第264話 二度目の関西遠征
ゴールデンウィーク期間中、ノイズはもちろんライブを開催する。
今年は千歳の新生活に合わせて、なかなかまとまった時間が取れなかったからである。
今年のゴールデンウィークはフェスなどには出ることなく、関西で三ヶ所コンサートを行う。
そして東京を含む関東でも二回やるのだ。
関西の大都市圏は、大阪が中心となっている。
そして東は京都、西は神戸といったあたりである。
もっとも京都や兵庫といったあたりは、北部の日本海側は比較的過疎になり、かなり人口の密集地が限られている。
大阪の大都市圏に比べると、どうしても小さめになってしまうのだ。
大阪でも場所によっては田舎なのは、東京でも西に行けば田舎なのと同じではある。
京都、大阪、神戸。
三つの都市で、ライブを行う。
京都なども京都市と、その周辺を除けば案外、田舎であったりする。
昔の行政区分だと、山城国というのはまさに、京都の中でも中心に近いところばかりである。
ただ京都は歴史のある町であるが、同時に若者の多い町でもある。
単純に大学が多いからだ。
もっとも最近は少し郊外のあたりに、キャンパスを移動していたりもする。
他は二ヶ所、東京と埼玉だ。
横浜でやらないのは、夏にやる予定があるからでもある。
ただそれよりは単純に、押さえられるハコがなかったということもある。
この期間に五箇所ということは、関西では連日のものとなる。
以前のような強行軍ではなく、ちゃんとローディーを使ったものだ。
スタッフのために、金を回していかなくてはいけない。
もっともノイズはそういう部分が、あまり派手な演出はしないバンドである。
今回のライブは完全にノイズメインであるが、地元のバンドに開幕の前座をやってもらうことにもなっている。
これがマンガなどであると、主人公側がその前座で、メインを食ってしまうことになる。
実際のところはどうなのかというと、それは難しい話である。
前座がやるのはせいぜい、一曲か二曲。
それをオリジナルでやった場合、既にそのバンドの知名度がないと、ノることも出来ない。
ノイズのチケットも、さすがに昔よりは高くなっている。
ハコの大きさを考えれば、それだけ稼がないと元が取れないのだ。
ただし人気不相応に大きなハコだと、チケットが売れなくて赤字となる。
このあたりノイズは、基本的には必ず売り切れるぐらいの設定で行っている。
ただ都内であると、ツーマンライブなどもいまだにやって、それはチケットが安くなったりする。
演出などに金をかけなくていいなら、それで充分に採算は取れるのだ。
インディーズレーベルの身軽さといったところであろう。
これがずっと昔だと、インディーズでほとんどの手続きなどをやって、一曲で二億も三億も稼いだ、という伝説の曲もあったりするのだが。
楽曲にGOを出す権限を持っている人間が、必ずしも聞く耳を持っているとは限らない。
こんな暗い曲が売れるわけはないだろう、と言われたものが大ヒットというのは、昔からあるのだ。
他のバンドのカバーや、あるいは有名になってからのセルフカバーが、大ヒットとなる場合もある。
90年代などはとにかく、流行は作るものであった。
今はそれをやってしまうと、むしろ客は白けてしまう。
だから俊は徹底して、ノイズの売り方を実力主義にしたのだ。
良いものは必ず売れる、とは限らない。
いつかは売れるのかもしれないが、死んでから発見されていては、さすがに意味がない。
宣伝の仕方について、昔と変わっているというだけだ。
金でゴリ押しとでもいう感じで、宣伝をして曲を流しまくっていれば、昔はある程度売れたのである。
人間は慣れたものに共感してしまう。
90年代はまだ、ネットがほとんど普及していなかった。
テレビや街角で流していれば、それだけ耳に入ったというわけである。
コンテンツ過多の時代に、俊はどうにかボカロPとして、それなりの実績を残した。
この最初の一歩というのが、とてつもなく難しい。
縮小再生産しか出来ない人間でも、最初の一歩があるだけで、しばらくは売れるということがある。
新しい方向性を模索して、かえってファンが離れていってしまうという場合もある。
俊はその点、強かと言うか傲慢ではなかった。
カバー曲をやることに、しかもそれが世間的には微妙に思えても、アニソンをカバーすることに躊躇いがなかったのだから。
