第394話 ラストダンス
時間の流れを感じない。
俊は不思議な状態にあった。
ライブをしたいという、月子の言葉。
ならばしようという話になるが、大きめのハコはそう空いてはいない。
小さくてもいいのだが、一つだけ俊は条件をつけて考えている。
公演側で録画撮影が出来るという条件だ。
ノイズはこの半年以上、ライブを行っていない。
以前の長い休止期間は、アメリカでのレコーディングと治療を行っていた。
それ以前だと暁が妊娠中でも、ヘルプを頼んでライブをやってはいたのだ。
現在は音源の配信はしているし、すごい勢いでMVも作って、発信はしている。
どういう勢いなんだ、とSNSなどでは話題になっている。
普通の売れているバンドが、こんなペースで発表することはないのだ。
俊も月子も、そしてノイズのメンバーも多くが、それを見ていても気にしなかった。
もう終りが近づいているのだ。
それが分かっているだけに、ノイズの活動は未来のことを考えていない。
(大きなハコはスケジュール的に無理だから、多くても200人ぐらいまでか)
俊は久しぶりに、こういったことを真面目に考えている。
狂気の中で必死に、走り続けていたような気がする。
別のドラッグやアルコールがなくても、ミュージシャンは音楽で酔えばいい。
そう思ってたくさん、楽曲を作り上げたのだ。
この数年の間にも、潰れたライブハウスがあったり、改装したりしたライブハウスがあった。
オーナーが趣味でやっていた店ほど、意外と残っていたりする。
あるいは節税のためにやっていた店なども、そのままの姿である。
今回は儲けも度外視してしまっていい。
本当ならば物販こそが、今のバンドの生命線なのだが。
多くのミュージシャンが、全盛期はせいぜい三年。
もちろん実際には、しっかりと地方ライブなどで稼いでいるものだ。
東京でまず稼いで、地方にまである程度の知名度を届ける。
そして東京で稼いだ金で、地方のツアーもするのだ。
(もう二度としないだろうな……)
まだ30歳の俊は、ミュージシャンとして下り坂というわけではない。
だがもう一度バンドをやるかというと、それはもうないと言える。
とても輝いていたのだ。
充実していて、時間が過ぎ去るのは早くもあり、遅くもあった。
優れた作品は体感速度を変える。
それと同じことが、作る側にも作用していた。
スポーツ選手の活躍が、多くは20代で終り、残りは人生となるように。
俊の人生もまた、主役になる時間は終わったのだ。
あとはただ、生きていけばいい。
もっとも暁は母親をやりながら、しっかりとギターもやっている。
子供用のギターを、既に響に与えたりはしている。
もうすぐ終わるのだと、誰もが分かっていた。
だが本当の終りの感覚というのは、どういうものであるのか分かっていない。
終わらないものなどはない。
だからこそ人の営みは尊いのだ。
(ざっと神話で2600年、歴史で1500年ほど続いているこの国も)
やがては消え去るか、形を変えることはあるのだろう。
俊はデジタル音源だけではなく、アナログ音源も残している。
CDよりもLPの優れている部分の一つは、そういった記録媒体としての機能だ。
もちろん完全なデータとしてなら、ほとんど分からないぐらいの音になるのだが。
「ほら」
俊が場所を探し始めてすぐ、白雪がチラシを持ってきた。
ライブハウスが新しく出来て、その内容を簡単に書いたものだ。
「今どき紙のチラシ……」
「フィジカルで残るっていうのは、悪いことじゃないからね」
なんでも白雪の古くからのつながりで、オープニングのアーティストを探していたらしい。
収容人数は200人ほどで、悪くはないものだ。
設備にしても全て、俊の出した条件を満たしている。
出来ればどこか思い出の場所で、というのは都合よく上手くいかない。
変な感傷は無視して、最善の選択をする。
今の俊はまた、冷徹な状態に切り替わっている。
逆にその切り替わり方が完全すぎて不自然である。
ワンマンで二時間をするのは、月子の体力的に無理だ。
それが分かっている白雪は、自分の予定も空けている。
月子と白雪の音域は、それなりに近いものである。
セットリストを少し変えれば、彼女が歌えるものでどうにかなる。
