第151話 1000
今までにない規模のワンマンライブである。
そもそもワンマン自体を、一度しかしたことがない。
そのキャパが一気に300人から1000人に増やしたというのは、相当の自信がなければ出来ないことだ。
ただ全国規模の人気であれば、CDは一万枚売れたのだ。
ミニアルバムも再プレスを何度かして、6000枚以上は売れている。
「長期休みの間の日程だったら、倍のハコを抑えてもよかったと思うぐらいよ」
阿部はそう言うが、実際に夏と冬の予定については、今から会場を押さえる準備に入っている。
俊はともかく、女子高生が二人もいるというのが、ノイズの行動を縛っているというのは事実だ。
いっそのことインディーズではあっても芸能事務所と契約したのだし、芸能科のある高校にでも転校したら、などと思われたりしている。
ただ暁はともかく、千歳は趣味の延長でバンドを組んでいるようなものだ。
今でも普通に友達はいるし、それと離れてまでという気持ちなのである。
ちなみに動員とチケット代、そして興行にかかる金などを考えていくと、ペイする会場というのはかなり限られる。
次は冬にでも、2000人規模の会場を押さえたいかな、というのが阿部の考えだ。
もっともそういうリーズナブルな会場は、ずっとイベント屋が押さえたりしていて、そこで事務所との駆け引きが発生する。
単純に金さえ払えばいいというものでもない。
もちろん本来の料金をはるかに超えて、どうにか押さえたりすることは出来ないでもない。
しかしそれでは興行が赤字になるだけだ。
俊も本来、こういう事務的な交渉には向いている。
だが純粋に、それにかけるだけの時間と労力が足りない。
企画に関してはともかく、それを実際に完成させる設営のスタッフなどは、専門家に任せるしかないのだ。
もっともあまり派手にやってしまっても、そちらに金をかけすぎたら、赤字になってしまう。
そのあたりの計算を、事務所はしっかりと考えている。
1000人規模のワンマンライブを初めて行う。
それも昼と夜、二時間を二回というものだ。
正直なところ、メンバーのスタミナが一番心配なところだ。
単に演奏するだけでいいなら、これぐらいの時間は普通に、練習の中ではやっている。
だが信吾と栄二はともかく、俊でさえこのペースでライブをしたことはない。
女子メンバー三人の中では、意外というわけでもないが、アルバイトで体力をつけた月子が、一番タフではある。
事務所からの条件にあった、前座のバンドというのも準備は完了。
ノイズと違って四人編成の、まずまず売れ線を狙ったものだ。
もっともこのバンドは、ノイズの所属する事務所陸音のミュージシャンではない。
今回のハコを準備するためには、ABENOの力を使ったため、そちらから押し付けられたものだ。
V系バンドというよりは、もっと単純にグループサウンド。
演奏技術などはそれなりだが、今の時代に何をもって印象付けるのか。
ステージの映像を楽屋で見ていても、俊にはコンセプトが分からない。
他のカメラからオーディエンスを見ても、せいぜいが視線を向ける程度で、手を上げてノっているのはほんの少し。
ただ四人組はそれなりのルックスとファッションで統一しているので、音楽性ではなくルックスで売るつもりなのかもしれない。
もっともノイズを聴きに来た人間には、全く刺さらないであろうが。
「無名の実力派とか連れてきた方が良かったんじゃ?」
暁の遠慮のない言葉に、阿部も苦笑するだけである。
音楽業界というか芸能界というか、この世界にはしがらみが多くある。
俊がインディーズにこだわっていたのも、そのしがらみに囚われたくない、というのが大きかったのだ。
もっともそれならそれで、メジャーの持っているコネクションなどを、なかなか使いにくいという欠点もある。
しかし先に実力で、ここまでのチケットを売りさばけるようになったのだ。
単純に稼ぐだけなら、少しだけ大きめのハコで、ワンマンをやっていった方がいい。
俊が思っていたような、妨害というのは今のところ感じない。
