第2話 誰もが何者かになりたい

 何者かになりたい、と多くの若者は思っている。

 そしておおよそは、何者にもなれず、だが大人にはなる。

 社会の歯車などと言われても、歯車がなければ機械も動かない。

 そういった平凡な幸せを手に入れるためには、日本はまだ機会の多い国だと言えるだろう。


 だが、平凡になることさえ、難しい人間はいる。

 人生において失い続け、平均に至ることさえ難しい。

 誉められたことなど、ごくわずかでしかない。

 それでも自分は、何かになりたかった。

 誰かが振り返る、何かを持った人間に。

 その何かが分からない、どこにでもいるような人間。

 それがメイプルカラーのメンバーの一人である、ミキと呼ばれる久遠寺月子という少女であった。




 俊が嫌いな言葉に、天才とか才能というものがある。

 特に自分に対して使われるのに、大きな抵抗があるのだ。

 確かに人間は、何かに向いているということはある。

 だがそれは個人の努力に比べて、どれだけその技術を身につけるのに適切であるかという程度。

 もちろん、本当に才能というものはある。

 しかし何も手をかけずに育ってきた才能というのはない。


 そんな俊が、これはと思えたもの。

 人間の声の質だけは、後天的な努力では変化させるのに無理がある。

 中には喉を潰すように、わざと酒と煙草で焼いた、というボーカリストもいたりはするのだが。

 ただこの声質は、まさに才能というか、素質と呼ぶべきものだろう。


 結局アイドルグループのライブの、最後まで聞いてしまった俊である。

 途中までは一緒だった朝倉は、バンドの撤収準備などで、途中で連れて行かれた。

 そして戻ってきた時には、俊のベースを持って来てくれている。

「ビンテージ物だろ? よく放置していられるな」

「彼女たちと話したいんだけど、どうすればいいかな?」

 普段とは世話焼きの役割が逆転していたが、朝倉としてもこんな俊を見るのは初めてである。

「そりゃアイドルなんだし、こっからチェキとかするんじゃないのか? 物販もあるだろうし」

「チェキ……ってなんだったっけ?」

 つくづくアイドルに興味がないらしい俊に、朝倉も微妙な知識ながら伝えるのであった。


 ライブ会場で売っているCDを買えば、それにチケットが付いている。

 それと交換に簡単な会話が出来て、インスタントカメラでアイドルと一緒の写真が取れるというものらしい。

「握手権のためにCDを大量買いするってのと同種か?」

 握手権ではなく、握手券である。

 悪名高い握手券商法は、ネタにされる程度には俊の世代も知っている。

「いや、それとは別にチェキ券ってのがあるらしいな。それで少し話して写真を撮ってもらえるらしい」

「そうか」

 簡単に受け答えして、俊は物販のコーナーに並んでCDを一枚ずつ全部買った。


 一枚1000円で消費税別。

 それを7枚であるのだから、学生にしては金の使い方がはっきりしている。

 だが俊は、それを必要だから手に入れただけだ。

「思い切ったな。そんなに好みの子がいたのか?」

「そんなわけがないだろう」

 そう、俊はアイドルなどには全く興味がない。

 だがアイドルであろうと、才能を持っている人間には興味がある。




 赤、青、黄、緑、そして紫。

 一人目立って背の高い紫の彼女は、特に人気がないようであった。

(売り方を間違えている)

 俊にはそれがはっきりと分かる。

 才能を持っていない人間には、時に才能を見極める才能が存在する。

 呪いのような才能と言えるだろう。


 俊はCDに付属したチェキ券を手にすると、数人だけが他の女の子の後に並んだその最後尾に並ぶ。

 特定の子にファンがついているが、一人だけを応援するわけでもないらしい。

 そのあたりのアイドルのファン事情など、俊は全く知らない。

 だが自分には関係ない。わずかな時間を、彼女の観察に使う。

 