インディーズで地道に金を稼ぐことを考えた。
今の時代はメジャーな媒体ではなく、むしろネットでだけ有名であったりする方が、信頼性が上がったりする。
ただそれも序盤の話だけだ。
有名になればそれだけ、無関心な人間もそれに関わってくる。
すると評価する人間は増えるが、評価の平均は下がってくるのだ。
評価の数が増えながらも、どうじにその平均が下がらない。
これこそが本当の人気というものなのだ。
しっかりと土台を作ったからこそ、安心して金をかけることが出来る。
結局そこが、重要なことなのである。
IPコンテンツなどの場合は、基本的に金をかけて売るのではない。
既に売れているものを、さらに金をかけて宣伝していくのだ。
これが日本の場合は、アニメのジャンルにおいて顕著である。
特にネット配信の時代、アニメは国境を越えていく。
もっとも昔から、日本のアニメの評価は、知っている者からは高かったのだが。
電子書籍のみならず、日本のマンガはアメリカのコミックの売り場を圧迫しているともいう。
それは確かにそうだろう。日本のマンガの裾野というのは、根本的にアメリカ以上なのだ。
そしてアニメにしても、功罪半ばとは言いながら、手塚治虫がテレビで放送出来る値段で作ってしまった。
ただ現在ではというか、いまだにというか、その現場は相応しい報酬をもらっていない。
昔に比べればアニメスタジオにも、ちゃんと還元されるようにはなってきているのだが。
日本のマンガとアニメの上澄みに、OPやEDで曲をつける。
ノイズの場合は先に、アメリカのアニメーションで使われたという、かなり幸運な偶然もあった。
だが運があったとは言っても、本当に受けたのは、またオファーがあったのは、本質的に価値を感じてもらえたからだ。
四月から始まったアニメも、覇権争いの一角にとどまっている。
すると当然ながら、ネットで全世界に配信されるというわけだ。
俊はさすがに、MVにまでアニメを、とこだわっているわけではない。
最初のノイジーガールは実写でほぼ手作業であったし、霹靂の刻はイメージ通りの映像に、どうしても実写では出来なかったからだ。
そして今回のアニソンタイアップは、作品イメージにも合わせた「業(カルマ)」という曲になっている。
宣伝のためにMVも、アニメで作られている。
ゴールデンウィーク前、アニメ放映開始からは、これをライブで演奏出来るというわけだ。
大学に入って、早々にお仕事で出張。
ここまでの一ヶ月ほど、忙しかったのが千歳である。
シュリ以外にも仲良くなった学生はいて、そういった人間はアルバイトなどをしたりする。
しかし千歳にはそんな必要もないし、逆に言えば時間もない。
千歳は既に、プロであるのだ。
学生というのは、千歳にとっては二番目の立ち位置だ。
ゴールデンウィークに何かをしよう、という話は出たりする。
しかし千歳は、そこはもう仕事が入っているから、という返答になるのだ。
マウントを取っているわけではなく、普通にプロのミュージシャンなのだ。
この間の学祭での演奏についても、特別に注目されていた。
一目置かれた存在になっていて、それでいて本人は気さくなのだ。
俊は岡町の助手として、そこそこ大学に顔を出す。
そして千歳の様子を見て、変な虫が付かないように気をつけている。
男の影、という単純な話ではない。
別に変な男でなければ、むしろ恋愛もおおいに結構だ。
しかし千歳はノイズのギターボーカルで、それなりにコネクションが多い。
それを利用しようと近寄ってくる、そういった存在は男女問わず注意しているのだ。
もっともそれにも限界はある。
何が純粋な友人で、何が損得関係なのか、そんなものはなかなか言えない。
俊も父の名前は、むしろマイナスもあったので使ったことはないが、岡町などからの関係はしっかりと使っている。
そしてボカロPとしては、三つの顔を使い分けていた。
千歳を通して事務所やレーベルの人間に、自分たちをアピールしたい。
そう思う人間がいても、普通のことである。
シュリという学生に関しては、特に千歳と仲良くしていた。
ただ彼女の作る曲のタイプは、かなり表現の幅が狭い。
普通に大学一年生としては、別に悪くはない。
それでも暁や千歳という規格外の存在を目にしてしまうと、普通の人間だなと思ってしまうのだ。
