第395話 月の子

 親が忙しいと子供の性根が曲がる、ということはない。

 ただ親の人格が貧困であると、子供も卑しくなることはあるかもしれない。

 もちろん反面教師という言葉もあるので、親だけを見て子供を評価などは出来ない。

 だが良くも悪くもその影響を、完全に排除するのもおかしな話である。


 元から忙しかった俊だが、この半年ほどは本当に、仕事に没頭していた。

 いや、この作業のことを、仕事と言っていいのだろうか。

 確かに利益にはつながることだし、楽曲の創作でもあった。

 しかしそれ以上に、月子のために生きていたといっていい。

 本人はあくまでも、自分のためだと言うだろう。

 だが暁の目から見ても、それは充分に月子のための時間であった。


 暁はまだいいのだ。

 恋愛関係はあまりなくとも、充分に信頼しあって、同じ方向を向いて歩ける関係なのだから。

 だがまだ子供の響にとっては、ずっと家にいるはずなのに、地下に引きこもっているような俊には、不満があったのだ。

 母が子供用のギターを買ってきて、それで一緒に遊ぶこともある。

 しかし父がピアノを教えてくれることはなく、母もどこか悲しい顔をする。


 その理由の一つには、月子があるのだろうと分かっていた。

 一緒に暮らし始めたのは、月子の病気が理由であると、両親からは説明を受けている。

 そして自分の妹のはずの和音には、母以上に優しく接している。

 そんな月子のことも、響は好きだったのだが。


 母親よりも年上であるが、月子はどこか浮世離れしたところがあったのだ。

 両親からも尊重されているのを、響は自分なりに感じ取っていた。

 少しずつ弱っていく月子だが、変にやせ細ったりはしていない。

 だが少しだけ、肌の色がくすんでいるように見えたりはしたが。


 幻のような人だった、と後に響は語ることになる。

 この幼かったころの、本当に現実であったのかどうか、記憶が微妙な幼児期。

 彼がはっきりと記憶にあるのは、両親と月子の姿。

 そして多くの大人たちが、家を出入りしていたということ。

 年に数回しか会わない祖母とも、この時期は比較的よく会っていた。

 後にあの半年ほどの時間に、どういう意味があったのか。

 ノンフィクションの本として、彼は客観的に、それを知ることになる。


 子供の頃から大人びた子供、というのはいるものだ。

 俊などもそんな感じであったのだが、響にもそういうところはある。

 また俊と違って一人っ子ではなく、お兄ちゃんであることも影響したのだろう。

 和音の面倒を見るあたり、暁は安心したものだ。

 将来的には二人の関係を、どう説明しようかと考えたものであるが。

 どのみち父親は同じなのだし、産んだ母親も同じなのである。

 だから普通に、何も問題はないだろう。

 このまま月子がいなくなれば、和音は俊が引き取るという形になる。




 月子が死ぬということを、どうも実感出来ない。

 だが徐々に弱っていくことは見えていた。

 それでも歌っている限りは、ずっと歌えている。

 そのための間隔が、徐々に長くはなっていたが。


 歌えなくなった時が、死ぬときなのだろう。

 まるで本物のロックスターみたいだな、と暁は思う。

 不謹慎な話かもしれないが、月子は最後のロックスターになるのかもしれない。

 本人も自分の終りを、はっきりと感じ取っているだろう。


 人は必ず死ぬのだ。

 だからこそどう生きるのか、を考えないといけない。

 目の前のことだけをやる、という生き方もいいのだろうが、先のことまで考えないと、世の中は成り立っていかない。

 そのあたり目の前のことだけを全力でやる、アーティストというのは本当に世界から外れた存在だ。


 誰だって、いつ死ぬのかは分からない。

 月子の場合はおおよそ分かっていて、それが遠くないというだけだ。

 それでも医師の言っていた、半年という期限は過ぎていた。

 だが半年を経過しても生きているなら、ずっと状態が安定するかもしれない、という話も間違っていた。


 癌はどうやら、生命活動の致命的にならない部分を、食い荒らしているようなのだ。

 そこを犠牲にしてでも、月子の肉体は彼女を生かしている。

 もちろん実際に、そんなものが診断されているわけではない。

 だがそうとでも考えなければ、とても理由がつけられないのだ。

 そんな非科学的な現象が、どうして起こっているのだろう。

 