 身長は170cmより少し小さいぐらいか。全体的にほっそりとしているが、ただ痩せているというわけでもなさそうだ。

 アイドルだけあって整った顔立ちをしているが、可愛いというタイプではない。

 膨らんだ可愛らしいスカートよりは、むしろ大人っぽいセクシーな衣装を強調した方が良さそうだと思う。

 会話をしている声の質は、耳に心地よいハイトーン。

 年齢はちょっと分かりにくいが、他のメンバーとも比較して考えれば、20歳ぐらいまでだろう。


 どうやら会話は得意ではないらしく、前に並んでいるファンとも話は弾んでいない。

 あまり頭が良くないようだと、上手く乗せることも出来るかもしれない。

 そう思っている間に、順番が来た。

「あ、ありがとうございます。初めてのお客さん、ですよね?」

 初めてでもなければ、CDを全部買うなどということがあるのか。

 だが彼女の必死さは伝わってくる。


 ぎこちない笑顔を作っているが、ここでもまた方向性を間違っていると思う。

「それじゃあ、チェキを7枚」

「貴方たちは、普段はどこでライブをしてるのですか?」

 チェキ一枚で一分から二分と言われている。

 不人気な彼女の前に自分がいても、それほど困らないだろう、と俊はひどいことを考えていた。


 ただこの質問は彼女にとっても喜ばしいものであった。

「いつもこの近くの、スカラベっていうステージでやってます! 水曜日と金曜日と日曜日!」

 ひどい名前のライブハウスと思う人間もいるが、古代エジプトでは富の象徴でもあったのだ。

「君はネットとかでは歌ってるの?」

「いえ~、サイトはあるけど、うちはライブだけで」

 貴方たちではなく、あえて君と言ったのだが、そのあたりは通じなかったらしい。

「また来てくださいね」

 チェキは一枚だけで、あとは話をするだけであった俊のことを、彼女は熱心なファン候補として必死の目で見る。

 そういえば名前も聞いてなかったな、と俊が後から確認するのは、家に帰ってからであった。




 俊は忙しい大学生だ。

 学業に忙しいわけではないが、遊ぶことに忙しいわけでもない。

 純粋に楽器に触れて、音楽に触れていれば、時間はいくらあっても足らない。

 インプットするべき教材は、もはや過去の名盤だけではなく、同時代の配信者としても溢れている。

 極端に言えばなんらかの音楽の素養があれば、あとはパソコンだけで音楽が作れる時代。その質は玉石混淆であるが。

 その裾野は広くなり、これまでにないところからムーブメントが起こっている。


 そんな情報の海の中で、地下アイドルの稚拙な曲をインプットするのは、ある程度の苦痛さえ伴った。

 だがわずかに、自分よりも下の存在を知ることは、心の安らぎとなる。

(ライブをやってるだけ、向こうの方が上って考えもあるんだろうけどな)

 食事をしながら公式サイトなどを確認したが、随分と安っぽい作りだ。

 SNSでの配信などは、それなりに各自がやっているようであるが。


 俊が目をつけた彼女は、明らかに自己プロデュース力が弱い。

 そもそも自分に合ったものではなく、周囲に合わせているという強引さが分かる。

(純粋に歌手売りした方が良かったと思うんだけど)

 京都出身であるらしいが、どういういきさつであのグループに入ったのかも分からない。

 一応ブログはあるのだが、更新頻度もあまり高くない。


 とりあえずCDを全て聞いて、声紋ごとにパソコンで分けてみて分かった。

 歌の中でも高音域の、目立つ部分を割り当てられてはいる。

 だがその絶対量が圧倒的に少ない。つまり露出も少なくなるのだ。

 彼女を引き抜くのは、難しいことではないと思える。


 悪巧みではなく、純粋に才能を惜しむ俊に、声をかけてきたのはまた朝倉であった。

「よ~う、あれからどないよ?」

 なんだかんだいって、こいつはこうやって多くの人間に声をかけることによって、交友関係を増やしている。

 これもまた、一つの方法ではあるのだろう。だから俊も、彼を切ることはない。

「色々とやることあったけど、そろそろまた見に行こうと思ってる」

「あれから行ってないのか」

 朝倉の言葉にも、俊としては忙しかったのは間違いない。

「CDの曲全部アレンジして、自分の曲も作って課題もしたし、コンペ用の曲も作ってたしな」

「いつ寝てんだ。それはそうとして、地下アイドルなんていつ潰れるか分からないんだし、引き抜くつもりなら連絡先ぐらいは早く交換しておいた方がいいぞ」

「そうなのか」


 俊のアイドルに対する偏見は強い。

 アイドル売りから歌手路線に入っていった人間もいるが、高が知れている。

 よって詳しい知識を調べることに、時間をかけようとも思わなかった。

 だが興味はあるのだ。


 地下で棺桶に片足を突っ込んだような状況で、おそらくそれだけではまともに食べていくことも出来ないアイドル活動。

 ネットで調べた限りでは、著名な事務所に所属しているわけでもない。

 それでもCDを分解した曲の中からは、インスピレーションを刺激されるものがあった。

「今日は金曜日か」

 本当は予定があったが、優先順位を変えるだけだ。

「一応CDにも焼いておくかな」

「俺も一緒に行ってやろうか?」

「なんで?」

 その不思議そうな俊の返しに、朝倉は肩をすくめてみせた。




 ライブハウス「スカラベ」は古くは普通のバンド向けのライブハウスであったが、バンドブームの低下などに従い、また地下アイドルなどのムーブメントが起こってから、その傾向を変えている。

