第254話 時
どうにかステージまでには間に合いそうである。
もっとも当初はもっと、余裕を持ったスケジュールになっていたのだが。
ごく一部は、特急料金がかかるため、ペイすることがさらにギリギリになってしまった。
そんな中でも、ALEXレコードのスタジオに集まり、三つのバンドは練習をして合わせる。
ここで妥協の合わせではなく、本気で合わせにいっているため、とんでもなく疲労してしまう。
だが80点のステージで満足するような、そういうメンバーがとても少ないのだ。
休憩時間も短く、時間が合えばひたすら演奏をする。
その合間にではあるが、少し話すことはある。
「音楽の市場が小さくなったと言うよりは、競合が多くなりすぎたんだよ」
白雪は年長者ということもあり、一番時代を俯瞰して見えている。
彼女がヒートで活躍していた頃は、まだしもCDが売れていた時代だ。
音楽がCD販売からサブスクへの移行期、レンタルなどが多くなっていた時代だ。
「コンテンツが多くなった上に、古い音楽も平気で聞ける。新しいものに冒険する必要はなくなったし、若者も減っているからね」
ヒートの音楽は、その伝説性が強いため、かなり長くは残るであろう。
MNRの音楽がポップス成分の多いロックであるのは、それがおそらく一番残ると思えるからだ。
60年代から70年代に、おおよそロックは完成した。
もちろんメタルの方向に走ったり、プログレがあったり、パンクが出てきたりもしたし、グランジというのは復古運動に近かった。
EDMやR&Bへ、そしてヒップホップへと。
「あれは貧乏人がやる音楽だからね」
ゴートが辛辣に言っているが、あながち間違いでもないな、と俊は思ったりする。
もっともアメリカのヒップホップの売れてるミュージシャンなどは、しっかりと音楽学校を出ていたりする。
俊は才能には恵まれなかったが、環境には恵まれた。
以前に徳島と話した時など、徳島は何も才能がなく、ただ音楽だけは聞けるからやっている、などとも言ったものだ。
他に何もいらない、と言っていた徳島。
音楽以外からも吸収する俊とは、スタンスが全く違う。
俊は徳島ほどに、音楽から多くを吸収できない。
そのあたりが執念の違いと言えようか。
音楽以外から、吸収する余裕がある環境が、俊を育てたといっていい。
音楽業界は今後、小さくなっていくのだろうか。
「まあ一定の文化背景が同じであるのが、条件にはなっているからね」
白雪の反応は淡白なものだ。
「日本語だけで歌われる邦楽は、確かに市場は小さくなっていくよ」
それが想像よりもゆっくりとしたペースで、一部ではむしろ拡大しているのは、タイアップの成功によるものであろう。
かつてはオタクのお遊びと言われていた、ボカロの世界。
まさかそこから、巨大な才能が次々と生まれるとは。
事実上ボーカルが一人だけであるからこそ、楽曲の優劣がはっきりした。
もちろん今では、複数のボーカロイドが存在する。
しかしボーカロイドの調声なども、ボカロPは行えるようになったのだ。
今までは生まれなかったところから、音楽が生まれるようになった。
なので日本の音楽市場は、まだしも元気であるということだ。
またこのオタク向けという意識が、むしろ幸いな方向に働いた。
世界中に発信する日本のアニメとのタイアップに、とても向いていたということだ。
日本が圧倒的に世界で優勢なもの。
それはマンガの存在である。
アメリカよりもはるかに、多様性に富んだその内容。
バットマンやスーパーマンを使いまわすアメリカでは、とても今は対抗できない。
そしてそのマンガから、アニメも多くが生まれる。
未だにアメリカで、アニメが大人の鑑賞に耐えるものだという意識は醸成されていない。
だが宮崎駿が評価されているように、あるいはそれ以外の作品もまた、アニメが好きな外国人の間では、当然のように楽しみにされている。
その中ではOPやEDは、テーマソングのように思われてもいるのだ。
ただBGMとしてならともかく、作品のイメージに沿ったメッセージを届けるなら、英語の歌詞は必要だ。
英語バージョンの歌詞まで作って発表している、化物ユニットもあったりする。
