第320話 シカゴ・フェス
四日間のフェスが始まる。
日本から参加しているのは、ノイズの他にフラワーフェスタ。
もっともあちらはテント型の、1000人しか入らないステージである。
ここが1000人「しか」になるあたり、規模が巨大であることは間違いない。
あちらは平均年齢がまだ10代の、期待の新人枠。
参加は二日目となっている。
ただ花音としての名前を使わずとも、フラワーフェスタの認知度は上がってきてはいる。
多国籍軍、などというおかしな呼び方もされているのだ。
果たして今回の出演で、どのような影響があるのか。
実力があるのは分かっている。
だがあと少し、本当にあと少し、何かが足りていない。
ギターをもう一枚入れたヘルプのステージもやっていた。
しかしそれでは、むしろバランスが悪くなっていた。
バランスを整えるだけなら、どうすればいいのか俊になら分かる。
ギターを一枚足すよりも、完全に花音にボーカルをやらせればいい。
四人編成でも可能なはずなのだ。
ただ使われている楽曲が、上手くアレンジ出来ていないようにも思える。
いっそのことギターの他に楽器を入れるなど、六人構成にしてもいいかもしれない。
ただそのあたり、事務所やレーベルやレコード会社が、許可を出すのが難しいのだろう。
本当に完全に、商業的な成功だけを考えればいい。
今はとりあえず売れてしまってから、本来のスタイルを模索すればいい。
商業的に考えるなら、そういうことを俊も言える。
だが妥協を一度許したら、そこからずるずると甘えが生じる。
フラワーフェスタはそのあたり、少なくとも右往左往はしていても、妥協はしていない。
俊の場合は妥協の繰り返しであった。
ただ試行錯誤の回数は、とんでもなく多い。
楽曲の制作数は、サリエリとしても充分な数。
だがサーフェスにこしあんPと、他の二つの名前で作った曲の数を合わせれば、とんでもない数になる。
妥協をしてからの執念が、ここまで運んできた。
それでも自分だけの力では、もう届かなかったであろう。
「フラワーフェスタ、今回は四人?」
「そうでしょ。あたしもヘルプ呼ばれてないし」
ノイズ最年少の二人組の会話だが、フラワーフェスタは最年長が彼女たちと同じ年なのだ。
アイドル売りをしているわけではないが、女性ミュージシャンの場合、若いうちに人気を伸ばすのが有利だ。
ルックス売りをしているところはあるのだ。実際にキャラクター性で売っているところはある。
もっともノイズとしても、ビジュアル系ではないが、ルックスを意識したところはある。
今回も俊は、ルックスを意識した演出を考えたものだ。
また月子のハンデなどを、意図して流してもいる。
人は逆境を乗り越えるというストーリーが、王道として好きである。
もっとも逆に、それを胡散臭いと思ってしまう時もあるが。
演出に関しては、ほぼ俊がアイデアを出している。
しかしそれに反対するか賛成するかは、それぞれのメンバーの合議制的なところがある。
だが勝ちたいと一番思っているのは、長く大きなステージを考えてきた、俊であることは間違いない。
父親の時代からの悲願である。
だが親子の一世代の間に、他の者が切り開いていった。
時代性の差というのもあるが、技術的な差も大きい。
このあたりは暁も、なんとなく共感してくれる。
父親たちの時代は、日本の市場が最大になりつつあり、それでいながら世界には届かなかった時代だ。
今はもう、国境がなくなっている。
ルートさえ存在すれば、あの時代でもアメリカで通用していたと思うのだ。
フェスの初日が始まる。
午前中は出演するミュージシャンの、セッティングの時間である。
フードコートなどは既に開場していて、客がどんどんと入っていく。
その雰囲気に慣れるために、ノイズのメンバーも会場を訪れる。
湖に近いが、それでもまだ遠い空間。
「それじゃあ英語の話せる人間と、必ず一緒に行動するように」
現地スタッフが一人はついてくれるが、これは日本語が話せるわけではない。
もちろん本番の四日目は、ちゃんと通訳が付いてくれる。
ノイズのメンバーで、ほぼ完全に英語が通じるのは、俊と暁の二人。
最近は頑張って、かなり話せるようになっているのが千歳だ。
なんだかんだ言いながら、洋楽のカバーさえやっていれば、ある程度の聞き取りは出来るようになる。
月子の場合は話せないが、相手の言っていることの意味はおおよそ分かったりする。
脳が普通とは違う機能を持っているので、そんなことが可能になるらしい。
もっともポルトガル語やスペイン語は、通じていなかったのだが。
阿部は英語もばっちりであるが、春菜はそこそこといったところ。
シカゴは20世紀の半ばまで、白人が人口の九割を超えていた。
今も一番多いが、黒人も四割ほどになっている。
そして有色人種に対する差別は、相当にひどいものであるという。
日本人のことを昔は、名誉白人などとも言った冗談があるが、むしろ日本人に対する嫌悪感を持っている人間もいる。
ただあまり気にしすぎると、それもステージに影響するかもしれない。
少なくともステージの上では、白人も黒人も、普通に混在している。
ただ白人のバンドなどであると、白人だけで構成されていることが多い。
またアメリカの場合は出身が、アイルランド系だとかフランス系だとか、そういう面倒な問題もある。
一応は英語が、公用語の国ではあるのだが。
かつてはバブルの華やかなりし頃、日本はアメリカの不動産などを買いまくったものである。
今の日本からは想像も出来ない、豊かであった頃なのだ。
もっともアメリカへの輸出が、向こうの雇用を悪化させたことなどもある。
そしてアメリカは、自分たちのためにルールを作ることを、全く悪いことと思っていない。
ヨーロッパもそうだが、この傲慢さはどこにあるのか。
宗教の問題なのかな、と俊などは思ったりする。
ただ音楽であると、神を冒涜することを、ひたすらやっていた時期もある。
別に日本人にとっては、おかしなことでもなんでもなかったが。
教皇は悪であり、バチカンにはいまだに異端審問がいて、異端者を殺しまくっていると想像するのが日本のフィクションだ。
だが真剣に学校で、人間の進化ではなく聖書を教えろ、と言うような馬鹿はいない。
キリスト教とその元となるユダヤ教からの自由。
それが日本の文化の、寛容性につながっているだろう。
ノイズの音楽もサバトなど、デスメタルなどの雰囲気を出す曲だ。
思うに日本のサブカルチャーで最大のものは、マンガなのであろう。
そのジャンルの広さは、世の中にあるほとんど全てに及ぶ。
料理マンガにしても、グルメマンガなどもあれば、寿司だけで数十冊になる作品もある。
ラーメンだけで何年やっているんだ、というマンガもある。
多様性という言葉は使わない俊である。
だがノイズの音楽は、ジャンルを跨いでいる。
多様ではなく、自由であるのだ。
誰かに強制することなどなく、自分の可能性を広げていく。
俊の創作のスタイルは、そういうものに変容して行った。
そしてそれは正しいことであったのだろう。
財布とスマートフォンさえあれば、最悪翻訳アプリでどうにかなる。
財布の中には金を入れすぎないことと、クレジットカードを入れないことが重要である。
あとは最悪の場合に備えて、別に少し紙幣を持っておくぐらいか。
スマートフォンも自分の物ではなく、期間中に貸与されたものを使う。
ここいらのセキュリティが、しっかりしているのがプロモーターだ。
初日から既に、相当の客が会場にやってきていた。
午前中のまだ一般に開放していない時間から、各所を回っていく。
意外と言ってはなんだが、日本ではあまり見たことがない顔が多い。
そもそも今の日本の音楽市場は、海外の音楽をあまり必要としていない。
なので知らないミュージシャンが多くなる。
ケイティのような昔からの人気がある洋楽アーティストでも、爆発的な人気にはならない。
それでも日本でツアーなどをすれば、ちゃんと動員出来ることは出来る。
舶来品信仰がなくなってきた、というのはあるだろう。
またコアな金や時間を使う層が、アイドルなどに限られているということもあるか。
自分で音楽をやるような人間は、ネットにアップすることが出来る。
それでも一定以上、バンドの需要はあるが。
一応は洋楽にもアンテナを持っている俊なので、名前を知っているバンドなどは色々とある。
ただ最近の話題になっているバンドなのだと、変なプログレが多かったりする。
難解であるプログレという分野だが、なんというか気取った雰囲気を感じるだけである。
昔のプログレなどは、実験的な曲が多かった。
単調なメロディがずっと続いたりと、そういったこともあったのだ。
驚きなのはそれが、ちゃんと売れたことである。
新しいものにとにかく、飛びついていた時代とも言えるのだろう。
バンドはアメリカのものではなく、スウェーデンのバンドであるらしい。
俊としてはこれを、知識として理解出来る。
クラシックの技法を楽曲に取り入れたりもしているが、そもクラシックというのはなんなのか、という話にもなる。
クラシックもクラシックで、時代は長いのだ。
それを一言でクラシックと言ってしまうのも、乱暴な話である。
なお暁はプログレがそれなりに好きというか、ピンク・フロイドを好んでいる。
正確にはギルモアのギターのコピーに一時期ハマっていたのだが。
セッティングに関しては、ものすごいスピードでなされている。
ただどうせ、ステージとステージの間で、もう一度正確にやり直すのだ。
一時間も時間があるので、その間には間に合う。
しかし知名度がないと、この一時間の間に完全に、客がステージから去ってしまう。
(大丈夫なのか?)
俊が考えたのは、ビジュアル的な演出までだ。
演奏がどうなるかは、もう他のメンバーに任せるしかない。
自分が選んだメンバーである。
だいたい大きなステージほど、パワフルなパフォーマンスを行ってきた。
しかし俊が作ったのは土台であって、その上にどんな音楽が生み出されるかは、他のメンバーの力による。
全力で作曲したし、アレンジもしてきた。
打ち込みなどもやってきたのは、俊なのである。
(人事を尽くして天命を待つか)
俊はそんな気分になってきていた。
昼になり、いよいよステージが始まっていく。
セッティングなどの調整時間の間に、他のステージに移動するというタイプ。
なのであちこちに移動する人間は多い。
さすがに全員で動くなどということはなく、バラバラで見たいものを見に行った。
俊が目的としているのは、主にインディーズ系のバンドなどが出演する、テントステージである。
フラワーフェスタも演奏するステージで、ここは各国の注目枠が多いというステージでもある。
さすがに俊でも、知らないバンドが多い。
事前に調べるにも、自分たちの演奏の練習で、おおよその時間は潰れてしまったのだ。
ヨーロッパの中でも、イギリス以外のバンドが比較的出演する。
その演奏時間は、おおよそ45分。
数をこなしていくわけだ。
「う~ん……頭を使って作った曲が多いな……」
最初から二つ目ぐらいのバンドまでは、俊と一緒に暁も見ていた。
だが興味をなくして、他のメンバーと共に出て行ってしまった。
気持ちは分かる。
色々な技術は使っているし、コードの使い方にも独特のものがある。
ただその道は、既にボカロPがたどってきた道である。
また曲調自体も、抑えたものが多い。
つまりパッションに欠けているのだ。
お上品と言うか、展示場に作品を置くような、そういう演奏である。
それはそれで色々と考えていると分かるのだが、ライブでそれはないだろう、というのが暁の感想なのだろう。
俊としても一度テントを出て、これから後の出演者の楽曲を調べてみた。
なるほど確かに、実験的ではある。
だが日本のボカロPが、ネタ曲として作っている曲に似ていたりもする。
儲けを度外視して、しかしながら世界に届けることが出来るネット。
そこでは本当に、色々な才能が生まれている。
ただ独創性と完成度を考えれば、徳島の方がよほど上だ。
ミステリアスピンクは、あまりライブには向いていないのは、何度も言われているものだが。
(さすがに他を見るとするか)
ロックフェスではあるが、客にアピールするための、パフォーマンスなどもやっている。
そこを見ながらも、どのミュージシャンを見るか、などと考えていたりした。
シカゴというのは、ストリートミュージックがかなり発生した場所でもある。
音楽以外のものも、ストリートから発生しているが。
