第152話 その刻

 土日でちゃんとスケジュールが合った日などは、ノイズメンバーはぶっ通しでどれぐらいの演奏が出来るかなど、試していたりする。

 これは練習スタジオが、俊の家の地下にあるという、かなり恵まれた背景から可能なものである。

 小休止は当然入れながらも、二時間ぐらいはぶっ通しでやることもある。

 ただ細かい部分の演奏で、度々止まることはあるのだ。

 それに何より、声だけは代えのきかない消耗品だ。

 この暑い時期でもなければマスクをして、湿度で喉を守らないといけない。

 わざと声を潰したハスキーボイスにする人間もいるが、月子の場合はクリアなハイトーンが武器であるし、千歳もどこか声自体に感情が混じっているので、これ以上潰す必要もない。

 なので二人は、飴ちゃんは常備している。


 ただ大声で歌うのではないと、二人とも分かっている。

 特に千歳は今もボイストレーニングには通っているし、月子とその歌い方の技術交換をしたりする。

 もっとも千歳の習う声楽の歌い方も、いわゆるポップスとは違うものではあるのだが。

 今日は昼夜の二回公演なので、ここからのペース配分は考えていかないといけない。

 一番暴走しやすいのは暁で、千歳と月子はそれについていってしまう。

 だがここからは少し、スローテンポの曲をやっていく。


 月子の霹靂の刻に影響を受けて作った曲を、今日は披露すると告知してある。

 ただ月子のベースがそもそも民謡にあるのに対し、俊の場合はあくまでもJ-POPとハードロックにヘヴィメタルの60年代から80年代が源流。

 今日のHolding Out For A Hero にしても1984年に発表のロックである。

 今までとはかなり、カラーの違う曲ではあったろうが。

 テンポの早い曲をやった後には、これまた定番のアレクサンドライト。

 初めてカバーした曲の後なので、これでオーディエンスをというか、暁を落ち着かせる。

 既に髪ゴムを外している暁としては、いつ脱ぎだすか分からないのだ。


 空調は利いているはずだが、熱いライブになっている。

 MCは主に俊が担当になっているが、千歳にも割り当てている。

『今日はワンマンだから~! いっぱい歌えるんで~! 最近は歌ってなかった、リクエストの多かった曲も、遠慮なく歌っていくよ~!』

 こういったノリは俊では出来ないことである。

『タフボーイ!』

 暁のギターが世紀末の旋律を奏でる。

 そして会場内からは、HEY! HEY! HEY! の声が聞こえてくるのだ。

 古参となっているファンが多いのだろうが、そもそもノイズは結成してから、まだ一年も経過していない。


 一番最初のライブでやった中に、この曲が入っていたものだ。

 月子が歌っても千歳が歌っても、この曲は上手く響く。

 なので一番と二番を分けて、そしてバックコーラスなどに回ったりする。

 千歳はこの曲には、まだスクワイアのクセのないタイプのテレキャスを使っている。

 フェンダーのテレキャスの音は、もっと歪ませる時などに使うのだ。




 ボーカルはバンドの顔。

 昔から言われることだが、ノイズは本当にリードギターまでが目立っている。

 かつては女のリードギターかよなどと言われたこともある。

 意外と暁はそういう時に、つっかかったりはしないのだ。

 ギターの音は、オーディエンスにさえ届けばいい。


 一番と二番を歌い分けるというのは、コーラスで参加するにしても、それなりに消耗を防ぐことが出来る。

 新しいカバーをしていた時は、まだどう反応していいか分からなかった聴衆も、ファーストアルバムにまで入れて歌ったこの曲なら、上手くノっていくことが出来る。

 間奏や終盤のギターソロでは、暁が魅せていく。

 昔はわずかに体を揺らしながら、超絶技巧を見せ付けていたものだが、最近はアクションも少しずつ派手なものになってきている。

 だがその躍動するような旋律は、昔から変わらないどころか、明確に上達している。


(いい感じだな)

