12章 ムーブメント
第191話 新時代
音楽は既に普遍的なファン層を形成しているミュージシャンがいれば、今がまさに売り時というミュージシャンも入る。
その中で時代の波に洗われても残るのが、アーティストと呼べるのだろうか。
もっともミュージシャンと言えばまだ技術職であり、真に創造的なのがアーティストだということも言えるだろう。
またこれとは別の価値観で、エンターテイナーというのもいると俊は思う。
アーティストの中では、ボーカルならフレディやジム・モリソンがそういうタイプだったのかなと思わないでもない。
俊は自分のことを、真の意味でのアーティストだとは言えないと思っている。
どうしてもビジネスとして、プロデュースして成功することが、頭の隅にあるからだ。
売れることなどを考えず、ひたすら純度を上げていくのが、本当の意味でのアーティストなのだろう。
そういう意味では自分は、父親に似ていると思う。
そして半世紀も後になれば、らせんこと徳島の名前の方が、この時代のコンポーザーとして残る可能性もある。
もっとも彼の楽曲は、あまりにもクセが強すぎる。
プロデューサーが上手くコントロールしているのだろうが、それでも資本主義のこの社会で、まずは売れなければ残ることさえ難しい。
日本の楽曲では、演歌がかなり人気を落としている。
あれは意外と新しい音楽なのである。
対して民謡などは、もう文化として継承されているので、むしろ残りやすいだろう。
あとは昭和歌謡なども、リメイクしたりしたカバーをやっている人間がいて、俊たちのそれもアニソンだがほぼリメイクに近い。
年末のフェスで俊は、改めて現在の音楽業界の勢力図などを確認した。
俊たちの事務所の陸音は、インディーズレーベルで曲を作っていて、その親会社と言えるのは実はメジャーのGDレコードである。
メジャーレコードがインディーズ用のレーベルを持っているというのは、今の時代では高度な柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処するためには重要なものなのだ。
そしてその中での勢力争いなども、俊は確認していっている。
これはミュージシャンやアーティストがすることではなく、サラリーマンがすることだなとも思いながら。
音楽の潮流というのは、ほんの数年で人気のミュージシャンをがらりと変えてしまう。
10年前に最先端を行っていたミュージシャンなど、トップ10のうち一つか二つしか活躍していない。
解散まではしていなくても、もはや往年の輝きはないというところだ。
だが10年生き残っていれば、その後も20年は生き残る。
俊の父は、およそ五年程が全盛期であったろう。
マジックアワー時代から数えれば、どうにか10年は生き残っていたのかもしれないが。
紙とノートPCの、二つで現在のレコード会社の売上、またミュージシャンのランクなど、そういったことを書いてみる
こういう場合は思考の過程が残る、紙が重要になったりする。
「ミュージカルパイレーツはこの中だと、10年生き残ったバンドになるわけか」
ちなみに彩もこの区分けだと、今がデビューから六年目。
最近はヒットチャートのトップに入るような曲は出ていないが、確実に10位以内には入るぐらいの人気は保っている。
ノイズが上がるよりも、彼女が落ちてくる方が早かった。
だが本来のポテンシャルから言えば、彩はまだ落ちてくるには早いのだ。
そして俊の計画のためには、現時点で彩の人気に陰りが出来るのは、悪いことではない。
「何をやってんだ、俺は」
プロデューサーよりもさらに上の、業界のフィクサーにでもなろうというのか。
GDレコードは現在の日本の中では、五番か四番目の規模のグループである。
単純な売上だけであると、五番目ということになっている。
しかしこの業界、国内の売上だけを見ていても仕方がない。
GDレコードは国外の市場も、かなり持っているレコード会社なのだ。
もっとも他の上位のレコード会社も、国外に進出していたり、逆に本社が国外でその日本支社が上位にいる、というものもある。
俊はこの正月休みを利用して、とりあえず国内の勢力図などを計算している。
ちなみに俊の父親が所属していたレコード会社は、現在の国内市場では一位となっている会社だ。
そして暁の父である保も、そのレコード会社のレーベルのミュージシャンとなっている。
娘だからといって口ぞえなどはしないぞ、というのが彼の言葉であった。
俊はこれまで、色々なコネクションを作ってきた。
だがその中で、直接音楽業界の権力を持つ人間などとは、さすがにつながりがない。
一応は父のつながりを考えれば、それこそ業界一位のレコード会社の社長なども、幼少期に面識はあったりする。
当時はまだ社長ではなかったが、俊の父の活躍などもあって、その後の出世レースにも勝ち抜いたのだ。
ただ父の死の前後は、色々と問題も起こしているので、尻拭いなどもしてくれているのかもしれない。
芸能界の本当の大物は、表に名前が出ていない人間にもいるという。
実際のところ、雇われ社長の会社などは、ある程度の期間で頭が入れ替わっていく。
会長などもいないにしても、おそらくは大株主か何かが、実質的な支配者であるのかもしれない。
まるでマンガかドラマの世界と勘違いするようにも思えるが、実際のところ他の業界においては、そういう人物がいたりするのは間違いないのだ。
情報が足りない。
そして情報があったとしても、政治をしてくれる人間がいない。
俊が出来るのはせいぜい、現場を動かすことぐらいだ。
TOKIWAや他のビッグネームと、ある程度はつながることは出来ている。
だがこれで一つのレコード会社と戦うには、完全に戦力不足だ。
もちろん相手は、レコード会社そのものではなく、その中の一人。
重役で取締役の一人ではあるが、トップというわけでもない。
ならば同じレコード会社の中にも、対抗する相手はいるだろう。
あくまでも組織ではなく、個人を相手にしなければ、とても勝ち目などはないのだ。
そこまでは分かっているが、具体的にどう戦えばいいのかは分からない。
また味方の力を借りるにも、ただお願いしてどうにかなるというようなものでもない。
俊が確実に自分のものと言える力は、ノイズというバンドとサリエリというコンポーザー。
もちろん彩のために、ノイズ全体を危険に晒すわけにはいかない。
それでも以前に阿部がやったように、相手の失点を利用して、こちらの意見を通すということは出来るのだろう。
阿部が今回も動いてくれるかどうかは、ノイズと事務所とレーベルに、どういう利益をもたらしてくれるかが問題となる。
物事を俯瞰して見すぎてしまう。
自分の実力に対して、謙虚である。
俊はそういう人間であり、その中でどう自分の音楽を発展させていくか、いつも考えている。
そんな俊が徳島と会うのは、また新しい刺激がほしいからだ。
もちろんそれだけではなく、確認したいこともあるのだ。
ミステリアスピンクの女性二人デュオというのは、ノイズとも似ている部分である。
歌唱力ではなく声質で聞かせるという、かつての徳島であれば許さなかったもののはずだ。
それがどういう気持ちの変化か、二人に歌わせている。
もっとも楽曲の方は、相変わらず棘だらけで、商業主義にはかろうじて到達しているというレベルだ。
商品ではなく作品を作る。
アーティストとしては当然、目指したいものであろう。
だが資本主義社会においては、大衆を惹きつけるものがなくては、売れることが出来ない。
純粋にそれでは、生きていけないのである。
徳島は生きるのに器用でないと言うか、音楽以外のものに興味を示さない。
そこが彼の、かつての限界であったはずだ。
「ミステリアスピンクのらせんか。ちょっと興味あるんだよな」
「むっちゃ変な曲ばっかり作ってる人だよね」
信吾と千歳も、そのあたりは知っている。
レコーディングでは切り貼りして、しっかりとした作品として出してくる。
なので充分に商品として通用する。
ただライブをしたのは、やはり失敗ではなかったか、と俊は思っている。
そもそも楽器演奏は、全て打ち込みであるのだ。
ならばライブにしても、パフォーマンスだけに徹して、口パクで良かったのではないか、と考える。
売るためならばその方がいい。
現在はサブスク配信も、ある程度大きな市場にはなっている。
当初は俊としても、月子と二人でユニットを組む予定だったのだ。
それでもある程度の成功はしただろうが、さらに大きな成功へは、面倒な道を行く必要があった。
暁のフィーリングは、確かに新たなインスピレーションをノイズにもたらした。
だがパワーが強すぎて、結局はバンドを組むことになる。
さらに千歳を選んだのは、俊自身である。
これが完成形であるとは、俊も分かっている。
もっともまだバンド自体が成長しつつあるとも分かっている。
インディーズレーベルで、あまり大きな宣伝を打たれていないというのは、むしろ良かったのだろう。
千歳などは明らかに、経験値も技術も不足していた。
だがこの一年少しの間に、明らかに大きな向上が見られる。
ギターは暁の影響が大きいが、俊や信吾も教えている。
なにしろ暁は父親もギタリストであるのに、独学でカバーをしているところなどもあるからだ。
将棋の定跡を憶えるように、基礎を学んでいた方が、上達はしやすかったりする。
暁も最初は父親から学んでいたであろうに、それがあまりに子供の頃であったので、どうやって学んだかを忘れているのだ。
フェスにおいて約束していた、徳島との面会。
とりあえず年も明けていたが、世間の動きとは無関係に、作曲家たちは自分の役割を始めている。
どこで会おうかという話にもなったが、徳島は会社に借りてもらったマンションを指定してきた。
確かに機材なども考えれば、どちらかの家というのがいいであろう。
二人の面会から、どういう話に進んでいくか分からない。
今回の俊には、珍しくも信吾と千歳が同行している。
信吾は仙台から戻ってきたばかりで、千歳も叔母と一緒に祖母の家から帰ってきたばかりであった。
月子も京都の方に行こうとしたのだが、むしろ叔母がこちらにやってきていた。
少し東京を巡るということで、一緒に行動をするらしい。
徳島は感性タイプの人間ではない。
あれだけ尖った作品を、数多くのイメージで作成しているが、実は作曲のスピードは遅いのだ。
単純に昔から、ずっと作品を作り続けていた。
微妙に作品になりきれていなかったものを、今はアレンジして歌わせている。
天才ではなく、センスがあるわけでもない。
創造的な作品など、自分の楽曲には一つもないと徳島は言う。
ある意味でそれは、正しいと俊は思っている。
そもそも現在の世間に存在する中で、本当に新しい楽曲のみならず、作品などはないだろう。
現代芸術などは、そもそもこれまで作品とすら思われていなかったものを、作品として世に出して評価を得ているところがあるが。
「それで、何を話すつもりなんだ?」
「そろそろ、時代を変えようと思って」
俊の言葉は端的で、それでも少しは理解出来るところはある。
ビートルズは時代を変えた。
だがビートルズのみによって、時代が変わったわけではない。
ブリティッシュ・インヴェイジョンはイギリスのバンドがアメリカを席巻したというもので、単純に売上だけを言うのならば、ビートルズはその一部であるのだ。
1964年のビートルズの、アメリカでの売れようを見てみると、とんでもなくえげつないものがあるのは確かだが。
ビートルズは確かに時代を変えたが、その後に変え続けるバンドが出てきたのも確かだ。
そしてメタルに行ったり、ハードロックに戻ったり、オルタナからグランジに向かったりという流れがあって、ポップスもその中で大流行している。
今の日本の中には、それに似た一つの流れがある。
ボカロP出身のコンポーザーの活躍だ。
俊はバンドを組んだが、徳島はユニットを組んでいる。
TOKIWAはコンポーザーとしての役割が強く、他にも多くのボカロP出身のコンポーザーがいる。
それで去年は、コンピレーションアルバムを作ったのだ。
あれは相当に売れたらしく、ノイズにもかなりの金が入ってきた。
もっともノイズの場合は、そもそもCDの実体はインディーズレーベルから流通させているので、売上が金にはなりやすいのだが。
TOKIWAのやったことは、一つの指針となった。
俊が考えているのは、他のコンポーザーとの交流である。
その中でどうしてまず徳島のことを考えたのかというと、彼が一番独特であるからだ。
ボカロPはこれまでの音楽表現者とは、違うシーンから登場している。
ここに目をつけて、多くのボカロPを抱えたレコード会社もあったが、そこはノウハウが分かっていなかったため、一部を除いて契約を解除したものだ。
今はようやく、ボカロPの特性が分かってきている。
俊などはその中では、音楽のみに心身を捧げたようなつもりでいるが、インプットする中で他の色々な技術まで身についている。
徳島の住んでいるマンションは、これまた港区にあった。
そもそもレコード会社の本社というのが、港区に多かったりするのは間違いない。
徳島の住んでいる物件は、その中でも特に上層階のものでもなく、広さもさほどのものでもない。
もちろん彩などの基準と比べれば、という話であるが。
セキュリティのしっかりしたマンションであるのは、さすがに当然であったろう。
だが呼び出した時に向こうから聞こえたのは、女性の声であった。
(あの人、まともな恋人なんかいるのか?)
