第253話 冬の気配
地下のスタジオに籠もっていられる間は幸せであった。
さすがにドームのライブともなれば、演出などが重要になってくる。
「とりま、テキトーに決めるだけな」
ゴートはそう言うが、ドームで適当にやっていれば、事務所の皆さんの胃が痛いのではなかろうか。
少なくとも最大の出資をしているALEXレコードはそうであるはずだ。
チケットが売れてくれて、ようやくトントン。
そこから物販でどれぐらい売るかで、利益は変わってくる。
永劫回帰などはかなりファッションも統一して、ルックス売りをしているところもある。
ルックスはともかくとしても、それぞれのキャラが強いため、推しをするファンはいるのだ。
女性受けはゴートがぶっちぎりで、キイが二番目。
ボーカルのタイガは両方からの支持がある、といったぐらいだ。
それに比べるとMNRは、売り方がちょっと謎なところはある。
基本的にライブバンドで、ガンガンとライブで稼いではいる。
しかし同じくライブバンドであるノイズも、それなりに物販は充実してきている。
物販でしっかり稼げることこそ、バンドとしては強いと言えようか。
60年代から70年代のレジェンドバンドなどは、いまだに物販がものすごく売れている。
時代は違うがマイケル・ジャクソンなども死亡後、毎年数百億の金額をたたき出しているのだ。
このあたりミュージシャンは伝説の存在になれば、スポーツ選手などよりも稼ぐ。
思えばメジャーなサッカーであっても、興味の全くない人は多いだろう。
だが音楽であれば、興味がなくても勝手に耳に入ってくる。
スポーツよりも音楽の方が、共感性が高い。
俊はそう考えているが、単純に体育会系とは合わないだけである。
実際のところは別に、運動が出来ないというわけでもないが。
ともかくステージの構成もどんどんと出来上がっていった。
そしてアイデアに対して、味付けをしていく演出家も入る。
もう時間もあまりないのに、大丈夫であったのかどうか。
三つのバンドが全員揃うというのは、さすがに少ないものだ。
ノイズのメンバーは比較的、行動の自由があるものだが。
永劫回帰は普通にメジャーシーンで売っているので、一番忙しい。
するとアレンジや演奏パートにおいては、俊と白雪に任されてしまう。
白雪はさすがに年の功と言おうか、淡々とそういった作業を消化していってしまう。
俊としては真似しようとしても、ちょっと真似出来ないものである。
時間がテーマということになると、やはり年長者の意見がものを言う。
もっとも俊もリアルタイムでこそないが、多くの歴史的名盤はしっかりとフォローしている。
今回のライブというのは、コンセプトアルバムの形式に近いものがあるのかもしれない。
その時代に存在した中で、時代性を強く表したもの。
ビートルズやガンズやニルヴァーナといったあたりもあるし、どうせならば日本人好みのQUEENもやってしまおうか。
「天国への階段、アレンジしてソロで弾き比べたらよくない?」
「そのアレンジは誰がするんだ?」
「あたしとキイさんと紫苑さんで」
出来るのか、と俊は思う。
基本的に暁は、他人とのコミュニケーションが微妙に苦手だ。
しかしギターと洋楽が好きであれば、おおよその相手との会話が成立する。
ギタリストが多いこの構成なら、それこそホテル・カリフォルニアが出来る。
もっとも12弦ギターを用意するような、面倒さはあるかもしれないが。
その場合、暁はそれは使えない。
レフティの12弦ギターなど、あったとしてもいいものであるはずがない。
コンポーザー三人の意見は、おおよそ一致する。
たとえばビートルズなどはその晩期、実験的な楽曲が多くなりすぎ、ビートルズでなければ売れなかっただろう、というあたりか。
ただあの時代は、プログレの波があって、そういった楽曲が売れていた時代だ。
それを今に持ってくるのは、ちょっと難しいとも言える。
30代から40代ならばまだしも、20代であると話が変わる。
さらに10代になると、楽曲のストレートさが重要になるのだ。
曲の長さは短く、イントロも短く、いきなりサビから入る。
そういった楽曲が受けやすい、などとはよく言われている。
実際に俊も、ノイジーガールを当初は、そういった構成で作った。
ただし本物のギターヒーローがいるなら、そんな始まり方をしなくてもいい。
