第396話 最後の審判
ノイズというバンドは発生から、ずっと奇妙なルートを辿ってきた。
そもそも最初はユニットになるはずであったのだ。
それが暁が入ったことにより、バンドの形態を求めるようになった。
大失敗でなければ成功、と言われる初ライブにおいて、充分すぎる成功を収める。
すぐにチケットの収益化には成功したが、ここで一気に流れに乗ることがなかった
既にこの時点で、メジャーレーベルからの接触はあったのにだ。
インディーズで自己プロデュースを行い続け、その人気は次第に高まっていった。
結局インディースのまま自分たちで原盤などの管理を行ったのが、他のミュージシャンよりもずっと儲かった理由である。
音楽性の成功や、商業的成功に、海外進出の成功。
そのくせ小さなライブハウスで、気まぐれのようにライブを行う。
また休養を入れてからの、このライブハウスの開店記念。
オープニングとしてノイズにやってもらえれば、それはもう箔が付くだろう。
そしてノイズがオリジナルメンバーで、最後にやった店ともなれば、さらに名前が残る。
伝説のしめくくりにしてしまうのか。
時間がないとはいえ、もっと大きなハコも強奪できたはずだ。
借りを作っても後から返せばいい。
ノイズのラストライブともなれば、納得してくれるミュージシャンもいるだろう。
しかし俊はそれよりも、感情を優先した。
望まれて行うライブであるべきであったのだ。
白雪が用意してくれたのは、かつてヒートもそうであったからだ。
人間は死んでようやく伝説になる。
嫌な言い方かもしれないが、ある程度は正しいことだろう。
もっともスポーツの世界では、生きた伝説などという言葉もある。
音楽の世界においても、ビートルズはジョンが死ぬ前から伝説であった。
ただイリヤなどは、確かに死んでからの方が話題になっている。
若くしての成功というのは、そういうものなのだ。
ベテランの域に達して、既に多くの実績を塗り替えた。
そういう人間こそ、生きた伝説と呼ぶのに相応しい。
「だけど伝説には、証言者が必要になる」
ゴートの言葉に、権利関連の契約をまとめた女弁護士は、いまだに困惑気味である。
「こういうライブハウスには縁がなかったのに……」
「先生なら最後の時間を、切り取って書いてくれるかなって」
彼女に期待しているのは、ノンフィクション作家としての面である。
「音楽関連はあまり知識がありませんよ」
「そういう人でも、ノイズの音楽は分かりやすいですから」
ゴートはそう言って、顔パスで楽屋へと向かった。
月子は死相を浮かべている。
それは見る人間が見れば、すぐに分かる程度のものであった。
今すぐに病院に行け、と言われてもおかしくはない。
だがもう誰も彼女を止めない。
いかに生きるかということは、いかに死ぬかということだ。
ただ死ぬまでの時間を長引かせても、そこに意味はない。
機械につながれて、ただ死ぬまでの時間を長引かせる。
そういった命などに、何か価値があるのだろうか。
生きているだけで意味がある。
本人が死にたいと思っていても、果たしてそんなことが言えるのか。
全力で生きたからこそ、その死にすら価値が出来る。
「今日はもう、いらないかな」
ずっと付けていたマスクを、月子はもう必要ないという。
サングラスなどをかけて、顔出しはずっとNGであった月子。
だが確かに、もういらないものなのだろう。
最初はメイプルカラーとの両立のために、違うキャラクターとするため必要であった。
その後はストーカー対策や、意図的な演出として、マスクをし続けた。
だがもういいのだ。
変な演出でもなく、つくろったものでもなく、そのままの自分で歌えばいい。
ゴージャスなドレスは、自分の好みに合ったものだが。
肩や背中が大きく開いたものである。
かといって体を締め付けるものでもない。
自分を飾りながらも、虚飾にはならない。
メイクをする人間も、その顔色の悪さには気付いていた。
「ゴートさんに、先生」
「よう。最後のステージ、見に来たぞ」
「先生までも連れて?」
「君らの失敗がないよう、俺も見ていてやるしな」
煽るような言い方をしてくるが、別に悪気がないのは分かっている。
俊としてもこの数日、ステージの準備のために大変であったのだ。
別に死ぬようなことではないが、ライブが終わればさっさと眠りたい。