俊はむしろ、千歳の後輩であった木蓮については、今も少し目をかけている。
結局学校の軽音部ではそれほど馴染めなかったものの、学校外のバンドには参加している。
月に一度はライブをしていて、そのメンバーは年上ばかりである。
下手に美人というわけでもないので、変な手が付くこともない。
このままどういうルートをたどるのか、少しは気になっている。
俊としては自己認識が出来ていないが、これは完全にプロデューサーとしての視点だ。
また周辺の環境を気をつけるという点では、マネージャーの仕事でもある。
自分自身が音楽に縛られているように、他のメンバーも音楽に支障が出ることはやってほしくない。
たださすがに栄二には、何も心配はしていない。
信吾に関しては、心配してもどうしようもないものだ。
三人の女性を、同時に等しく相手していて、ちゃんと納得させているのだから、自分ではもう説得も出来ない。
そもそも女性に対する夢を、持っていないのが俊なのである。
ゴールデンウィークに入ると、一行はまず京都に向かう。
「昔みたいにまた、バンであちこち動くのも悪くないよね」
千歳はそんなことを言うが、栄二などはもう30歳。
まだまだ若いものには負けないが、万全のコンディションを整えるためには、余裕をもって行動したい。
スタッフが機材や楽器は持っていって、メンバーは基本的に身の回りの物だけ。
例外は常にレスポールを離さない暁だけである。
これはもうスタッフを信用していないとか、そういう問題ではない。
常に近くにないと安心できない、ライナスの毛布のような存在なのだ。
それに他の楽器と違って、暁のレスポールは替えが利かない、というのは確かなのだ。
もしもスタッフが事故に遭って、それが失われてしまったらどうするのか。
もっともそれは新幹線で関西に行く、メンバーの間でも同じことは言えるのだが。
新幹線ならば過去、大きな事故などはない。
それを考えれば、手元にあった方が安心できる。
これは確かにそうか、と言えなくはないのだ。
もしもそれでも事故に遭うなら、一緒に死んでしまってもいい。
暁の覚悟というのは、そういった極端なものである。
俊としてはそれでも、手元に置いて運ぶよりは、運搬を任せた方がいいだろうとは思っている。
イエロー・スペシャルが完成でもすれば、そのあたりの精神状態も変化するのだろう。
関西遠征はとりあえず、京都までの道中が一番長い。
それでも新幹線を使えば、おおよそ二時間ちょっとといったぐらいの時間であろうか。
しかしそこからライブハウスまで移動するのに、また時間がかかる。
京都は交通渋滞の起こることが、それなりに多い街だ。
それでも地下鉄とバスがあるため、比較的マシではある。
学生が多いというのも、それと関係してくるだろう。
車を持つのは難しいし、土地もあまり余っていない。
自転車に地下鉄とバスを使えば、おおよその範囲をカバー出来る。
京都市内から出るとしても、人口密集地にはそこまでの交通手段がある。
京都駅からはホテルまで、しっかりと車を準備してある。
ただ前にも来たが、やはり混雑している街だな、という印象を受けるノイズのメンバーだ。
三年間をここで暮らした月子としては、あちこちに特色があるのは分かる。
自転車だけでも充分に、生活圏を回ることが出来るのだ。
学生が多いということは、それだけ深夜まで店がやっていたりもする。
ただ叔母のマンションは、そこそこ閑静な場所にあったが。
京都は碁盤目状の街であり、細く車の入れない道も多い。
そこは東京ならば、下町と似ているかもしれない。
前日入りして機材の搬入などは、ローディーに任せることが出来る。
前回のように時間のない、急かされるようなライブではない。
そこで月子としては、高校時代の友人と会うことにした。
中学まではろくに友人などはいなかったが、高校ではそこそこ仲良くなった人間もいるのだ。
もっとも月子とはまた違った、別の障害を持っていたりもした。
高校卒業後は、そのまま就職。
障害者向けの仕事というのは、どうしても給与が安くなる。
企業にとって一番いいのは、実は知的障害でも精神障害でもない。
身体障害者というのが、一番雇いやすいのだ。
単に車椅子であるだけなら、設備が揃っていればそのまま働けるのだ。