イントロのリフだけで、興奮させる名曲というのはあるものなのだ。
それは別に、ギターだけではない。
ドラムであってもいいし、キーボードからのピアノでもいい。
あるいはストリングスなどを持ってきても、それはそれで面白くなる。
あえて管を持ってきても、また表現は変わってくるだろう。
音楽のイメージというのは、無数にあるものなのだ。
しかし一曲、スケールの大きな曲を作る、というのは一致している。
時間をテーマにしたものであるのなら、壮大になってしまってもおかしくない。
そして自分で言い出しただけに、白雪には構想があった。
ピアノも適度に弾ける彼女は、それを主旋律と伴奏だけで、簡単に弾いてみせた。
「これが骨組みで、あとはどう完成させていくか」
「間に合うのかな……」
音源にするのは、もう確実に間に合わない。
問題なのはステージで、ちゃんと演奏できるよう、練習の時間が取れるかだ。
哀しみと切なさと、そしてわずかな懐かしさを感じさせる。
おそらくこれが今の白雪の、内心を表現するものなのだろう。
いったいどういうものであるのか、なんとなく俊は分かる気もする。
「いいじゃん。じゃあ悩んでるより、やっていこうか」
挫折はともかく絶望を知らない、ゴートには分からないかもしれない。
だが俊がこの曲に感じたのは、レクイエムのような感覚だ。
白雪はメンバーを病気で失った。
それも一人だけではなく、もう一人も既に亡くなっている。
彼女の持っている悲しみが、曲の中には含まれている。
今までMNRでやらなかったのは、スリーピースバンドには不似合いなものだからか。
MNRの雰囲気に、合っていないことは間違いない。
だが時間が過ぎるということは、どういうものなのか分かるものだ。
人が死ぬ。
てっきりゴートが主導で、テーマに沿った曲も作るのか、と思っていた。
しかしテーマを出したからには、白雪にアイデアがあったのは当然だろう。
これを自分のバンドでやらなくていいのか、と俊などは思う。
「うちのバンドでやるには、音が足りないからね」
ピアノだけでは不充分で、もっとたくさんの音が必要になる。
MNRは打ち込みも使ったりするのだが、それでも足りないと思ったものか。
自分ならば出来るな、と俊は感じた。
悲しみを自分は、それなりに知っている。
そして種類も豊富である。
時の流れの果てには、何があるものなのか。
今の人類の文明が消滅した時に、果たして何を残せるのか。
人がいる限りは、音楽は消えないだろう。
だがその消えなかった音楽の中に、自分たちのものは含まれているだろうか。
譜面として残すことは出来たとして、音源として残すことは可能であろうか。
時間というテーマを考えた場合、俊は自分の中の欲望に気づく。
自分はこの世界に、永遠を残したいのだ。
少なくとも今のクラシック音楽は、数百年も譜面では残っている。
またLPという形で、100年ほど残っている記録媒体はある。
ネットというものが残っている間は、音源として誰かが所持していれば、それをまた誰かが聞くであろう。
永遠に残す存在を作るというのは、自分が永遠に残るということでもある。
それは人間の存在を超えた、いやむしろ人間だからこそ成しえるものだろうか。
遺伝子をつなぐという形でしか、己の存在を残すことが出来ない生物。
しかし人間のみは情報を、死した後にも残すことが出来る。
本当に人間が死ぬのは、肉体が死んだ時ではなく、誰からも忘れられた時であるといったのは、カエサルであったろうか。
俊の音楽が残っている間は、俊が死んでも本質的には生きている。
君の中で生きている、という言葉はよく聞くが、本当のことでもあるのかもしれない。
メッセージ性というものが、創作においては重要なのだ。
スーパースターでもスポーツなどは、また違った形で印象に残る。
ライブの熱量に比べると、音源として残るものは、芸術性が高い。
ライブMVなどは音楽と言うよりは、映画的な印象があったりする。
三日間のコンサートの演出も、おおよそが決定した。
大枠は同じであるが、毎日チケットを買っているようなファンもいるので、少しずつでもステージの内容は変えていかないといけない。
もっともライブなどは、毎回少しずつ変わっていくものだ。
一期一会であるからこそ、惜しいものなのである。