長かったような気もするし、短かったような気もする。
だが人生の半分以上は、ここにあったと言ってもいいだろう。
月子と出会うまでの人生が、俊にとっては第一部であった。
そして今は第二部の終盤。
最後の場面が、このライブということになるのか。
だがこの先の人生で、これ以上に力を入れることは、もうないような気もする。
ゴートに限ったわけではなく、他にも数人が客としてやってきていた。
最後の舞台を、欠かさずに見なければいけない。
嘘か冗談と思っていた人間も、今の月子を見ればちゃんと分かるのだ。
もっとも俊の疲労困憊ぶりに、そちらも心配になってしまうのだが。
これが終われば、少し休もう。
旅立つ月子の傍に、少しだけいてやろう。
音楽から離れる日が、ほんの少しぐらいはあってもいい。
そうは思ってもノートPCがあれば、作曲はどこでも出来る。
今日までは不思議なほど、痛みもなかったし歌うことも出来た。
だがそういった全ては、おそらくここまでなのだ。
ほんのわずかな余生になるだろう。
そのわずかな時間は、己の人生を振り返ることになるのか。
あるいはここまでの幸福を、かみ締めるためのものであるのか。
「ノイズさん、時間です」
息を整えて、月子は立ち上がった。
よろける彼女を支えるのは、常に左に立っていた千歳であった。
顔を見合わせると、月子は笑った。
それにつられて千歳も笑う。
「しょうがないなあ、この病人は」
共に両親を失ったもの同士、かなり環境は違っても、通じるものはある。
千歳はそれでも、ずっと月子には敵わないと思っていた。
だがもうそんなことは考えなくてもいいだろう。
最後のステージへ、六人は向かう。
充電の出来ない電池が、それでも一時的にその力を発揮するように。
最後の歌を、届けに行くのだ。
このステージを見つめる、小説家が二人にノンフィクションライターが一人。
それぞれの立場は違うが、命とは消えるものだと知っている。
「私は三人の子供がいるんですけど、上の二人は生まれつき心臓の病気だったんです」
彼女はざわめくライブハウスの中、後方からステージを見ている。
「けれど奇跡的に、二人とも手術で治って、今は元気にしているんですけど」
そうは言っても月子の病気は、手術をしてどうにかなるというものでもない。
もう手術をするほどの体力もないのだ。
そもそも病気の種類が違うし、手術では全てを取りきれず、薬でも消し去ることは出来なかった。
「私の、たった一人の姪なのに……」
月子を失うということは、ほんのわずかに残った血縁が、もうほとんどいなくなるということ。
残っているのは月子が残した、まだ赤ん坊の娘だけだ。
千歳の叔母の文乃は、沈黙したままステージを見る。
太陽よりも輝く月が、最後にどういうライブをするのか。
学生の頃には舞台などと共に、こういった音楽のライブも見ることがあった。
どんな熱狂の中でも、一人冷徹に観察する自分がいた。
それでも今は、心が動かされるのを止められない。
期待よりはむしろ、不安の方が大きいだろう。
千歳から聞いていた状態と、楽屋で少し会った感じから、もうまともに動くことも苦しいのだと分かる。
最後のステージにすると言っていたが、それが最高のステージになるはずもない。
何度かライブは見たし、その映像も繰り返し見た。
ただ小説も同じように何度も読めるが、ライブはおそらく最初の一回が、最高の衝撃をもたらす。
どうしてこんな無茶を、と思うのだ。
しかし本当に死を前にした人間は、ここまで輝くことが出来る。
時間となって、ステージにノイズのメンバーが現れる。
大きなどよめきが起こるのは、月子が仮面をしていないからだ。
小さなステージで、またネット配信においても、ずっと顔を隠していた。
「KISSも似たような感じだったわね」
月子の叔母の槙子はそう言うが、他の二人は言われても分からない。
画像で見せたら、ああこの人たちのことか、と分かるかもしれないが。
月子は三味線を持っていないし、ステージ上にも用意されていない。
そこから今日のセットリストには、霹靂の刻はないのかと思わせる。
今の月子にはもう、楽器演奏をしながら、歌うことまでは力が残っていない。
しかしやりたい曲は、ちゃんと決まっているのだ。
『どうも、ノイズです』