 アンケートなどでも、またやってほしいカバー曲というくくりで、タフボーイはよくリクエストされるのだ。

 確かに外国でも評価される、日本のアニソンが生んだ名曲ではある。

 時流とは全く別の感触から、80年代のアニソンは生まれたりしている。

 いや、そういうものが生まれるのが、あの時代であったということなのだろうか。

 ノイズのライブは普通に若者が多いので、40代から50代の客層に受けている、ということでもなかろうに。


 既にノイズは結成してから既に、一年未満で40回以上のライブを行っている。

 ほぼ一週間に一度ぐらいの割合で、これはかなり多いと言えるであろう。

 俊としてはまだまだ、オリジナル曲が足りないと思っている。

 やはり200曲以上は作りたいと思っているが、ボカロP時代の曲を使うなら、20曲以上は増えるのだ。

 もっとも方向性の違う曲が多いし、クオリティも微妙なので、出来れば使いたくはない。


 世間というかファンからすると、ノイズはカバー曲のクオリティの高いのが嬉しいという評価である。

 俊は作曲よりも、編曲の方に才能があるのかもしれない。

 そもそも霹靂の刻以外も、全て俊がかなりのアレンジを加えている。

 メインのライン以外は、かなり変えてしまったという曲もあるのだ。

『今年の夏はね~! また関東各地を巡る予定なんだ~! あとはフェスの参加も、一つは話が来てるから、決まったら告知しま~す!』

 そう、狙っている超大型フェス以外に、去年と同じライジング・ホープ・フェスからの打診がまた来ているのだ。

 デビューして一年以上にはなるが、メンバーの年齢は平均してまだまだ若い。


 先だっては横浜、さいたま、千葉の三都市でライブを行った。

 普段は渋谷や下北あたりが、主な戦場となっている。

 だが東京の電車一本で少し都心から出れば、大きなハコもあったりする。

 ただ都心の300人規模の箱を毎回満員にすることが、ノイズの日常である。


 次は少し遠く、前橋と宇都宮あたりまで足を伸ばすか、という話はしている。

 あるいは神奈川や千葉に埼玉も、他の街にライブハウスがないわけではない。

 バンがあることによって、遠征も簡単に出来る。

 このあたりノイズは、その始まりから恵まれたものではあるのだ。

 親ガチャなどという言い方をするならば、ノイズは俊の母親の力が、とてつもなく大きい。




 オリジナルを多く演奏しているが、久しぶりにメロスのようになども演奏していく。

 そしてツインボーカルの特徴を活かすために、ライオンなども演奏する。

 月子以外は特に着飾ることがない。

 それがノイズのスタイルであり、この季節は俊や信吾もシャツだけで、ジャケットは羽織らなかったりする。

 MCは主に宣伝などになるが、今後の予定なども告知していく。

 SNS時代であるからこそ逆に、実際の口コミによる情報の伝播は強いのだ。


 ここでまた、新しいカバーをしてみせる。

 だが邦楽ではなく、洋楽であったりする。

 千歳の表現力が上昇している。

 歌うのはマドンナの Papa Don't Preach である。

 ストリングス系の音を、ギターにアレンジしていたりする。


 10代のセックスと妊娠といったような題材と、親子間の愛情をテーマにした曲で、マドンナの曲の中ではこのあたりで単なるセックスシンボルから、より社会的なものになっていったとも言われる。

 千歳の歌に月子が高音から被せていって、より声に厚みを持たせていく。

 マドンナも楽曲自体は馬鹿売れしている割に、音楽的には評価が低い歌手ではなかろうか。

 ただマドンナ本人が、セックスアピールの塊のような存在なので、そこはやや仕方がないのかもしれない。

 活躍期間の長さを考えると、マドンナは洋楽の巨人ではある。


 曲のテンポは基本的に、早いものを二つ続ければ、次にはローテンポのものを持ってくる。

 上手くハコのテンションを維持出来ているが、俊が気になるのはメンバーのスタミナである。

 しっかりとペースが保てているのか。

 二時間やって二時間ほど休むと、次は夜の部が始まるのだ。

 やはり練習と本番は、全くテンションが違う。


 それでもどうにか昼の公演は、余裕をもって乗り切りそうだ。

 月子や千歳はMCの間に水分を補給して、暁もTシャツを脱いでいる。

 終盤に向けて、演奏と歌唱がマッチしていって、オーディエンスはダイブなどをしたりしている。

 危険なので禁止行為なのだが。

 ガンガンと床を踏み鳴らす音は、この規模でワンマンだからこそ成せることだと言えよう。

 



