第321話 プレッシャーの内容

 アメリカの成人年齢は18歳であるが、ノイズメンバーで一応は一番年下の暁は、それでなくてもかなり幼く見られる。

 身長が小さいこともあるが、年齢よりも年上に見えるという母親のヨーロッパ系特徴はあまり受け継がなかったのだ。

 髪の色はやや淡く、比較的色白であり、目の色も薄いというのはあちらの血統であろう。

 しかし古のギタリストを意識しているわけでもないが、全体的に体が細い。

 ただ胸だけはそれなりに大きいので、年齢の判断は本当に難しい。

「まあそれがなくても、どのみち駄目だけどね」

 ホテルのレストランに入るときに、ID提示を求められて、パスポートを見せることがあった。

 その時にわざわざ、アメリカでは21歳未満は飲酒は禁止ですので、などと注意されたのだ。


 場所によっては大麻さえ合法のアメリカだが、飲酒に関しては法律上は厳しい。

 日本の20歳よりも、さらに上の年齢から飲酒が可能なのだ。

 時間が遅かったために、そういう注意をわざわざされたのか。

 もっともこっそりと飲んだり、公然と酔っ払っている人間は、普通にいるらしいが。

「下手すりゃドラッグより取締りが厳しいんじゃないか?」

 信吾は呆れていたが、大麻が合法なところは、確かにあるのだ。


 禁酒法時代の名残であろうか。

 もっともアルコールの害が大麻よりも大きいと言われているのは、科学的にはそれなりの根拠があるらしい。

「千歳も駄目なのか。まあ俺たちはアジア人だし、若く見られて余計に叩かれることもあるだろうしな」

「日本だともう酔っ払ってたのに」

「どのみち俺たちも最終日までは禁酒だ」

 ビールを頼みたかった栄二であるが、そこも止められてしまった。


 リラックスして望めばいいのに、と思わないでもない。

 俊のこの固さが、悪い方に働くこともあるだろう。

 阿部としてはノイズのメンバーが俊の意見を尊重するのは、俊が己に対して最も厳しいからだ。

「次は18歳でも飲める国のフェスがいいなあ」

「いや、お前ももう少しで誕生日だろ」

 最終日が終われば飲むつもりなのか暁が言ったが、確かにもうすぐ彼女も二十歳。

 阿部としても随分と、短いようで長い付き合いになってきた。


 レストランで食事をしながら、初日の感想を言い合う。

「そういやフラワーフェスタって同じホテルじゃないのかな?」

「あっちはもっと安いとこでしょ」

 月子の疑問に対しては、春菜がそんな答えを返す。 

 しかし俊は残酷な事実を知っていた。

「あの子らは自腹でもっと高いところに泊まってるぞ。花音だけに限っても、親の印税で毎年何億かの金が入ってくるはずだし」

「……億……」

「基本的にあの子達は、全員金持ちの家の子だからな」

 俊の家も裕福であるが、上には上がいるものなのだ。


 花音の場合は母の残した楽曲が、毎年数曲は新発表される。

 また生前の曲にしても、死後の印税収入が入ってくるのだ。

 さすがにまだ養親が管理しているだろうが、それでも自由に音楽活動は出来るはずだ。

「金持ちの音楽だから、いまいち弾けないのかな?」

 信吾はそんなことを言ったが、貧乏人の僻みである。




 興行などの虚業であっても、産業などの実業であっても、資金力は人生を成功させるために重要だ。

 こういう人気商売は、バックアップが大きいほどに成功の可能性は高くなる。

 ただ成功してそれでずっと食っていけるかは別だろう。

 そういうシビアな考えを俊がするのは、父親の失敗から学んでいるからである。

 成功のためにはハングリー精神がないといけない、とはよく言われる。

 だがそれはより成功を求める意欲と努力であり、実際に貧乏なこととはまた違う。


 かつてスポーツ選手などは、貧困から脱出するための一つの手段であった。

 だが近年では最初から、みっちりと素材を選んでコーチをする。

 勉強にしても地頭が飛びぬけている人間はともかく、学習塾などで受験用の勉強が出来る人間の方が強い。