どよめきが収まるように、俊がMCを始める。
だが久しぶりのライブに、月子の素顔というインパクトもあって、なかなか雑音がやまない。
『みんな』
だが普段は歌うだけの月子が、言葉を発した。
『今日は、少しゆっくりと歌うからね』
そんなわずかな言葉で、空間が静まり返る。
そして始まった演奏。
これはないであろうと思われていた、霹靂の刻。
月子の生演奏の録音に合わせて、他の皆が演奏を始めるのだ。
そして一部には、MOONを使ったコーラスも入っている。
ゆっくりというのはなんだったのか。
霹靂の刻は主に、東北地方の冬をイメージして作られたものだ。
その内容はかつて月子が聞いた、門付けという文化から、イメージが湧いている。
一応は最終的な歌詞は俊が作ったが、月子のイメージがその大半になっている。
そして作曲は月子がしただけに、その声を存分に活かす音域で演奏されるのだ。
派手に始まったライブである。
歌だけに集中した月子だが、歌い終わればマイクスタンドにもたれかかるようになった。
一曲を歌っただけでも、既に充分疲れている。
ここからまだまだ歌っていって、果たして体力がもつのか。
MCを少し長めにする必要がある。
だから俊は曲について、その制作過程を説明していったりした。
『次は森羅万象です』
これはボーカロイドも使っている。
白雪が声を提供してくれたSNOWである。
だがメインにはやはり、月子が歌うことになる。
制作過程で白雪が協力していたりと、かなり贅沢なものである。
ここ半年ほどの作曲環境。
徳島と音楽で殴り合う、そんな環境であった。
たまに漁夫の利的に、白雪があっさりと曲を完成させたこともある。
この森羅万象は、つまり「ありとあらゆるもの」という意味だ。
雄大なテーマではあるが、それだけに言葉の選び方が難しい。
ただ一つだけ分かりやすいものは、その全てを受け取るのが人間であるということだ。
感情は動物にもあるだろう。
しかしそれを言葉にして伝えるのは、人間しかいないのだ。
その視点に立つことが出来れば、どういった歌詞にすればいいのかも分かる。
捉え方の問題なのである。
絵の素晴らしさを語るのに、その絵のことだけを説明するだろうか。
それよりは絵を見た瞬間に、自分がどう感じたかを語る方が、芸術を語る上では王道であろう。
だが逆にそのままを歌詞にするという、テクニックとしては王道以外のものも存在する。
羅列される単語から、聴いた者が自分でどう捉えるのか。
解釈を任せてしまう曲も、普通にあるのだ。
感情だけを説明するのは、むしろ無粋であるとも言える。
だが生の感情をそのままぶつけて、その衝動を感じてもらうこともある。
音楽というのは万能なのだ。
この短い時間の中に、ストーリーを紡いでいく。
聞く側としては短い時間で、必死で作った曲を楽しめる。
コスパもタイパもいいものだな、と俊などは思うのだ。
クラシックの交響曲などは、ちょっともう長すぎるが。
新しく作った曲が続くが、既に発信自体はしている曲が多い。
なのでこれが初めてのライブでの発表なので、今日のオーディエンスにとってはお得感が強いだろう。
そしてしっかりと許可も取っていて、果てしなき流れの果てに、を演奏する。
そのままではボーカルも楽器も足りないが、そこはSNOWでカバーをする。
メインボーカルを月子にすれば、どうにかあとは打ち込みで足りる。
結局あの曲を実際のステージで出来るのは、ノイズだけになっていた。
フラワーフェスタにシンセサイザーが加われば、どうにか出来るのかもしれないが。
『次は、愛の遺伝子』
人間は愛し合ってその遺伝子を残していく。
だがそれ以外にも自分を、誰かに伝えることが出来るのだ。
生きるという中で、どれだけの愛で人を変えることが出来るのか。
それが愛の遺伝子である。
ロックと言うよりはかなり、R&Bに近い曲が多い。
それでも月子の歌の力は、しっかりと熱量を上げてきている。
わずかな照明の中で、月子は輝いている。
その淡い光を発する様子は、まさに月光であろうか。
作曲環境が環境であっただけに、生きるということをテーマとしたものが多い。
また感情と熱量が、色々な方向に発散されている。
甘ったるい歌はなく、どれもこれもシビアなものだ。
もっとも俊はノイジーガールの時代から、その傾向は変わらない。
