第263話 新生活

 レスポール・スペシャルはギブソンのレスポールの中でも、中途半端なタイプのギターであると言われることがある。

 スタンダードやカスタムのような、ハムバッカーの太い音ではない。

 またジュニアのような単純ではあるが、それゆえにはっきりと強い音でもない。

 そもそもギターの音というのは、個性はあってもいい悪いというのはそれほどない、という意見もある。

 ストラトキャスターが一番汎用性が高いという人間もいるし、ボカロPではテレキャスター好きが多い。


 ギブソンとフェンダーはギターの世界の二大ブランドではあるが、古くはリッケンバッカーなども別の会社として存在していた。

 現在ではポール・リード・スミスなども台頭しているし、そもそも日本のギブソンコピーなどは、本家を凌駕しているなどと言われたこともある。

 結局は好き嫌いであるか、もしくは自分の表現に適した音、あるいは表現の幅が広いギターがいいのであろう。

 それが今ではストラトキャスタータイプなのであろうか。

 バッカスやヤマハのパシフィカ、また70年代から80年代の日本のコピーモデルは、密かな愛好家が多い。

 ただとりあえず言えるのは、今では数千万円の価値が付く、58年や59年のレスポールには、さすがにそこまでの価値はない、ということだ。


 そんな中で暁は、レスポール・スペシャルを選んだ。

 レフティの彼女にとっては、そもそも選択肢が少なかったというのもある。

 だが偶然手にしたこのギターは、10年以上も売れ残っていたものであり、そして不思議な強さが音にあった。

 ピックアップがおかしいのか電装系がおかしいのか、確かに本来のものではない音だ、とミュージシャンは誰もが言う。

 しかし下手にその謎を探ろうと分解でもして、直せなくなったら本末転倒。

 よって暁はこれをメインに使いながら、同じタイプで全く違う音のギターをサブとして持ち、体をギターに合わせてきた。


 そしてようやく、クラフト&リペアのギターショップで働きつつ、自分でギターを作ろうとしている。

 基本的な構造は、自分が最も持ちなれたレスポール・スペシャル。

 ピックアップと電装系が一番重要なのだろうが、基本的に木材がちょっと違えば、それだけ音も変わってくる。

 ただ、どうしようもなくぶっちゃけた話をしてしまおう。

 大音量のライブの中で、そこまで繊細な音の違いなど必要であろうか。


「ないよね」

 暁はそう言う。彼女がレスポール・スペシャルを使うのは、もちろん今の個体に個性があるからだが、あとは見栄えの問題もある。

 また、歴代のバンドマンガやバンドアニメを見てみるがいい。

 ギブソンの楽器が使われていることが多いのだ。

 TVイエローと言われる黄色いレスポールは、暗い画面の中でもそれだけ目立つ。

 元は白黒テレビに対応したカラーリングであったらしい。


 年に一度は必ず、ギターを整備に出す暁である。

 また弦を交換する頻度も、他人と比べれば相当に高い。

 それだけ弾いているからだ、とは言えるであろう。

 繊細な音の違いなど、ライブでなくてもレコーディングでさえ、そうそうは分からないものだ。

 だが繊細な重量の違いや、楽器のバランスなどは、演奏するコンディションに影響する。

 自分のために暁は、肉体を楽器に合わせているのだ。




 そもそもギターというのは、演奏するためだけの楽器ではない。

 暁自身はしないが、歯ギターや寝ギターやウインドミルなど、派手なパフォーマンスがたくさん存在する。

 走りながら演奏するなど、常識的に考えれば、それだけ音を外す可能性が高くなる。

 分かっていてなお、普通のバンドはそれを、パフォーマンスとして行っているのだ。

 だがノイズはしない。暁もしようとは思わない。

 俊に確認したことはあるが、それは必要ないだろう、と言うのが答えであった。


 暁はギターを弾いていると、テクニックや正確さなどはどうでもよく、フィーリングに振り切りそうになることがある。

 それもあながち間違ってはいないというか、ギターのフィーリングというのは、演歌で言うところのカラオケで100点が取れない歌い方のようなものだ。

 暴論ではあるだろうが、ジミー・ペイジの演奏などを聴いてみれば、何をもって上手いとするのか、なかなか分からないようにもなってくるだろう。

 ちなみに暁は、自分はジミー・ペイジのようにはなっても、ブライアン・メイにはなれないだろうなと思っている。

 しかし自分だけのギターを、作ろうという欲求はあるのだ。


 レッド・スペシャルが作られるのには、二年の時間がかかったという説もある。

 レスポール・スペシャルと同じ形状のギターを作るまでに、果たしてどれぐらいの時間がかかるだろうか。

 もちろん一度で満足のいくものが作れるとは限らない。

 そもそも暁の場合はレフティなので、誰かにあげるのも難しい。

 世界的に見ればジミヘンをはじめ、偉大な左のギタリストはそれなりにいるのだが。


 レッド・スペシャルのような機能を付けるべきであろうか。

 もしもそうならシンセサイザーもどきの音も出すことが出来る。

 ただ電子回路などは、さすがに暁の手には余る。

 作りたいのは現在の愛機の音を、安定して出せる予備だ。

 あるいは自分の求める音が、いつかは出せるギターに出会うのではないか。

 

