第88話 ワンマンライブ

 これまでも何度もライブはしてきたし、フェスではもっと多くの観客の目に晒されることもあった。

 しかしワンマンライブというのは、かなり特別である。

 何よりセッティングに、時間をかけられるし微調整が行える。

 楽屋にも自分たちしかいないが、そこにやってくる人間もいる。

「大丈夫かしら?」

 そう言って楽屋に入ってきたのは、懐かしい顔である。

 もっともそれを憶えていたのは、声をかけられたわけではない、俊と暁であったが。


 視線は月子に向けられているが、その月子はそもそも、人の顔が憶えられない。

 さすがにバンドメンバーぐらいは、判別出来るようになっているが。

「えっと……」

「ほら、前にツキちゃんに声かけてきたレーベルの人がいたじゃん」

「ええ……」

「あたしがアコギ持ってメイプルカラーに参加した時」

「あ、憶えてるよ、憶えてる」

 顔を忘れているだけで。相貌失人というのは厄介だ。


 俊が落ち着いているのは、既に連絡を受けて、一度会っているからだ。

 メジャーレーベルからの、正式な打診。

 だが俊は話を聞きはしたが、普通に断っている。

 そもそもABENOはノイズとは方向性が違う。

 正確に言うとノイズに、まともな方向性がないように見えるのだ。


 俊としては別に、また話をするのは構わない。

 だが今は、初めてのライブの前である。

「話があるなら、ライブの後に聞きますよ」

「ええ、それもあるけど」

 阿部が取り出したのは、ノイズのアルバムであった。

「すごく良かったから、今日も頑張って。それを先に言いたかったの」

 アレから半年とまでは言わないが、かなりの期間が経過している。

 しかし彼女は、月子のことを忘れていなかったのか。

 あるいはノイズのことをか。


 当然ながら、今日のライブも聴いていくのだろう。

「俊、ノイズに注目してるのはABENOだけじゃないぞ」

 栄二は既に、フリーランスとして仕事をしている。

 だが古巣から回される仕事が一番多い。

 そして所属していたGDレコードの人間は、栄二がそこまでして加入したバンドというものを、しっかり注目している。


 女性のツインボーカルというだけなら、それなりに存在する。

 そもそもアイドルグループなどは、女性だけで歌っている。

 しかししっかりとしたバンドを組んで、リードギターまで女子であって、レベルの高いボーカルが二人いるというのはまずない。

 リズム隊は男性陣で、打ち込みなどもしっかりとやっているのだ。

 バンドとしての基本的な構成の曲は、全て出来ると言っていい。

 さらにそこにシンセサイザーが加わるのだ。


 なんでも出来るバンドが作りたかった。

 あれこれ曲を作る時に、これは無理だと言われないためには、そもそも打ち込みでユニットを組めば良かったのだ。

 だが上手いだけではなくフィーリングまで備えた暁のギターが入り、そしてリズム隊が揃った。

 さらにつよつよボーカルがもう一枚入って、まさに出来ないことがなくなってきた。

 最強のバンド、というものではない。

 万能のバンド、を俊は目指していて、それが完成しつつある。

 このストレンジでのワンマンライブは、その大きな一歩である。




 ストレンジはロック専門のハコである。

 ただロックとは何かと言うと、それはもうジャンルが広すぎる。

 ビートルズがロックであるというなら、バラードもいくらでもロックになるし、フォークとの境界線さえあやふやになってくる。

 社会風刺などをロックが始めると、フォークロックなどというジャンルさえ出てくる。

 テクニカルであったり形から入るメタルがあったり、それを商業ロックと批判したグランジが商業的に爆発的に売れてしまったり、ロックとはとりあえず、ただのBGMではなければ、もうロックと言ってしまってもいいだろう。


