第154話 夢の跡

 少しは余力を残しておかなければ、と昼は考えていたストッパーが、夜には必要ない。

 冷えていた空気を、とりあえずかき回そうとする、暁のリードギター。

 イントロから歪ませて、そして早弾きなどをして、一気に期待を盛り上げていく。

 騒々しい娘さんは、今日も絶好調である。

 むしろ逆境であっても、ギターさえ持っていれば暁は無敵なのだ。


 月子とは共鳴し合い、千歳はそれに導かれていく。

 フロントメンバーの派手な音を、ドラムとベースがしっかりとコントロールする。

 それでも弾けてしまいそうで、なんとか包み込もうとする。

 あまり走りすぎるとドラムとベースはともかく、俊の打ち込みがその場で調整しなくてはいけなくなるのだ。

 キーボードだけでどうにかなる曲なら、それでもいいだろう。

 ストリングスはともかく管に関しては、さすがに俊も演奏できないので、シンセサイザーを使うしかないのだ。


 昭和の曲をカバーしようとして困るのは、ストリングスや管を使った曲が多いというものがある。

 そこをギターにアレンジしてしまうのが、俊の仕事であったりするのだが。

 ボカロPというのは演奏できない楽器であっても、面白いと思えば使ってしまえる。

 ハードもソフトも発達することで、一人で出来ることがずっと多くなった。

 もっともこれは、恵まれた環境にあった者の特権かもしれない。


 芸能界に二世がいたり、家の太い人間がいるというのは、かなり顕著になってきていることだ。

 かつては芸能界などというと、ドサ回りなどもさせていたし、もっと下賎なものだという見方があった。

 そもそも芸能界自体が、どこか悪辣というイメージがあり、それは今も案外間違ってはいない。

 単純に自分だけの才能で昇っていける人間というのは、本当に少ないものなのだ。

 それを音楽においては破壊したのが、ボカロとボカロPの出現と言えるであろうか。


 ただいくらボカロPが調声しても、本物のボーカリストの声にはかなわない。

 なぜならそれは、ライブではないからだ。

 ライブ、つまり生きているということ。

 どれだけ上手く調声しても、むしろそれはライブ感からは離れていってしまう。

 人間の耳というのは、正確な音をむしろ拾わない。

 わずかに濁った音を拾って、そのフィーリングから快楽を得るものなのだ。


 ギターを演奏する快楽に、暁は支配されている。

 俊は本当に多くのギタリストを見てきたが、彼女ほど楽しそうに、しかし同時に苦しそうにギターを弾く人間は、ちょっと見たことがない。

 しかしそれも今日までの姿で、明日にはまた違う姿を見せてくれる。

 成長であり、変化であり、そして技術の向上でもある。

 わざと音を歪ませて、不快のほんの手前から戻ってくる。

 天秤が揺らぐような音で、ギターを弾いていくのだ。




 月子の声はそんなギターに、支配されたりはしない。

 千歳はバンドボーカルとして一級品であるが、月子は本来なら単体でも歌えるボーカルだ。

 だが同時に、アイドルとして活動していた時も、一緒にステージに立つ仲間との絆を感じていた。

 それは月子にとっては、ほとんど裏切りのような形で終わった後も、まだずっと続いている。

 千歳とのハーモニーが、鼓膜を震わせてくる。

 この二人が同じバンドにいるというだけで、一つの奇跡とも言えるのだろう。


 俊は基本的に、ノイズの演奏の中では、目立って派手なことはしない。

 リズム隊は縁の下の力持ちをやってくれている。

 栄二のドラムはリズムをキープし、走りかけるフロントラインを引き止める。

 そして信吾のベースラインは、音の厚みを一気に増していくのだ。


 最強無敵のバンドになりつつある。

 まだ道はずっと続いていくが、このライブはマイナス面をも吹っ飛ばして、ノイズのポテンシャルを上げているという感じがする。

 高く飛び上がるためには、一度しゃがまなければいけない。

 冷えた空気というのは、暖められた時は余計に、その熱量を感じるものなのだろう。

 昼のステージとは、選曲が少し変わっている。