そんなことを言っていたら、花音が顔を突っ込んできた。
「歌いたいの?」
頷く花音は基本的に、今も無口で不思議ちゃんなところがある。
ノイズのステージである。
だがヘルプのように入ってくれるメンバーが、この面子ならば文句も出ないだろう。
ゴートがドームで行ったのと、同じレベルのイベントライブ。
さすがにケイティはまた帰国しているが、このライブを見るためだけにまたやってくるかもしれない。
セットリストはかなり、新しい曲が中心になっている。
するとメインボーカルは、当然ながら月子になる。
しかし休ませるためには、千歳がメインで歌う曲も必要だ。
数は少ないが、そういう曲も新しく出している。
単純にノリやすい曲というなら、こちらの方が多いかもしれない。
ライブの企画など、普段の俊ならすぐに立ててしまえるはずだ。
しかし今の俊は、また計算をしっかりしようとしている。
脳を酷使する人間は、メンタルをやられることもある。
そしてメンタルをやられては、二度と元のようには戻らない。
ただこういう創作系の人間は、無茶が本人にとっては無茶ではない。
感情を外から揺さぶられない限りは、なんとかなるのだ。
映像を撮影する設備もついている。
ただオープニングのため、音響を一度確認しないといけない。
そのために俊は一度、そのライブハウスを訪れる。
「あ、あたしがですかああ」
月子はベッドで横たわっていて、代役に楓を連れて行く。
別に白雪でもいいのだが、あまり外を出歩いていると、色々と情報が洩れていくかもしれない。
楓の声は今の月子に比べると、ずっと柔らかいものだ。
それこそ楓の木の枝が揺れるように、柔らかな風のように届いていく。
月子の声は鋭さを持っている。
これまでになかった真骨頂、とオーディエンスは勘違いするかもしれない。
だが月子を限界まで鋭く研げば、こういう歌になっていくのだ。
楓は月子の歌をずっと聞いている。
自分の声に比べると、ずっと強い歌になるのだ。
レコーディングで歌っている間なども、まるで発光しているように感じることがある。
月と言うよりはまるで、太陽のような存在。
自分も子供の頃、ずっと体が弱かったので、死ぬことを恐れたりはしていた。
いや、怖いのは死ぬことではなかったかもしれない。
いっそ死んでしまった方が楽なのでは、と何度も思ったことがある。
月子の半生を知っていると、彼女にもそんな時間があったのでは、とも思うのだ。
「わたしは死にたいと思ったことはなかったかも」
辛いとか苦しいとか、そういうことはいくらでもあった。
だがその先に死への逃避があるとは思わなかった。
死んだら両親に会える、などとも思わなかった。
不思議な話だが、月子にはそういう考えがなかったのだ。
(不思議な人)
楓はそう思ったし、実際に楓はこの後、ポストルナなどとも呼ばれることになる。
ノイズの新メンバーになることなどはないのだが。
月子は最後まで生きようとしている。
彼女にとって生きることは、歌うことだと自分で決めた。
強要されてしっかりと力を付けたし、生活のために俊の提案も受けた。
だがステージで歌うことにいつしか魅了されていった。
歌わなければ生きている意味がないとか、そんな悲壮なものではない。
ステージの魅力というのを、はっきりと感じるようになったのは、既にメイプルカラーにいた時からだ。
しかしノイズに入って、数万人が大地を埋め尽くす中で、フェスで歌ったのが大きい。
もうあんなことはないのだろうな、と思う。
あと一度、ステージに立ちたい。
だがフェスのステージに立つには、もう体力も時間も残っていない。
「時間が急すぎるけど、週末のオープニングに決まった」
俊はハコの確認をしてから、そうメンバーに告げた。
いざという時のこと、を考えている。
そのためにメインでボーカルが出来るような、白雪と花音が呼ばれている。
そんな中に自分がいるのが、不思議な感じがする楓であるが。
二時間のステージになる。
ある程度は休み休みにやらないと、月子がもたないであろう。
ステージ下で演奏を聞きながらも、いざとなったら上がってフォローをする。
そんな無茶な計画を、俊は立てていた。
随分とあちこちに借りを作ってしまったが、それはもうこの先の人生で返していくだけだ。
返すほどの力が、自分に残っているのかも疑問だが。
ライブハウスは大々的にオープニングのアーティストの宣伝をする。
そしてノイズも臨時ライブというのを、あちこちの媒体で発表した。
タイミングがあまりに近いが、それでもチケットはすぐに売り切れる。
(ステージの上で真っ白な灰にならないでよ)
阿部は責任者としてそう考えているが、それで月子が満足するなら、それでもいいとさえ考えている。
損得の計算ばかりしているなら、音楽業界などで働かないのだ。
才能の爆発というものを、ノイズはずっと見せてきていた。
おそらくこの先の人生で、これほどの物語に触れることはないだろう。
(伝説を見たかった)
60年代から70年代、そして90年代さえもまだ、伝説はあった。
(けれどこんな形では見たくなかったな)
阿部はそう思いながらも、事務的なことを全て行っている。
医師からも現在の月子の状態を知っている。
彼女の叔母も、何度かは東京に来ている。
一時的に京都から、月子が借りたままになっている、マンションに宿泊している。
そこで自分の仕事をしながらも、月子の様子を見に来る。
そしてなぜか作詞を、千歳と一緒にしていたりもするのだ。
「まあ締め切りは終わらせたからいいんだけど」
今の彼女は小説の連載ではなく、雑誌のエッセイの仕事を持っている。
もちろん小説を書かないというわけでもない。
月子が渦の中心になっている。
こんな状況があるというのは、ちょっと理解出来なかった。
小説家というのは自分自身と、あとは少しだけ編集の手が加わるもの。
音楽というのは自分で作曲と作詞をしないのなら、誰かの作ったものを歌う。
しかし俊と作る曲は、月子の声にぴったりと合うものなのだ。
バンドはそれぞれの楽器で演奏をする。
今はもう打ち込みで、かなりの楽器の代用が利くのだ、とも聞いていた。
しかしノイズの音は、それぞれのメンバーの演奏が、ぴったりとはまっていく。
そして逆にずらすことすら、この六人の中では出来るのだ。
レコーディングにはその、阿吽の呼吸のライブ感がない。
アドリブがないために、意外性というものもない。
だが何度も聞く音源は、それでいいのだろう。
ノイズはライブをかなり大きな会場でも行ってきた。
それを録画したものを、ライブ音源として流したり、あるいは曲ごとに切り取ったものを流したりもする。
しかし一つの公演を丸々、録画したものを販売もするのだ。
こういったものにはさすがに、俊の管理は届かない。
MVとも違い、こういったライブの映像は、ネットで何度も見られている。
音だけでは分からない、当時のパフォーマンス。
本当はライブであれば、もっとその熱量を感じられる。
生きているからこそ、行うことの出来るもの。
まさにライブという意味がそこにある。
チケットはすぐに売り切れた。
ここ最近のノイズが、集中的にレコーディングを行っていることは、新曲の発表から分かっている。
それがなんのためか、は分かっていないだろう。
大規模なツアーを行うための、準備とでも思われていたかもしれない。
新曲がたくさんあれば、それをライブで聴きたいと、思うファンも多いだろう。
ノイズはレコーディングも行うが、しっかりとライブもするバンドだ。
もっとも儲けのためだけなら、ライブもさほど必要としないのだが。
俊はボカロPとして、己の曲のクオリティを上げることを考えていた。
だが爆発的な人気を得るためには、シンガーが必要だと思っていたのだ。
人工の声では、絶対に届かないものが、人間の声にはある。
感情のノイズこそが、本当に人の心を動かす。
少なくとも今はまだ、機械の声には負けていない。
50年も前のLPを聴いても、むしろその頃の方が、生命を感じたりする。
アナログであるということは、それだけクリアになっていないということ。
クリアな月子の声に、クリアではない感情が含まれる。
それが衝動となって、上手く聞くものに伝わるのだ。
世間の見方ではこのライブは、大きなツアーの前哨戦とでも思われているらしい。
そういう見方が主流であり、もしそうであればどれだけ良かったことか。
