第205話 ネクスト・ムーブメント

 千歳が先生に連れられて同じくコンサートに行くと言われても、特に問題とは思わない俊である。

 だがケイトリー・コートナーのスタイルは、洋楽のシンガーとしてはかなり例外的なものなのだ。

 欧米における価値観では、イノセント、つまり無垢であるものはただの幼稚、などと思われる傾向がある。

 個性があってなんぼ、というものなのだ。

 ボーカルの性質も、重低音の濁りの響きなどが重視されると感じる。

 まあ向こうはソプラノボイスなどを聞きたければ、クラシックに行けとでも思っているのかもしれないが。

「ミニー・リパートンみたいなのもいるけどなあ」

 Lovin' Youの曲だけを聴いたら、いったいどういう人間が歌っているのか、と気になったりするものである。

 月子はこれを、超ハイトーンの部分以外は普通に歌える。


 27歳では死ななかったものの、相当に早世であるミニーだが、彼女に影響を受けたと言うシンガーは多い。

 その中ではKCは、一番タイプが似ているのでは、と言われている。

 俊も実際、月子を洋楽の歌姫と比べるなら、彼女が一番近いのではと思っている。

「女性のシンガーとしては、一番かなあ」

 暁もジャンルの違いを考えなければ、そう評価する。

 ロック系統に限るなら、テイラー・モンセンが好きだ。

「MVがエロいよな」

 信吾が素直に言ってしまっているが、事実なのはどうしようもない。

 どんどん服を脱いでいくものや、乳首が見えるMVなどがある。

 暁が脱ぎたがるのは、そこの影響も少しあるかもしれない。


 ただ女性の場合はバンドで歌っているのは少ないと思う。

「商業的に成功しているのなら?」

「マドンナだろ」

 活動期間の長さもあるし、これは間違いない。ただあくまでも商業的な成功であり、賞レースなどはまた異なる。

 初期はお色気売りをしていたが、やがてアーティスティックになっていった。

 アイドルとして売り出したのが、いつの間にか本格シンガーになるようなものだろう。


 こんな会話をしながら、新幹線の旅も楽しんでいた。

 東京から福岡まで、さすがに時間がかかる。

 それでも去年はこの距離を、東京から名古屋、名古屋から京都、京都から大阪、大阪から神戸、神戸から福岡と、車で移動したのだ。

 あれはかなり疲労したが、おかげでどのあたりに限界があるのかなども、おおよそ分かった気がする。

 月子がジムに通いだしたのは、体力を増やすためである。

 ちなみに暁の場合は、限界までギターを弾きまくるという、ある意味恐ろしい鍛え方をしている。


 音楽にも体力は必要である。

 俊などは集中すると、24時間以上もずっと作曲をしていたりするが、ライブはやはり体力だ。

 ツアーは日程によるが、さらに体力が必要になる。

 その点では普通に、学校で体育の授業がある高校生は、まだまだ若さもあると言っていいだろう。

 軽音部はともかく、ブラスバンドなどは走り込みを行うような学校も普通にあるのだ。




 福岡もまた、巨大な商業圏を持つ。

 福岡市に北九州市という、巨大な都市があるのだ。

 それ以外にも博多、北部を中心に発達しているが、南部の人口減などは東北ほどではない。

 今回のハコは1500人が入るホールである。

 また前日の設営から見ていくが、事前に演出については相談をしているのだ。

 基本的にライブは、聴覚だけではない五感の総合エンターテイメント。

 視覚をどうすれば受けるのか、俊はマジメに考えている。


 こういう時には千歳が、また無茶なことを言い出したりする。

 ただそのアイデアは可能か不可能かの常識がないために、面白い演出につながってくることはある。

「あたしがギターでツキちゃんが三味線なんだから、ダンスパフォーマンスっぽいのも入れるとかさ」

「お前踊れるのかよ」

 無茶なことを言ってきて、俊を呆れさせることはある。

 ただメタル系になってくると、ギターアクションなどは確かに派手なものが多い。

 元々ギターは、演奏においては華ではある。


 アンガスのようにステージを走り回るのは、さすがに無茶がある。

 ノイズのギターは普通のシールドでつながっているのだ。

「一曲ぐらい、リズムギターなしの曲作ってみるか」

 ただダンス要素を入れると、千歳にそんなことが出来るのか、という話になってくる。

 基本的にはマイクの前に立ち、ボーカルのないところでは少し下がって弾く、というのが千歳の普通のスタイルだ。

 月子は地下アイドル時代に、五人の動きがあるダンスをしている。

 読解障害などのある独特の脳をしているが、頭自体はそれほど悪くない月子だが、ダンスは体で憶えたものだ。


 千歳はやるとすれば、やはりあれをやってみたい。

「サヨナラノツバサ!」

「ライオンをもうやったからいいじゃんか」

 あのあたりはシンセサイザーもしっかりと使うので、それはもう大変なのだ。

 それにアレンジの余地が、あまりない。

 