 だが二人で歌える曲というのは、やはり混じっているのだ。


 俊は演奏をしながらも、このライブからどんどんとインプットをしていっている。

 ステージの構成というのは、やはり実際にやってみないと分からないものがある。

 意味は違うが、まるで自力発電だ。

 一度メロディやフレーズがつながってしまうと、そこからどんどんと音があふれていく。

 もちろん最後まで作ってしまえば、実は駄作であった、という例もあるだろう。 

 しかしノイズでの活動を始めてから、俊はまずそういった間違いをすることがなくなっている。


 インスピレーションを与えるのは、常に強烈な刺激である。

 暁などはこのライブでも、どんどんとアレンジを加えてしまっている。

 より鼓膜を震わせて、脳に刺激を与えるようにと。

 自分の作った曲を変えられてしまっても、俊はとても文句が言えない。

 暁は常に、過去よりも刺激的であろうとする。

 レコーディングの時には困ったこともあるが、彼女はまさに、バンドをリードするギターなのだ。

 現在では絶滅危惧種になりつつあるだろう。




 ラストの曲が終わっても、拍手が鳴り止まない。

 叫ぶように「MORE!」という声も聞こえてきて、アンコールが始まる。

 ステージ脇から再び位置に着く時、躓いた暁に手を伸ばし、俊はその軽い体を受け止める。

「今日一日でかなり痩せたんじゃないのか?」

「もうちょっと体力はつけないとね……」

 確かに体力は使ったが、これはそれだけでもないと思うのだ。


 二時間にもなるライブであると、楽曲の構成が重要になってくる。

 ずっとハイテンポの曲ばかりをやっていると、疲れるだけではなく演奏も単調になってくる。

 上手く波をつけるように、構成は考えて行かないといけないのだ。

 一応はメンバーの意見も聞きながらも、最終的には俊が決めたことだ。


 アンコールを二曲、ハイテンポなものからバラードへと。

 カバー曲なのでこれも、かなりアレンジされたものだ。

 今回のライブの曲をアレンジしていて感じたのは、邦楽と洋楽の流行の差とでも言おうか。

 洋楽ではヒップホップが今でも人気であるが、日本ではそうでもない。

 ダンスミュージックも日本ではそれほどでもなく、EDMなどはかなり方向性が違う。


 アウトプットをするためにインプットをしているわけだが、どうも洋楽から学ぶものが少なくなっている。

 偶然かもしれないが、ボカロが本格的に日本の音楽のアンダーグラウンドになった頃から、その傾向がよりはっきりしている。

 ただその時代は日本も、大量のメンバーを抱えたアイドルグループなどが誕生しているので、そういったことも関係しているのかもしれない。

 そもそも社会的に、CDが売れなくなって販促が重視されるようになって、それからネット配信が主流となった。

 しかし実際はライブなどを行えば、それなりにCDが売れていくのだ。

 流通と小売を通さないために、大きな儲けとなる直販。

 これを下手にやってしまうと、脱税につながってしまって、恐ろしいことになってしまう。




 最後の曲を終えて、さすがに楽屋でぐったりとするメンバーであるが、俊は既にノートPCを開いている。

 他のメンバーの呆れたような顔をよそ目に、コード進行やメロディにフレーズを、バラバラながら残しておくのだ。

 まだ曲の中でもバラバラな要素を、とにかく記録しておく。

 こういったインスピレーションは、突然に訪れてくるから困るのだ。


 俊のこういった姿勢は、音楽に対する鬼であると言えよう。

 単純に才能があるとか、そういう話ではない。

 元々ネタ曲以外は、あまり受けていなかったのがサリエリだ。

 それでもボカロP全体の中ではかなりの上位であったのだが、順位などはあまり重要なものではない。

 問題なのはそれで食っていけるかということと、どれだけの影響を世界に残すかということだ。

 他の誰かではない、絶対的な個性。

 その爪痕を残したいという、野望とさえ言える傲慢さ。

 己の生きてきた証を、他の凡百の者とは違うものにしたいという、執念にも似たもの。


