第78話 ボカロ界隈
天才というのは、最初から才能を持っているわけではなく、素質が上手く開花した存在である。
そして素質がなければ、なにをしても開花することはない。
今のノイズのメンバーの中で、一番素材のままの人間。
それが千歳なのである。
ただそれも無理はない。
月子は幼少期から、暁はさらにそれ以前から、音楽に触れてきたのだ。
しかもジャンルは違っても、ハイレベルな音楽に。
信吾と栄二はそもそも経験が違う。
千歳は歌は母の真似であるし、ギターは高校に入ってから。
それでもステージに立って歌えるというだけで、メンタル的な才能はあると言えるだろう。
千歳に言わせれば他のメンバーが、しっかりと引っ張り上げてくれる。
だからこそ歌えるのだが、今のままでいいとは思わない。
歌声の持っている表現力が、極めて高いと声楽を教えてくれる先生も言っていた。
それはおそらく歌うという行為が、千歳に悲しいことと楽しいことを、同時に思い出させてくれるからだろう。
(また、あの夢)
ひどい夢だ。
しかもあれは、過去に現実にあったことだ。
もう今日は眠れそうにない。
そう思った千歳は、ギターをジャックにつなぐことなく、指先だけを動かす練習を始めた。
「ボカロ曲難易度高いんじゃああ!」
ブチ切れて栄二が叫ぶが、ミスしたのは彼ではない。
千歳の度々のミスが原因である。
「やっぱり音を少なくしないと無理か」
「そんなに難しいかなあ」
暁はナチュラルにひどいが、Fコードを押さえるだけでも、まだ千歳は辛いのである。
天才と暁を言ってしまえば、それは嘘になる。
少なくとも高校に入るまで、暁の周囲には自分より上手い人間が大量にいたのだ。
それが父の仕事仲間であるスタジオミュージシャンで、レコーディングの時などはバンドメンバーの代わりに演奏する、本物の強者だと知ったのは割と最近である。
暁は基準がそれで、自分もついていけるので、凡人の苦労が分からない。
努力という言葉を知る前、努力が苦しいと知る前から、努力をしていた環境である。
そうは言っても俊の凡人の目から見ても、千歳の上達速度は充分すぎるものだ。
周囲に上手い人間が多いと、自然と引っ張られることはある。
本当に才能がないと、ついていけずに辞めてしまうものだ。
諦めないということと、地道な努力は、実は重要な才能である。
あとは他に原因を求めない、というところもあるだろうか。
俊は千歳もまた、何かに怒っている人間だ、と見抜いている。
自分の理不尽な人生に対してか、とは思わないでもない。
彼女が不遇であるのは間違いないのだ。
(感情の発露というのが、歌に乗って届くというのはシンガーとしての強みだろうな)
月子も同じであるが、彼女はもっと太く、形の分かりやすい声をしている。
それがハイトーンで発されるのだから、ちょっと下手に聞くとくらくらきてしまう。
月子の場合は特にボイストレーニングが必要だとは言われなかった。
ただ喉を酷使するのはいけない、と言われたぐらいで。
喉ではなく、腹から声を出す。
こういったことは多くの古典音楽に共通していたりする。
歌とは元は祈りであり、神に捧げられるものであったからだろうか。
正確なピッチに感情表現。
そこに声量が加わってきている。
千歳のようなギターボーカルは、ハンドマイクで歌うわけにはいかない。
イヤホンマイクでも同じように、ブレスの音などを拾ってしまう。
スタンドマイクとの距離を保たなければいけない。
声量が大きくなるというのは、それだけ音の大きさの微調整がついてるということだ。
ボーカロイドの文化から、おおよそ歌い手の文化が発展してきたという見方がある。
機械音声では普及当初は、まだまだ人間の声のような微調整が出来なかったためだ。
これをより人間の声に近づけていくのと、実際に人間がレコーディングして調整するのとでは、まだ今のところ人間の方が上である。
だがいつかはこれも追い越されてしまうことがあるのだろうか。
AIの作曲とAIの音声歌唱。
どちらがより早く、人間を追い越すのだろう。