ラップなどは暴力の代償行為だ、などと言われたりもする。
まあ暴力的な音楽というのは、確かに一つの表現の形ではある。
しかしサンプリングを元とするヒップホップは、どうしても俊の趣味には合わない。
自分は自分で、過去の曲を組み合わせて使っているのに。
おそらく人間性の問題であるのだろう。
俊は明らかに都会の人間で、そしてストリートの人間ではない。
他から音楽性を借りてくる技術は、確かにたいしたものだ。
しかし魂の本質的な部分は、そういうものではないのだ。
(吸収できないものから、何かをインプットできないものかな)
反体制的であったのは、過去のロックである。
商業主義を否定しない俊には、魂の部分で理解出来ないのであろう。
一日目が終わる。
セカンドステージの、ノイズが演奏する時間帯の確認だ。
少なくとも悪天候になることはない、と言われている。
この時間でもまだ、かなり明るいものである。
一番暗く雰囲気がよくなるのを、メインステージの最後に計算しているからだ。
その次に遅いのが、セカンドステージのヘッドライナーである。
そこからさらに二時間、先に演奏を開始するのがノイズ。
太陽はようやく、少しばかり傾いたように見える。
北半球でもかなり、北のほうにあるのがシカゴ。
ちなみにイギリスであると、さらに日の入りは遅くなる。
ブラジルは南半球であったし、スペインはそれほど北でもなかった。
八月の上旬なので、六月よりも日の入りは早くなっているはずなのだが。
どうも時間の感覚が狂う。
もしも将来、イギリスで演奏することなどがあったら、さらに時間感覚が狂うだろう。
北欧でもフェスはある。
そういうところに招待でもされたら、果たしてどうするべきなのか。
俊は改めて、世界の壁というものについて考える。
ブラジル、スペインと段階を踏んできたからか、不自然なほどにプレッシャーは感じていない。
実際に少し前あたりから、日本のミュージシャンは海外で普通に活躍するようになった。
音楽性の問題ではなく、グローバル化が真の意味で進んだからだ、と俊は思っていた。
だが本当の理由は、他のところにあるのではなかろうか。
クール・ジャパン戦略というものがあった。
よく日本では、政府の失敗と言われている日本文化の紹介であるが、実際にはあれは成功している。
もっとも技術的な、それこそネットの発達と配信が、重要なものではあった。
しかしタイミング的には、あれが今のアニメなどの、海外での需要につながっているらしい。
ビートルズが来日した時、あれがただのミュージシャンであったら、大成功などしただろうか。
実際のところ武道館でのコンサートは、コンサート収益はともかく、満足度は低かった客も多かったらしい。
最初に宣伝で知名度を高めて、それから進出して行く。
90年代にそれが失敗したのは、80年代のバブルなどの影響で、アメリカは日本にマイナスイメージを持っていたからではないか。
実際のところ90年代には、日本のポップスはアメリカやイギリスの影響を受け、かなり近づいたものとはなっているらしい。
昔のことなので、俊としてはその時代の感覚が分からない。
だが岡町などは、最初から成功しないと思っていたとかどうとか。
90年代から2000年代などは、アメリカの音楽もまだ、ロックがかろうじて元気であった頃だ。
そのため日本のミュージシャンのパイなど、どこにもなかったのであろう。
(時代の流れか)
乗るしかない、このビッグウェーブに。
日本は衰退していると、色々と言われてはいる。
だが上流の俊としては、そんな実感はないのだ。
音楽は新しいものが生まれているし、ライブには人が来る。
結局衰退しているというのは、イメージの問題も多いのではないか。
人口の減少などは、確かに間違いなく訪れる。
労働人口は減っているのだ。
だがそれなのに、日本の文化自体は、過去最高レベルで輸出されている。
ノイズの音楽が、その一つとなるのかどうか。
常に冷静であろうと考える俊は、基本的には悲観的な人間であった。
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