総合的なパッケージで売っていく。
それが今後の日本の、邦楽の生き残る方法であろう。
「まあ消えるものは消えるし、仕方ないけどね」
白雪はどこか、無気力というか達観したような、そんなイメージがある。
彼女の心の中の情熱的な部分は、あの時に死んでしまっているのかもしれない。
気だるげな雰囲気から出る歌声が、どこか淡いのも気のせいではないだろう。
白雪は今回のイベントの、テーマを決めた。
ゴートはそれに何も異論を言っていない。
俊としてもどんなテーマでも、引き出せるものはあると思っている。
さすがに白雪が既に、原曲まで持ってくる展開は想像していなかったが。
ただ実際に聞いてみると、確かに人数が多くないと、歌えない曲ではあると思う。
そしてこの曲は、月子と花音は絶対に必要になる。
ソロシンガー向けの曲であろう。
「ヒロが生きてたら、歌わせてたんだけどね」
ヒートのリーダーであるヒロは、彼女の中では永遠の存在だ。
俊としても若いバンドが解散してしまったのを、惜しいと思う気持ちはある。
ただあの頃は、内情までは知らなかった。
人の死というものは、簡単に話題に出来るものではないのだ。
佳人薄命と言うように、ヒロはルックスも歌も、そして何より存在感も、圧倒的なスターであった。
もう少し長く活動していれば、と未だに言われるものだ。
白雪が持ってきたのは、そんな曲なのである。
そのまま使って、どうにかなるものだろうか。
「単純なだけに難しいな」
ゴートでもそう言ってしまうぐらいのものだ。
これを持ってきて、本当に歌えると白雪は思っているのか。
いやもちろん、単に歌うだけなら歌えるだろう。
しかし彼女が期待する領域に、果たして達するのか。
編曲する俊にしても、とてつもなく大変である。
そして大変である以上に、とてつもなく楽しくなってしまう。
「果てしなき流れの果てに、って確かSF小説のタイトルだったっけ?」
俊の普段の読書のジャンルとは、少し違うものであった。
果しなき流れの果に、は小松左京による日本のSF小説である。
ポイントは果てというところに、送り仮名がないことで、少しだけ白雪は変えてあるのだ。
とんでもない時間のスケールで描かれるという点では、多くのSF小説にもあるテーマではある。
日本のSF小説において、オールタイムで選ばれた場合は上位、しかも一位に選ばれることもある作品だ。
「トップをねらえの最終話のタイトルでもあるよね」
千歳の受け取り方としては、そちらの方であるらしい。
こちらは「果てし無き、流れのはてに…」でやはり微妙にタイトルが違う。
日本のSF小説の最高傑作のタイトルを、曲のタイトルに使ってくる。
これは別にSFだからとかではなく、普通にあることなのだ。
逆に楽曲をタイトルに使ったマンガや小説なども、数多くあるではないか。
小説を映画にしたり、映画のタイトルを小説やマンガに持ってきたりと、そういうことも数多くある。
だが俊は色々と本も読んでいるし、SFも読んでいないわけではないのだが、この名作をたまたま読んでいなかった。
「作詞は任せようと思ってたのに」
「いやいやいや」
白雪がそんなことを言ったので、さすがに俊は首を振る。
ここまで曲が出来ていて、テーマに合っていて、歌詞が出来ていないはずもない。
実際に白雪は、その歌詞をちゃんと出して来た。
「ルナと花音の二人に歌わせる」
歌詞の内容は、二人の環境を知っていると、上手く内心が反映されるものではないのか、と思われるものだった。
「選択している語彙とか、修正部分があったら言ってほしい」
「そりゃ実際にメインで歌う二人に、聞いてもらうしかないかな」
ゴートはそう簡単に言ってしまうが、花音はともかく月子には、歌詞として読んでもらうのは難しい。
「白雪さんに歌ってもらって、それを月子には聴かせないと」
「そっか、ルナはディ……ディスクレシアだっけ?」
「ディスレクシアですね」
微妙に間違えやすい単語ではある。
俊が任されるのは、アレンジの部分である。
この曲はメロディラインなども、ものすごくキャッチーなものではある。
こういう特別な曲を、わざわざずっと残しておいたのか。
あるいはこんなことでもなければ、死蔵してしまっていたのだろうか。
白雪には自分を、歴史に残そうとか表舞台に立とうとか、そういう野心を感じさせない。
コンポーザーとしても基本的に、仕事としてやっているのだ。
だからこそMNRを結成した時は驚いたが、俊はなんとなく気づいている。
MNRはそれほど長くは活動しないだろう。
他の二人を売り出すために、白雪が作ったバンドだ。
もっとも一番の売りは、やはり白雪のボーカルなのだろうが。
この白雪は、サブボーカルとして歌うことがそれなりにあった。
だがヒートでは、メインボーカルは男性のヒロであったのだ。
完全にバンドの顔であり、リーダーでもあったヒロ。
一応リアルタイムではそれを見ていたが、今の自分があの時代を直接感じていたら、どう思ったのだろう。
果てしなき流れの果てに。
メロディラインはバラードに近いが、テーマ性からしてもバラード・ロックとでも言うべきものだろうか。
基本的にピアノとギターで演奏は成立しうるが、ドラムもわずかにあった方がいい。
このアレンジを任されて、俊としては大変である。
だがイメージとしては、おおよそ掴めないものでもない。
サックスなどの管楽器は使わず、ストリングス系は足してもいい。
弦の緩やかな音というのが、時の流れをイメージさせるのだ。
俊がピアノを弾き、ゴートがギターを弾き、それに合わせて白雪が歌う。
ただの原曲部分であるが、なるほど彼女が月子と花音が必要と言った意味は分かった。
白雪も含めた三人に、ボーカルをやらせた方がいいかな、とも俊は思う。
少なくとも二人は、絶対に必要だが。
ヒートがあのまま活動していれば、バンドボーカルとしてはかなりクリアな声のヒロで、これを歌っていただろう。
もちろんサブボーカルの白雪も、そこに加わっていた。
今のMNRでは、一応コーラスとして紫苑も歌ってはいる。
だが白雪だけでは、成立しない曲だというのも分かる。
とりあえず生演奏で、メンバー全員に聞かせる。
何度も歌うのは辛いので、今後は録音した曲を聴いていくことになる。
音階をかなり広く使うが、難易度はそれほど高くもない。
しかしそれだけに、本当の歌唱力で圧倒的な差が出る。
花音はともかく月子は、ものすごく難しい顔をしていた。
彼女にとってこの歌は、解釈するのが難しいのかもしれない。
アレンジにしても難しいものである。
本当にこの曲の魅力を引き出すなら、むしろ楽器の演奏は絞った方がいい。
あるいはいっそ、他にもう一曲作ってしまうか。
だが白雪の渾身のキラーチューンに、対抗する曲などそうそう作れるものではない。
俊としてはノイズ用の曲を作るだけで、精一杯だったのだ。
またここから、歌詞の微妙な変更もしていく。
俊としてはそれでいいのか、と思わないでもなかった。
ただこの曲をそのまま残しておいたとして、他に誰が歌うというのか。
後世に確実に残すためには、このステージで発表するのが一番だろう。
そういうことまで、白雪は考えていたのかもしれない。
下世話な話でもなく、俊はゴートと少し小声で話す。
「白雪さんって、ボーカルの人と恋愛関係にあったとか聞いたけど、実のところどうだったんでしょう」
「ああ、この曲を聴くと、そのあたり気になるよね」
ゴートは重い話も軽く話す人間であるが、これに関してはそういうわけにもいかなかったらしい。
「少なくともヒロさんは、セツちゃんには告白してないはずだよ。長く生きられないのは分かってたし」
もっとも男女の恋愛関係とかでなくとも、二人の間には強い絆があったのは確かだ。
そうでもなければ白雪が、しばらく音楽活動を休止することもなかったはずだからだ。
この歌はバラードで、かなりぼかしているがラブソングでもある。
解釈のしようによって、意味が変わってくると思うのだ。
歌詞の中にある、もう一度会ったらまた一緒に歩こうという部分。
これは人生を共に歩いていきたい、という意味ではないのだろうか。
ストレートに捉えるならば、そういう意味だとは思う。
「切ないよね」
ゴートはそれがむしろ喜ばしいことのように、ぽつりと呟く。