こしあんPの名前で作ったような曲は、結局ノイズでは作らなかった。
しっかりと歌詞を聴けば、無茶苦茶言っているな、というような曲はあったものだが。
衝動的な曲はあるものだ。
そもそもノイジーガールの歌詞も、よく聞けば若さの中で傷ついていくようなものなのである。
俊は全力で生きている。
ただその全力の出し方が、ずっと上手くいかなかった。
バンドを組んだ時も、そして新しいバンドに入った時も、ボカロPとして活動した時も、上手く手ごたえを感じなかった。
しかし月子と出会ってからは、明らかに上手く進みだしたのだ。
全力で作曲に打ち込み、気絶するように眠りに入っるようになった。
交感神経が刺激されて、アイデアがどんどん湧いてきたのだ。
それを全力で、削っていく作業が作曲であった。
作詞についても自分の興味のあることを、どんどんと調べていった。
このあたりは千歳の、マンガやアニメを見るということが、プラスになったのは確かだ。
インプットはどんな分野からでも出来る。
それこそ映画一作を、五分の中に詰め込んでしまってもいいのだ。
あるいはそのエッセンスとなる部分だけで、一曲を作ってしまう。
そうやってどんどんと、タイアップ作品の曲を作っていった。
ハッピー・アースデイ。
地球にありがとうという、このタイアップ曲。
OP曲が本編などとも言われたが、原作は本当に気の毒であった。
この曲を生み出したことが、アニメの唯一の価値である、などとも言われた。
MNRも後半部分を担当したのに、しばらくは話題にならなかったのだ。
どこまで妥協せずに、自分の感性を信じられるか。
あるいは自分の感性すら信じず、今の流行に合わせられるか。
もちろん一番いいのは、流行に合わせた上で、普遍的なものとすることである。
だがそんなことが可能なコンポーザーは、そうそういるものではない。
また全ての曲をそのように作ろうとしても、上手くいかないのは当然である。
俊はそれでも諦めなかった。
暁のギターリフに、大きなインスピレーションを感じることもあった。
また千歳と合わせた時には、さらに強いインプットを感じたものだ。
六人が揃ってから、ずっと上手くいっていた。
ちょっとやらかしてしまったが、まだまだ時間はあると思っていたのだ。
ずっとこうやっていたかった。
もちろんいずれは、何かが自分から失われてしまうことも、考えに入れてはいたのだ。
しかし月子が失われる。
それは他の何よりも、俊の多くを奪い去るものであった。
(これが最後だ)
だから全力で、アレンジが多くなるようにした。
打ち込みを新しく行って、ここしばらくは睡眠時間がほんのわずかになっている。
それでも、これが最後なのだ。
失われるものの大きさに比べれば、自分が差し出すものは釣りあっていない。
全力で準備をして、このライブハウスのオープニングを務めることになった。
そしてこのライブハウスは、ノイズの最後のステージとなるだろう。
セットリストの曲は半分が過ぎた。
月子が休む間に、千歳がメインで歌う曲もある。
MOONを作っておいたのは、本当に正解であった。
これがなければ月子の負担は、ずっと大きなものであっただろうから。
(終わりたくないな)
だが終わってこそ、このステージは完成するのである。
時間が止まってしまえばいい。
俊はそう強く思っている。
あと半分と考えるか、もう半分が過ぎてしまったと考えるか。
人生五十年などと言っていた時代であっても、普通にもっと若く死んでいる人間はいた。
そして今もたくさん、若くして死んでいる人間はいるだろう。
死は誰の前にも平等である。
だからこそ、生きている間に何をするべきであるのか。
このライブに全てを捧げる。
多くの曲にはアレンジが入っていて、訴求力は高くても新鮮であるだろう。
ソロのアレンジでは、暁がギターを走らせる。
熱量がステージの上で暴走している。
しかしこの狂騒の先には、まだ見えない世界があるのか。
(音が見える)
俊はそんな感覚さえ抱いていた。
五感の全てでもって、このステージを広げていく。
オーディエンスの全てに、しっかりと刻み付けるように。
ノイズの音楽は広がっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます