第153話 幕間
アンコールに二回応じて、まず昼の部が終わった。
およそ二時間半の後に、夜の部が始まる。
これがクラブハウスなどであったりすると、夕方ではなく完全な夜から始まることになる。
演奏終了後のメンバーは、肩で息をしていたが、バラード系で終わらせたので、そこまで苦しいという状態ではない。
ただ困ったことは起こっていた。
ノイズの演奏の盛り上がりを見て、前座をやっていたバンドが、完全に萎縮してしまっていたのだ。
そんなものは俊たちの責任ではない。
もっとも冷えた空気の中で始めるのは、ちょっと嫌かもしれない。
やはり日程を、二日に分けた方がよかったのではないか。
あるいは前座をするバンドを、それぞれ別にしておくべきであったか。
「最悪、うちでやることが多くなるなら、またSixteenでもやればいいんじゃないかな」
「あの曲、イメージが違うんだよねえ」
実際に歌う千歳としては、ちょっとセクシャルすぎると思えるのだ。
大阪で歌ったのは、例外的なものである。
ともかく二時間の間に、立ち直ってもらわないといけない。
普段なら少しはフォローするかもしれない俊であるが、この昼夜二時間ずつの演奏というのは、最後まで体力がもつのか不安なのだ。
誰かメンバーを貸し出すにしても、あちらは一応オリジナル曲をやっている。
まあ暁なら一度聴けば弾けるだろうが、余計に萎縮させてしまうだろう。
「冷えた空気から始めるのも、覚悟しておいた方がいいかもな」
俊の言葉に、頷くメンバーにはまだ余裕が見える。
基本的に昼と夜では、軸となる曲以外は、そこそこカバー曲は入れ替える予定であった。
どうも昼と夜の両方を、取ってくれている客がそれなりにいそうであったので。
さすがに新曲を二つ用意というのは、俊でも無理であった。
だがカバー曲のストックは、それなりにあるのがノイズである。
もっとも電子音を多用するタイプの曲などは、さすがにセッティングを見直す必要があったろうが。
とりあえず一息ついたところで、エネルギーを補給しておく。
昼は既に食べていたが、特にエネルギーを消耗したのは確かだ。
MCを入れて休みながらの演奏ではあったが、客との真剣勝負。
満足させなければこちらの負けで、満足させるだけでも及第点。
想定を超えた衝撃を与えなければ、この一回でもういいと思ってしまう人間もいるかもしれない。
言い方は悪いが麻薬のように、中毒にさせなければいけない。
もっともビートルズまで遡らなくても、国内の有名ミュージシャンは、どうやってそれを達成したのか。
結成からもう、40年以上というバンドでも、一線にいたりする。
一時期は俊の父が最大のムーブメントを作り上げたが、それはイリヤショックで流されてしまって、残ったのは腰の強いバンドばかりであった。
そして彼女の影響が薄くなってきて、ようやく新たなムーブメントが、ネットから生まれてきたと言っていいだろう。
新しい音楽は古い音楽を肥料としながらも、新しいところからしか生まれないのか。
そのあたり俊は、色々と考えている。
ネットによるコンテンツの多重発信によって、一つ一つの力は弱くなったとも言われる。
だが拡散力で言うならば、昔よりもはるかに早い。
ミュージシャンと言おうがアーティストと言おうが、それが極めていくのは真理への遠い道のり。
だが同時に世間に対する拡散力がなければ、その裾野も広がることがないため、頂点に届くのにも時間がかかる。
そもそも届く頂点が、低いところになってしまうのだ。
コンテンツが膨大になった現代であるが、逆に大ヒット作には資本が集中していく傾向がある。
アニメだが鬼滅の刃の大ヒットは、社会的な要因もあったが、一つの作品の一時的な動きとしては、相当に巨大なものであった。
この時代、ネットによって世界がつながったことで、日本のアニメがすぐに海外でも見られるようになっている。
そのため巨大な資金でクオリティの高い作品を作っても、充分に大きな儲けにはなるというものなのだ。
音楽においてもアメリカなどでは、サブスクと契約したヒップホップの歌手が、年間に1000万ドル以上を得ているという話もある。