月子が病気であったことは知っていても、ここ半年はずっと、新曲は出し続けていたのだ。
だからまさか、これが最後などとは分かっていない。
変に哀れみを買うことなどはしない。
ノイズは必要であるが、雑音にも種類はある。
このライブは最後のライブだが、多くのライブの中の一つでもある。
俊はほんのわずかな準備期間で、演出から何から、全てを考えていく。
ノイズのライブはMCが少なく、たくさんの歌が聴けるのでお得だ、と言われていたりする。
もっとも普段は歌ばかりであっても、時には直接の言葉を聞きたいと思うかもしれないが。
その内容に関しては、今回はあまり考えていない俊である。
新曲をメインに持ってくることは決めているが、最初の曲は既存のものから持ってくる。
空気を暖めてから、新曲につなげていくのだ。
七月の空気だ。
熱量が最大化する前の、あの期待に満ちた空気。
最後の夏だ。
(来年はもう、わたしはいない)
月子も自分の体のことは、はっきりと分かっていた。
(おそらくは秋も……)
完全燃焼させる。
他の人間には多くの迷惑をかけるだろう。
だが月子は珍しくも、エゴをはっきりと出している。
死の間際になってまで、抑えておく必要などはないだろう。
俊の注文にしても、厳しくも妥協しないものである。
なんで動けているのか、と医師も不思議に思っている。
月子もそれは、説明がつかないことだ。
しかしこの夏のために、何かが手助けしてくれたのだろうか。
「よし、あとはリハで合わせるか」
俊はスタジオでは完璧を求めない。
もうここで合わせてしまっても、意味がないと分かっているのだ。
常に計算して、その結果として最高のパフォーマンスを出して来た。
しかしもうその練習のための余裕さえ、残っていないのだ。
月子は歩いて立っている状態は、なんとか普通に動ける。
だが横になって起き上がった時などは、かなり苦しくなるのだ。
充電の出来ない電池のようなものだ。
残っている力を全て、歌うためだけに使う。
自分の生きてきたことには、ちゃんと意味があった。
あの時、自分だけが生き残ったことには意味があったと、世界に証明しておきたい。
「もう充分に証明している」
誰かがそう言った気がしたが、それはもちろん錯覚である。
死ぬということを、月子は悲観的に考えていない。
死を間際にしてようやく、歌に乗せられる感情というものがある。
それを他の人間であれば、ドラッグや酒をつかって、自分を追い込む必要があるのだろう。
しかし今、死は自分の味方だ。
人には必ず訪れるもの。
それでいながら月子が、歌うことを邪魔したりはしない。
食事は出来るだけ、純粋なエネルギーを吸収するためのものだけにする。
頻繁な水分の補給はするが、汗となって流れてしまう。
体を冷やしすぎると、それだけ熱量がなくなってしまう。
どうやったら自分を上手く使えるか、まるで説明書がついているような気分だ。
孤独に死ぬ者がいるだろう。
苦痛の中に死ぬ者がいるだろう。
突然に死ぬ者の姿は、自分がよく知っている。
祖母も死の直前まで、しっかりとそんな様子を見せなかったものなのだ。
(そちらに行くのかな)
天国や地獄ではなく、また死後の世界というものでもない。
だが死んでもまだ、その価値自体が失われるわけではない。
月子の歌は残るし、少ないながら曲も残る。
ただこの三味線は、果たして誰に残したらいいのか。
もうステージで弾くほどの、体力が残っていない。
少し休み休みになりながらも、マイクスタンドに寄り添って、歌っていくしかないのかもしれない。
(最後の時間をたっぷりくれて、これだけの準備が出来た)
それだけで充分に満足だ。
あとは最後に、何を伝えるか。
歌うことによって、オーディエンスには伝わるだろう。
だが他にメンバーたちに、伝えないといけない言葉がある。
それを伝えるのは、言葉でなくてもいいのかもしれない。
しかしそれを伝えることこそが、月子に残された最後の役割だ。
歌うことによって伝えなければいけないこと。
ライブの中でしか、それは伝わらないことであろう。
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