第241話 夏の終わりに
フェスがある。
八月の下旬となると、気温的にはまだまだ盛夏と言ってもいい。
だがこの日本語の語感と、実際のズレはどの程度のものなのだろう。
俊はとりあえず、千歳の代理のギターを連れてきた。
ノイズのヘルプに入って名前を売りたいと言うよりは、俊に貸しを作りたいと考える人間。
異母弟である涼である。
彼の所属するバンド、セクシャルマシンガンズは名古屋から上京してきた。
インディーズレーベルと契約して、認知度を上げている段階である。
まだROCK THE JAPAN FESTIVALに参加するほどの人気は出ていない。
下旬にはまたライジング・ホープ・フェスには出る予定であるが、そちらの日程はノイズとは重なっていないのだ。
別に弟だからとか、そういう考えで連れて来たわけではない。
実力がある程度は分かっているし、上昇志向があるし、俊に貸しを作りたいとも考えている。
あとはノイズの音楽を、よく聞いているという条件にも合っていた。
「白雪さんには頼めなかったの?」
千歳がそんな確認をしてくるが、それによって俊はスランプに陥っているわけである。
もう一度と言うには、準備をする時間が充分にあった。
あの場でそれこそ咄嗟に合わせられる人間は、確かに白雪ぐらいであったろう。
しかし今度はさすがに、場所は東京で時間も二週間ほどの余裕があった。
これでわざわざ白雪にヘルプを頼むのは、あまりにも借りが大きすぎる。
涼の場合は確かにこちらも借りを作ることになるが、ノイズのステージで演奏すること自体が利益にもなるし、そのうちワンマンの時に前座にでも呼べばいい。
それでファンを獲得出来るかどうかは、やれるものならやってみろというものである。
練習は俊の家の地下ではなく、事務所が用意したスタジオにて行われた。
涼は上京してからこっち、同じバンドの仲間と一緒に、ルームシェアをして暮らしているらしい。
アルバイトをして練習をして、そしてようやくライブをする。
なんとも典型的な、バンドマンの生活である。
こういう場合は信吾のように、女のヒモになってしまえば、生活は楽になるのだ。
もっともそれも、やり方がまずいと問題になるが。
そして涼はその生来の環境からして、女性を食い物にするようなことが出来ない。
俊とは全く理由は違うが、女性に対してストイックという点では、この兄弟は似ているのかもしれない。
まずは一度試してみて、果たして上手く合うかどうか。
一応技術的なことなどは、俊も考えた上で選んでいる。
マシンガンズはあのフェス以外にも、上京してのフェスを何度か経験している。
俊は一応それを、時間がある時には見ていたのだ。
涼もまた俊に対して複雑な感情を持っていても、それを無視するということは出来なかった。
ノイズの音楽に関しては、普通に手に入るものはどうにかしている。
なのである程度ライブでやるスタンダードナンバーは、普通に合わせることが出来た。
あとはカバーで何をするかと、新曲をどうするかという問題だ。
「合格でいいのよね?」
阿部の確認に、俊はメンバーの顔を見てから頷いた。
単に技術的なものであるなら、涼は千歳よりもよほど上手い。
ただバンドというのは、その中でコミュニケーションを行っている。
単純な技術ではなく、咄嗟のアレンジなどにどう合わせていくか。
それにはやはり、回数を重ねていくしかないのだ。
千歳の右手の回復は、若いこともあって順調である。
リハビリも含めて九月の終わりには、なんとか弾けるようになるのではないか。
ノイズとしては八月の予定までは詰めていたものの、九月は綿密には決めていなかった。
なので助かったというところはある。
俊も作曲のスランプから、どうにか脱したいと色々なことに手を出していたからだ。
信吾と栄二は相変わらず、あちこちにヘルプで入っている。
月子は民謡酒場に出入りして、方向性の違う腕を磨いていた。
暁にしても父親の伝手なども使って、あちこちのバンドに参加していたりする。
武道館から夏の二度のフェスを考えれば、ノイズとしては一ヶ月ぐらい、休んでもいいだろうというタイミングではあったのだ。
相変わらずインディーズ扱いのノイズであるが、もうここまで知名度が高くなれば、インディーズもメジャーもないようなものだ。
俊のやっていたことは遠回りに見えたが、結局はほとんど最速の道であった。
なぜにここまで上手くいったのか、それは俊にも分からない。
ただ音楽というのは本当に、タイミングで売れてしまったりすることはある。
もちろん実力がなければ、売れ続けることは不可能であるが。
そして一度売れてしまえば、レコード会社などもそれに対して、資本を投下してプッシュしていく。
俊の選んだ道は、確かに困難な道のはずであったが、一度成功してしまったなら、大きく儲かる道でもあった。
六人というバンドの編成は、それだけ儲けも等分するので、売れていても配分が難しい。
だいたい音楽性の違いで分裂するのは、この金銭問題が実際の理由であったりする。
ノイズはそのあたり、かなり上手くやっている。
確かに作曲と作詞をやっている俊は、一番割合を多くもらっている。
だがバンドへの貢献度もまた、誰が見ても一番大きいのだ。
これは信吾と栄二が大人であることや、俊が住居を提供していること、また暁と千歳が高校生であることなど、色々な理由が絡み合っている。
それぞれが納得している状態であるため、上手くいっているのには間違いない。
ただ、誰か一人が文句を言い出せば、そこから壊れていくこともある。
俊としてはそういう形の解散などは経験していないが、阿部はさすがに業界人らしく、そういった光景は何度も見てきたのだ。
しかし結局のところ、コンポーザーとボーカルが、バンドの中では核になる。
バンドの音の土台は、ドラムなどが重要なのだが、売れる要素は楽曲とボーカルだ。
強いて付け加えるなら、リードギターであろうか。
考えてみればノイズの初期形態がそうである。
コンポーザーとして俊が存在し、ボーカルの月子に暁のギター。
だがあの時はまだ、それぞれが未熟すぎて、俊は二人を抑えることが出来なかったし、二人は共鳴してロケットで突き抜けて行った。
今ならどうだろうか?