 節操がないとは思わない。求められるものを提供するのは、ビジネスシーンの一つだと俊も思っている。

 自分たちの音楽でシーンを作り出すなどというのは、世界の歴史に残るレベルだ。

 ただ日本は独特なマーケットのため、独自の発展をする可能性も秘めている。

(クソみたいなアイドルグループのせいで、一度は死に掛けたけどな)

 俊の価値観的には、そんな評価が出来る。

 もっとも本当の音楽は、そんな時代にしっかり根を張って、また新しい芽を出している。

 まだ何者でもない俊とは違う。


 アイドルグループが立て続けに出演している、今日のステージ。

 後半になるほど、当然ながら期待値は高いというわけだ。

 その順番に従えば、それなりに人気はあるというわけか。

 オリジナル曲を出してはいるが、歌うのは多くがカバー。

 つまり音楽性などはない。


 それでもグループごとに、一人か二人はある程度、歌えるメンバーを揃えている。

(楽器が弾けない人間はいても、歌が歌えない人間はいない、か)

 ただその上下があるというだけだ。

 もっとも下手くそでも、妙に耳に残る声というのもあるが。


 お目当てのグループまで、耳を休めておく。

 拙い騒音で、鼓膜を痛めるつもりはない。

 ノイズキャンセリングイヤホンを、ちょっと本来の用途以外で使ってみる。

(平凡、平凡、流行、平凡)

 耳に残ることなく、苦痛ではなくともただ通り過ぎていく音楽。

 商業的に必要なのは分かるが、消費されるものを作っていて満足なのか。

(それでも今の俺よりはマシか)

 一世を風靡したアイドルの曲などであれば、最低限の約束事は守って作ってあるのだ。


 そしていよいよ、アイドルグループ「メイプルカラー」の出番である。

 意味の分からない名前の付け方であるが、俊はこの名前だけは悪くないと思っている。

 メイプルはギターにもよく使われている木材で、シロップが採れる楓の木である。

 ただそれに色をつけるという意味は、やはりよく分からない。

 登場した五人の少女は、カバー曲とオリジナル曲をそれぞれ歌う。

(成長してないな)

 あれからそれほど時間も経過していないので、それも無理はないのかもしれない。

 だがあの年頃のミュージシャンが、何も成長していないというのは、大きな問題である。


 相変わらず声はいい。

 もっとメインでソロを歌う曲があれば、しっかりとアピール出来るだろうに。

(そんな曲を想定して作るような、作曲者がいないってことか)

