第211話 カバー

 俊は学問的に音楽を捉えているところがある。

 古代ローマあたりまでは、音楽は芸術ではなく、学問分野でもあったのだから、あながち間違いとも言い切れないだろう。

 特にDAWを使って作曲をするというのは、既に存在するリフなどをどれだけ使えるか、ということも重要になる。

 その中で俊は、色々とジャンルを超えて楽曲を調べたものだ。


 日本の音楽としては、明治からある程度ストレートに発展した昭和歌謡と、演歌について調べたりした。

 ロックが日本に入ってきて、はっぴいえんどになったのを聴いてみたりもした。

 現在の日本においては、人間が歌えない曲でも作ってしまう、ボカロ曲が一番世界の先端を行っていると考えていた。

 だがジャンルの枠を一番ごちゃまぜにしているのは、アニソンだと千歳の影響で思うようになってきた。


 国産連続アニメの第一号である鉄腕アトム。

 作詞をしたのは谷川俊太郎である。

 国語の教科書にも、彼の詩はかなり収録されているが、冗談のような詩が多くある。

 正直これは、ラップなのではと思ったりするほどのものだ。

 そこからアニメ主題歌は80年代まで、おおよそ作品に付随して作られたものだが、初代ガンダムのOPの歌が全く内容に合っていないのは周知の事実である。


 おおよそ80年代の半ばあたりから、ごりごりのハードロックやEDMなどで曲が作られることが多くなり、また歌詞の中にタイトルが含まれないものも増えてきた。

 また既にアニソン以外で売れている歌手が、OPなどを当てることもそれなりにあるようになってきた。

 一番それが作品に合っていながら、完全にポップスなのはGet Wildあたりであろうか。

 ただ他の曲で大ヒットを飛ばしていながらも、アニソンを歌ったというのならば、クリスタルキングの方が早い。

 だがロングヒットでカラオケなどでは歌われたが、フィジカル媒体で売れたのは、圧倒的にGet Wildの方である。

 90年代になると普通に、タイアップが増えてくる。

 アニメがオタクのものではなく、一般的な文化となっていた時代であろう。


 今もアニメタイアップは多く、ノイズの曲も海外と国内、二つが採用されている。

 一つは前半クールをノイズ、そして後半クールをMNRがやるのだから、勢いのあるバンドのいいところであろう。

 打上花火やアイドルなど、ボカロP出身のコンポーザーによる、アニメのMVがある名曲は多い。

 まさにアニメーションとの見事な融合であろう。

 もっとも俊は、作品の中身まで素晴らしいかどうかは、ちょっと言及しない人間である。


 