今ならばもう少し、おとなしい演奏は出来るだろう。
ただこのメンバーでないと、出来ない演奏が増えている。
それにお互いに、いい刺激を与え合うメンバーが揃っている。
このバランスに誰かを入れたりすると、俊がスランプになったりするのだ。
(あの人もやっぱり天才だったよな)
俊の父に、ある程度のことを教わって、この世界を駆け抜けた。
だがヒートでの輝きが鮮烈であっただけに、もう一度自分でバンドを組むなどとは、思っていなかったのが俊である。
ROCK THE JAPAN FESTIVALには、多くの著名ミュージシャンが登場する。
だが未発掘の逸材などは、ほぼ登場してこない。
あるいは花音などは、ここで売り出すつもりであったのかもしれない。
今のALEXレコードは、さぞかし大変なことだろう。
事実、ALEXレコードは大変であった。
GDレコードとの駆け引きの結果、大きな恩を売ることには成功。
それでなくとも現在は、日本の市場では最も大きなシェアを占めている。
花音の登場によって、今後20年は日本の女性シンガーは、二位争いになるかとも思ったものだ。
もっとも針巣が注意を引かれるのは、戦友の忘れ形見が残した、あの大型バンドであったりする。
現在の日本のポップスシーンで、女性シンガーとしてナンバーワンとされるのは、一応まだ彩であろう。
だが何度かライブなどを聴いた針巣は、月子の潜在能力を感じている。
デビューして一年目と二年目で、明らかに表現力が上がっている。
バンドボーカルとしてではなく、ソロで歌わせたほうがいいのでは、とも思ったものだ。
もっとも彼女は心理的に、バンドメンバーに完全に依存している。
そのため引抜なども難しいだろうな、ということは分かっている。
親のコネクションも含めて実力、と素直に開き直っているゴートは、上手く花音を売り出す予定が空いたのを埋めてくれている。
永劫回帰はこの五年ほどは、日本のポップスシーンのトップであると言われている。
ただその前にあったバンドなどが、いくつか解散してしまって、上手くその穴を埋めたとも言える。
だいたいバンドというのは、三年から五年ほどで、賞味期限は切れてしまうものだ。
それを超えて続くなら、国民的なバンドになったと言える。
その中でノイズと、そしてMNRの二つは、かなり性質が不思議なバンドであるが。
俊のことなどは、岡町や安藤からそれなりに聞いていた。
ALEXレコードでデビューさせるには、あと一歩足りないかな、などとも思ったことがあるのだ。
もしもその領域にまで到達したなら、自分自らの肝いりでやってやろう、などとも思っていた。
それがインディーズからデビューして、そのままインディーズレーベルで、実質的にメジャーの売り方をしている。
ちょっとALEXレコードでは出来なかったやり方である。
針巣が東条や、その前のマジックアワーと組んでいた頃は、プロデュースの仕方が完全に変わっているのだ。
いまやアーティスト自らが、プロデュース能力までも求められている時代である。
旧来のやり方で大ヒットしたのは、それこそヒートが最後であったのではないか。
ゴートの永劫回帰が、彼のセンスによって成功したのが、きっかけになったのか。
ゴートが上手かったのは、短期間で消費されるような、そういう売り方をしなかったことだろう。
永劫回帰はビジュアル的にも強いが、それをあまり露出していかない。
それこそ80年代のアイドルのような、近寄りがたい雰囲気を作り出している。
芸能人と一般人との境界が、曖昧になってしまった時代である。
それこそアイドルの握手券などが、大きなきっかけではあったろう。
そういった本当の意味での偶像を、ゴートは上手く作り上げている。
またMNRもそういった面がある。
あそこは白雪が、ファンをファンとも思わない態度で、その冷たいところがいいと言われているが。
実際のところ、彼女の素である。
そういったあたりをちゃんと、計算しているのかしていないのか、よく分からないのがノイズだ。
俊は父の成功と没落を見ているだけに、いいところ取りをしてくるのではとも思った。
気がついたらノイズというバンド名で、かなりしっかりと人気の基盤を作り上げていた。
検索しづらいのである、ノイズというバンド名は。
一般的な単語をそのまま使わないでほしい。
花音については大々的に、ソロのシンガーとして売り出そうと思っていた。