 おそらくそう遠くない未来には、スポーツ分野など、遺伝子解析で素質のある人間しか成功しないようになるのではないか。

 それに比べるとまだ、創作の分野はマシなのであろうか。

 もっともAIの技術の発達は、間違いなく10年前とは違う方向に向かってきた。


 ボカロ曲の作成などは、AIではないにしろ、サンプルとなった曲のコードなどを持ってきたりする。

 リズムにしても色々と試すことが出来るのだ。

 自分で演奏するよりも、よほど早い環境が作れる。

 人にもよるが俊の場合は、それで試行錯誤することが多い。

 才能には欠けると自認する俊だが、PCを使うからこそ多くのパターンを試せる。

 もちろん90%以上は使えないものなのだが、その90%には次につながるものがあったりする。


 パソコンとDAWのソフトを使えば、楽器が弾けなくても曲を作ることは出来る。

 もちろん楽器も弾けた方が、引き出しは多くなるのだが。

 ボカロ曲の中には、人間では歌えない曲というものがある。

 それ自体は鑑賞専用であっても、そこから生まれる何かはあるのだ。


 恵まれた環境にいることは、素直に有利だと思っておけばいい。

 だがどこまで遠くへ、どこまで高くへ行けるかは、最後には執念が関係していると思う。

「音楽で成功しなくても、生きていけると思うなら、確かに一歩足りないかもな」

 俊としてもそう思わないでもない。

 ただ環境が整っていても、全力の努力が必要なのはほとんど当然。

 もちろん完全に才能が突出している、という人間もいる。

 花音はそうであろうし、その母もそうであったろう。

 さらに言うなら月子のシンガー適性も、声の質という才能ではある。


 わざと声を潰すという、無茶なことをしていたシンガーやボーカルもいたものだ。

 アメリカのハスキーボイスというものは、日本のそれとは徹底して違う。

 月子のような透明感のある声は、昔は無個性などとも言われていた。

 時代は変わるものである。

 ボカロPにとっては月子の声は、むしろ慣れた感じの声だ。 

 ミステリアスピンクなども、歌唱力はともかく声質では、間違いなく好まれるタイプのものなのだ。




 今日一日を回って思ったのは、広いと感じることであった。

 日本でも都市近郊の公演で、フェスを行うことはある。

 だがアメリカにおいてはその広さが、日本とは比べ物にならない。

 集まっている人数の割には、比較的動くのもスムーズであった。

 しかしメインやセカンドのステージは、ミュージシャンによっては過密状態となる。


 一応は入れる人数を制限するため、ネットなどで分けてはいる。

 セカンドステージは一万人を想定しているが、実際には三万人が入る。

 そして聞こえる場所だけならば、五万人ほどが聞こえるようになっていた。

「そこまで集まってもらうと、むしろ安全上の問題が出てくるよな」

 バンド歴の長い栄二は、そんなことを言う。人気ミュージシャンのバックミュージシャンとして、色々と見てきたのが栄二である。

「まあ怪我人が出ようが死人が出ようが、俺たちの責任はないし」

 俊は契約書をしっかりと読んでいるので、非情なことも平然と言えた。


 最近はさすがに少ないが、昔はライブの事故で、死人が出るというのはそこそこあったのだ。

 今も海外ではそれなりに、死人が出るということはある。

 音楽ではないが南米などでは、サッカーの試合で死者が出るのは当たり前。

 戦争勃発の原因になったこともあったとかなかったとか。


 音楽も60年代から70年代は無茶苦茶な時代であった。

 特に70年を境の数年以内に、多くのレジェンドが死亡していたりする。

 もっともそれはほとんどが、ドラッグやアルコールによるものだ。

 暗殺されたジョン・レノンや自殺したカート・コバーンの闇は、さらに深いものであるだろうか。 

 日本でも若くして死んだら、必要以上に天才と持ち上げられる。