 シンセサイザーでピアノの音を選択し、ピアノソロからその曲は始まった。

 テクノサウンドが本来のものであるが、そこはアレンジの腕の見せ所である。

 これもまた、アレンジはしてみたものの、果たしてステージでやるかは迷うものだ。

 ストリングスが多いため、そこをギターにするか打ち込みにするか、迷うのである。


 序盤からギターの出番が少ない。

 さらにメロディ部分をストリングスが鳴らすので、そのままならノイズでは出来ない。

 そしてアレンジをするとなると、許可をもらうのが面倒だったりする。

 しかし終盤の、本当のクライマックスのあたりになると、ギターの役割も多くなる。

 まさにシンセサイザーが必要な曲である。


 最後はピアノのソロに戻り、静かに終わる。

 四人は拍手もせずに、うっとりとそれを聴いていた。

「キーボードを使うならともかく、シンセサイザーを使うならこれぐらいが出来る。ただこれはマルチタスクだからな」

 ドラムもリズムキープだけで、それほど役割は多くない。

 とにかく俊の出番が多くなるので、だからこそ逆に俊は、これはステージではやらないかなとも思うのだ。


「今の、なんて曲ですか?」

「My Soul,Your Beats。ちなみにアニメのOP曲だったりする」

 言われてみればそうなのかな、と花音たちも納得するのは、ジャンルがよく分からなかったからだ。

「ちなみに原曲はこれ」

 俊の流す曲は、ネットで普通に流れているものだ。

 アニソンの発掘は、だいたい千歳に任せているが、そこから弾けるようにアレンジするのは俊と暁が多い。


「ギターの重要度が全然違う……」

 ストリングスのパートをギターにしてしまっているので、それは当然であるだろう。

 曲のイメージは、元よりもよくなっているように感じる。

 だがそれは生音演奏と比較しているからかもしれない。

 どちらにしろノイズの演奏は、エモーショナルなものであった。

 特に最後の、余韻を残したピアノの音。




 俊としてはこの四人でやるにしても、他にも重要な問題があると考えている。

 作曲と作詞はどうするのか、というものだ。

 花音についてはおそらく、針巣は世界展開を考えていただろう。

 バンド形式にするにしても、世界で戦うなら英語の作詞者が必要になる。

 ただ日本語と英語、どちらも出来るというバイリンガルやマルチリンガルが、この四人には揃っている。

 その点だけでも既に、日本の大半のバンドよりはスタート地点が前になる。


 この作曲と作詞のうち、作曲は花音の母の遺作を使うとする。

 だが彼女の曲は確か、全てがピアノで作曲されていたはずだ。

 ポップスに使われるギターやベースだけではなく、彼女は編曲をするにあたって、交響曲並のバック演奏を使った曲も作っている。

 音楽の発端がクラシックにあったからこそ、出来るとも言えるものだ。

 俊にしてもピアノとヴァイオリンという、二つの楽器を習っていたことが、編曲の幅を広げてくれている。

 昔のバンドの曲というのは、どうしても薄っぺらいものであることが多い。


 彼女たちにそれが出来るのか。

 もっとも著作権は作曲と作詞にかかるので、そこは会社に任せるのかもしれない。

 だが天才の残した曲を、どういう形で作品にして、商品として届けるか。

 下手なアレンジなどされれば、せっかくの名曲も大味なものになってしまう。

「いっそ先生にヴァイオリンで入ってもらえば? あの人の外見、20代で通用するでしょ」

「いや、お母さんと一緒はさすがに」

 にこにこぷん。


 千歳の意見はさすがにないが、どんな演奏が出来るのか、どんな演奏がしたいのか、それが問題である。

 まずはそれぞれの弾ける楽器を、確認した方がいい。

「いや、それをここでやられるのも困るんだが」

「そう言わずに、相談に乗ってください」

 駄目出しをしてしまったのだから、最後まで面倒を見ろと言わんばかりの玲である。

 毒を食らわば皿までも、という諺は確かにある。


 花音はバンドの全楽器を弾けるし、なんならヴァイオリンなどまで弾けてしまう。

 まさにマルチプレイヤーであるが、特にピアノが上手い。

 これはもう別格で、普通ならクラシックの方面に進んでください、と言いたくなるものである。

「お母さんはショパン・コンクールに出させたかったらしいけど、お姉ちゃんも目指してるから」

 ショパン・コンクール。

 世界的に見ても、トップレベルのコンクールで、若手向きのものである。


 花音は確かに、技術も情感もピアノで表現出来る。

 だがクラシック向きなのかな、とは俊はちょっと疑問に思う。

 ロックの洗礼を受けたら、クラシックに戻れないのでは。

 しかし最近のクラシックは、ロックな弾き方をしているピアニストもいる。


 エイミーはギター・ベース・ドラムが出来る。