楽器を巧みに弾けるのに、弾きながらでは歌えないという、致命的な欠点を持っている花音。
だが彼女のバックボーンにあるのは、母親の残した膨大な未発表曲。
それを彼女自身が、しっかりと自分でアレンジ出来る。
まだ高校一年生であるが、そもそもアレンジまで全部しだしたのは、小学生の頃からであるという。
完全に早熟型の天才だ。
だからこそ彼女の養育者は、高校生になるまで待ったと言えるのだろう。
アメリカの音楽界、日米の財界、それに日本の政財界など。
花音をプッシュする人間は多く、普通にやればそれだけで成功する。
それが逆に、彼女にバンドなどをやらせることになったのだろうか。
フラワーフェスタのライブは、針巣も年甲斐もなく見に行った。
確かに実力の高い人間を揃えた、実力も潜在能力も高いバンドだ。
しかしまだ、何かが足りない。
音楽で成功するためには、純粋な演奏に、ビジュアル的なイメージ、そしてもう一つの何かがある。
運とかタイミングとか、そういうものでもあるだろう。
または時代性というものも言えるのかもしれない。
だが針巣はそこを、奇跡とか魔法とか、そういうものだと思っている。
もちろん具体的には、何かがほんの少し、彼女たちには足りないと思っているのだが。
「花音ちゃんは面倒だよね」
社長室のソファーで、平然とくつろぐのがゴートである。
そしてこんな態度を取ってくるのを、むしろ針巣は心地いいと感じる。
もちろんゴートは他のミュージシャンたちなどとは、その背景にあるものが全く違う。
ただ彼が集めてきた永劫回帰のメンバーは、全員が似たような感じなのだ。
ギターのキイだけは、一般的と言うかそれ以上に、礼節を弁えているが。
針巣はこんな業界にいる以上、いつまでも気分だけは若いつもりだ。
だから若者に仲間扱いされるのは、むしろ嬉しいのだ。
「花音を売り出せないと、世界的な損失だ」
「そんなこと言っても、まだ15歳でしょ。もうすぐ16歳だけど」
花音の誕生日は、多くの人間が知っている。
その母親の死亡したのと同じ日に、彼女は生まれたのだ。
ドラマチックすぎる生まれ方だ。
死に行く母体の中から、彼女は取り出された。
果たして自分の娘の最初の泣き声を、母親は聞くことが出来たのか。
その場にいた人間は、一人しかいない。
ゴートが計画している、東京ドームのイベント。
それは今の時点でも、ある程度の情報を洩らしてきていっている。
現在の主流を成すバンドが、とりあえずは三組。
その前座で適当に、バンドに歌わせてもいいだろう。
一応は企画として、ちゃんと進んではいる。
だが当初予定では、もう一つぐらいはバンドを増やす予定であったのだ。
それを三組に、そして花音を足すとなると、負担が大きくなるのは間違いない。
しかもこれを、三日間も続けるのである。
武道館を満員にしたバンドで、そして大規模フェスのメインステージクラス。
これを三つも揃えるという根回しは、既に完了している。
あとはどういう段階で、情報を解禁していくかだ。
ただ休みを入れていっても、三時間以上のライブを、三日間連続。
しかも東京ドームというハコであるだけに、どれだけの体力が必要かも分からない。
ゴートが見るところでは、MNRは問題ない。
白雪はそもそも、ヒート時代にもっと無茶な、大規模ライブを経験している。
もっともあの時代に比べると、見た目は変わっていないようでも、彼女はアラフォー。
体力が落ちたのは間違いないだろう。
それよりも気になるのは、ノイズの方である。
GDレコードから話がいって、承諾されたのはいいのであるが、ノイズは永劫回帰やMNRと違って、リーダーシップで引っ張るタイプのバンドではない。
俊の力と言うよりは、バンドのバランスで成り立っている。
俊がスランプであることまでは聞いていないが、千歳が怪我をしたということはもちろん知っている。
年末までには当然、治っているとも分かっているが。
ノイズというバンドは、ゴートから見ても不思議なバンドではあるのだ。
永劫回帰はゴートが、最強のバンドを作ることを考えて、メンバーを集めた。
そして実際に、トップの座に君臨している。
MNRは白雪が、弟子たちのために作ったバンドだ。
正確にはかつてのバンドメンバーの、弟子ということになるのだが。
そして永劫回帰の勢いを、今現在は上回っている。
対してノイズは、迷走していたように思える。