 あれは物語の中での楽曲であった。

 なのであれで、完全に完成なのだ。

 バックボーンとして、他に物語があるのだから、解釈をするのに無理がある。

 そもそも千歳に付き合わされて、アニメ本編を見てしまった。

 劣化再生産になる。

 それなら素直に、ボーカルデュオだけを真似しておいた方がいい。




 ノイズの音楽は自由である。

 だが音楽として成立はしている。

 EDMも普通に使うが、ハードロックでガンガンと鳴らすこともある。

 しかし混沌としているわけではないのだ。


 既に成立しているものを、再構成していく。

 その中で新たに、生まれていくものもあるのだ。

 95%は既存のものであり、4%はそれを再構成していく過程。

 新たな要素などというのは、楽曲の中の1%ぐらいであろう。

 DJにしてもあれは、既にあるものをどう使っていくか、それがセンスや技術となっている。

 俊は自分の才能に関しては、特にもう期待などしてはいない。

 だが環境が、執念と結びついて、新しいものを生み出すことはあるのだ。


 この福岡での公演も、楽曲は既に完成しているものだ。

 だがライブこそまさに、創造的で刹那的な快楽であるのかもしれない。

 酔っ払いながらギターを弾いていた、往年のロックスターたち。

 完全に薬物でヘロったまま、技術や能力ではなく、その存在自体でロックをやっていたパンク。

 ノイズはそこまで、実験的な存在ではない。

 そういった前衛的な部分は、確かにあってもおかしくはないものだ。

 しかし己の自己満足に、聴衆を付き合わせることを、俊は良しとしない。


 熱狂がなければいけない。

 そしてエモーショナルであるべきだろう。

 人間の可能性を、わずかに1cmずつ拡大していく。

 そのためには人間の力も使うし、機械の力も使っていく。

 使えるものはなんでも使って、人間の知覚の限界を広げていく。

 可能性の先にあるものを、俊は見てみたいし、それを共有したいのだ。


 ライブというのは、バンドの結束力と、そしてオーディエンスとのコミュニケーションによって成立する。

 伝えたい、届けたい。

 それは具体的な歌詞では表現できなくても、フィーリングによって伝わるのだ。

 最近は暁が、千歳に注意することは少なくなっている。

 単純に技術的なものだけなら、まだまだ成長の余地は多い。

 だが演奏というのは技術だけではないと、暁は分かっているのだ。

 過去のロックスターの、ギタリストの演奏などを聴いても、単純に上手いだけではないというのが分かる。

 ジミー・ペイジは下手ウマなどとも言われるが、ギターで何を表現するかで、上手下手は決定するのだ。




 福岡のライブも成功に終わった。

 たださすがにここから、東京の武道館まで来てくれるかは、厳しいものがあるだろう。

「福岡ドームでもライブってあるよね」

 千歳はすぐに、そういった俗っぽいことを言う。

「福岡にも普通に、音楽向けのホールはあるからな」

 一万人規模のものが、北九州の大都市圏にはあるのだ。


 前回のツアーでも、福岡ではオーディエンスの反応が良かった。

 それは福岡でも有名な、老舗のCDショップが、全面的にノイズを宣伝していてくれたからだ。

 地元のバンドを応援し、そしてインディーズのバンドを発掘する。

 東京でも有名で、雑誌でも取り上げられるレコードショップは、それこそが実物媒体不要の現在、売上を伸ばすための戦略になっている。

 なにしろ地元であるライブの、チケット販売窓口にもなっているのだ。

 そういう店長の見る目によって、成立しているショップというのはまだまだある。


 徳島の言っていたGEARというバンドも、同じように発掘された。

 名馬はいつの時代でもいるが、名伯楽はいつの時代もいるとは限らない。

 おおよそのミュージシャンが売れるためには、その戦略を考えてくれる、優秀なプロデューサーが必要なのだ。

 ノイズの場合にしても、俊の一見して遠回りに思えた戦略は、デビューから二年間で武道館コンサートを実現させるという結果になっている。

 それも事務所やレコード会社とは、かなり有利な契約を結んでのものだ。


 プロデューサーと言うよりは、俊は単純に慎重であっただけだ。

 下手に背伸びはせずに、無理なレコード販売などもしなかった。

 だがインディーズから最初に出したアルバムで、成功は確信できただろう。

 あとはその成功を、大成功にまで導き、そして持続的な成功につなげることが、プロデューサーとしての役目である。

 ここらで本人は、さすがに阿部に多くのマネジメントを任せた。


 それでもノイズの基礎というのは、ライブハウスにある。

 この小さなハコを今でも大事にする、という姿勢が好感を呼ぶのだ。

 もっとも純粋に経済的に、既にセットが組んであるライブハウスだと、他の人件費や技術費があまりかからないという打算がある。

 ここで確実に利益を出して、土台をどんどんと固めていく。

 ただもうチケットは、すぐに売り切れるようになってしまっているが。

 ファンクラブ優先ではあるが、ある程度は一般販売の分もある。

 

