第190話 彼の居場所
俊の音は優しくなったような気がする。
それを物足りないと考えてしまうのが、暁であったりするのだが。
普段からあまり他人と接することなく、友人を作ることもないのは、その感性がちょっと前のものであるため。
終末論、アンチキリスト、戦争絶賛のいかれた楽曲なども好きなのだが、本質的にパンクは嫌いであるという、ちょっと変わった価値観なのだ。
過激なことばかりをしたいわけではない。
だが安穏とした空気の中にいれば、自分の音楽の純度が下がってしまう気がする。
ノイズというバンドは、根本的には俊と月子のバンドなのだ。
この二人の、己の欠けた部分を埋めようとする力により、ノイズの音楽は生まれている。
暁がやっていることは、その動きにブースターをつけて、ロケットのようにかっ飛ばすものである。
後先考えないロックンロールを演奏して、リズム隊に必死で合わせてもらう。
ずっとそうやってきたし、これでいいのだと思っていた。
だが俊の持っている雰囲気が、少し変わっている。
あの彩が訪ねてきてから、音楽の鬼であるはずの俊に、不純物が混じっているような気がする。
普段の暁ならそれを、心配してやることも出来る。
しかしギターを持ってステージに立てば、ドーパミンなりエンドルフィンなり、脳内麻薬に溺れることになる。
ギターを叩き壊すことはないが、その演奏はひどく攻撃的にもなる。
今回のフェスにおいても、演奏するセットリストの中には、ノイジーガールが含まれている。
一番最初にライブで演奏した、まだ未完成だったノイズを作り上げた曲である。
既に完成されているこの曲だが、演奏するごとに暁のリフにはアレンジが加わる。
永遠に変化させ続けるような曲が、このノイジーガールなのだ。
そしておそらく、この曲にソロでアレンジが入れられる限りは、ノイズも成長し続ける。
もう一つのノイズの代表曲は、霹靂の刻である。
月子が作曲はしたが、現代のポップスに寄せるためには、他のメンバーも苦労して完成形にしていった。
それでもクレジットされている作曲者は、月子なのである。
海外のアニメーションで使われるということで、これも有名になっている。
MVへのコメントの中には、外国語によるメッセージなどもあった。
それだけ拡散しているのだが、おかげでノイジーガールの方にも、その鑑賞者は流れてきている。
タイムテーブルが回ってくる前には、少し心配もしていた。
だが実際のステージが始まってしまえば、いつも通りに指揮者のごとく、シンセサイザーを操っていく。
俊としても他のミュージシャンの演奏を見て、刺激を受けているのだ。
特に衝撃的であったのは、あのミステリアスピンクの演奏だ。
どれもこれも方向性の違う個性を持っていたが、最後の曲は長すぎた。
おそらく10分以上もあった曲で、しかもそれを飽きさせなかったというところが、らせんの作曲能力の異次元さを感じさせる。
70年代などは実験的な曲が多く、確かに長い曲もあった。
日本でも90年代のヒット曲には、五分をはるかに超える大曲があったりする。
ただこれには商業的な理由もあって、曲の長さが一定以上だと、二曲分の印税が入っていたというのもあるのだ。
ボカロ曲は基本的に、イントロ短めいきなりサビ、全体で四分もない、などという曲が多かった。
それはより近年には顕著で、フォニイなどは三分ちょっと、グッバイ宣言なども三分弱と、短い曲が揃って覇権曲などとも呼ばれる。
もちろん歴代で見てみれば長い人気曲もある。
ただノイズをユニットとして組んだあたりでは、まだ俊の感覚はボカロP寄りであったのは間違いない。
短いとか長いとか、そんなことを考える必要はないのだ。
ボヘミアンラプソディは六分ほどにもなる曲であるし、天国への階段など短いバージョンでも八分もある。
もちろんQUEENもツェッペリンも長い曲だけではなく、短い名曲もたくさん作っている。
これはビートルズも同じことであるが、ロックの中でもプログレシブロックは、割と長いものが多い印象がある。
ノイジーガールにしても、イントロやソロの部分を足していったのは、ほとんど暁である。
千歳と二人で作ったツインバードも、ギターソロの部分が多くて比較的長い曲になっている。
現在は、基本的に全体が、短い曲を好む傾向にある。
それは一つには、やはり切り抜きで踊ってみたなどをしているからであろう。
ギターの超絶テクニックなどは必要なく、面白いリズムと歌詞にだけが、興味の対象になっていく。
だがそれは本来の、表現したかった部分まで切り取っていってしまっている場合がある。
俊としては、そこはある程度割り切っている。
何度も聴くようなものであれば、短く凝縮させたものにする。
だがライブであれば話は別だ。
その場で新しいアレンジを生み出していくのは、やはり暁が一番多い。
才能と言うよりは、幼少期からの音楽漬けで、もう反射的にリフを付け足してしまうのだ。
ロックと言うよりはジャズっぽいソロを弾いたりもするが、魂はロックなのである。
この日も霹靂の刻においては、月子の三味線と対抗するように、勝手なアレンジを入れてくる。
そういうことをされると、事前に打ち込みで音を作っている俊が、一番大変なのである。
だがもう慣れたこともあり、キーボードで上手くつないで、そこから元に戻したりしている。
咄嗟にこういうことが出来るのは、才能と言うよりはお互いに対する理解による。
音楽データの蓄積については、俊と暁が一番多い。
それでもギタリストの時代は、もう主流ではない。
月子のハイトーンボーカルによって、一気にオーディエンスは盛り上がるのだ。
これに千歳がコーラスでハモっていくと、より熱量が高まっていく。
インストバンドを否定するつもりはないが、やはりボーカルはバンドの顔なのである。
MCを今日は、それなりに他のメンバーにも語らせていく。
だが根本的に、メンバー以外には消極的な月子は、どれだけ歓声を浴びせられたとしても、その本質が変わることがない。
歌っている間だけは、最強の存在になっている。
俊を彩の呪縛から引き剥がしたのは、やはり月子の歌なのだ。
霹靂の刻の後には、俊の作った荒天を演奏する場合が多い。
月子の三味線をそのまま連続で使うため、時間に余裕が出来るからだ。
一時間弱の時間であれば、完全にもうオリジナルだけでステージが成立する。
ただライブハウスでやる時は、相変わらずカバーも演奏するのだ。
これはライブハウスがそもそも、他のミュージシャンのカバーをする上で、契約をしているからというのが大きい。
フェスなどであったり、コンサートホールであったりすると、また別途許可を得る必要があったりする。
もちろん事務所に所属している今、そういった作業は任せてしまってもいい。
むしろそういうものこそ任せてもらって、その分の時間を曲作りや練習に使ってほしいというのが、阿部などの見解である。
ワンマンの二時間公演であると、全体のバランスを考えて、既存のカバー曲をしたりもする。
ただ最近はライブハウスのワンマンぐらいでしか、新規のカバー曲を演奏はしない。
ライブハウスのライブでは、だいたいアンケートが取られるので、そこで評判を確認するのだ。
ノイズの音楽の方向性は、基本的に商業主義の範囲内で、どれだけ独自性を出せるかというものになる。
しかしそれなら、マイナーな80年代アニソンなどのカバーをする必要はない。
自由であるということが、ノイズの最大の特徴であろうか。
シンセサイザーと打ち込みを使って、ものすごい幅の演奏をすることが出来る。
それでいてリードギターやボーカルなどは、完全に独自のものであったりするのだ。
ライブのステージの上では、解放されるものなのだ。
普段の立ち位置などは関係なく、自分をそのままに出していく。
そんなフィーリングが伝わっていくのが、アーティストなのだろう。
しかし俊の場合は、ライブパフォーマンスよりは、レコーディングなどをしている時の方が自分に合っていると思う。
そのあたりエンターテイナーになりきれない自分を感じる。
アーティストではあっても、芸術家であり作曲家やエンジニアに近い。
舞台に立って爆発させるのではなく、フィルムを編集する映画監督に近いと言うべきか。
音楽に対する情熱は同じであっても、その方向性が違う。
コンポーザーというのはそういうものであろう。
いずれは作曲だけではなく、大きなステージの演出全体も考えていくのかもしれない。
もっともそういったライブに関しては、実際の演奏の中で予想を超えてくるものがある。
計算では成り立たない、つまり計算外のケミストリー。
自分にはないものであるからこそ、誰かにそれを求めていくのだ。
俊にそういう才能があるのは、ノイジーガールのMVを作った時点で明らかである。
才能やセンスなどとは言わず、蓄積されたものが生み出した、脚本やカメラ、そして監督としての実力であろうか。
もっとも本人としては、あの短いMVを作るために、時間をかけすぎたという感想を持っている。
出来ればライブ映像などを使って、他の曲も配信したいとは考えている。
だが今はまだ、やることが多すぎるのだ。
タイムテーブルがシビアなので、アンコールは一曲のみ。
これにてノイズの本年度の演奏は終了である。
あとはここから年越しまで、ヘッドライナーたちのステージを見つつ新年を迎えるのみ。
「どこのステージ見る?」
「MNRと永劫回帰、どっちも見たい~」
「トップの永劫回帰と今が爆発中のMNR、選ぶのは難しいな」
ただMNRも比較的新しバンドであり、永劫回帰はかなりのベテランではある。
常に新しいものを、と考えるならMNRであるだろう。
しかし人気をずっと持続させる、永劫回帰を見るのも悪くはない。
「俺はMNRを見てくる」
「う~ん、わたしも」
「あたしもそうする」
「あたしは永劫回帰見たいな」
「俺もそうするけど、栄二さんは?」
「俺はパイレーツ見てくるわ」
俊と月子、暁がMNRで、信吾と千歳が永劫回帰、そして栄二がミュージカルパイレーツというバラバラになった。
栄二の場合は師匠筋がパイレーツのドラマーなので、そのあたりも関係しているのだろう。
俊が興味を示すMNRは、比較的新しく人気が爆発したバンドだ。
メンバーとしてはベースボーカル、ギター、ドラムというスリーピースバンドだ。
ドラムが男で、残りが女二人という、ちょっと珍しい構成をしている。
元々メジャーレーベルからかなりの力を入れて売り出されたのだが、本格的に人気が爆発したのは今年からと言える。
MNRというのは略称で、正式にはミッドナイトレクイエムというのが正しい。
コード進行は基本的なものが多く、ギターのリフも過去の楽曲などを上手くインスパイアしている曲が多い。
だがそれがパクリと感じない、絶妙な調和が取れている。
ボーカルの白雪が作曲作詞を主にしていて、リーダーシップを取っている。
ただドラムの爆音と、ギターの早弾きテクニックなどは、若いのに優れたものである。
俊が今のところ、まだまだ勝てないと思っているバンドの一つである。
「白雪さんの声、ちょっと他にはないよね」
うっとりと月子は言うが、俊はかなりkanonに似ているとは思う。
kanonの声はさらに淡く、完全に才能と言うか素材に依存した声であるが。
白雪の曲はかなり難しく、歌うメロディもかなりリズムが取りにくい。
それを平然と歌ってしまうところが、不思議な印象を残してくる。
演奏する二人はとにかく、パワーとスピードといった感じで、特にギターの早弾きに関しては、限界が見えてこない。
純粋な技術だけなら、暁と対抗できる唯一の女性ギタリストかもしれない。
だが引き出しの多さが、年少の暁の方がずっと多いだろうが。
オーディエンスを熱狂させながらも、演奏する方は余裕たっぷり。
白雪はそんな貫禄まで見せ付けてくるが、他の二人は消耗している。
「たしかギターの紫苑はアキの三つ上だったかな」
「白雪さんは?」
「あの人は年齢不詳だけど、一番年上なのは間違いない」
実際に活動していたのは、白雪が一番早かったのだ。
そこにギターとドラムを足してバンドにしたのだが、元は白雪はギターを弾いていたと言われている。
ベースに持ち替えるあたり、ポール・マッカートニーもやっているが、ギターからベースに転向する人間は少なくない。そもそも信吾も両方出来るではないか。
MNRの演奏というのは、本当に不思議なものなのだ。
確かに優れたものであるのは間違いないし、言葉だけではなくフィーリングで伝わってくるものがある。
だがライブバンドであるのに、そこには熱量と言うよりは、むしろ哲学めいたロジックがあるように思う。
歌詞などもベーシックな語彙を使っているのだが、その並びが妙に哲学的めいていたりする。
プログレの血脈を受けながらも、EDMも含んでいて、R&Bまで自由に歌う。
だがどんな楽曲であっても、MNRだと分かる太い一本の柱が見える。
(今一番勢いがあるかな)
パイレーツなどは不動の人気、永劫回帰は今が最盛期、それに比べるとMNRの勢いは上回るかもしれない。
そのままステージは終了し、今年のフェスも全て終わった。
「難しいところあるけど、やっぱりさすがだわ」
暁はそんなことを言うのだが、俊としてはMNRのすごさと言うのは、バランス感覚ではないかと思う。
大衆性に近づきすぎず、芸術性を難解にならない程度に含んでいる。
届きそうで届かない、まさにスターといったところか。
特に白雪は、あれだけのパフォーマンスをしていても、平然とした表情を崩さない。
俊としても音源ではなく、直接ライブで聴いてみて、ようやくその奇妙さと恐ろしさが分かったものだ。
他の三人と合流すべく、バックヤードに向かう。
機材などは基本的にスタッフに任せるが、暁はギターだけは他の者には任せない。
そういったものはむしろ、運搬のプロに任せた方がいいとも思うのだが、これは暁の精神的な安定に関わる話だ。
そんな道中において、俊は見覚えのある人間を発見する。
「徳島さん」
ボカロPとしての名前は「らせん」である、本名は徳島が、すぐ目の前を歩いていたのだ。
振り返った徳島は、いつものように死にそうな顔をしていた。
いつもと言うと語弊があるが、ライブの直前から直後ぐらいまでは、こういう顔色で目の下に隈があるのだ。
「あ、サ……渡辺君」
どこか挙動不審で、常に自信なさげでありながら、その作る楽曲は尖ったもの。
完全に周囲に埋没すると言うよりは、陰のオーラが強すぎてむしろ目立つのが、徳島の特徴であった。
「MNRを見てたんですか?」
「あ、うん、あの人たちはまだ、ちょっと分からないから」
何がどう分からないのかとか、そういうところの言葉が足りていない。
だが俊にはなんとなく、フィーリングで伝わる。
コンポーザーとしての共通のことであるのだ。
徳島は一人きりで、ユニットのメンバーとも一緒ではない。
「ユニットの二人とは? 一緒じゃないんですか?」
「彼女たちは永劫回帰を見にいったから」
「一緒に行かなかったんですか?」
「うん、もう永劫回帰はいいや」
まるで関心がない、といった感じの徳島の言葉である。
前回会った時には、永劫回帰の音楽について、熱く語り合ったものである。
ただ思い出してみれば、それはもう二年ほども前になるのか。
「永劫回帰は、もういいですか」
「え、あ、そんな悪い意味じゃなくて、僕にはもういらないだけだから」
いや、それはひどい言い方ではないのか。
「もう全部分かったし」
俊の背筋が冷えてくる。
徳島は以前に、パイレーツの音楽に関して、全く同じことを言っていたのだ。
これまでの先人たちが作ってきた、多くの楽曲。
その特徴を引き継ぎながらも、ほんのわずかな変化を入れて、全く違うものにしてしまう。
俊から見たら天才であるが、徳島は自分のことを天才だなどと思ったことは一度もないらしい。
むしろ才能が全くないからこそ、他人のものを全て使って、曲を作ることが出来るのだと。
天才では、確かにないのかもしれない。
だが俊から見たら、間違いなく怪物である。
「今日はこれから打ち上げですか?」
「うん、皆にお疲れ様して、あとは眠るし」
「年明け、ちょっと時間もらえませんか? 相談と言うか、依頼になるかもしれないことがあって」
「依頼なら僕じゃなくて……あ、渡辺君ならいいか」
徳島は基本的に、コミュニケーションを取るのが苦手だ。
しかし向こうからやってくれば、ほとんどそれを拒否することはない。
やがてはその陰キャぶりに、ほとんどの人間は去っていく。
だが俊とはそこそこ、話が合うのだ。
自分には才能がないという、そういうところが似ているからかもしれない。
あくまで腰を低く、ぺこぺこしながら去っていく徳島。
「今の人、知り合いなの?」
「あれがらせんだよ」
月子の問いに答えると、奇妙な顔を月子も暁もしていた。
音楽をやる人間などというのは、おおよそ自己顕示欲が高い人間が多い。
ただ世の中には、そんな性格の向き不向きとは別に、音楽をやるしかない人間もいるのだ。
徳島ことらせんは、そういう人間である。
かつての時代であれば、絶対に埋もれていたであろう才能が、今は発掘されるようになっているのだ。
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