 そして霹靂の刻の前、俊が影響を受けて作った曲。

 月子がエレキ三味線を装備する。

『次は~! うちのリーダーがあ! ルナに霹靂の刻を作られて、悔しくなって自分でも三味線を使って作った曲です! 荒天!』

 三味線の音が激しく、高音と低音の間を上下する。

 月子の歌唱パートと千歳の歌唱パートがはっきりと分かれたところから、サビは二人でハモらせていく。

 新曲ということで、最初に一気に盛り上がった後、曲もしっかりと聴いていく。


 ライブハウスの音は、鼓膜に巨大なダメージを与える。

 だがそれでも、心を震わせるならば許される。

 なんだかんだ言いながら、霹靂の刻を残すのみ。

 もちろんその後に、アンコールは念のために二曲準備はしてある。

 ただ全員の息が、上がっているのも確かだ。

 俊でさえもエネルギーを過剰に出してしまっている。


 ここでまた、一度照明が消える。

 そしてスクリーンに映されるのは、霹靂の刻のアニメーションMVだ。

 時代背景は戦国から江戸といったところか。

 三味線を背負って刀を差した女が、山道を歩いていく。

 自然物の動きがダイナミックで、その中で女の動きがアニメーションで描かれる。


 村の中で三味線を弾いて、それで食べ物や銭をもらう。

 そして海岸沿いの道までやってくると、殺陣が行われるのだ。

 曲の中でも一番激しいシーンが、ここで演奏される。

 やがて女はまた、どこかへと去っていくというものだ。


 このMVが終わった直後に、演奏が始まる。

 正直なところこのMVで時間を作るのは、休憩を取るためには丁度いい時間であった。

 息を整えて、流された以上の演奏を開始する。

 アンコールでする曲は、それほどパワーのいらないものにする予定だ。

 ここで一気にパワーを爆発させる。


 MVには固唾を呑んで視聴していたオーディエンスも、演奏にはまた腕を上げて反応する。

 暁のギターと月子の三味線が、不思議な感じで調和する。

 三味線はギターに似ているが、ヴァイオリンなどの要素も持っている。

 明確な音ではなく、中間音を流していく。

 そして歌が始まる。


 荒天もそうであったが、霹靂の刻も歌詞の内容は、やや難解と言うか抽象的なものだ。

 ジャンルとしてはオルタナティブロックなのかもしれないが、そのメロディやコードは間違いなくハードロックからメタルの系譜にある。

 撥が弦を弾く音は激しい。

 月子も演奏しながら歌うというのは、かなりの練習をしたものだ。

 本来なら三味線は歌うにしても、もっとおとなしいというか、空気を乱さない曲になるので。


 響いていく音、そして届く歌。

 オーディエンスが全力でそれを受け止めて、返してくれている。

 ライブでしか体験できないことが、客だけではなく演奏する側にもある。

 聴覚だけではなく、視覚に嗅覚、そして温度に振動など。

 全てを体験するからこそ、ライブなのであろう。

(届いてる)

 メンバーの演奏が、このキャパでも充分に隅々まで届く。 

 前に来すぎている客が、かなり危険なぐらいだ。


 月子の歌い方は、その中でも何か、超然としたものを感じさせる。

 届きそうなのに、決して届くことはない存在。

(まだだ、まだ先に行くぞ)

 俊はこのバンドの中に、もっと巨大な可能性を見ているのだ。




×××




 解説

 Papa Don't Preach/マドンナ

 1986年のマドンナのアルバムからシングルカットされた曲。

 ビルボードチャートの一位を取っている。

 内容は作中で述べた通りのもので、それまでのマドンナのイメージを変化させるようなものであった。

 ただPVを見てもらえば分かるように、全盛期のマドンナの肉体が美しい。

 セクシーでエロくて美しくて、それでいてしなやかな強さも感じさせる。

 87年MTVの最優秀女性ビデオ賞 も受賞した映像であるので、是非一度見てほしい。

 Like a VirginやMaterial Girlとは明らかにカラーが変わっている。

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