第25話 ファーストライブ
ライブというのは、単純にその場で演奏をするだけではない。
前日か、もしくはその日の日中などに、セッティングやリハをする必要があるのだ。
ライブハウスは演出というものがある。
照明や音響なども、チェックしておかないといけない。
物販を販売するスペースなども打ち合わせをしておく。
「うちも何か物販作らないの?」
「何を?」
暁に問われても、逆に問い返す俊である。
「……CDとか?」
「するとまたレコーディングをしないといけないな」
「気になってたんだけど、あの地下のスタジオって、元はレコーディングも出来るようになってたんじゃないの?」
「楽器を売る代わりに機材を売ったんだ」
それはどうしようもないか。
「だけどいずれ、元に戻せたらいいなとは思っている」
機材はどんどん新しくなっているため、古い物を置いておいても仕方がないのだ。
そもそもレコーディングの仕方そのものが変わったりもする。
ただ物販については、俊も考えてはいる。
だが考えてはいるが、先の話である。
そもそもレコーディングをし直すとしたら、ノイジーガールにギターが加わった今、絶対に録り直さなければいけない。
しかし暁に、レコーディング用の演奏など出来るのか。
いや、出来ることは出来るのだろうが、ちゃんとそのパワーを表現出来るのか。
月子とはまた違った意味で、厄介な天才である。
他に定番のものであると、ステッカーだのTシャツだのがあるが、作るのもタダではないのだ。
今のところ確実に収入となるのは、Yourtubeからの収入。
あとはサブスクなどにも入れているが、やはり物で残るものが、あった方が強いのはインディーズなどでもデビューする前なら同じ。
しかしコストがかかるし、どれぐらい売れるのかも分からない。
「そもそもノイズのロゴすら適当に決めたものだしな」
「え、そうなの?」
月子も驚いているが、実際にそうなのである。
色々と順番が前後している。
本当なら大学内に、そういったデザインをしている人間もいて、そのつながりも持っていたりする。
それこそレコーディングは、また大学の設備を使ってしまえばいい。
インディーズレーベルで流通まで出来るなら、確かに作ってみてもいいかもしれない。
別にCDにしても、単に作るだけなら、簡単に作れるものなのだ。
ただそういったことは、全て今日のライブが終わってからの話になる。
この日は対バンがいて、五組中の三番目の出場。
最初でないのはいいし、トリは集客力のあるバンドと相場が決まっている。
ただ俊もノイズとして、それなりのチケットを捌いた。
ノルマ以上に売れたので、ちゃんと客が来てくれれば、次からもハコに入れてもらえることは出来るだろう。
もっともCLIPはそれほど大きくもないし、格も低いハコではあるが。
次のライブがどうなるかも、このライブの結果を見てからだ。
とりあえず用意していた衣装に、楽屋で着替える。
俊はスラックスにノータイジャケットのカジュアル。これは普段着のままである。
暁はダメージジーンズにRHCPのバンドTシャツ。これも普段着のままである。
そして月子は、改造したドレスを着て、ウィッグ付きの顔の上半分ぐらいが隠れたマスクをする。
一応練習中にも試してはいたが、問題はないはずである。
普段とは違う化粧もしているので、もし邪魔なら脱いでしまってもいい。
わざわざ美貌を隠すという行為は、バレたら逆に美味しくバズるだろう。
「あれ? アキちゃん緊張してる?」
「そういう二人は緊張してないみたいだけど……」
「まあ場数だけは踏んでるし」
とは言っても今日は、アイドルのミキではなく、シンガーのルナとしてのデビューであるのは間違いないのだが。
それに俊も、緊張していないわけではない。
これまでのお試しやヘルプと違う、本気のユニット。
もちろん失敗したら失敗したで、それを活用するという精神的な逃げ道は作ってあるが。
成功体験と失敗の経験、どちらが重要であるのか。
まだ若い二人にとっては、全力が出せたらそれでいいのだと思う。
俊は何度も失敗はして、もう慣れてしまっているのだ。
「よし、そろそろ出番だな」
俊はシンセサイザーとノートPCを持ち込む。
暁はギターとエフェクターボード。
月子だけが己の肉体を武器としているわけだが、その仮面は他のバンドやグループの人間をぎょっとさせるものだ。
少なくとも外見のインパクトでは、かなり強烈であろう。
ギターを手にした瞬間から、暁の手から震えが止まるのを俊は見た。
(10分の1でも実力を出してくれたら、それで充分なんだけどな)
最悪演奏がぐちゃぐちゃにならない限りは、月子の歌でなんとか成立するのだ。
セッティングも終わり、俊だけに照明が向けられる。
『初めまして、ノイズです』
これが最初の一歩だ。
『このバンドとしてはこれが最初のライブになりますが、楽しんでください。オリジナルを一曲、カバーを三曲します』
照明が消えて、薄暗いライブハウスで、俊の視線は暁に向けられる。
『最初はオリジナル、ノイジーガール』
彼女のギターから、曲は始まるように変わっている。
暁の音を待つ。
だが、少し時間がかかっている。
(緊張して動けないのか?)
さすがに焦る俊は、リズムをもう流してしまおうか、と迷ってしまう。
先に動いたのは月子だった。
『AH~』
アカペラで、メロディーラインをゆっくりと奏でる。
その声の響きだけで、オーディエンスを魅了してしまうように。
俊も確認していなかったが、この空間には向井やメイプルカラーの面々、また暁の父の関係者もいるはずだ。
この瞬間から、シンガールナは誕生したと言っていいだろう。
そしてそのハイトーンの声が、余韻たっぷりに消えていく。
(どうだ? 動けるか?)
俊の視線の先で、暁は髪ゴムを取っていた。
(いきなりか!)
指先がギターの弦を押さえ、五円玉のピックが単音をわずかにゆっくりと拾う。
そこから、次の瞬間には爆発した。
それはまさに、音の奔流。
イントロからはっきりと、ヘヴィなリフだと感じさせる。
まったくどうして、あんな小さな体から、こんなパワーにあふれた音が出るのか。
重くて分厚い音に、オーディエンスが驚愕の色を顔に出す。
そしてテンポは早くなってはいない。
打ち込みが開始され、俊もキーボードでリズムを支えていく。
質の違う音が重なって、より厚みを増していく。
下手をすれば技巧jに頼りすぎとも言われる音の重なり。
しかしこれを支えにして、月子のボーカルが始まる。
なんて騒々しい音楽。
それでもあっという間に、オーディエンスを乗せていく。
暁のギターが走り過ぎない理由は、簡単なものである。
つまるところさすがに暁であって、走り過ぎないようにギターの音を入れまくったのだ。
好き放題にアレンジしてでも、テンポだけは守る。
そこが妥協点というか、都合のいい技術の使い方だったのだ。
ノイジーガールは基本的に、月子の歌である。
生きにくい人間に生まれて、それでも生きてはいかなくてはいけなくて、一歩一歩進んでいくことが、どうしてこれだけ難しいのか。
成長しても何も変わらず、周囲との軋轢は多くて、居場所を求めて飛び出した。
知らない場所で居場所を見つけて、生きづらくてもそれでも生きて、ほんの一瞬の輝きに幸福を見出す、そんな刹那的な人生。
未来のことなど何も見えなくて、優しい人々の中でも自分はどこか孤独で、けれどそこを去る勇気も、次の場所を求める気持ちもない。
生きたまま腐っていく。
激しいギターに、歌詞のメロディーも哀愁があり、しかしながらあくまでも声はクリア。
オーディエンスの耳にするりと入り込み、快楽中枢を刺激する。
声に感情が、悲しみが、人間性が乗っている。
天性の声質に、そして環境が与えた哀切。
それでもギターに対抗するパワーで、聴く者を熱狂させるのだ。
ほとんどの人間を熱狂させることに成功した。
オリジナルでここまで、何かを伝えるということ。
やはり暁のギターもあってこそのものだろう。
とにかくもう、あたしの音を聞け、とギターで叩きつけている。
それに月子のボーカルが負けていないのが、とんでもないケミストリーを発揮させている。
俊はおとなしく、ひたすらテンポのキープに気を遣っていた。
二人の邪魔をしてはいけない。
ギターソロパート、激しく音を歪ませてくる。
足元がしっかりと動いて、エフェクターも操作しまくる。
単純にギターの演奏が上手いのではなく、音を作るのが上手い。
そしてそこから、完全にギターソロになると、一気にテンポが落ちて一音ずつを鳴らす、聞かせるパートに入る。
そこからアルペジオとなり、再び爆音へ復帰。
(よし、テンポは合ってる)
調子に乗ると平気で、ギターソロパートを伸ばしたりする。
何度も叱られて、ようやく緩急というものを考えるようになった。
ただ速く上手いだけではなく、オーディエンスに次を期待させるのだ。
ノリノリで弾いて歌っている二人はいいが、俊は精神的に疲労している。
もっともあちらの二人が、完全に暴走するのは、なんとしてでも止めなければいけない。
月子のボーカルパートが戻ってくると、二人の音が上手く調和する。
やはり月子も歌いなれているだけに、しっかりと暁の暴走を止められるのだ。
激しくギターをかき鳴らす暁は、まるでギターを抱え込むように弾いている。
月子は簡単なマイムであるが、わずかに体でリズムを取って、その手の動きが自らを抱きしめるかのような形となる。
この先をどう生きていけばいいのか。
別に自分だけではなく、多くの人が先の見えない中を生きている。
ただそれでもその場で、永遠にじっとしていられるわけではない。
間違った方向にでも、細い道にでも、とにかく歩みだすしかない。
正解が分かるのは、きっと死の瞬間なのだろう。
それまではこの雑踏の雑音の中で、自分も一つの雑音になろう。