 生命力と言うよりも、なんだか不思議な現象であり、言うなれば奇跡なのだ。

 ただこの奇跡は中途半端なもので、病魔を駆逐していくことなどは出来なかった。

 車の中でも座っているだけで、月子の息は浅いものとなる。

 それでも立ち上がったほうが、まだしも楽である。

 歌っている間は、苦しさを忘れることが出来る。

 肺の周辺に異常がないのが、これまた都合のいい奇跡ではある。


 宇宙規模で見るなら、生命の存在こそが奇跡。

 そして生命においては、人間ではない動物でさえも、音楽のように鳴き声を使う。

 音楽と踊りというのは、古代の民族では全てに共通したものであったとも言われる。

 少なくとも文字よりは早く、音楽は生まれている。


 月子は血を残した。

 だが自らの子に、自分自身が伝えることは出来ない。

 その代わりに彼女が残した音楽は、人々に何かを伝えていく。

 俊も和音に何かを伝える時には、月子の歌を聴かせるだろう。

 俊自身が父の曲から、懐かしさを感じるように。

(父さんは本当に、こんな曲を作りたかったのか)

 マジックアワー時代の楽曲の方が、玄人の評価は高い。

 だが本当に爆発的に売れたのは、解散後に他のミュージシャンに楽曲提供を含めたプロデュースをしてからだ。


 時勢に合わせた曲、というのを作るのが上手かったのだろう。

 実際に年配の業界人は、懐かしそうに語ってくれる。

 だが本当にこれが優れているのか、という問いには俊自身が残酷な回答を持っている。

 本気で作った曲よりも、小器用に作った曲の方が売れた。

 そんな成功の仕方をしたからこそ、あんな死に方をしたのではないか。




 俊は本当に父のことが好きだった。

 だが音楽性としては、完全に反面教師としている。

 そんなところから自分の音楽を生み出したため、屈折したものがあったのだ。

 しかし月子の歌は、俊の蓄積の中から、本質的なものを生み出すことに成功させた。


 月子が終わる時には、俊の音楽も終わるのかもしれない。

 実際に今、俊は作曲のことについて、全く何も考えていない。

 枯渇してしまった、と感じている。

 それでもアレンジに関しては、技術の蓄積のようなものなのだ、おおよそは出来ている。

 月子を失った後のことは、もう考えない。

 正確に言えばどうしようもない、と考えている。


 音楽に限らず芸術家の多くが、己のインスピレーションを最大に発揮させる存在。

 俊にとっては月子がそうであったのだ。

 だから月子を失ってしまえば、もう自分は終わるだろう。

 充分に満たされてしまった、ということもあるのかもしれないが。

 月子と共に、自分の音楽の創造性も、消えてしまってもおかしくない。

 むしろ本望だとすら考えている。


 10年続いて、そしてずっと記憶に残るユニットにしたかった。

 それがバンドになって、そろそろ九年目になる。

 いつの間にか30歳になっていて、若手とは言えない年齢になっていた。

(トップを取ったとは言えるよな)