レコーディング自体は、やがて追いつかれるのかな、俊でさえ思わないでもない。
だがライブは無理だろうと思っている。
あの空間は自分たちだけで、どうにかなるものではない。
観客という受け手がどういう状態でいるかで、演奏する側も変わってくるのだ。
(うちのメンバーの中で、ステージでの挫折を知らないのは暁と……)
千歳もあれは、まだ知らないと言っていいのだろうか。
一度は転んでみなければ、立ち上がることを学べない。
わざと転ぶというのは、なかなか難しいことである。
それにノイズとしては、下手なステージなど打ちたくはない。
今はひたすら、上を目指していく勢いが必要だ。
(学園祭で失敗してくれればいいんだけどな)
ただ千歳は才能と声だけで、高校のステージ程度なら熱狂させるだろう。
頼まれていたアニソンメドレーのアレンジをしながらも、俊はまた予定を入れていく。
ここのところ、少し離れていた界隈との集まりである。
即ち、ボカロPや歌い手、イラストレイターといったところの集まりである。
ボカロPというのはおそらく、音楽のPOPS集団の中では、一番陰の者の割合が多い。
単純に言ってしまえば、ボカロPは楽器を全部やってしまえるし、ボーカルはボーカロイドを使い、なんならイラストさえもフリー素材を使うことが出来る。
俊はその中では、陽の傾向がそれなりに強いが、孤立しやすいという点ではやはり一人でやるのが向いていたのだろう。
それなのに今は、バンドを組んでしまっている。
そして作る楽曲は、人間が演奏して歌うためのものだ。
あいつはボカロの世界から引退したのだ、と悪い意味で言ってくる者もいる。
俊としては確かに、ボーカロイドは手段の一つであって、道具であった。
仲間ではない。
俊宛のメッセージには、月子を連れてきてほしいというメッセージもあった。
月子に対しても誘いはあったらしいが、当然ながらこれは拒否である。
月子の正体については、いまだにまだ判明していない。
なんだかVtuberに似ているような気もするが、確かに実体としてそこにはいるのだ。
「わたしも友達ほしい……」
「じゃあリモートで参加してみるか」
「う~」
月子の正体というのは、やろうと気づけばすぐに分かる。
メイプルカラーの音源と、ノイズの音源を比較すればいいだけだ。
声紋というものがある。
人間の声を、どの時間に、どの周波数の音を、どれくらい含んでいるかを機械で視覚的に表示したところ、指紋のように人それぞれ異なった紋様として出るものだ。
指紋と同じぐらいには、声紋が同じ人間がいる可能性は少ない。
ただ突如現れたボーカルと、地下アイドルの声を比べようとする者は、今のところ出てきていない。
だが月子の身長はかなり高めなので、そこから気づく者も出てくるかもしれない。
今はまだその時ではない。
ボカロPというのは才能というか、センスの世界であると思う。
センスというのは才能とはちょっと違う。
そもそも普通の楽曲であれば、その限界は人間の技術にある。
しかしボカロであれば、それは機械の限界。
とてつもない早口や、とてつもない高音が出せる。
それがボーカロイドの利点である。
俊もかつては、そういった曲にチャレンジしたことがある。
だがどうしても、生来の感じてきた音楽が、人間の限界の範囲内で曲を作ることとなる。
この縛りをなくしてネタ曲を作ったところ、相当にバズったことは確かだ。
(音楽の本質はやっぱり、人間と人間の対話なんだよな)
ボカロPであり、その技術の恩恵を受けながらも、俊はどこか一線を引いている。
今回の集まりは、主に東京やその近郊の人間が集まってきている。
イベントなどがあれば、それに合わせて大規模オフ会などが開かれたりもする。
しかし今回は顔見せ程度だ。
この数ヶ月のボカロ界に、どういう変化が訪れたのか。
ボカロ界は個人が集まってすぐに動くため、メジャーシーンはおろかインディーズよりもさらに、その動きが早い。
20人ばかり、主に知り合いが集まったオフ会で、俊はサリエリとして接することとなる。
「夏は全然顔見なかったしさ~」