実は日本の音楽も、シティポップあたりが欧米圏において、かなりのブームになっていたりするし、アニメタイアップの曲は海外でも聴かれている。
日本語のみならず、英訳したバージョンまで用意していれば、よりそれを聴こうという人間はいるのだ。
クールジャパンなどといった動きは失敗しているが、純粋にビジネスとして計算していけば、しっかりと儲けは出る。
(遠い話だな)
ルートは分かっているのだが、障害があったり距離があったりで、また自分たちの乗っている車が遅かったりもする。
とりあえず今は、目の前のライブに集中する必要があるのだ。
ショックを受けていた前座バンドがどうなったのか。
「ねえ、何かいいアイデアはない?」
「いや、30分前に聞かれても、さすがに」
これがもうちょっと時間があれば、ノイズからメンバーを貸し出して、ちょっと注目を浴びたりという手段も取れたのだろうが。
「失敗するのもいい経験じゃないんですかね?」
「貴方たちは、大きな失敗は一度もしてないけどね」
「いや、俺や月子に限れば、報われないことがすごく多かったですよ」
俊は全く食えないレベルの中堅ボカロPで、月子は宣伝も弱い地下アイドル。
ちゃんと苦労はしているのだが、確かにノイズ結成以降は順調である。
1000人規模のハコで失敗して、それで終わるなら終わればいいだろう。
むしろ困っているのは、そんな冷えた空気の中でステージを引き継ぐ、ノイズの方である。
「阿部さん自身が担当してるわけじゃないんだったら、むしろあんなのを前座に寄越しやがって、と詰め寄っていけばいいんですよ」
「……俊君、けっこうえげつない思考するわね」
そんなことを言われても、こちらも面倒に巻き込まれた側なのだ。
社内政治にこの事態を利用してしまえばいい。
このあたり俊は、おかしな方向の才能もあると言っていいであろう。
純粋なミュージシャンの発想ではない。
ただここは阿部の方が間違っている。
ボカロPなどというのは基本的に、自分自身でプロデュースまでしているのだ。
受けているボカロの曲を調べて、その構成などを分析する。
その中で自分のスタイルと合っているものを取り入れていくのが、今の音楽なのかもしれない。
音楽業界を含む芸能界というのは、人間関係がウェットである。
ただボカロ系の世界においては、ネットでつながっているという事情が大きい。
才能が東京に出てこなければいけない時代は、終わりつつあると言っていいのだろうか。
ライブをするスタイルであるなら、やはり人口の集中した場所である必要がある。
様々な音楽の届け方というのが、今はある時代なのだ。
結局のところ前座の問題は解決しなかった。
1000人規模のハコでライブをやらせるというのが、そもそも無茶な話であったのかもしれない。
スタンディングスペースしかないハコなので、冷えてくるとトイレに行ったり、ドリンクを頼んだりする。
ドリンクが売れるのは、むしろスポンサーに入っている企業にとっては、ありがたかったりするのだが。
(やっぱり完全にワンマンじゃないと、ライブをコントロールしきれないな)
ここでステージの様子を見ていても、空気が冷えているのは分かる。
普通にやっていれば、昼の部と同じぐらいには、ちゃんと聴いてもらえたであろうに。
これはやるならば、昼と夜とで前座のバンドを、違うものにするべきであったのだろう。
解決策などというのは、後から考えればいくらでも出てくるものだ。
どれぐらい売れるのか、CDなどにしてもなかなか分からないものである。
ノイズの音楽にしても、MVのPVによる広告料は、それなりに入ってきている。
だがデジタル音源で売れたなら、どれぐらいのものになるのかどうか。
ノイジーガールはロングヒットで動画が流され続けたが、メジャーレーベルでの発売や配信がなかったので、ランキングは100位近辺をうろうろしただけだ。
それに比べると後の曲はまだ、配信されているものがほとんどない。
デジタル音源の発売、というのは俊も考えてはいるのだ。
だが昔ならば霹靂の刻などは、シングルCDで発売して、それに合わせてデジタル音源も発売すべきであったろう。
そうしていれば総合ヒットチャートにも、しっかりと出てきたであろうに。