 アメリカでも何回もツアーをしたし、ヨーロッパも巡った。

 アジアツアーはもう少しやりたかったが。


 他のポジションは自分でさえも、代わりが務まるバンドである。

 だが月子だけはどうにもならない。

 これは彼女を中心としたバンドであるから、月子がいなくなればノイズの音ではなくなる。

 フレディが亡くなった後のQUEENが冴えないように、ノイズも同じ道を辿るだろう。

 他のボーカルの募集というのも、考えていない俊である。


 セッティングをしっかりとして、軽くリハをやってみる。

 ステージの上の月子は、歌う時は力が漲っている。

 しかし何曲も連続で、前のように歌うことは出来ない。

 千歳がメインの曲も入れて、上手く休ませていく。

 そしてコーラスの部分は、MOONを使えばいいのだ。


 AIによる歌唱は、まだ人間を上回ることがない。

 濁りがなさすぎて、人間性を感じさせないのだ。

 もちろん上手く使ったなら、コーラスとしては使えなくはない。

 俊がMOONの開発に賛成したのは、そもそもコーラスで機械的に歌った方が、不気味さの演出になると思ったからだ。

 それがこんなことに役立つとは思わなかった。


 月子が新たに歌うことがなくなれば、多くのボカロPが今よりも、ずっとMOONを使い始めるかもしれない。

 それは月子がいなくなってしまっても、新たに月子の声で歌われるということだ。

 もちろん本来のものに比べれば、ずっと劣るものではある。

 しかし今の時点でも、既に使われて流れている曲はある。


 ソフトの中の声とはいえ、月子の存在が残っていく。

 そして新しい曲を、どんどんと歌っていくのだ。

 もっとも俊がMOONのソフトに、それほど期待していることはない。

 より高度なAIであっても、まだ満足のいくものではないのだ。

 下手なエンジニアが作った音源程度になら、近いものが出来るであろう。

 だが心臓の鼓動のないボーカルには、感情の衝動を感じさせることは出来ない。

 少なくともそれで、俊が満足することはないのだ。




 準備は全て終わった。

 このライブが終われば月子は、もう入院する準備を済ませている。

 痛みはないものの、体内の異物感と圧迫感は、徐々に動きを制限していく。

 ライブで全力を使い果たしたら、おそらく体力が回復することもない。

 また今日もこれから、病院に行って栄養剤の点滴を打ってもらうのだ。


 食欲もなくなってきているが、そもそもエネルギーを吸収できていない感じがする。

 だから純粋な糖分を、口にすることが多い。

 水分と糖分と、わずかなミネラル。

 これだけでは動けないから、点滴でエネルギーを入れるわけだ。

 下手にエネルギーを吸収すると、癌が進行してしまう。

 もっとも血管を通っていく以上、やはり癌にもエネルギーは届くのだが。


 完全に大腸を切除して、あとは肝臓の移植などにも成功していれば、とも言われる。

 ただ肝臓移植というのは、適合するかどうかという問題がある。

 月子の場合は兄弟もなく、両親も死んでいる。

 叔母にしても不適合であるとは、早めに判断されていた。

 そもそも大部分の移植をして、癌の転移がなかったかどうか。

 そのあたりはQOLを考えて、医師は患者に説明を行うことになる。


 前兆である便秘のあった時期に、大腸を全適して人工肛門にしていれば、おそらく転移はなかったのではないか。

 それでも遺伝的に、60歳までに死ぬ可能性は高かった。

 根本的にそこから発症することが多いが、他の部分からの発症も多い。

 だからもう、どう生きるか、ということを考えるしかなかったのだ。


 ライブが終われば入院して、もしもまた立ち上がることが出来たら、まだまだ歌いたい。

 俊の作った曲の中で、完成させたものは全て、月子のレコーディングは済んでいる。

 だが完全なものという意識はなく、俊としては妥協しているものがあるのだ。

 それでも幾つかのテイクがあるので、後から調整すればいい。

 歌いたいと思っているのは、完全に月子の気分である。


 俊もライブのための演出など、ふらふらになりながら終わらせた。

 準備期間があまりにも短かったが、それでもどうにか終わらせたのだ。

 満足のいくものにするため、また睡眠時間が短くなった。

 これは月子のラストライブである。

 たとえ奇跡が長く続き、もう少し長く生きられたとしても。

 ライブが出来るまで回復することは、まずないであろう。

 月子もそれを充分に理解している。


 打ち込みの最終調整をする俊は、どこまでも妥協がない。

 そもそも創作というものは、本当の完成などありえないものなのかもしれない。

 これこそ完璧だと思ったものが、後に見ればまだ不完全なものと分かる。

 だからノイジーガールや霹靂の刻などは、何度もリマスターしてあるのだ。

(ちゃんと眠った方がいいんだろうけど)

