第150話 運命の二人
ライブ前日の土曜日、セッティングとリハのためにノイズは会場を訪れる。
チケットは前売りは全て売り切れたが、おそらく当日にはまだ少し客を入れるだろう。
「やっぱり体育館みたいだよね……」
千歳の感想であるが高さはそこまでではなく、他は小さめの体育館ぐらいはあるだろう。
渋谷MOVEは去年の年末、フェスで演奏した場所であるので、その点では初体験のプレッシャーはない。
ただこの規模を、ワンマンで満員にするのか。
基本的には全てスタンディングであるが、やや奥まったところには座るスペースがある。
ライブとしてはここを使われるようでは、失敗と言っていいのだろう。
さすがにセッティングを自分たちだけでやるのは無理なので、事務所の方からローディーの手配はされている。
搬入されていく機材に加えて、物販コーナーも作っていく。
あとは花などが贈られてきているが、これも飾ったりするのだ。
「向井社長……」
かつて月子がいたメイプルカラーのオーナーは、ここに巨大な花束を贈ってきた。
まだ忘れていないというか、実は俊がチケットを送ったのである。
他にも小さめの花束は、幾つか飾られている。
背面に大きなスクリーンがあり、MVを流さない時には、ここで演奏者のアップを流していくわけだ。
「これってどれぐらい金はかかってるんですか?」
阿部に質問した俊は、タブレットで請求書を見せられる。
「高いような……でも採算は取れてるのか」
「そりゃこちらも商売だからね」
実際に演奏するメンバーには、前日からほぼ拘束されているのに、それほどの金が入るわけでもない。
この規模のハコが、あんなに早く売り切れたのだから、もっとチケット代は高くするべきであった。
次からは一気に値上がりするが、そこはファンクラブを作って、会員特典で少し安く買えるようにするのだ。
おそらくこの夏が終わった時には、一気にチケット代が値上がりするかもしれない。
もっともワンマンだけをやるのは、さすがに難しいものがある。
俊は演奏ではなく演出として、色々と作業の手配を見て回っていた。
(ストレンジでやった時とは、やっぱり違うんだな)
あそこはロックバンド専用なので、ある程度の機材は固定されていたのだ。
照明作業が入り、PAチェックをしていく。
サウンドチェックもしていって、そしてリハを行っていく。
ここで気になるところは、調整が入っていく。
うるさいのは主に俊と暁であって、千歳や月子などはあまり注文をつけない。
ただ今回は月子の三味線があるので、そこは話し合うことがあった。
今さらであるが、俊は気づく。
「これ、土曜日は夜だけやって、日曜日に昼と夜やった方が、金になったんじゃないの?」
前日の昼からセッティングをしているので、夜には充分に演奏をする時間が取れたのだ。
あるいは土日の夜だけにしても、良かったのではないか。
ハコを占拠していると、それだけで金がかかっていくのは分かる。
スタッフはともかく施設の利用料は、時間がそのまま金になっていくのだ。
やはり動員出来るハコによって、かかる金というのも変わっていく。
「次からは一気にチケット代は高くなるわね」
「いわゆるプラチナチケットってとこですか」
確かに需要と供給のバランスで、この資本主義社会は成り立っている。
だがやはり音楽というのは、聞いてもらってなんぼというものなのだ。
「テレビ出演とか、考えた方がいいですかね?」
「珍しい。その気になったの?」
「月子は紅白に出たがってるみたいですけど」
「紅白って……」
阿部は呆れてしまったらしいし、俊もその気持ちは分かる。
知名度を高めるためでも、紅白などはもう時代遅れになっている。
それでも紅白に月子が出るのなら、それは復讐というか、自己肯定のためである。
分かりやすい権威に支えられることで、月子はやっと満足できるのかもしれない。
ただ月子は、満足などしない方がいい人間ではないだろうか。
紅白は基本的に、スポンサーというものが出ない。
だが相当の裏金が動いているだろうというのは、誰もが昔から言っていることだ。
マジックアワーは出たことがあったが、あの頃とはもう時代が違ってしまっている。
俊の父がプロデュースした歌手などは、むしろ向こうが頭を下げてきた場合もあったと聞く。
だが基本的に紅白は殿様商売で、ギャラも格安であるのだ。
かつては一つの到達点とまで言われていた。
だが今では「あんなのに一緒に出場する方が恥ずかしい」などと言っているミュージシャンもいる。
そもそもの問題であるが、ノイズは男女比が1:1なので、どちらから参加すればいいのか、という問題さえあるのだ。
フロントが女性陣ばかりなので、紅組になるだろうが、リーダーは男である。
テレビに出るというのは、現在ではむしろ嫌うミュージシャンがいる。
そもそもインディーズレーベルからは、比較的ハードルが高い。
レーベルにしても宣伝などを兼ねるため、金になるミュージシャンを優先して交渉する。
もちろん圧倒的な人気を獲得していたりすると、そのテレビ初出演が番組側にとってもメリットになるが。
テレビに出ると、音楽以外の仕事が入ってくるので、それを嫌う芸術家肌もいる。
ノイズに関しては別に、取材に非協力的というわけではない。
月子の異常に人の顔を憶えられないことなどは、ネタとしても知っておいて貰った方がいいだろう。
雑誌もミュージシャンとの関係を悪くしたいわけではないので、基本的にはしっかりとチェックが入る。
週刊誌などの特種狙いは、また別の話であるが、どちらにしろまだノイズには、そこまでの知名度はない。
もっとも知名度が上がってきたら、色々と爆発しそうな要素はある。
信吾の女癖の悪さなどは、分かりやすい一例であろう。
俊自身が、父親のことが明らかになれば、親の七光りなどと思われる可能性はある。
既に死んでいる人間など、この世界では力など持たないどころか、むしろ恨みを買う可能性の方が高い。
なので前のバンドなどでは、秘密は明らかにしなかった。
暁に関しては特に問題ないが、月子と千歳の両親の事故など、悲劇的に扱われるのは間違いないだろう。
月子の場合はその持っている障害が、より彼女の人生を難しくさせた。
この間の取材で、俊は月子の障害について、あまりネガティブにならないように、と頼んだ。
その時のインタビュアーが、少し気になることを言っていたのだ。
相貌失認や読解障害は、幼少期の事故の後遺症なのではないか、と。
千歳の場合は目の前で、両親が失われるのを見た。
月子は母親が庇ったことで、一人だけ死なずにすんだが、完全に無事だったわけではない。
年齢と、あとは幼少期のことであったので、本人も自覚がないのかもしれない。
相貌失認も、読解障害も、脳の機能的な問題だ。
事故の後遺症によって、それが発生している可能性があるのではないか。
もちろん事故後にすぐ、そういった検査はされているだろう。
だが精密検査を受ければ、原因が後天的なものだと分かるかもしれない。
分かったところで、それが治癒するかどうかは別の問題だが。
脳の機能が一部失われているなら、それを治療する手段はないはずだ。
ただ現代の医療は、どんどんと進歩していることも確かなのだ。
月子に関しては、今のことが一段落してからだな、と俊は思っている。
本当ならこれは、本人に話して判断するべきことで、それをバンドの都合に合わせているのは、俊のエゴである。
だがアリバイを作るために、月子の叔母には確認してみることにした。
そもそも叔母が保護者になった時点で読解障害が判明しているのだから、彼女も医者に診せていることは確かだからだ。
電話でそれを尋ねてみたところ、テストなどで確認はしていたものの、脳の機能の外傷による障害かまでは、調べていないとのことだった。
現代の脳疾患などでは、失われた機能の部分を、他の脳の箇所が補おうとするのは知られている。
またアルツハイマーなどの治療に関しても、研究が進んでいる。
月子の才能は、訓練された民謡と、圧倒的なコンプレックスからなるものだ。
おそらくそのコンプレックスがなくなったとしても、それに苦しめられた過去が消えるわけではない。