サリエリという名のボカロPについては、名前程度は知っていた。
しかしルナと名乗る月子は、完全にどこから出てきたのか分からない。
歌ってみたを始めたのも、俊と組んでからである。
そしてそこに加わったのが、これまた無名であったアッシュ。
もっともそちらの方は、あの安藤保の娘ということで、納得は出来たのだが。
他の三人は、バランスを取るためのメンバーだ。
ただその中で、一番素人臭いトワに、何か可能性を感じるのも確かだ。
女子ばかりがフロントで、それでも充分に目立っている。
これを支えるメンバーが、それぞれ作曲を行ったりもする。
バンドの最終形態が、まだ見えないとでも言おうか。
永劫回帰は今が、完全に完成形である。
MNRはむしろ、最初から解散を前提として、白雪が作ったような気もする。
バンドメンバーの入れ替わりというのは、確かに昔からよくあることなのだ。
欧米の有名バンドなどにしても、主要メンバーの脱退などはいくらでもある。
圧倒的に世界を制覇して、それからレコーディングバンドとなり、解散してしまったビートルズ。
ゴートとしてはとても、そこまで達するのは無理だと思う。
今のままでは。
日本は音楽市場が大きいため、特に欧米に進出しなくても、どうにか成立するものである。
それが無理な韓国などは、無茶なことをやって総スカンを食らっているが。
英語圏というのはやはり、強大なマーケットになっているのだ。
これが中国などになると、人口だけは多くても、海賊版が流通して商売にならない。
これは日本のマンガやアニメも、大きな被害に遭っている。
アメリカに進出して、そこで売れることが出来れば、世界に広がっていく。
この形はもう、半世紀も前から変わっていない。
イギリスの音楽に征服されても、そこからまた新たな音楽を生み出す。
アメリカの場合は特に、地域ごとに音楽が存在する。
たとえばジャンルは違うが、ジャズなども生まれた土地ははっきりとしていたりする。
グランジのニルヴァーナは、シアトルから発生した。
基本的にはニューヨークが最大の市場だが、南部で生まれた音楽というのも多い。
黒人音楽の本場は、いまだに南部だというイメージもある。
それにヒップホップは、ストリートから生まれたのだ。
日本の場合は、音楽にそういった地域性はない。
正確には三味線などは、東北のものではある。
特に津軽三味線は、青森の津軽のものだ。
そしてそこから発生し、東北だけではなく関西や九州でも、三味線をやっている人はいる。
だがポップスの中心は、間違いなく東京である。
そもそも文化が、東京に一極集中しているのだ。
むしろ江戸時代の方が、上方に加えて各藩の城下町で、色々と学者が集まっていたという歴史がある。
もちろん東京で成功するのが、東京の人間ばかりというわけではない。
ノイズのメンバーにしても、淡路から月子、仙台から信吾がやってきている。
実は永劫回帰のメンバーも、東京出身はゴートとキイの二人だけで、ボーカルのタイガは信吾と同じく仙台出身であったりする。
ただ仙台で有名になる前に、ゴートがスカウトしたので、仙台出身というイメージはない。
こういったパワーのあるバンドを集めて、そこから世界に進出出来ないか。
ゴートはそう考えているのだ。
それにもっと長期的な目で見れば、日本の音楽のみならず、文化を残すためには世界進出する必要がある。
日本人がやるのではないかもしれないが、日本の魂が生きていれば、それはそれでいいのだ。
少子高齢化に、コンテンツの多様化。
ここからマンガやアニメを世界展開するというのは、既にされているものである。
そして音楽もそれに付随して、かなり欧米のみならず、アジア圏全体でも広がってきている。
日本の昔のシティポップが、今さら評価されるというのも、ネット時代の不思議な話だ。
コンテンツは多様化しているが、同時に古いものも発掘されている。
いまだに60年代からの洋楽を、神のように崇めている人間もいる。
そういう人間に、突き刺さる音楽を作りたい。
ノイズは何か、おかしなイメージを持っている。
ああいうバンドが意外なところから、世界に拡散していくのかもしれない。
ゴートはそう思うが、重要なのは日本の音楽全体が、活況を呈することだと考えているのだ。
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