 ジャンヌはピアノ・ドラムが出来る。

 玲はギター・ベース・ピアノが出来る。

 そして花音は全部出来るが、同時に歌うことが出来ない。


 なんとも贅沢なものだな、と俊は素直に思う。

 まあポール・マッカートニーはギターからベースに転向して、ピアノも弾いてドラムも叩き、その全てがほぼ一流だったというのだから、マルチプレイヤーはいるものだ。

 ノイズの中では俊が一応、マルチプレイヤーと言えるであろう。

 だがどの楽器も極めたものはなく、ピアノとキーボードが一番得意ではある。


 玲と花音はこれに加えて、ヴァイオリンもいけるらしい。

 花音はその気になれば、どんな楽器でも一日か二日で、それなりに弾けるようになってしまうのだとか。

 ただ管楽器に関しては、さすがに難しいそうだ。

 あれは唇などを酷使するので、一日や二日では鍛えられないのである。

「いや、ギターも一日や二日なら、指の皮がむけると思うけど」

「あたしむけたことないよ」

 暁はそう言うが、彼女の場合は物心つく前からやっていただけの話である。




 楽器演奏能力というのがどういうものなのか、俊には本質的に分からない。

 優れたバレエダンサーやピアニストでも、一日練習を休めばそれで、元に戻すのに一日かかる、などと言われるのだ。

 それに花音の母親も、そこまでのマルチプレイヤーではなかったと思う。

 つまりこの才能は、娘である花音に遺伝したものでもなく、彼女特有のものである。

 もっとも母親は、普通にピアノの弾き語りなどはしていた。


 おそらく肉体を操作するリソースを、脳が演奏に集中させてしまうのだろう。

 何かのきっかけで、不意に歌えるようになるかもしれない。

 だがそれはここまで、色々と試してきたことなのだ。

「まあ全員がボーカル出来るバンドなんて、それだけで充分すごいからな」

 玲以外の三人に、それぞれ出来る曲で歌ってもらったりした。

 贅沢なものであるが、セッションをするのは楽しいことだ。


 ジャンヌは母親譲りの、ハイトーンボイスを持っている。

 月子に似ているが、月子の場合は透明でありながら、もう少し厚みがある。

 はかない感じの声は、それはそれで需要があるだろう。

 それぞれの声に合わせて、楽曲を作っていけばいいのではなかろうか。

 エイミーの声はそれに比べると、黒人の血を引いているというか、べっとりとしたアルトの声だ。

 伸びがあるがこれまた、特徴のある声である。


 玲の声は典型的なポップスに映える曲なので、色々な楽曲が演奏出来る。

 ノイズもたいがいなんでもありだが、彼女たちはボーカル四人体制であるのだ。

 もっとも色々な音楽が出来るということは、その芯が定まらないということでもあろう。

 ノイズの場合は結局、俊のアレンジという核がある。

 彼女たちにはその、自分たちの音楽というか、スタイルが確立されていない。

 なんでも出来るがゆえに、自由度が高すぎるがゆえに、柱がないと言えようか。

 ただそれを言えばビートルズなども、最後まで成長と変化をやめなかったバンドなので、成長の余地がいくらでもある、という考え方もある。


 可能性の塊と言うか、まだまだ素材でしかない。

 これならば花音の、ボーカル一つで売り出した方がいい。

 ただビジネスではなく、アートとして考えるならば、この四人の化学反応は見てみたい。

 四人というのはビートルズやツェッペリンと同じ数だし、QUEENとも同じ数だ。

 俊はノイズは、四人では足りないと思ったからこそ、五人編成にした。

 それでもまだ不充分だと、千歳を見て気づいたのだが。


 バンドメンバーが増えると、内部での意見対立も多くなる。

 だがノイズは今のところ、俊の方針に調整こそあっても、正面から反対することはほとんどない。

 あったとしてもそれは理由があることで、なんとなく嫌、などというものはないのだ。

 このまま上手くバンドが続いていくことを、俊は祈っている。




 そして暁が言った。

「せっかくギター弾けるのが何人もいるんだし、あれ演奏してみない?」

「あれじゃ分からな……あ、ギターってことはひょっとして、あれか?」

「ホテル・カリフォルニア!」

「あれかあ。……楽譜どこにあったかな」

 確かにこれだけギターが弾ける人間が集まれば、やってみたくなるのは分かる。

「12弦ギターもあるんだよな、ここ……」

 信吾はそう呆れているが、楽器のコレクションでも本当に高いのは、ある程度売ってしまっている。


 ホテル・カリフォルニアはイーグルスの楽曲で、1977年にリリースされた。

 六分を超える超大作であるが、ローリングストーン誌の選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング(2010年版)で49位に入っていたりする。