 暁はそう思うが、おそらく俊は眠れないだろう。

 自分もここまで、寝つきが悪いのは初めてだ。

 これまで多くの人々が詰めていた俊の家は、今はかなりの人数が撤収している。

 ラストライブへの朝が来る。




 自分はいい母親ではなかった、と月子は思う。

 そもそも代理出産を頼んでいるし、生まれてからも多くを他の人に委ねてしまっていた。

 赤ん坊の可愛いところばかりを、自分は見ていたのだ。

 ただそれを責める人間は誰もいない。


 子供にとって親というのは、どういう存在でいるのか。

 月子は具体的なエピソードではなく、印象として両親のことを記憶している。

 海の匂いのする父親と、暖かな母親。

 それに包まれて生きてきた人生が、五歳で終わった。


 他の人間に比べれば、幼少期の記憶が少ないと、月子は言われる。

 ただあの衝撃によって、忘れてしまった記憶があるのではないか。

 月子の持つ障害は、ある程度は分かっているものである。

 だが脳の機能の一部がおかしいのだから、他の部分も微妙におかしい可能性はある。


 子供の記憶に残ってやること。

 優しく抱きしめてやること。

 そういったことを全て、自分は出来ないのだ。

 おそらくはあと一週間。

 それぐらいしか時間は残っていないだろうな、と月子は感じている。


 日記を書くのが難しい月子は、音声でメッセージを残した。

 必要な時には、和音に聞かせるために。

 また暁の子供である響も、月子は甥っ子のような感覚で見ていた。

 栄二のところの陽鞠もそうだが、ノイズはメンバーの子供たちを可愛がる傾向にある。

 特に響の場合は、レコーディングをする俊の家で、ずっと会うことになっていたのだ。

 それにこの半年は、月子はずっと世話になっていた。


 響と過ごした日々も、かけがえのないものである。

(人間って、むしろ死ぬ直前の方が、やるべきことが分かるのかな)

 ただ月子のように、若くしてしに向き合うというのは、また違うのだろうが。

 祖母の死はどうであったろうか。

 春を迎える前に、祖母は亡くなった。

 わずかに入院しただけの、そんな後であった。

 それまでずっと、背筋を伸ばして生活するような、そんな人であった。

 月子にとっては厳しい人であったが、最後まで月子の心配をしていたことは確かだ。


 叔母にとっても自分は、負担ではなかったか。

 彼女は女性でありながら、自分の性自認が男性に近いと言っていた。

 単純にものぐさなだけではないかとも思ったが、少なくとも性愛の対象は、女性になるのだと言っていた。

(難しいなあ)

 生きていくというのは、本当に難しいことである。

 これだけはっきりと、生きるということを考える今、難しいと感じている。

 俊の作る曲の歌詞などが、どうしてあんなにも苦しいものなのか、月子はようやく分かってきた気がする。

 楽に生きるだけならば、俊はいくらでも楽に生きられただろう。

 だが楽しみのために生きるならば、乗り越えなければいけないことが大量にあった。


 歌詞のイメージの保管のために、俊はその言葉で、月子に多くのことを語った。 

 それは他のメンバーにもそうであったが、特に月子には多く語ったのだ。

 暁との間には、ほとんどそういうことがなく、二人の音楽でのつながりが、しっかりしたものだと気付いたものである。

 だが別にそれに、嫉妬などはしない。

 暁も俊と同じく、音楽のためだけに生きてしまい、それで人生を難しくしてしまったのだ。




 朝が来る。

 今日もまだ、朝が来たのだ。

 動かない体を、少しずつ動かしていく。

 特に背中のあたりは、起き上がろうとしても起き上がれない。

 少しずつ力を入れて、痛みの中で起き上がる。

 痛いということは、まだ生きているということである。

 苦しみも悲しみも、全ては生きているからこそ。

 だからこういったものも全て、歌にすることが出来るのだ。


 せっかくの三味線が、もう弾く力がないことが、少し残念ではあった。

 あまり誉められたことがないが、それでも三味線に関しては、祖母も先生も誉めてくれた。

 だから京都に行く時も、捨てることなく持っていったのだ。

 あちらで周囲に溶け込むために、上手く使ったということもある。

 東京に持ってこなかったのに、結局は使うことになったが。


 霹靂の刻はノイズの音楽の中で、かなり重要度の高いものである。

 他に受ける曲のほとんどは、俊が作ったものだ。

 しかしこの楽曲によって、ノイズは海外にも知られることになった。

 そこからずっとノイズは昇り調子だったのだから、音楽性以外の面でも、重要な楽曲となった。


 俊に新たな世界を提供したのも、この曲である。

 ノイズが日本から世界に出た影響は、かなり大きなものがあった。

 その中でも一番の影響を持つのが、この曲であったのだ。

 つまり月子の果たした働きは大きい。


(わたしはやりきった)

 今日が最後の日であれば、果たしてどれだけのことをするだろう。

 そう思いながらずっと、月子は歌い続けていた。

 そしてまだ心臓は動いていて、ライブの日を迎えることになっている。

(色々とあったけど、悪くはなかった)

 他の人間がどう思っても、月子は充分にやることはやったのだ。

 ただ生きていくだけでも、普通に人間には価値がある。

 だが月子はその人間の社会の中で、巨大な虚像となったのだ。

 自分がなったのは、最初に思っていたアイドル。

 偶像になったのが皮肉だな、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る