もっともこのコンサートに関しては、映像としても記録を残す。
そしてそれぞれのバンドごとに切り取れる部分は、切り取ってネットで流す。
本当にMVの代わりになるので、かなりの回転は見込めるだろう。
もちろんカバー曲などは、それとは別のものである。
武道館コンサートの時も、映像をMVとして流す準備はしている。
だがそれはまだ、このタイミングではないとも思っていた。
11月中旬、ついに紅白の出場者が発表される。
その中に名前があったことで、改めて取材などの申し込みがやってきた。
ここでも俊は、かなり時間を取られてしまう。
だがそれは予定通りのことであったので、なんとかならないでもなかった。
忙しいことは間違いない。
だが想像以上の忙しさでないことは、俊にとって幸いであった。
変に徹夜をすることなどもなく、プロモーターなどと企画を詰めていく。
それとはまた別に、バンド単体の仕事などもあったりするが。
今時はもう、などと言われても紅白は視聴率の高い番組だ。
それが決まって千歳などは、また少し学校で話題になったらしい。
知名度の高さというのは、推薦入試では基本的に有利になる。
ノイズの場合は俊が、特に高校生組だけでなく女性陣まで、変な虫がつかないように気をつけていた。
暁と千歳はともかく、月子の場合はこちらに、頼れる人間がいなかったりしたので。
「やっと、あれで良かったんだな、という気になれるよ」
忙しさの中でも、人とのつながりは出来るだけ切れない方がいい。
俊はその日、わずかながら向井と会っていた。
メイプルカラーのスポンサーでもあった向井とは、あれからはほとんど連絡を取っていない。
だが武道館やフェスなどの時は、少しメッセージを送ったりはしていたのだ。
月子が東京に来て、おかしな仕事に巻き込まれなかったことなどは、確実に向井のおかげである。
住居を世話し、いかがわしくない仕事も紹介し、最低限の生活は保証した。
もっとも俊からすると、自分ならもっと上手くやれたな、という気持ちはある。
それでも向井は月子を守っていた。
「これがチケットです」
「ありがたい。いい席はもう取れないと聞いていたからね」
なんでも取引のある人間の、娘さんが永劫回帰の大ファンであるらしい。
こういう時のためにアリーナ席であっても、実は少しだけ残してあったりするのだ。
メイプルカラーのメンバーの中では、元から知り合いであったルリ以外とは、もう特に連絡も取っていないらしい。
だがそのルリは、専門学校に通っているのだとか。
自分自身が輝くのではなく、誰かを輝かせるために。
美容師系の専門学校だが、あのルックスを上手く活かせば、それだけで男は捕まえられそうな気もする。
そう考えるあたり、俊は芸能人でありながら、思考は保守的であったりする。
向井と話すと感じるのは、実業の重要さだ。
比べれば俊たちのやっていることは、やはり虚業なのである。
もちろんそれも、人間の生活の中では必要なものだ。
ただ向井などの年齢層から見た、今の音楽業界を見てみると、不思議に感じるものはあるらしい。
おおよそ一世代ほど、向井の方が年上だ。
そして向井が俊と同じぐらいの年齢だった頃は、もっと洋楽も入ってきていた。
そもそも今の洋楽の、ヒップホップ主流というのが、日本人にはあまり馴染みがない。
ヒップホップの韻を踏むなどというのは、それこそ平安時代から、日本は和歌でやってきたりもするのだが。
俊の考えている、ヒップホップ主流に対する違和感。
それはアメリカ中心のものであって、普通にヨーロッパはロックがまだ出てきている。
大衆音楽として、確かにアメリカはヒップホップが主流になっている。
ただどうしてそうなっているのかというと、向井などからすると今のアメリカは、無理にストリート文化を主流にしているように感じるらしい。
なんだそれは、と俊などは全く共感が出来ない。
だが向井はそこを、上手く説明してくれる。
今のロックにしろポップスにしろ、本来の一般層の感覚とは、アメリカの場合はかけ離れているのではないか、ということだ。
日本はまだしも、完全な一般層の中から、生まれてくる音楽がある。
ヒップホップのラップこそが、今のアメリカの若い音楽であるらしい。
昔ながらのロックは古臭く、そして歌唱力のあるディーヴァなどは上流階級のもの。