阿部からすると俊のやっていることは、遠回りに見える。
だが下手にメジャーデビューなどをしても、ポテンシャルの割に売れないというミュージシャンやバンドは多いのだ。
むしろメジャーデビューしてからが、やっと本番とさえ言えるだろう。
そんな中で俊のやっていることは、とりあえず自分たちの生活基盤を整える程度の、しっかりとした収入を作っている。
SNSでの拡散すらあまりせず、ライブを繰り返すことで知名度を上げている。
そういった販売戦略は、時代と逆行しているように思えるのだが、それでも人気を拡大し続けている。
冷えたハコの中であるが、これは昼のチケットを買った客が、夜の分まで買ったこともあるのだろうか。
あるいはほんのわずかな当日券を、昼に聞いた客がまた買っているということもありうる。
どちらにしろ東京を拠点としているということは、ある程度は有利に働くことは間違いない。
関西も大阪を中心として、それなりの人口を誇っているが、東京にはかなわないのだ。
もっとも地方からミュージシャンを目指して東京にやってくる人間も多いので、そこは大きな競争となる。
俊のように最初から東京にいるだけで、スタートダッシュが有利な人間もいるのだ。
彼が他のミュージシャンと違うのは、そういう自分の利点をはっきり認識していることだ。
金持ちのボンボンと言われて、実際に生活に困ったことなどない。
阿部が聞く限りでは、学力もそれなりに高かったので、いわゆる普通の人生を送った方が、ずっと楽な人生を送れたのではという気もする。
だがあそこまでこだわりが強い人間であると、やはり一般社会の中では浮いてしまうのではないか。
(父親の破滅も知ってるわけだし……)
音楽の英才教育的なものは受けていたが、それは努力などではなく日常であったという。
聞かされた時は驚いたものだ。
前座が終わったステージに向かって、六人がスタンバイしている。
そういえばささやかではあるが重要な問題も、ノイズは抱えているのだが、その話はとりあえずライブが終わってからだ。
(今年のフェスで勢いをつけて、なんとか来年は大きなところで)
宣伝に金をかけていない、というのがノイズのストロングポイントだ。
むしろそのことによって、ファンがこれを伝えなければ、という動きになっている。
確かに楽曲と、そのフロントメンバーは、たいしたものだとは思う。
だがここからどう売っていくかで、将来は決まっていくのだ。
「よし、行くか」
夜の部のステージが始まる。
開始は昼の部と同じく、ノイジーガールのMVを流すところからとなるのだ。
ステージから見る薄暗がりのスタンディングスペースは、やはり冷えた空気にはなっている。
これをまた盛り上げるというのは、かなり大変なことだ。
阿部もどういうつながりなのかは知らないが、よくもこんな前座を引き受けてしまったものだ。
もちろんレーベルの中の話なので、俊たちには関わりのないことである。
あるいはノイズを潰したいとでも思っている人間がいるのか。
ただ基本的にノイズはインディーズであるため、宣伝にも広告にも費用をかけていない。
使うとしたらコネクションぐらいである。
このハコを使うにしても、普通にやっているだけなら、そうすぐには決まることはなかっただろう。
連休中でこそないものの、週末を抑えることが出来た。
他のミュージシャンにしても、このぐらいのハコを使いたいというのは、充分にありうることなのだ。
あるいはノイズを食ってしまうぐらいのつもりはあったのだろうか。
だがそれには明らかに、実力が不足していた。
結局は手痛い失敗の経験をしてしまったことになり、下手をすると折れてしまうかもしれない。
もっとも客観的に見れば、1000人の人間の前で演奏するというのは、明らかなチャンスであったのだ。
(社内政治とか絡んでるなら、勘弁してほしいなあ)
ここから熱量を上げていって、オーディエンスを多幸感で満たす。
合法ドラッグである音楽の力を、轟かせなければいけないのだ。
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