 暁はルシールのような、伝説のギターを必要とはしていない。

 59年のギブソンレスポールにも興味はない。

 ただ自分の満足のいく演奏のために、好きな音が出せるギターがほしい。

 今の愛機はそれに、限りなく近い。

 それでも音響などによって、ギターの聞こえ方というのは違うものだ。

 またあえて歪ませるために、エフェクターなどをたくさん噛ませている。

 アンプとマルチエフェクターだけでは、満足しないのが暁である。


 暁は声ではなく、音を愛している。

 だからギターを弾くのだ。

 他の楽器でないのは、単純に一番身近にあったから。

 また手軽に持ち運べる楽器であったからでもある。

 実際のところエレキギターであると、アンプなども必要になってくる。

 アコースティックギターもそれなりに弾くのが、暁の音楽だ。


 ちなみに暁の場合、アコギは弾きすぎるとすぐに壊れてしまう。

 エレキと違って木材の劣化が、それなりに音に影響するからだという。

 果てしなき流れの果てに、はライブこそエレキギターで演奏をしたが、レコーディングにはアコースティックギターの音も混ぜた。

 そもそもバージョンが大量に存在するのであるが。




 そんな暁は友達がいなかった。

 実際のところノイズのメンバーは、友人であるがそれ以上に戦友というイメージがある。

 仲間と言うと、少し軽い。

 世界を削って少しずつ、自分の生きやすいように変えていく。

 そんな戦いを共にする戦友だ。


 最近は友人というか、強敵と書いてともと読むような相手が、一人出来ている。

 もっとも感性が違うので、やはり友人というよりは、業界仲間と言うべきであろうか。

 MNRの紫苑は、少し年上であるが年末イベントのために、かなりの時間を共に過ごした。

 暁が知っている限りでは、技術で自分に匹敵する、唯一の日本人女性ギタリストだ。

 正確さとスピードが、紫苑のギターである。

 だが彼女の本質は、そんなところにはないと暁は思っている。


 暁のギターは、父をはじめとする多くのギタリストを、コピーするところから始まった。

 それだけに表現の幅が、広いと言ってもいいだろう。

 だが紫苑のギターというのは、とにかく機械のように精密なのだ。

 フィーリングを逆に、完全に排したような正確さ。

 それを何度も何度も繰り返すことが出来る。

 そんなもの打ち込みと変わらないではないか、と思う人間もいるかもしれない。

 しかし彼女はその正確さを、他の演奏に合わせることが出来る。

 単純に自分だけのBPMをキープしているわけではないのだ。


 たとえば俊が打ち込みで、スピードに変化をつける。

 PCでその操作に数秒はかかり、実際に聞いてみて確認する。

 だが紫苑はそのまま、あっさりと指定のスピードで弾くことが出来る。

 そのあたりが一方的な機械との差である。


 暁はフィーリングを重視する。

 もちろんテクニックの、それこそ正確さという点でも、ずば抜けた能力を持っている。

 だがギタリストにはそれぞれ、個性というものがある。

 レコーディングまで一緒にいた永劫回帰のキイなどは、音を歪ませたり、わざと外れるぎりぎりのところを攻めてくる。

 正誤の境界のぎりぎりの部分で、オーディエンスの感覚に訴えかける。

 もちろん普通に精密に演奏も出来るのは言うまでもない。




「こういうところに来るのは初めてです」

 千歳の大学のイベントには、俊は当然ながら関係者として来ている。