 300人規模のライブハウスというのは、かなり大きなものではある。

 しかしそれでは収容しきれない、という問題は出てきた。

 ある程度はチケットの値上げもしたが、値上げしすぎることはしたくない。

 新規のファンを獲得したいからだが、すると今度は転売対策が必要になる。

 チケットの販売を、転売の可能性が難しい、ルートを限定したものにするか。

 確かに今でも、ある程度はそうやって売れているチケットはある。


 コンサートホールのライブだと、確かに色々と演出も可能になるのだ。

 またライブハウスにしても1000人以上が入る有数のハコもある。

 ただそういう場合は、レンタルの料金もともかくとして、既にスケジュールが埋まってしまっている場合もある。

 客数、チケット代金、そして設営などにかかる費用。

 このあたりを上手くペイさせるのは、俊もかなり難しく感じた。

 だからこそ今は、ある程度の条件を出して、阿部に任せているのだ。




 そして東京へと帰還する。

 往来共に、東京から福岡というのは、やはり一番時間がかかるものだ。

 関東の大都市圏と比べると、関西や北九州というのは、他の場所での公演はなかなか難しい。

 この先はノイズのブランド価値を、どうやって上げていくかも重要になる。

 その点では阿部は、大手レーベルと事務所のノウハウもあるし、伝手やコネもある。

 何より大きかったのは、彩の移籍騒動において、俊の果たした働きが大きかったことだ。


 GDレコードの第二企画部では、ノイズが売り出し筆頭になったというイメージがある。

 彩も新曲の発表をするが、これが俊の曲であるため、今までにはなかったファン層にも名前が売れていくだろう。

 コンポーザーかボーカルの名前が売れれば、バンドというのは売れるものだ。

 かつてはギタリスト全盛だったり、ドラマーに注目が集まったりと、バンドはそれぞれにファンがいた。

 ただ電子音とシンセサイザーがあれば、どうにかなるという時代になってしまったのも確かだ。

 DAWで作曲を行う人間は、ボカロP以外にも増えている。


 福岡土産をもって、千歳は先生のお屋敷を訪れる。

 本日も成功の報告が出来たが、今度のコンサートに連れて行ってもらう話をする予定だった。

 なので今日は、生徒ではなく客という立場になっているということもある。

 普段の音楽室ではなく、応接間で話をする。

 使用人がいたりするところが、本当にお嬢様と言ったところか。

 ただしメイド服を着ていたりはしない。


「成功には実力も必要だけど、運も必要になるのよね。正確には二つはお互いに引き合うものだけど」

 達観したような言葉であり、千歳としても納得するところがある。

 自分の成功は全て、あの日の俊がノイズに引き込んだからだ。

 そしてノイズの中では、自分の役割がなんとなく分かっている。

 月子と暁、この二人の間の緩衝材だ。

 もちろん二人の仲が悪いのではなく、むしろとてもいい。

 だが音楽的な才能という点、そしてライブでのパフォーマンスという点、二人の音楽は激しくぶつかり合う。


 そこにギターボーカルの千歳がいることで、全体の調和が取れている。

 ギターも弾くし、歌も歌う。

 これでバランスが良くなると、俊は本当によく分かったものだ。

(あの人の本当の才能って、才能を見抜くことにあるんじゃないかな)