だから普通に、彼女が生き易くなるようなら、検査ぐらいはしてもいいだろう。
本来なら最初に、山形で知能の遅れと思われた時にでも、すぐに精密な検査をしていれば良かったのだ。
それでも環境自体が根本的に、月子が生活する上では厳しいものであったかもしれないが。
周囲の無理解というのは、心を萎えさせるものだ。
だがそこで踏まれたことによって、むしろ芸の方を伸ばすことになったのだから、果たしてトータルではどう考えたらいいものなのか。
モーツァルトやエジソン、アインシュタインなども一種の、学習障害を患っていたのでは、という研究が近年ではされている。
単純に知能が高いことが、そのままイコール生きていくのに賢いというわけではない。
現在の日本でも普通に、テストの成績はひたすらいいが、判断や洞察力に、致命的な欠陥がある人間というのはいる。
研究者などは集中力こそ高すぎるものの、人間関係が上手くいっていない場合がある。
もっともこんなことを冷静に考える俊自身も、人間的に成熟しているわけではない。
むしろ音楽に没頭しすぎて、バランスの悪い生活をしているのは確かだ。
単純に人生を賢く生きるだけなら、学校の勉強は出来たのだから、普通にいい大学からいい企業へ入っておけばよかった。
それをミュージシャンなどという、明らかに成功の可能性の低い道を選んでいるのだから、判断力は低いと言ってもいいだろう。
あるいは自分を過信していたというべきか。
こういうことを考えていくと、結局ノイズは、俊と月子が出会わなければ始まらなかったのだ。
もしも暁が俊を訪れただけであったら、俊は暁を知り合いのバンドに紹介しただけであったかもしれない。
それこそクリムゾンローズのお姉さま方三人に、可愛がられる四人目のメンバーになっていたかもしれないだろう。
信吾も栄二も千歳とも、バンドを組む必要はなかった。
二人の出会いこそが、始まりとなっているのだ。
このあたりはインタビュアーに指摘されたが、そう言われてみればそうだな、としか俊は感じていない。
運命的と言っていいのかもしれないが、月子ではなくても強いボーカルを見つけたら、俊はユニットを組んでいたかもしれない。
月子以外のボーカルが、俊のイメージに合っていたかというと、それも考えにくいが。
あの日、あの時、あの場所で月子に出会ったのは、俊もヘルプを頼まれたからだ。
いつまでも見知らぬ二人のままでいたかもしれないのだ。
そう俯瞰して見るほど、まだ俊は人生を長く生きていない。
(やっとここまで来たか)
1000人規模のハコを、埋めることが出来るようになった。
それだけでミュージシャンとしては、かなりの成功ではあるのだ。
だが重要なのはこれを、継続して行うことが出来るようになること。
そしてさらに上を目指していくことだ。
毎年夏のフェスに出て、毎年武道館でライブをして、定期的にこの規模のハコでもワンマンをする。
そういったところが、安定した活動と言えるのであろう。
だがそこはまだ、道半ば。
俊の父は、さらにその先に進んでいったはずだ。
とりあえず頂点は取りたい。
今の彩がいるような位置に月子を連れて行く。
アイドルグループではないが、武道館に連れて行ってやろう。
推しが武道館に行ったら死ぬというわけではないが、とりあえず月子をそこまで連れていってやる。
それが月子を連れ出し、向井にグループを解散させる決断をさせた、自分の責任だと思っているからだ。
リハーサルまで順調に終わり、いよいよ本番は明日。
ここで怖いのが突然の病気や事故である。
ライブハウスに行く途中で、子供を庇ってトラックに跳ねられるなど、そういう展開は御免である。
「そういうのってフラグじゃないの?」
千歳はそう指摘するが、これは逆であろう。
「あえてフラグと認識して言っておくことで、逆にフラグを折ることになるんだ」
俊の言葉に、感心して頷く千歳であった。
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