 地下アイドルというのは、そういうものであるのか。




 ステージが終われば、またチェキの時間である。

 ただこの後にも他のグループがいるため、他のグループのファンと客層が変わるのだろうか。

 俊はまた物販の列に並んだ。

 グッズなど別に欲しくはないし、チェキ券だけを買って、俊は短い列に並ぶ。

 まだクビにはなっていないが、相変わらず人気はない。やはり適性が違うのだ。


 後ろに誰もいないのを確認して、俊は話しかける。

「久しぶりだけど、俺のことは憶えてるかな?」

「え……と」

「一度だけとはいえ、CDを全部買っていったような客のことは憶えられた方がいいけど、まあそれよりも歌の練習の方が大事だしな」

「ご、ごめんなさい」

「責めてるわけじゃないけど、あまり上達はしてないみたいだね。ボイストレーニングはしっかりしてるのかな?」

「は、はい、週に二回は」

 それは声帯の強度にもよるが、あまり多くはないであろう。


 このままでは消えていく。

 それに手助けをするべきだろうか。そこまでの価値が本当にあるのだろうか。

 しかし、よく言われることなのは、音楽はインスピレーションに従っていけ、というものだ。

 本来なら接点などなかった自分との間に、わずかに生まれたこれを、無視していいとは思わなかった。

「これを」

 俊は用意していたCDとUSBメモリを渡す。

「君たちのオリジナル曲を、君が中心で歌えるようにアレンジしてみた。まあ使えるわけじゃないけど、これで練習してみたらいいと思う」

「え……あ……でも、私、機械持ってないです」

「う……」

 PCもプレイヤーも持ってないのは、さすがに予想外であった。

「さすがにスマホは持ってるかな?」

「それはまあ」

「なら仕方ない」

 俊は名刺ケースの中から、三種類ある名刺のうち、一枚を選んで彼女に渡す。


 彼女の未来を、これは縛るものでも、約束するものでもない。

 ただ、このままではいけないだろうとも思う。

「これは引き抜きでも、成功への道でもないけど、他の選択肢だと思っていてくれればいい」

 後ろにまた並んできた人がいるのを見て、俊は会話を切り上げる。

「それじゃあまた」

 とてもファンとは言えないような、あっさりとした別れ方であった。




 アイドルグループ・メイプルカラーの紫担当、久遠寺月子。

 芸名としてはミキで、これで身内の間でも通している。

 ライブやトレーニングなどがある日も、新聞配達と弁当工場のアルバイトを掛け持ちして、他に融通の利くアルバイトを入れて、どうにか生活している。

 地下アイドルなどというのは、地下であるのにそれでも、頂点と底辺には差がある。

 おおよそメンバーの収入は、チェキをはじめとする物販からのリターンとなる。


 人気があると言っても、いいマンションに住めるようなものではない。

 実家がある者はいいが、月子のような地方出身者は、バイトとレッスンとライブとで、日々がひたすらに過ぎていく。

 東京に出てきてもう二ヶ月、最初にスカウトされた時などは驚いたが、貯金も全く出来ないまま、目の前のことに追われていく。

 だがこれでも、地下アイドルの中ではマシな方なのである。

 夢を売るのが仕事であるが、アイドル自身は夢を見れない現実だ。

「そういえばミキ、昨日変なファンに絡まれてなかった?」

 グループのリーダー格とも言える、ルリが心配そうに声をかけてくる。

「あ、ううん、おかしいけど悪い人じゃなかったし」

 そういえば、と月子は思い出す。


 月子自身は確かに、音楽を流す機器などスマートフォンぐらいしか持っていない。

 だがこのレッスンでは、当然ながらCDラジカセなどというものがある。

 そして渡されたCDが、手元のバッグには入れたままになっていた。

「ちょっと音楽聞くね」

 休憩していたメンバーからは、特に反対の声も上がらない。むしろ何を聞くのか、といった視線が向けられる。


 ダンスレッスンに使っていた安物のラジカセから聞こえてきたのは、彼女たちのグループの数少ないオリジナル曲。

 だが明らかに音が重層的になっていて、深みのあるアレンジとなっていた。

 そして機械的な声による、正確な歌唱。

 コーラスの部分は他の機会音声で、より歌の方までハモっているのが分かる。

「これ、あたしたちの曲だよね?」

「なんかこっちの方がかっこよくない?」

 他のメンバーも集まってきて、歌に聞き入る。

 ただ明らかに、自分たちよりも正確に音程を歌っている。

 レコーディングなどまともなスタジオでやっていないのだから、それは機械の方が正確なのかもしれないが。


 歌入りの一曲が終わると、次には伴奏のみの音楽が流れる。

 ただこれは、月子のキーに合わせたボーカルではないのか。

「これ、素人の仕事じゃないよね?」

「てか、うちらの曲この人にやってもらった方がよくない?」

「ミキ、名前とか聞いてないの?」

「待って、名刺もらってたはず」

 一緒にしまっていた名刺であるが、月子はそれを見ていない。いや、読んでいない。


『作曲家 作詞家 ボカロP サリエリ』


 肩書きと名前と一緒に、YourTubeなどの複数の動画配信のサイトのURLなどが書かれていた。

 朝倉などに教えているものとは違う、俊が本気で作った曲を発表しているのがその名前である。

 素早く調べたメンバーが驚きの声を上げる。

「登録者3万人って、うちらよりもずっと上じゃん!」

「え、どういうこと」

「ミキ、何を話してたの?」

 メンバーの中でも、やはり尊重されることの少ない月子であるので、こんな展開はあまり経験がない。

「えっと、何を話したかな」

 何かが動き出し始めた、という予感は、まだ全く感じていない月子であった。

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