事務仕事であれば、左手が不自由であっても右手だけでどうにかなる。
もっとも今はパソコンを使うが、片手しかない人間用のキーボードを一つ買えば、それだけで済む話であるからだ。
月子の場合は発達障害である。
発達障害は知的障害に分類されることもあるが、実際には知能自体は高かったりもする。
人間関係の構築が出来ず、精神障害になってしまうというパターンもある。
そこでそういった人間に、最初から理解のある施設などが、就職するパターンとして存在する。
周囲の空気を理解出来ない、というのが中学校時代までの月子であった。
原則に忠実すぎて、柔軟な考え方が出来ない。
もっともそこを自覚すると、どうにか適応は出来たりもする。
こだわりが強すぎる性格であることが多く、そのため職人などには逆に向いていたりする。
それを一律に総合職として取ったりすると、戦力にならなかったりする。
ただそれは個人の側も、自分の特性をしっかりと理解しなければいけない。
周囲の親や教師が理解してくれたら、早急に適応するための環境や学習が出来たりする。
これは月子にとっては、高校に入ってようやく手に入れた環境だ。
文字があまり読めないのだから、また読むのに時間がかかるのだから、自然と成績は悪くなる。
ただ本来の知能指数などは、むしろ高かったりもする。
よくこの例に出てくるのは、サヴァン症候群であろうか。
月子の場合はそれとは別に、しっかりと練習した三味線と民謡が、今の彼女を支えている。
特に好きでもなかったのに、言われるがままに集中して練習していたところなど、確かにそういった障害の一種ではある。
もっともこれは障害などではなく、個性とも言えるものだ。
理解者がいて、進路を誘導してくれれば、ちゃんと社会人として生活していける。
月子にしても東京に出て、弁当工場などではしっかりと働けていた。
新聞配達にしても、漢字にルビを振ってくれれば、それで分かったのだ。
ただ月子はもう一つ、相貌失認という障害もあった。
このためひたすら、人事異動などがない職場で、延々と細かい作業をするのが、彼女自身には向いていた。
今も俊は月子に対して、感性的なことは言わない。
もう少しキーを高くとか、そういったことを言っていく。
自分自身の感情さえも、正確に表現することが下手なのだ。
しかし歌えば、そのまま伝わっていく。
天才にある種の障害者が多い、というのは今では言われることだ。
ノーベルもアインシュタインも、一種の発達障害であったという。
そこまでいってしまえば、障害者と天才の差はなんなのか、という話にもなってくる。
少なくとも世間一般の平均的な教育では、天才は育てきれないとも言えるだろう。
俊はそこまで詳しくはなかったが、昔からアーティストにはエキセントリックな人間が多い。
自分はそのあたり保守的な人間だ、などと言っているが、ここまで音楽に打ち込んでしまえる時点で、俊もまた一般的な人間とは言いがたい。
月子は事前に連絡を取っていた友人に、コンサートのチケットを渡したかったそうだ。
ただ音楽に興味がなければ、それは無駄なことになる。
しかしある種の障害者は、絵画や音楽といったジャンルには、逆に強い興味を抱いたりもする。
そういった人間に対して、月子はチケットを渡したわけだ。
それは同時に月子の正体を明かすことにもなるが、そろそろ別にいいだろう、とは俊も思っている。
テレビにも出たし、また六月にはテレビ出演の話がある。
今どきとも思うが、これはテレビ局などとの貸し借りの問題でもある。
阿部は相当にノイズのことを、人間性を重視してスケジュールを作ってくれる。
その阿部が言うのであるから、俊としてもある程度は信用しているのだ。
ゴールデンウィーク中にも、フェスはあったりする。
しかしノイズは、今年もそれに参加していない。
俊としては千歳が大学に慣れた頃、夏のフェスに友人を招待してくれれば、それでいいのではと考えたりしている。
ただ今のノイズは、より認知度をメジャー媒体で上げていくのが目的だ。
アニソンタイアップが好評の現在、また似たような仕事が入ってきている。
このビッグウェーブには乗るしかない、と考えているのは、阿部だけではなく俊も同じであった。
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