 若くして死んでこそ、天才の完成なのかもしれない。ひどい話だが。


 一日目の感想は、色々と皆から出てきた。

 ブラジルやスペインのフェスに比べて、周囲を見る余裕があったのだ。

 さすがに選ばれたアーティストは、それなりの演奏をしていた。

 だがさっぱり良さが分からない、というのっぺりした音楽もされていたりする。

 それを心地良さそうに、聞いていた人々も多かった。

 フェスの多彩さに、聴衆の多彩さといったところなのか。


 明日はとりあえず、フラワーフェスタの演奏は見に行くつもりである。

 テントのステージというのは、音響はあまりよくない。

 だからこそアンプのセッティングなどで、音を大きくするのが重要なのか。

 フラワーフェスタの音は、ここ最近はライブで聴いていなかった。

 だが適性としては、悪くないのではないか。


 彼女たちの音は、パワフルさで魅せるタイプのものではない。

 もちろんそういう演奏もする曲もあるが、技術が飛び抜けているところがある。

 それに花音の歌声は、相当にレベルの高いものだ。

 あのケイティにさえ負けないほどに、本来なら人を魅了する。


 フラワーフェスタが爆発しきれない原因は、俊にははっきりと分かってきていた。

 それは役割分担が、はっきりしていないことにある。

 それぞれの楽器演奏のレベルは大変に高い。

 しかし調和を第一に考えているため、パワフルさが足りない。

 期待通りのライブはしても、期待を超えることがない。

 フロントマンの力が弱くなっている。

 花音がソロで歌った方が、その力を発揮しているのは間違いない。




 俊はアーティストが、ビジネスによって成立していることを理解している。

 ショービジネスの世界というのが、社会には存在している。

 音楽だけではなく、スポーツも分かりやすい。

 他にも娯楽などは色々とあるのだ。


 妥協をしないことによって、彼女たちは本来のポテンシャルを発揮していない。

 普通ならば事務所やレコード会社が、無理やりにでも矯正するだろう。

 しかしそれをしないのは、バックにあるものが大きすぎるからか。

 同じ太い実家を持っていても、ゴートなどはビジネスをしっかりと理解していた。

 だが彼は単純に、売れ線の曲を作るとか、商業主義に徹しているわけではない。

 売れる曲をしっかりと、創造性の高い曲にしている。

 カラーをちゃんと出しているわけだ。


 バンドとしてちゃんと、リーダーの役割を果たしている。

 メンバーはしっかりと、演奏でクオリティの高いパフォーマンスを発揮している。

 そのあたりのコントロールも、ゴートの役目である。

 フラワーフェスタは一応、玲がリーダー的ポジションにいる。

 だが年齢や実力など、それらで優っているわけではない。

 花音は歌唱力と演奏力、どちらもがトップではある。

 しかし自己表現がさほど強い人間ではない。

 ステージの上では別であるのだが。


 プロデュースが失敗している。

 それでもまだ放置されているのは、自分たちに実感させるためなのか。

 下手に安定してしまったため、そこから抜け出せないのか。

 このフェスへの参加は、あるいはフラワーフェスタの未来を決めるのかもしれない。

(今のままだと……)

 俊はノイズがここまで来れたのは、実力ばかりではないと理解している。

 霹靂の刻のアメリカでの使用に、あとは武道館が彩に譲ってもらって成功したこと。

 ドームのイベントにおいても、ゴートと白雪という、二人の先達が一緒にやってくれたからだ。


 勢いというものがあるのだ。

 過去の楽曲をカバーしている俊は、埋もれた名曲が多いことを知っている。

 また洋楽においても邦楽においても、誰かがカバーしたバージョンが、元のものよりも大ヒットした例などはいくらでもある。

 邦楽で言えばなごり雪などが分かりやすい例であろうか。

(アレンジもどこかちぐはぐな感じはするし)