他人のことは言えないが、俊はそんなことを思ってしまった。
ただ実際に部屋を訪れてみれば、理解出来た。
ミステリアスピンクの女性デュオボーカル、その一方であるホリィが、徳島の家を訪れていたのである。
それなりの広さがあるのは、この場所のタワマンとしては当たり前のことである。
「なんだか俊の家のスタジオと似た空気があるな」
信吾はそんなことを言ったが、見た感じは全くの別物であると思う俊である。
徳島は完全に、空間をもてあましている。
「放っておくと、散らかすばかりなんですよ」
ホリィがそんなことを言うのは、何度もこの家に来ているということなのだろうか。
「ひょっとして、付き合ってるとか?」
恋バナ好きの千歳の問いに、ホリィはパタパタと手を振る。
「音楽家としては尊敬してますし、人間としても悪い人じゃないけど、好きとかじゃありません」
その割には随分と、入り浸っているようにも見えるのだが。
ただ徳島は、自分の領域に他人が踏み込んでくるのを、極端に嫌う人間だ。
そのため家政婦なども入れることがなく、身内扱いのホリィが世話をしてしまうということらしい。
リビングの使い方にしても、実用的なものが少しあるばかりで、果たしてこれはどうなのか。
ただ防音のしっかりしたこの家を、一人で訪ねてきているという時点で、心を許している気配はある。
徳島は自室でもある仕事場から、ゆらりと出てきた。
年末に会った時に比べれば、顔色はよくなっている。
だがどこか死んだ目をしているのは、昔から変わらない。
彼の異常さを示すエピソードとしては、楽曲の視聴にある。
一つの曲を聴いて、最初からまた聴き直す。
それを10回も20回も、平然と行うのだ。
まだしもアルバムを何度も聴くというのなら、俊にも理解出来ないことはない。
だが一つの曲を、自分が全て理解出来るまで、何度も聞き続ける。
そしてそれを楽しんでしまえるところに、徳島の異常性があるだろう。
全てを理解するまで、何度でも聴き続ける。
するとその曲の持つ要素が、全て分かるようになるのだ。
あとはそれを多くの曲に行い、必要な部分だけを抜き出していく。
自分としては面白いと思える曲が完成するが、その中でちゃんと商業品として成立するのはほんの少し。
だからこそ寡作、と思われているのだ。
ソファに座って、俊と対面する徳島。
ちゃっかりとお茶の準備をしてくれるのは、やはりホリィであった。
「ああ、ありがとうございます」
こうやって礼を言う程度には、徳島もコミュ障というわけではない。
「それで、フェスでも言ってたことですけど」
「うん、らせんさん、いや徳島さんでいいか。うちらとコラボとかするって言ったら、やってみるつもりある?」
そんな話を俊は、他のメンバーにも阿部にもしていない。
まさにあのフェスで、思いついたままに行動しているのだ。
準備を整えて、先に根回しをするのが、本来の俊のスタイルである。
だが徳島相手には、そういう手段は全く通用しないのだ。
俊の質問に対して、徳島は宙の何もないところを見ながら、頭をぐるぐると回転させていた。
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