少なくとも彩は、自分たちなど目に入っていないか、見ていてもわざわざ潰そうとはしていないのだろう。
過去の因縁からすると、むしろ被害者は俊の方であるのだ。
ただし彼女の場合は、母親の関係性からすれば、俊の父を憎んでいてもおかしくはない。
昔はあんなに一緒だったのに。
今は考えることではない。
「こういうBGMで流せるようなポピュラーミュージックも、必要ではあるんだろうな」
俊としては市場の規模を維持するためには、軽い音楽があってもいいと思うのだ。
しかしそれだけが主流になってしまっても、それはそれで困ったことになる。
いかにコンテンツを効率よく消費していくか、それが今の社会の潮流であろうか。
そもそも世界中で、音楽の力が幻想であったと、崩れていく過程にあるとも思える。
その流れに抗う。
ライフスタイル自体が変わってきてしまっている中でも、まだライブの魅力は失われていない。
短めの曲が流行するボカロ曲は、ネット配信においては正統な造りであったと言える。
だがそこから生まれたノイジーガールは、暁のようなリードギターを得たことによって、ハードロックへの回帰がなされた。
ギターのソロを飛ばすような時代に、力技で聴かせるだけの力が、ミュージシャンにあるのか。
ライブというのはアーティストとオーディエンスとの、共演の場でありながら同時に、対決の場所でもあるのだ。
前座はさほど盛り上げることも出来なかった。
冷え冷えの空気というわけでもないが、無味乾燥であったというレベルか。
演奏者たちに自分たちのレベルを知らしめるというのが目的なら、確かに意味はあっただろう。
「売れ線の音楽で、スタイルも分かりやすくて、ルックスもいいって、逆に無個性なんじゃないかな」
俊としてはそう思うのだが、他のバンドがどういう売り方をしていくかというのは、気にすることではないだろう。
必要なのはノイズとして、どれだけのパフォーマンスを見せ付けるかなのだ。
二曲ほど前座で歌ってもらったが、とりあえず心を整えるのには役立ったと言えよう。
楽屋は別であるので、沈んだ顔を合わせて落ちこんだ空気が伝染することもない。
ステージ脇から薄暗い舞台に出て、最後のセッティングを行う。
ライブハウスの中の空気が、変わっていくのが分かる。
ドリンクを買いに行っていた聴衆も、前に近づいてくる。
フェンスはしっかりとしてあって、あまりオーディエンスが前に来過ぎないようにしている。
こういうイベントにおいては警備費を絶対に削ってはいけないと言われているが、確かにそれは俊も分かる。
ただオーディエンスが興奮しすぎて、死人が出たとかいうライブは、昔はそれなりにあって伝説になったりもした。
今では運営側の怠慢として、純粋に炎上するだけであるが。
楽器の弦を弾いたり、ドラムを軽く叩いたりと、音響を確認。
そしてここから、後ろにあるスクリーンで、MVを流す。
俊の合図で、スタッフが操作していく。
まずはノイジーガールのMVが、大画面で流されていった。
もちろんわざわざライブに来るような人間は、これは既に見ているものだろう。
だがスマートフォンやタブレット、モニターで見るそれとは、明らかに印象は違うはずだ。
俊がそれまでの自分の中にあった、全ての映像イメージの中から、凝縮して作り上げたこのMV。
かかった費用はそれほどではないが、かけた時間は相当のものである。
何よりそれぞれの楽器の真骨頂となる部分を、それぞれ目立たせている。
俊自身は縁の下の力持ちとなっているが、暁のギターや月子のボーカルは、特に目立つものだ。
MVによって期待感を膨らませ、そして視線をこちらに向けさせる。
その演奏が終わった瞬間、今度は本物のノイジーガールが始まる。
編集されたものではなく、ライブにおける生音。
このMVを作った時に比べれば、ずっとパワーが上がっているノイズ。
その音圧によって、オーディエンスのテンションを一気に上げていく。
これだけでもかなり、テンションが上がっている。