 だが他のノイズのメンバーは、それぞれの行動をしていた。

 年末年初から、ずっとなかなか揃っていない。

 今日も俊は、主催者側で参加している。

 そして高校時代の友人も、ほとんどは千歳を通じて作られたもの。

 なので暁は紫苑を誘って、やってきたというわけである。


 紫苑は白雪の生徒と言うか、もっと親密に弟子とでもいうような立場だ。

 単に同じバンドのメンバーというわけではない。

 元は白雪がギタリストで、その技術を教え込んだ。

 今ではもう教え子が師匠を追い越したのだと言われたりしているが、それは違うだろうと暁には分かる。

 白雪と紫苑の間には、それなりの年齢差がある。

 本当に白雪が裏方に回るようになれば、紫苑は他のバンドに所属するか、あるいはスタジオミュージシャンなどになる。

 彼女がすぐに合わせられるというのは、そのあたりを考えての白雪の指導であろう。


 同じMNRのメンバーと言っても、紫苑と紅旗の間では、白雪との関係に差がある。

 紅旗はそもそもヒートのバンドメンバーから紹介されているのだ。

 白雪の弟子ではない。

「俺もフェスぐらいしか連れてきてもらったことないな」

 ただ紫苑を誘えば一緒に来るぐらいには、二人は仲がいい。


 デキてるのか、と暁は思わないでもない。

 少なくとも二人の親密さは、暁の周りではそうそう見ないものだ。

 父とその恋人の間にあるような、あんな空気に近い。

 ただこちらはバンドとして同じ時間を過ごしているのが長いためか、むしろ阿吽の呼吸が出来ている。

 時折、夫婦か、と思わないでもない。

 白雪が保護者であることは、分かってはいるのだが。


「けっこうレベル高いの多いんだな」

 あちこちのステージになる場所に、三人は動き回っている。

 その中で紅旗は皮肉でもなく、普通に感心していた。

 暁は永劫回帰とMNR、二つのバンドと長く過ごしたが、やはり年齢が近いMNRの方が、過ごしやすいとは感じる。

 永劫回帰はリーダーのゴートだけではなく、メンバーのクセが強いのだ。

 ボーカルのタイガなどは案外付き合いやすかったが、それでもどこかネジの外れたところがあった。

 暁がそれを言うのもなんだが。


 もっともMNRの二人は、これだけの実績を残しているのに、感覚が庶民的であるというのはやはり不思議だ。

 そのあたりがノイズメンバーと共通しているところであるし、永劫回帰はなんだかんだトップになってからは長い。

 この業界でトップでいるというのは、果たしてどういうことなのか。

 ノイズの場合は契約条件が特殊なので、ちょっと他とは比較できないという。

 ただMNRのまとっている雰囲気は、ノイズに似たものがあるのだ。

 だからこうやって、自然と誘ったり出来るのだ。

「二人は大学行かなかったんだ?」

「私は夜間の大学に行ってますよ」

 意外なことにそうであるらしい。MNRも相当に忙しいだろうに。

「昔から周りの人は大人ばかりでしたから、けっこう新鮮です」

 音楽業界のギタリストとしては、紫苑は馬鹿丁寧なところがある。

 そういった環境で育てば、周囲が目上ばかりになるというわけか。


 一方の紅旗は、普通にこちらに専念している。

 なので大学の学祭としても、きょろきょろと落ち着かない。

 それでも紫苑から目を離さないあたり、彼女をさりげなく守っているのだろうか。

(なんか全然違うのに、俊さんっぽいな)