早速そんなことを言われたりもするが、夏はものすごく忙しかったのだ。
いや、月子と出会って以来、俊の時間は倍速で流れている気もするが。
ここに集まっている中には、既に社会人として生活しながらも、ボカロの界隈で活動している者も多い。
再生数やサブスクである程度は稼いでいる者もいるし、案件を持っている者もいる。
そしてリモートで参加しているVの中の人もいたりした。
「ルナちゃん、リモートなら顔出しなしで参加出来るんじゃないの?」
比較的年配のPがそんなことを言ってもくるのだが、月子はどういうミスをするか分からない。
基本的には天然で失敗することも多いのだ。
俊としてはこのあたりの人間なら、むしろライブに来てくれという思いがある。
ステージ以外の楽屋では、それなりに月子の顔を知っている者はいるのだ。
今のところ、元メイプルカラーのミキと気づいた者はいないが。
「今は死ぬほど忙しいからな」
「でもサリエリはボカロ用の曲はもう作らないのか?」
「後回しにはなってるな」
もっとも今の曲も最初は、ミクさんかGUMIさんの力で歌ってもらって、それを月子が歌っているのだ。
ボカロにはこういう使い方もある。
ネットが発達してきた今、データはあっという間に拡散する。
ここだけの話としながらも、スクショでデジタルタトゥーが残る。
なので本当に重要な話は、結局こうやって顔を合わせて話す場合が多い。
これでもカメラなどで、記録しておくことは出来るのだ。
「サリエリさん、メジャー志向になっちゃったのかあ」
「出してるのはインディーズレーベルだけど、確かにボカロ向けじゃないな」
「あたしライブ行ったよ。ライブであんなにピッチ外さない、つよつよボーカル二人も入れるなんて反則じゃん」
「企業案件とか、もう来てるんじゃないのか」
「来てない。隠してるとかではなくて、本当に来てない」
「ノイジーガールまだ、かなり伸びてるのにね」
企業案件というか、楽曲の提供が来ても、おかしくない程度の知名度にはなっているはずだ。
だが俊の場合は、そんな暇があったなら、まず月子の生活を安定させたいというのが優先順位が上だ。
自分自身はボンボンで、生活の苦労は知らない。
「そういえば」
と俊は思いついた。
「住宅物件探してる人、いるかな。ルームシェアみたいなもんで、女性限定なんだけど」
この場にいる人間は、おおよそは把握している。
ひどくクセのある人間はいないはずだ。
女限定というところが、いかにも怪しい。
だがこれは当たり前のことなのだ。
「今のところ女性が一人入る予定なんだけど、一人だけだと他が男ばかりになるから、女性がもう一人ほしいんだ」
そういうことなら、確かに女性限定になるだろう。
「家賃とか、あと場所は?」
「家賃はタダ。もっとも水道光熱費は払ってもらうけど、男女で風呂もトイレも分かれてる。場所は大田区で、最寄り駅は多摩川。渋谷まで東横線で行ける」
「なんじゃその好物件!」
まあ、それはそうなのだ。
とにかく重要なのは、月子に変なストレスを与えない人間であるということ。
なので逆に陰の者の方がありがたい。
あとは最低限、しっかりと生活力がなければ困るか。
「そのもう一人の女が、ちょっとコミュ力に問題があるから、あんまりクセのない人間がありがたい」
「他に誰が住んでるの?」
「俺と友達の男が一人来る予定。そんでその女子。高校卒業したところの、今度19歳になる。今の物件が建て直すとかで、退去を迫られてるんだよ」
「4LDKに風呂トイレ別?」
「もうちょっといい」
だいたい嘘は言っていない。
ここに集まっているのは、大なり小なり何かをクリエイトする人間だ。
ジャンルは違うが何かをもたらしてくれるなら、それはありがたい。
もっとも女性ということで、半分以上は除外されるが。
「あと荷物の量によるけど、軽トラで運べるなら、引越しもやっちゃうけど」
バンドマンというのは、意外と機材を運ぶために、パワーがあったりするものなのだ。
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