 18時に入場が開始し、19時よりスタート。

 わずかな当日券は当然のように売り切れて、転売行為もあったらしい。

 もっと大きなハコでやらないといけないな、と俊は考えている。

 ただ今回の場合は、主催してくれたのがライブハウス側なのである。

 やはりノウハウも人手も、今は全く足りていない。

 だが安易にメジャーレーベルに所属はしたくない。


 300人が入ると言っても、スタンディングのハコであるのだ。

 観客はより前の方に行こうとしている。

 それを後方から見ているのは、演奏者だけではなく、観客までも含めて眺めようとする、一般とは違う者たち。

 暗いライブハウスでは、ステージからはその姿は見えない。

「今さらって気もするけどね」

「ならどうして一緒に来たの?」

「……未練かな」

 その才能を知ったがゆえに、あえて突き放した者がいる。


「実力の割には、けっこう時間がかかったよね」

「あの子のギターは、普通に扱えるもんじゃないでしょ」

「上には上がいたからね。しかも年下に」

 共にセッションした者がいる。


「すごい人数だね」

「人数だけなら体育館の方が入ってるでしょ」

「やっぱりプロになるのかな」

「千歳大丈夫かなあ」

 わずかながら交わった者たちもいる。


「ストレンジか。わざわざステージを降りて、いったい何を考えてんだか」

「そう思うなら見に来なくてもいいだろ」

「それこそお前だったそうだろ」

 袂を分かったかつての仲間もいる。


 単独でやってきているスカウトの目もあれば、スカウトではないがその実力を見極めようとする者もいる。

「やっと連れてきてくれたのは嬉しいけど、最初のライブよりはずっと成長してるんでしょうね」

「どうかな。技術自体はそれほど上がっていないと思うけど」

 娘の姿を見に来た父は、そういう冷静な目を持っている。




 年末のフェスの参加も、大きなステップアップの一つだ。

 だがそのステップアップする幅を大きくするためには、このライブも成功させなければいけない。

 スタートの時間となり、メンバーがステージに姿を見せる。

 まだ手元が見える程度の光度の中で、最後の微調整が行われる。


 普段のライブでは、機材なども備え付けのものに、特別に使うものを足すだけに終わることもある。

 だがワンマンであるなら、自分の完全に精通した機材を使うことが可能だ。

 とは言っても既に把握しているものにならば、それほど手を加えることはない。

 たとえば栄二なども、ドラムは自分のクセのついたものを少しだけ足して、あとはそのままのセットを使う。

 アンプなども一般的なものが共通しているなら、そのまま使ってもいいのだ。

 神経質な人間は、それでも己の機材を使いたがる。

 ワンマンライブなら、時間的に準備が許される。


 音作りに一番神経質なのは、俊ではなく暁であったりする。

 彼女のギターは最もリードを弾くものであるため、エフェクターでの調整は重要なものだ。

 対バンやフェスでは、リハーサルをしたとしても、出番までにわずかに狂う。

 特にギターは、ほんのわずかだがチューニングが狂いやすい。

 暁の使っているレスポールは、確かに極端な二種類の音を出すことが出来る。

 だがそれ以上に、安定感が優れているギターなのだ。


 軽くてもジャガーやムスタングなどは、演奏中にチューニングが狂う。

 わざとそこをずらして、音に厚みを加えたりする技術もある。

 その点では暁は、とにかく正確さを追求する。

 歪ませすぎるのに酔うほど、技術に劣っているわけではない。


 俊はそのあたり、妥協することもある。

 演奏技術はどうしても、他のメンバーの域には達しない。

 シンセサイザーによる演奏と、打ち込みの操作に関しては、とにかく量が多いので時間がかかる。

 ただほんのわずかな音のズレは、かえって心の琴線を振るわせる。

 正確なだけであれば、打ち込みで充分なのだ。

 どの方向に、どれぐらい音をずらしていくか。

 それが快感につながっていくもので、ライブでないと再現出来ないものである。




 それぞれの楽器が、わずかに鳴らされる。

 そしてその音が消えた時に、オーディエンスのざわめきも静まった。

 ドラムが小さなビート刻み、そして月子が告げる。

『GOD Knows』

 ドラムの激しい音の連打から始まるこの曲。

 アニメの作中に演奏されたもので、これをきっかけにギターやバンドを始めた、という人間も多いだろう。

 そして勘違いする人間も多いのだが、この曲は特にリードギターが難しい。

 まさにギターの技量を見せ付けるためのもので、学園祭でも難易度が分かっている軽音部の人間は、驚愕しながら眺めたであろう。


 とりあえず難しい曲をやって、分かる人間に盛り上げてもらう。

 そしてこの曲は、学園祭では千歳が歌ったが、今日はキーを変えて月子が歌う。

 基本的に月子は、歌唱力は千歳より上である。

 だがぼそぼそと喋るような歌は苦手で、またラップなども苦手だ。

 純然たる歌の力によって、ライブハウスを支配する。


 空間全体に響く、月子のクリアな歌声。

 雑味が全くないのに、その声は太く聞こえる。

 ガードをすり抜けて、一気に体を震わせてくる。

 この声に千歳が、コーラスを乗せてくるのだ。


 挨拶代わりの第一曲。

 だが鮮烈な響きは、一気にテンションを上げていく。

 まだまだ暁は、余裕で指を動かしていく。

 アレンジまで加わったこの曲は、コーラスだけではなく、ストリングス系の音も混じっている。

 俊がこだわった曲のアレンジは、以前の学園祭でやったものより、さらに複雑になっている。

 魂を揺さぶる歌声は、ソウルフルなものである。

 ラストの怒涛のギターパートは、まさにロックなものであった。

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