 俊もノイズの女性陣に関しては、そういった心配りをしている。

 芸能界というのは、変な誘惑が多いのであるから。




 千歳が促成で組んだバンドを、当然ながら見に行く。

「ギターがけっこう上手いな」

「私の方が上手い」

「いや、それは分かってるけどね」

 おおよそ馬鹿丁寧な紫苑であるが、紅旗にだけは遠慮がない。

 そのあたりも夫婦感があるのだが、恋愛体質でない暁は、そこに質問をしたりはしない。

 案外恋バナの好きな千歳であれば、突っ込んだ話をするかもしれないが。


 レコーディングの時などは、息は合っても変に慣れたところを見せたりはしなかった。

 いちゃいちゃしたカップルと言うよりは、やはり戦友なのだろうか。

 そのあたり暁は、やはり恋愛というものが分からない。

 別に分からなくてもいいや、と思ったりもしているのだが。

 このあたり両親が離婚していることと、父親とその恋人が自分の前では、変にいちゃついたりしないことが原因であるだろう。


 高校は卒業した。

 自分は親離れすべきなのでは、と暁は思ったりしている。

 父親との父子家庭であったので、それなりに家事などは出来るようになっている。

「一人暮らしってどうなのかなあ」

 そんなわけでお姉ちゃん的に、紫苑に話したりしている。

 月子にも話したりはしたのだが、なんだかんだと月子は俊に管理されている。

 それでも東京に出てきた時は、しっかりと一人暮らしはしていたはずなのだが。


 紫苑はそのあたり、難しい顔をする。

「世間一般の価値観なら、一人娘が一人暮らしをするのは、心配だと思いますよ」

「紫苑さんは今は?」

「私も一人暮らしですけど、実質的には三人暮らしに近いもので」

「どういうこと?」

「白雪さんの持っているマンションの、一室が私で、その隣りが紅旗君で、逆の隣りが白雪さんです」

「もうほとんど家族じゃん」

「実際に食卓を囲むことは多いですよ」

 作曲にかかりっきりになると、白雪は家事が破綻してしまうらしい。

 そういう時には紫苑が、身の回りの世話をしているのだそうだ。

 男手が欲しい時には、紅旗がいてくれる。

 なので別々の部屋ではあるが、一つ屋根の下に近い。


 なんだかもう結婚しちゃえばいいんじゃないかと思うが、そういう関係ではないのだろうか。

 恋人になる前に、家族的な感じになってしまうと、そうなのかもしれない。

「一人暮らしするにしても、確かに問題はあるかなあ」

 今の父と住んでいるマンションは、演奏用に防音処理した部屋がある。

 一般的なアパートやマンションには、そんな部屋などあるはずもない。

 もっとも探せばちゃんと、あることはあるだろう。

「一人暮らしするのですか?」

「お父さんが恋人いるんだけど、あたしに遠慮してる感じがするからさあ」

「それはちゃんと話してみるべきでしょうね。ただ大人は子供に遠慮するところがありますから」

「白雪さんも?」

「あの人は全くしません」

 駄目な大人ではないのか。




 実際のところ、俊のところに下宿できないか、などと考えたことはある。

 まだあそこは部屋が余っているし、それに地下のスタジオですぐに練習が出来る。

 ただそこまで馴れ合ってしまって、果たしていいものかどうかは迷う。

「もしも物件を探しているなら、白雪さんに相談してもいいかもしれませんよ。予算次第ですが防音の部屋を貸し出しはしていますし」

 今のマンションについても、白雪は自分の部屋には、防音室を作っているらしい。

 そこで紫苑と紅旗は、いつでも練習をしているのだ。

 ノイズにとっての俊の家と、同じような扱いなのだろう。


 今の暁の行動圏内は、俊の家と事務所、レコーディングスタジオにアルバイト先と限定されている。

 そこからあまり離れていないのであれば、一人暮らしも悪くはないだろう。

「千歳さんはどうなんですか?」

「千歳は……どうなんだろ?」

 千歳としては叔母との暮らしから、独立することは考えているのだろうか。

 もっとも通学までのことや、俊の家でのことなどを考えると、別に出て行くことは考えなくてもいいと思う。


 あそこは叔母が小説家という、特殊な職業に就いている。

 そのため二人の生活がバラバラになっても、それはそれで成立するのだ。

「年末あたりスタジオに泊まり込んでいましたし、それほど一緒に生活したりするのも、悪くないのでは?」

 それは、どうなのだろうか。


 暁と千歳はレコーディング以外に練習のため、俊の家に泊まりこむということなどはあった。

 なので一緒にいること自体には、そんなに拒否感もない。

 しかし一緒に暮らすとなると、やはりそれも変わってくるだろう。

 料理の好みなどに関しては、それなりに知っている。

 ただ家事は果たして、どれぐらいを許容しているのだろうか。

 掃除や洗濯についても、生活の常識が違ったりすると、一緒に暮らすのがストレスになる。

 父親との二人暮らしで、自分がある程度の家事をすることには慣れている。

 だがいくら戦友と言っても、千歳は他人である。

 また千歳は暁と違って、それなりに友達が多い。

 むしろ彼女の友達に対して、暁がストレスを感じてしまうかもしれない。


 千歳の相談に、紫苑は親密になってくれる。

「紅旗さんはどうなの? 紫苑さんに面倒見てもらったりしてるとか」

「いや、俺も普通に身の回りのことは自分でやってるけど?」

「そうですね。紅旗君はちゃんとしてます」

 失礼ながらちょっと意外であった。


 MNRは白雪がリーダーのバンドである。

 だがそれだけにキャパを超えてしまうと、身の回りが疎かになることがあるらしい。

 そこで女性の部屋だというわけで、紫苑が面倒を見たりする。

「普段はちゃんとしていますけど」

 確かに白雪は暁の目から見ても、常にクールなイメージがあった。

 作曲が佳境に入るとおかしくなるのは、俊などを見て慣れている。

「一人暮らしかあ」

 時期的にあまり、いい物件もないだろう。

 だがそんなことを、暁は考える年齢になってきているのであった。

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