ただ誰もが振り向かざるをえない、強烈な雑音を響かせよう。
生まれてきた意味は、ただそれだけでいい。
自分の価値は、自分の生きる意味は、自分の中の雑音に求めてみろ。
ボーカルパートが終わり、ギターのリズムも音を減らしていく。
打ち込みにしっかりと合わせて、最後の早弾き。
最後の音をしめて、音の名残をも消す。
一瞬の静寂の後、ステージの下からは熱狂の反応が返ってきた。
なるほど、これはノイジーガールだな、と安藤は納得する。
雑音と言うか騒音と言うか、無秩序に近いが生活音に近いと思わせる。
「しかしライブには慣れてないなあ」
元のバンドでは、ドラムを叩いていたメンバーがそう評する。
確かに一曲やっただけで、ボーカルとギターが大きく肩で息をしている。
「ブレーキが壊れてるようなもんだな」
ベースであった岡町は、あの三人とは一度セッションしたのだ。
根本的な問題は解決していない。
強力にリズムキープをするドラムと、それと一緒に低音をしっかり支えるベースが必要だ。
あるいはしっかりと打ち込みで練習をしまくるか。
ただそれでは、魅力が落ちてしまうだろう。
ノイズは本質的に、ライブバンドであると思う。
「今はそういう時代でもないだろうに」
安藤はそう言うが、自分はミュージシャンとして、まだ現場に立っている。
俊がどうやって、あの二人の制御をするのか。
バンドというのは初期には、さほど大きな問題は起こらない。
下手くそが上達していく過程であるからだ。
もっともあれだけ最初から、歌えて弾けるメンバーがいる。
単に技術だけなら、既にあるバンドに放り込んだ方がいいのかもしれない。
ただそれであると、成長の過程で身に付く、大切なものを得ることが出来ない。
岡町は提案する。
「一度、本物のドラマーと合わせる機会を作ってやれないかな?」
「まあ、無理じゃないとは思うけど」
現場に一番近いのは、安藤である。
確かに本物のドラムのキープ力を経験するのは、悪いことではないだろう。
ただ分裂してしまう可能性もあるだろうが。
三人のみならず、それなりにいた業界の関係者と元関係者の先で、まだライブは続いていく。
『改めて、ノイズです。メンバーはシンセがサリエリ、ギターがアッシュ、ボーカルがルナとなっています』
アシュリーから縮めてアッシュというのは、暁から言い出したものだ。
これだけ派手な演奏をするくせに、暁は本来、内向的とまでは言わないが、ギターに触れなければおとなしい。
本名そのままで演奏することを、嫌がったのである。
しかし中学生ぐらいにも見える暁が、強烈にヘヴィなリフを奏でる。
そのギャップは激しく心を揺さぶったものだ。
そして顔の上半分を隠したボーカル。
色物かと思えばその歌唱力は、特に高音は聞かせるものであった。
リーダーらしき俊に対しては、その衣装からして普通である。
ただサリエリという名前に対しては、ずいぶんとコンプレックスがありそうだな、と感じた者もいるだろう。
ネット配信でノイズの音を聞いていた者は、はっきり言って驚愕である。
あちらはギターパートはあくまで伴奏で、ポップスの印象があったからだ。
だだこれは間違いなくハードロック、あるいはギターの存在感を考えればメタル。
それでいてこちらの方が、歌詞の感情をより伝えてくれている。
ただ、間違いなく素晴らしい演奏であったが、最後までこれで行くのか。
たったの一曲でボーカルとギターが疲労しているのは、はっきりと分かった。
もちろん俊もそれは分かっていて、暁に声をかける。
「アッシュ、髪を」
その言葉だけで理解する程度には、暁も現状を把握している。
髪ゴムをして、ポニーテールに戻す。
これは彼女にとっての安全装置なのだ。
準備が整ったな、と思った俊はMCを続ける。
『ネットで見ていてくれる人は知っているかもしれないけど、僕らはけっこうアニソンのカバーをしていて、次もそうです』
アニソンでもここまでゴリゴリにロックをするなら、本当にもうロックバンドだ。
ベースとドラムのいない、歪なバンド構成かもしれないが。
『「あのバンド」ライブハウスバージョン、行きます』
そして暁が、ジャーンと分かりやすくギターを鳴らす。
ギターソロのイントロと言うよりは、本来はこれはアドリブであったはずである。
だがあえて俊は、ギターを強調するためにこのイントロを入れた。
エフェクターでギャンギャンにギターの音を響かせて、いい感じのところで他の音源が入る。
そこらは暁が抑制して、ボーカルへと入っていった。
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