 それでも一応続いてはいるのだから、失敗したとまでは言い切れないのか。


 ノイズがここで成功することで、彼女たちにはダメージが入るだろうか。

 一応俊は、花音に関してはずっと注目していたのだ。

 今の花音の個人としては、配信で注目を浴びている。

 だがフラワーフェスタとすぐに分からないのは、彼女が明らかにバンドの中では、セーブして歌っているからであろう。

「明日は、フラワーフェスタの演奏は見にいくぞ」

「止めた方がいいんじゃないか? 成功しても失敗しても、こちらに影響があるかもしれない」

 栄二はそんな繊細なことを言うが、俊としてはそういった影響すらもパワーにしたい。


 このフェスで成功したら、本格的に世界に通用すると言える。

 日本のトップを維持する、という考えは俊には……ある!

 日本のトップクラスを維持しつつ、アメリカでも売っていく。

 それが俊の考えだ。

 地元である日本を、いわば後背地として考える。

 そこでの人気があった上で、海外で勝負することが出来るのだ。




 二日目の朝を迎える。

 体調を万全に整えるために、夜更かしなどもしないように言ってある。

 そういえばノイズは、プレッシャーに強い人間が多いな、と俊は思った。

「それは俊君のおかげでしょ」

 阿部がそう言ったが、俊としては首を傾げる次第である。

「あんた全然緊張してないでしょうが」

 そういうわけでもないのだが。


 ここしばらくは、暁がナーバスになることが多かった。

 しかしそれも、どうにか乗り越えたといっていいだろう。

 俊はライブのステージにおいては、自分は完全に機材の一つとしか思っていない。

 パフォーマンスに関しては、特に女性陣に任せきりなのだ。


 月子の場合はどうも、プレッシャーを感じるのも鈍いらしい。

 単純に子供の頃から、三味線の発表会などで、大人の辛辣な視線に慣れていたからかもしれない。

 暁が意外とプレッシャーを意識しているのは、この間のスランプで分かった。

 もっともプレッシャーというのは、自分自身との戦いである。

 他のステージではむしろ、暁は最初からどんどんと煽っていくことが多い。


 千歳の場合も、神経が切れているところがある。

 もっとも彼女の場合は、人生で一番ショックなことを、既に体験しているからだろう。

 どれだけのオーディエンスの熱狂を前にしても、彼女があの時の感情を上回ることはない。

 ステージに失敗したとしても、死ぬわけではないのだ。

 またノイズのステージで、ファンが銃を発砲したなどということもない。

 日本でメインの活動をしているのだから、当たり前のことではあるだろう。

 またこのフェスもちゃんと、セキュリティのチェックはしている。


 フラワーフェスタのステージは、もちろん午後ではあるが比較的早い。

 そこまで期待されていない、ということではあるのだろう。

 もっともある程度の領域に達していなければ、ここに呼ばれることすらない。

 レコード会社の力によって、送り込むことも出来るのかもしれないが。

 それよりも大きなスポンサーは、彼女たちのために動いていない。


「俺はセッティングの様子から見てくるから」

「けっこう早いけど、じゃああたしも見てくる」

 そう言ったのは暁で、フラワーフェスタとはほぼ同年代。

 千歳もそうなのだが、下手に彼女たちの演奏を見ると、自信をなくすと考えたりしている。

 暁の場合は少し、サポートで入ったことがある縁もある。

 果たして海外の舞台で、どういった演奏をするのか。


 もっともフラワーフェスタは、アメリカ育ちとアメリカ生まれの混在である。

 そういう意味では他の日本のミュージシャンより、アメリカに対する苦手意識などはないのだろう。

 下手に見ると、暁には影響があるかも、と俊は思わないでもない。

 だが今の暁なら、とも期待するのだ。

「本番も見るかどうかは、セッティングとリハの様子を見てから決めようか」

 自分は見るけどな、と俊は心中で呟いていた。

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