「セツちゃんはモテるけど、全然誰とも噂すら立たないし。一生操を立てていくのかなあ」
「死んだ人に、そこまで執着してしまうのはあんまり……まあ、他人の言うことじゃないですね」
「本当に大切な人を見つけたら、そういうこともあるんじゃないの」
そんなことを言うゴートは、それなりにゴシップで賑わせる人間ではある。
もっとも不倫や二股など、そういった付き合いはしていない。
俊からすると恋人を持つということを、一つのパフォーマンスとしているのではないか、と思うこともある。
また相手は芸能人であり、お互いが話題になることを計算しているように思える。
「そういう俊は誰かいい人いないのかい?」
仲良くなってきてこんな話題も出るのだが、俊としては正直どうでもいい。
ラブソングを作るためには、そういう経験も必要なのかもしれないが、なくてもそれなりに書けてしまう。
「まあ古い言い方かもしれませんけど、音楽が恋人なんで」
「硬派だね」
それを馬鹿にするようなゴートでもない。
基本は俊がやっているが、ゴートもある程度はアレンジを手伝う。
マルチプレイヤーであるからこそ、出来ることであるのだ。
白雪はたまにそれを聞くが、一応は何も言ってこない。
特に問題はない、と思ってもいいのだろうか。
彼女にとってこれは、特別な曲であるのだろう。
それを簡単に任せてくるというのは、それだけこちらを信頼しているのだろうか。
彼女自身では、もう完成させることが出来なかったのかもしれない。
既に最初の時点で、かなり完成度は高いのだ。
間奏を入れることによって、少し楽器のパートが増えるだろうか。
またパートを何段階かに分け、そこで使う楽器の振り分けを変えていく。
これによって曲に、大きな流れを発生させることに成功する。
四人のバンドであると、出来ないことである。
ストリングス系の音を、多くしていきたい。
むしろメインに使っていきたいな、というぐらいの気持ちもある。
ギターを使うならば、コードを弾いていくのではなく、アルペジオで爪弾いていく。
そういった単純なようでいて、むしろ難しい表現の領域。
俊は自分が出来ないことを、ギターパートのメンバーには求めることになる。
バンドの音楽ではないな、と俊は思った。
もちろんバンドの音楽であっても、EDMを使った打ち込みなど、普通に使うのが今の時代ではある。
しかしこの曲に限って言えば、打ち込みは確かにあっても仕方がないが、電子音は一部だけにしたい。
そう、一部だけには使えるのだ。
だが他の全ては、人の手による演奏が必要だ。
ヴァイオリンだけでは足りない。
チェロなどの音も使って、深い音にしていくのだ。
さすがにそこまで万能に、楽器を弾ける人間もいない。
一応花音は、どんな楽器でもすぐにマスターしてしまう。
天才と言うよりは、異常なまでの器用さと言おうか。
ただ彼女には、歌ってもらうことがこの楽曲での最低条件。
なのでやはり、他の楽器は打ち込みを多く使う。
意外と言ってはなんだが、ベースとドラムは目立たないながら、ずっと続いていく楽器になる。
ベースラインだけでメロディを作ったりするが、ドラムは完全なリズムだ。
この曲はとにかくメロディが重要であるだけに、他の使い方はしていかない。
なんというかこれは、ポップスと言うよりは昭和歌謡の流れがあるのではないか。
そんなことも感じたが、間違ってはいないであろう。
白雪はある程度完成したマスターに、歌を乗せていっては微調整をする。
大変なのは月子である。
彼女は本来、器用な人間ではないのだ。
普段はボーカロイドに歌わせたものを聴いて、そこから自分の声を持ち出す。
だがこの曲に関しては、最初に聞いた白雪の歌が、あまりにも叙情的過ぎた。
その点では俊も、思うところがある。
花音でさえも、白雪ほどにはこの曲を、理解しきれていない。
だが白雪は、二人にこの曲を任せたのだ。
彼女の想像を超えていくこと。
それが二人に求められる課題なのであろう。
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