 ほとんどの人間は、世界と社会にとって歯車でしかない。

 歯車は歯車で、それは必要なものではある。

 だが特別の存在になりたいと思ってしまって、俊はここにいる。

 そして他の皆も、程度の差こそあれ似たような部分は持っている。


 もっと楽な道を進むことも出来たであろう。

 一定の成果を残して、さらに安全な道を選んだ者もいる。

 だがそれだけでは足りないと思ってしまった。

 若いうちは誰もが、特別な何かになりたいと思うものだ。

 しかしそれがいつまで続くかなど、現実を見ていればいずれは、妥協していくものなのだ。


 俊はノイズのリーダーではある。

 ただバンドを引っ張っていくタイプではない、と本人は思っている。

 考えに考えて、色々な手段でプロデュースしていく。

 しかしそんな俊の引力によって、このメンバーは集まっているのだ。




「何はともあれお疲れ様。夜は始まりがちょっと不安だったけど、お客さんは充分すぎるほど満足したみたいね」

「それは良かった……」

 比較的体力の残っている信吾が、阿部と受け答えをする。

 俊はそれにも気づかず、作曲に入っている。

 自分だけの世界に集中してしまえるのは、確かに一つの才能なのであろう。

 だが一年前の俊であれば、このようなことは出来なかったはずだ。


 それはさておき、阿部にとっては本題である。

「夜の部に、ちょっと知り合いを呼んでおいたんだけど、かなり感触は良かったわね」

 つまり、フェスの主催側の人間ということか。

「けれど夏の大規模フェスだとレーベルの力関係とか、スポンサーの意向とかもあるから、メインステージはちょっと無理でしょうけどね」

 そのあたりはインディーズでやっているので、仕方がないと言えば仕方がない。

 金をかけているミュージシャンを優先するのは、事務所やレーベルにとって当たり前のことなのだ。

 ノイズはそこで金をかけずに人気を獲得し、収入も多く取っているのだから。


 ただ阿部は口にしないが、少し流れは変わってきている。

 この人気を広げているノイズに関しては、ちょっとだけ金をかけてしまうだけでも、大きな効果が見られるのではないか、ということだ。

 今までにも音楽業界では、インディーズで長く活躍して、人気を強固なものとしていったミュージシャンは珍しくない。

 あとは紅白などにも絶対に出ないという、そういうポリシーでやっているところもあったりする。

 俊は自分たちが儲けることを優先しているため、援助を断っているような状態だ。

 ノイズがさらに金を稼いでくれるなら、親元のレーベルの方も、ノイズに有利な条件でメジャー移籍をさせてもいいのでは、と思いつつある。


 面子的にはインディーズにこだわるノイズというか俊に、あまりいい感情を抱いていないかもしれない。

 だがここまでインディーズでしっかりと結果を出しているのなら、さらに宣伝などをすることで、巨大な利益を産むバンドになるのではないか。

 そう思わせることに成功した時点で、ノイズの勝利であると言えるだろう。

 もっとも、これは別にメジャーレーベルが負けた、ということでもない。

 共に金を稼ぐという点では、WIN-WINと言えるであろう。


 父親の失敗からか、俊はちゃんと損益について、しっかりとした考えを持っている。

 ビジネスとしての音楽を、ちゃんと理解しているのだ。

 宣伝に金をかけずに、ここまで知名度を上げてきた。

 まさに自分たちの力で、大きくなってきたのだ。

 もちろんインディーズレーベルに所属以降は、こうやって他の人間の力も借りているわけだが。


 今年の夏は忙しくなるかもしれない。

 高校生二人がどうなるのか、マネジメントする側としては、そこも調整していかなければいけない。

 ただ、このライブの前売りがすぐになくなったということで、また一つの実績を作った。

 ノイズの未来は、まだずっと明るく高い方へ向かっているのだろう。

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