向井からするとそんな感じであるらしく、俊も言われてみればそうなのかな、と思わないでもない。
今のアメリカはポリコレなどの、行き過ぎた正義感に支配されている。
そもそもアメリカという国は、禁酒法などもやったりして、そういう傾向の国であるのだ。
今でも移民が、どんどんと流れ込んでいる。
しかしアメリカに行ったところで、幸福になれるなどという時代は終わっている。
別にアメリカに限ったことではなく、社会が成熟すればするほど、コネや伝手が重要になってくる。
俊にしても確かに、サリエリとして自分の力をある程度は証明したが、結局自分だけの力では成功出来なかった。
バンドを組むということが、アメリカでは金持ちのお遊戯になりつつあるのだとか。
そして金持ちの音楽に、金を使いたがらないという風潮がある。
日本の場合はまだ、底辺などと言われていても、音楽を無料で聞いたりする。
ただプラットフォームにしても、どこもが貧しくなっているのは確からしい。
そのあたりは権利に敏感な、アメリカの方が顕著だそうな。
ミュージシャンは自分たちが搾取されていると感じ、プラットフォームは利益が足りないと感じる。
簡単なのはサブスクなどの、基本料金を上げることだろうか。
当初の金額が、安すぎる設定であった、と言えないこともない。
だがあそこで音楽の流通を止めていれば、業界自体が縮小していたであろう。
いや、業界自体が縮小しているというのは、間違いないのか。
今はライブが稼いでいるなどと言われるが、それもツアーを出来るだけの、体力と人気を持っているミュージシャンだけ。
俊は当初、完全に自前でツアーなどをやったため、それを実感している。
俊が持っていたバンに、各種音楽機材。
この時点で確かに、俊は恵まれた存在である。
他にはゴートなども、金持ちのボンボンの息子である。
白雪はちょっと違うが、業界で長く生きてきたという、そういうアドバンテージがあるのだ。
時間という白雪の示したテーマは、時代の変化という意味では、確かに今を象徴するものだ。
LPからCDに代わった時代は、単に媒体が変わっただけ。
記録するものがある、という背景は変っていなかったのだ。
それに対して今の時代は、稼げる人間が限られている。
思えば俊は、自分には才能がないと思っていた。
だから執念で、音楽に全てを捧げた。
しかし多くの人間は、そんなことは出来はしない。
生きていくために音楽をやめるという人間は、昔からたくさんいるではないか。
日本の場合はDAWとボーカロイドによって、働きながらも趣味で音楽をやることが出来る。
そうやってサラリーマンから、コンポーザーに転身した人間は多い。
もっとも高校を中退し、そこからトップレベルになったような人間もいる。
徳島などはそもそも、まともな社会生活すら送れていなかったとか。
日本なら未だに、そういうミュージシャンというのはいる。
アメリカはどうなのだろうか。
ロックやポップスであっても、そういった大学を卒業して、活動をしている人間は多い。
主流ではあるが、権威ではない。
その路線がヒップホップなのである。
ただそういうカラーを、既に付けてしまっているのが、今のアメリカの音楽なのであろうか。
なんでもありという、ノイズの音楽。
それをアニメーションのOPに使ったというのが、あちらでの評価だろうか。
確かに向こうでも聞かれている、というようには言われている。
しかしそれを実感するには、どうにもまだ届いていない。
ノイズの場合は宣伝を、あえて抑えているところがある。
各自のSNSも、ノイズのメンバーとしてはやっていたりしない。
そもそも俊は、ほとんどそちらの宣伝をしない。
口コミで広がっていくのを、自分で待っている。
そしてそのもったいぶったような態度は、結果的には正解であったのだと思う。
一般的な大人の代表としては、向井はノイズを知りすぎている。
だが紅白に出るとなると、今でも充分な宣伝効果はあるだろう、と言っていた。
今さら、という人間がいるのも分かっている。
しかし視聴率は、まだまだ圧倒的なのだ。
わずかに与えられた、一曲程度の時間。
このチャンスにどれだけのことが出来るかで、来年のノイズの活動にもつながっていくのだろう。
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