ノイジーガールはノイズのデビュー曲とも言える曲であり、一番演奏している曲でもある。
俊としてもいまだに、自分はこれ以上の曲は作れていないな、という認識をしている。
だが月子の霹靂の刻あたりから、自分の中に積み重なっていくものを感じている。
あと少しで、アウトプットが可能になるだろう。
『こんにちわ、ノイズです』
思えば昼間に演奏するというのは、去年の夏のフェス以来であるか。
『これまでで最大規模のワンマンライブ、来てくれてありがとうございます。まずは定番のノイジーガールをやらせてもらいました』
期待に満ちた視線が、照らされたステージに向けられている。
光の中に、六人が立っている。
『今日はまず、一曲で二曲分のカバーをしたいと思います』
なんだそれは、と思うかもしれないが、そうとしか言いようがないのだ。
『かなり古いけど、多分知ってる人は多いと思います。ボニー・タイラーでHolding Out For A Hero!』
そこからリズムを刻む音がやってくる。
本来なら電子音も多いのだが、そこをギターパートにしている。
確かにこれは、聴いたことがある人間は多いだろう。
和訳された曲も、いまだにスポーツなどで流されるからだ。
『HU HU HU~ HU HU HU~ HU HU HU~ AH~! AH~!』
本来ならかなりのハスキーボイスで歌われている原曲だが、かなりキーを高くしている。
そして月子のボーカルが始まった。
一番大変であったのは、単純に歌詞を記憶するということ。
一応は意味も聞いたのだが、どうもそのままの訳ではしっくりと来ないため、俊が改めて訳したりもしたものだ。
キーボードパートをギターに割り振ったりと、それはそれは大変なのは俊であった。
冒頭はどうしても、キーボードである必要があったが。
バックコーラスの部分を千歳が歌い、本来ならざらりとした感触のするこの曲が、月子のクリアボイスだと体を貫いていくような感触になる。
そして月子のほうが、元よりも声が伸びていく。
ここでフェードアウトする、というところからまた冒頭へループ。
そして今度は、千歳が歌い始めた。
バックコーラスを月子に任せて。
スクールウォーズの主題歌でもある、和訳されたHEROを。
一曲で二度美味しい。
というか演奏する側としては、同じ曲で時間を埋められるので、やってみる価値はあった。
キーは原曲に近くなっているので、また印象が違う。
月子の声は、あくまでもクリアなのだ。
それでいて耳に残り、脳にまで伝わっていく快楽が大きい。
千歳の声はそれとは対照的に、感情の乗り方で表現力を高めている。
二曲目のバージョンも、終盤にはしっかりと英語歌詞の部分がある。
もしも前半で月子がとちったら、二曲目の千歳がカバーするという意味でも、この順番で歌ったのだ。
冒頭、ノイジーガールからつないだ歌としては、成功であったろう。
オーディエンスが早くも両腕を上げて、リズムに合わせて振っていたりした。
もっともピアノ、シンセサイザーを使った俊は、プレッシャーが大きかったりした。
あとはここから、どういう曲の編成で流されていくのか。
もちろん全ては、事前に準備は出来ている。
×××
解説
Holding Out For A Hero/ボニー・タイラー 日本語版は麻倉未稀
既に他作品で使っているので、知っている人は知っている。
ドラマ「スクールウォーズ」の主題歌として有名で、今でもラグビーの話題の時に使われる、有名曲である。
スクールウォーズのOPでは学校内をバイクが走り回ったりしていたが、80年代不良というのは本当にこういうことをしていたりする。誇張ではない。
盗んだバイクで走り出したり、学校の窓ガラスを叩き割っていたあの時代、教師側も平気で暴力を振るっていて、恐ろしい時代ではあった。
プロレスやボクシングでも入場曲に使われていたりして、息が長く愛されている。
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