と、抑える部分をしっかりと繰り返す。

 盛り上げる部分ばかりであれば、聴いている側も疲れきってしまうだろう。

 ただこれは、麻薬のようなものである。

 引きずりこんで、もう逃がさない。

 極上の音楽というものには、間違いなく中毒性がある。 

 まあ70年代頃までのミュージシャンは、普通にドラッグ中毒だったのは確かだが。


 ちなみにブラジルでは、大麻は違法だが、所持と使用には刑罰を科さない法律がある。

 なのでそれなりに、大麻レベルであればやったことがある人間はいる。

 セックスとライブには、トリップが必要だ。

 こういった大規模フェスでは、薬をキメた人間もいたりする。

 またここはボディチェックがしっかりしているので危険はないが、アメリカであるとライブハウスの演奏中に、銃をボンボンと天井に発砲したりする状況もあった。

 少なくとも80年代までは、そんな世界であったという。


 ちなみにブラジルでは許可制だが、銃の所持が禁止されていない。

 身を守るためにそんなものが必要だと、治安的に思われているのだ。

 勘違いする人間が多いが、銃とは弱者が強者を倒すための武器である。

 か弱い女性が、格闘技経験のある成人男性を、一発で倒してしまえる武器。

 護身用としても、ちょっと破壊力はありすぎる気もするが。


 ねっとりとした汗の匂いがする。

 準備された一時間の演奏は、もう終わろうとしている。

 とりあえず知名度の高いところを中心に、ノイズの演奏は完了する。

 最後にはR&Bで甘い演奏をしよう。

 そういったプランで、セットリストも準備してあるのだ。


 ノイズの音楽ではないが、ライブの許可は得ている。

 果てしなき流れの果てに。

 三つのトップレベルバンドが、協力して完成させた楽曲。

 実際のところメンバーの多い、ノイズ以外で再現するのは、かなり難しいのだ。


 たっぷりと時間を使って、打ち込みの音楽やシンセサイザーも多用する。

 激しいわけではないが、ギターの調べも美しく流れていく。

 ツインボーカルによって、声をまさに楽器として使う。

 月子の高音が、染みとおっていく。

 集まった人間の数は、おそらく一万のキャパを超えているのではなかろうか。


 爪痕を残すことには成功した。

 月子の歌声が空気に溶けていって、ノイズはステージを後にする。

 日本ならアンコールをやってもいいのだが、こちらは予定が詰まっている。

 それにどういったノリでやっていいのかも分からない。

 この後のミュージシャンはやりづらいだろうが、時間は空くので熱も引いていくだろう。




 海外でも伝わった。

 通用するかどうかではなく、ちゃんとフィーリングを共有したのだ。

 このフェスでも物販のゾーンはあるが、果たしてノイズのグッズは売れるのだろうか。

 基本的には不安というのではなく、そもそも日本と米英向けのラインナップであるのだ。

 ブラジルはそれなりに、CDも売れるらしい。

 アメリカや中国が、ストリーミングに特化しすぎという話でもあるが。


 音楽市場自体の規模は、ブラジルはまだ成長している。

 こういったライブでの収入が、多くなっているとは聞く。

 そのうちまた、ブラジルでやってもいいかもな、というぐらいの反応はあった。

 楽屋テントに戻ってきたメンバーは、汗を拭いている。


「気持ちよかった~!」

「ノってたね~!」

 暁と千歳は、素直に喜んでいる。

 月子も満足はしているのだろうが、それよりは安堵しているといった感じか。

 いや、俊も含めてノイズのメンバー全員は、とりあえず安堵はしていたのだ。


 海外のライブであるのだから、言葉が通じないのは分かっていた。

 だから歌ではなく、声の叫びが、魂を打ったということだろう。

 ステージの上からも、はっきりと反応が見えた。

(これでアメリカでも、知名度は上がっていくだろうな)

 俊はそう計算していて、阿部と春菜は親指を立ててきた。


 この一時間のために、地球の裏側までやってきた。

 しかしその価値はあったと思う。

「これで後は、プロモーターに売り込むだけね」

 そこは阿部の仕事である。

 元々シカゴのフェスも、日程が重ならなければ受けていたかもしれないのだ。


 ある程度のイメージが分かっているアメリカより、遠い存在であるブラジルでやったことが、むしろ良かったのだろうか。

 俊としてはそんなイメージもあるのだ。

「SNSでもう話題になってる」

「このフェスは撮影禁止じゃないしなあ」

 日本ではライブやフェスなど、撮影禁止を呼びかけているところが多い。

 ただ考え方の違いで、こうやって拡散されるということは、それだけ知名度も高くなっていくということなのだ。


 日本と違って言葉が通じないため、メンバーは全員が会場を回ることはしなかった。

 見たい公演などもあったのだが、それでも外に出るのが怖い。

 さすがに危機感を抱きすぎなのだが、確かにコミュニケーションが取れないのは、問題であるだろう。

 今後は海外では、英語圏での参加が多くなると思う。

 そのためには俊や暁以外も、英語の勉強はしていくべきだな、と感じているのであった。




 ノイズの存在は、これまでも普通にネットで見ることが出来ていた。

 しかし一時間という長いステージを、生で見るという外国人は少なかったであろう。

 夏場のフェスなどに、外国から参加して、ついでに見ていくという旅行客は多かったかもしれない。

 だがライブのステージを全部見るというのは、このステージの人間が一番多かった。


 イメージとしては、まさに混沌。

 様々な文明が混じり合って、そこから発生したものであるのだ。

 せっかく歌を聴いたのだから、その歌詞の意味も知りたいと思うのは普通のことだ。

 そしてアニメのOPに限って言うなら、ポルトガル語での翻訳されたものに行き着く。


 さすがにポルトガル語への翻訳まで、チェックしている俊ではない。

 英語などは一度翻訳されたものを、もう一度日本語に訳して、表現力を増やしたりするのだが。

 基本的に日本語は、漢字が存在することによって、語彙を増やすのが簡単なのだ。

 もっともグローバル化などと言っている時代あたりから、普通に日本語で通じるものを、わざとカタカナのままで使っていたりするが。


 専門家は確かに、外国の言葉をそのまま使うため、悪いことではないのだろう。

 しかしカタカナ語が増えるということに、馬鹿らしさを感じることはある。

 リスペクトなどというのは、尊敬か敬意という言葉で、そのまま意味が通るだろう。

 過去の日本人が、せっかく日本語に翻訳してきたものが、無駄になってしまっている。

 さすがにテレビやラジオなどは、今さら日本語にしろなどとは言わないが。


 俊はこれをきっかけに、少しポルトガル語を学んでみようかな、という気になったりもした。

 だがそれよりはドイツ語の方がいいか、とも思う。

 なぜかドイツ語の発音は、日本人にとって心地いいものがある。

 また公用語としてなら、フランス語も悪くはない。

(けれどやっぱり、英語で普通に交渉まで出来るようにならないとな)

 初めての海外公演で、ノイズは色々と学ぶことがあった。

 そしてたっぷりと土産を買って、日本への帰国の途に就いたのであった。

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