 49位ってたいしたことないじゃん、などと言ってはいけない。

 これより上の曲となると、本当にもう、いまだに多くの人々が知っている曲になるのだ。

 もっとも2021年版になると、かなり大衆的要素が強くなっていたりもする。

 まあ一位がアレサ・フランクリンの曲というところで、日本人には馴染みの薄いものになっていくのかもしれないが。

 一番日本人に分かりやすいところだと、ニルヴァーナのSmells Like Teen Spiritが五位に入っている。


 面白そうにギターを取り出す俊。

 そして暁はギターを選び出す。

 ギブソン・レスポールとフェンダー・テレキャスターが必要な曲である。

 もちろんなくても、やろうと思えば出来るが。


 ノイズの強みというのは、こういったところにもあるだろう。

 面白そうと思ったら、やってしまうところだ。

 千歳がアニソンを持ち出してきても、それを否定することがない。

 彼女は仮面ライダーのOPやEDであっても、熱唱することが出来るのだ。

「三味線混ぜたらいい味にならないかな?」

「そっちで一番ギター上手いのは誰?」

「ボーカルは誰と誰が取ればいいんだ?」

「栄二さんはドラムってことで」

 考えてみればノイズのメンバーも、四人はギターを弾けるのだ。


 マジメに音楽を批評しておきながら、思いつきのようにこんなことを言い出す。

 この人たちって案外子供なんじゃ、と玲は思ったりもした。

 もっともアーティストというのは、どこか子供なところはあるものだ。

 それは俊にしても同じで、面白ければやってみよう、というところがある。

 そうでなければアニソンカバーのアルバムなど、作るはずもないのだ。


 楽譜を引っ張り出して、それぞれのパートを決めていく。

 確かに人数がいなければ、やりにくいものであろう。

 一応は打ち込みを使えば、出来なくはないものだ。

 しかしこれだけギタリストがいるならば、滅多に出来ないこともやってしまおう、という話にはなるのだった。

 趣味の世界である。




 花音たちのグループは、バンドの名前も決まっていない。

 ただリーダー的なことは玲がやっているが、実際の舵を切るのはジャンヌになるのではないか。

 そして心臓は間違いなく花音だ。

 そのあたりの見分けを、俊はセッションしながら確かめていった


 これは金が取れる演奏だな、と途中で気づいたりもしたものだ。

 ただレコーディングをするにしても、まだ機材を入れていない。

 さすがに適当な機材で録音しても、後から音を切り貼りするのが大変すぎる。

 だが面白い音源にはなるのかもしれない。


 ゲームミュージックすら、ノイズはフォローしている。

 別に今時、ゲームにOP曲がついているのは珍しくない。

 帝国歌劇団の歌であっても、別に歌えなくはないのが千歳である。

 ただあれは、ギターがメインではないので、ちょっと演奏することにはならないのだが。

 ノイズの特徴というのは、俊による自由自在のアレンジ。

 そしてツインボーカルの表現力に、暁のリードギターとなる。

 この強みをしっかりと知っているからこそ、ノイズはここまで来ることが出来た。

 花音たちが素材ではなく、作品であり商品となるためには、まだ時間も研鑽も足りない。

 しかしその時間は、充分にあるだろう。


 音楽のみに専念出来る。

 その時点で既に、ある程度のアドバンテージがあるとも言える。

 ただ音楽以外のことをするのも、その音楽に厚みを増すには重要なことだ。

 人生がそのまま、音には出てくる。

 月子や千歳などは、その人生における苦悩が、声になって発せられるのだ。


 四人を送ってから、俊は家に戻ってきた。

 暁と千歳も既に帰宅し、大人組四人のみが残っている。

「まだ爆発する前の段階だな」

 栄二が称したのは、まさに的確であったろう。

「何か雷管でも手に入れば、すぐに爆発しそうだけどな」

 信吾の危機意識は、俊と似たようなものだ。


 ただ月子は、ちょっと違う見方をしていた。

「あの子たちのルックスなら、アイドル売りでもいいんじゃないかな?」

「あ~」

「まあ、確かに可愛らしいことは可愛らしかったけど」

 俊としてはそのルックスからフリフリの衣装で、激しいロックをやったらギャップがえげつないな、などということを思った。

 まだ名前のないバンドグループ。

 それが台頭してくるのが、果たしていつになるのか。

 期待と共に、恐怖もしっかり、くじけない程度には感じている俊であった。

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