 正確にはバランス感覚に優れているということだろう。

 ミュージシャンなどというのはだいたい、どこかおかしな人間が多いのだ。




 そんな話をしていたのだが、とんとんと、ノックの音がされる。

 誰かと思えば、千歳も少しは話したことがある、先生の娘である玲であった。

 こんな大きな娘がいるって、と千歳は先生のことを美魔女などと思ったりもしている。

 ただ実際に話をしていると、確かにそれなりに年齢はいってるはずだよな、とも思う時は多い。

「千歳さん、ちょっとこの子の話だけでも聞いてもらえる?」

「話、ですか?」

「相談というかお願いというか、バンドメンバーを探してるんです」

 これはまた、他人に音楽面で頼られるというのは、千歳には新鮮な体験であった。

 普段は周囲に頼りきりなので。


 高校生になったらバンドをするのだ、ということは聞いていた。

「一応二人はいるんだけど、お姉ちゃんは助けてくれないし」

「沙羅はピアノに専念してるから無理よ」

 この会話はおそらく二人の間で、何度かされているものなのだろう。

「メンバー探しって、どのポジションを探してるの? そりゃ知り合いにはいくらでもバンドしてる人いるけど」

「ポジション自体は、どこでもいいの。ただあと二人はほしいなって」

「どこでもいいって、今はどこが埋まってるの?」

「わたしはボーカル、ギター、ベースにキーボードと行けるし、カノも加えてドラムまで叩けるんだけど、とにかく頭数が足りないわけで」

 なるほど、そういうことなのか。


 確かにここの音楽室には、グランドピアノ以外にも、ドラムセットやエレキギターにエレキベースなど、様々な楽器が並んでいる。

 先生は音階を取る時はピアノを使うが、ヴァイオリンも得意だとは言っていた。

「普通に高校に入れば、軽音部とかで集まるんじゃないの?」

「う~ん、出来れば女の子で同年代がいいんだけど、そうすると上手い人ってほとんどキーボードぐらいまでだから」

 なるほど、ピアニスト崩れのキーボードの上手いの、というのは多いかもしれない。知らんけど。


 それにしても、マルチプレイヤーが二人なのか。

 ドラムボーカルというのはいないではないが、珍しいことは確かである。

 ベースボーカルはそれなりにいるので、花形のギターを誰かにやらせて、ベースボーカルとドラムのスリーピースというところがいけるだろうか。

 あるいはベースを見つけて、ギターボーカルにするか。

「ドラムは絶対に見つけなさい」

 先生の言葉に、千歳はちょっと意外なものを感じた。

「単純に遊ぶだけならともかく、本気でやるならギター、ベース、ドラムはそれぞれ出来る人間を揃えなさい」

 こう断言してしまうというのは、完成形が見えているということなのか。


 ただ、楽器のポジションにこだわらないというのは、羨ましくも感じる。

 千歳はギターしか弾けないし、いまだにそれも暁の足元にも及ばない。

 暁はベースを弾いても、それなりに弾ける。 

 もっとも体のサイズが比較的小さいので、やはりギターを弾きたがる。

 とは言え女子のベース弾きも、普通にいることはいるのだ。


 そうは言っても、ベストポジションというのはあるだろう。

 ポールがあっさりギターからベースに転向したようには、実際は上手くはいかないはずだ。

 スリーピースだとニルヴァーナなどが有名であるし、千歳の知り合いではクリムゾンローズがその構成である。

「けど、上手い人間を探すとなると、自分たちもそれなりに上手くないと」

 下手くそだった千歳だが、ノイズには引き込まれたものである。

「それは、聞いてもらったらわかるかな」

 玲に手を引かれて、千歳は音楽室を訪れるのであった。




 要求するだけのことはある。

 玲はギターもベースもキーボードも上手い。

 単純に技術的なことであったら、ギターは千歳よりも上手いと思う。地味にショックだ。

 これまでの上手い人間というと、年上の人間ばかりであった。

 だが下からもこうやって、とんでもなく上手い人間が出てくるのか。


 純粋に玲の場合は、音楽に親しんできた期間が違う。

 ただ母親はクラシック路線で、そもそも祖父もクラシックの人間なのに、ポップスに来るというのは珍しいのかもしれない。

 あるいはこれぐらいの年齢であると、親に反抗してみたくなるのか。

 ただ千歳の聞いた限りでは、確かにポップスだなと思った。

「ちなみになんでドラムは無理だと?」

「カノはドラム弾けるんだけど、ちょっと欠点があって……」

 もう一人のメンバーには、欠点がある。

「あの子は楽器を演奏しながら歌うことが出来ないのよ」

「へ? なんで?」

 千歳としては普通に、ギターボーカルをしているので意味が分からない。

 だがどうやら脳が、マルチタスクをするのに適していないのか。


 別に不思議なことではなく、楽器を演奏しながらでは、会話の出来ない人間というのはいる。

 だからボーカルもさせるために、ドラムが必要というのは分かるのだ。

「もうアキちゃんにプログラミングをしてもらった方がいいんじゃないの?」

「それで二人でやるって? まあB’zみたいな感じでそれもいいのかもしれないけど」

 なるほど、打ち込みを作れる人間が、知り合いにはいるらしい。


 バンドとしては、さすがにノイズに匹敵するとは思わない。

 だがバンドというのは、メンバーの化学反応が重要となる。

 今後どういう人間を引き入れるかで、その力は変わっていくだろう。

「まあ、うちの高校の新入部員とか、実力のあるのがいれば紹介するよ」

 少なくとも現段階では、このレベルと合わせられる人間は、千歳の知り合いにはいなかった。

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