第212話 ガールズ・ブラボー

 化学反応は仲間たちの中だけで起こるものではない。

 競い合うライバルがいてこそ、より強くなろうとする。

 音楽は勝ち負けではないと言ったが、どれだけオーディエンスの魂を揺さぶれたか、それは確かに結果としては出るだろう。

 ラップバトルで歓声の大きさが、勝敗を決めるのと同じことであろうか。


 優れた音源を残すというのは、フィジカルやデータで成されることである。

 ライブを行うことによって、共感と一体感を得る。

 また楽譜を残すことによって、後世に楽曲を伝えていく。

 今ではデジタルデータが主流であるが、突然電気が失われでもしたら、楽譜と楽器の時代に戻るだろう。

 映像としてステージの楽曲が残されても、その場にある熱量というのは、当事者でないと分からないものもある。

「ポピュラーミュージックにとって、大きな変化というのはやっぱり、演奏と歌唱を行う人間が、自分で作曲と作詞をするようになったものだと思うんだ」

「いや、それは確かにそうなのかもしれないけど」

 俊の音楽の歴史については、突然にこうやって始まったりする。

 月子はそれを聞かされているが、案外彼女は知らないことが多い。


 ただ月子としては、演奏者が曲を作るというよりも、演奏者がその場でアレンジをしていってしまう方が、一般的な認識だ。

 三味線はじょんがら節を基本として、そこから演奏ごとにアレンジを変えていくことが出来る。

「結局、自分たちで曲を作っていかないと、自分たちの歌にならないんだよな」

 なんだかんだノイズの曲は、作曲は九割、作詞はそれ以上に、俊が完成させていっている。

 もっとも各パートの人間から、要望は色々と入ったりするが。


 最近では千歳も、弾きにくいとか弾きやすいとか、それぐらいは語るようになっている。

「作詞でもしてみるか?」

「げえ」

 洩れた声が既に否定していた。


 作曲まではまだ分かるのだ。

 だが作詞となると、その人間の思考がダイレクトに反映される。

 スキスキダイスキなどと言っているのは、完全にネタであると分からなくもない。

 しかし自分の心情を赤裸々に歌うなど、中学生は平然と行うかもしれないが、高校生ともなるとちょっと厳しい。

 ネタに走ればまだ、本心を隠すことが出来る。

 本来ミュージシャンなどは、目立ちたがりばかりであるはずなのだが。


 俊は意外と目立ちたがりではない。

 ノイズはフロントの三人が目立てばいいと考えているし、そう考えるだけのリズム隊を集めた。

 彼の自己顕示欲や承認欲求は、PVなどで達成される。

 それでもライブによる、生の反応というのは知りたいものだ。

「文乃さんに相談しながら書いてみたらどうだ?」

「え、あたしが書くの規定路線なわけ?」

「そろそろお前も、不労所得が欲しかろう?」

 そこまで売れる曲など、そうそう簡単に作れたりはしないのだが。


 音楽で食っていくには、煌びやかなステージでライブを繰り返す、というのも確かに必要である。

 露出を増やすことによって、認知度を高めていく。

 ミュージシャンが人気商売であるというのは、間違いのないことなのだ。

 ただライブなどの収入以外で、ずっと食っていこうとするなら、やはり作曲と作詞が重要となる。

 たった一本の曲だけで、数億円も稼いだという例はあるのだ。

 もっともその道はちょっと、やることが多すぎるものでもあるが。


 カラオケでの使用や、他のミュージシャンのカバー。

 そういったものが収入になるのは、作曲と作詞だ。

 そしてこの二つのうち、どちらが敷居が低いかを考えれば、それは作詞となるだろう。

 基本的に日本語が分かれば、作詞は出来るのであるから。

 もちろんレベルの差は人によって大きい。

 それは誰にも読まれないWEB小説と、出版社から声がかかって書籍化・アニメ化をするぐらいに玉石混淆だ。


 作曲にしても本来は、楽器を一つ弾けるならば、出来なくはないのだ。

 このあたりは下手な絵でもネタで勝負する、マンガに近いとも言えるだろうか。

 だがメロディラインだけを作っていても、一応は作曲なのである。

 俊のようにアレンジまでするのは、相当の蓄積が必要となる。




 どうして俊が作曲だけではなく、作詞にまで他のメンバーの意見を必要とするようになったか。

 それはこれまでのように、収入をちゃんとメンバーに分散させる、という意味もないではない。

 だが今までの自分のように、一つの頭から発想を出してくるというのには、限界があると思い始めたからだ。

 理想を言うのならば、全員が作曲と作詞を出来るようになればいい。

 もっともそんな万能性を持ってしまえば、今度は誰がバンドの中で、イニシアチブを取るのかでもめるようになるかもしれないが。


 俊はそのあたり、ある程度は楽観している。

 まだ結成して二年も経過していないが、音楽に対しては妥協しなくても、人間関係はいいのだ。

 それぞれのメンバーにクセがあるが、それでかえってバランスが取れている。

 また男性陣が比較的、大人であったというのもいいのだろう。

 わがままに走りかねない高校生組も、月子のハンデがあることで、そこのバランスを取らなければいけないと配慮している。


 俊が千歳を入れたのは、もちろんそのボーカルとしての素質を評価したからだ。

 だが今思えば、月子と暁の間のバランスに、もう一人誰かがほしいと思ったからかもしれない。

 歴史的に有名なバンドは、おおよそが仲違いして解散か、メンバーの変更がなされている。

 ビートルズは解散したし、ストーンズはメンバーチェンジがある。

 最初からほぼずっと四人でやっていたツェッペリンもボンゾの急死によって、即座に解散した。

 ちなみにQUEENはフレディの死後も解散はしていないが、新しいボーカルを入れたし、ベースは事実上の引退をしている。


 ビートルズにしてもマネジメントを行っていたエプスタインの早世が、短期間での活動中止と解散の原因にもなっている。

 長く続くバンドというのは、とにかくリーダーが強烈なリーダーシップで、圧倒的にバンドを牽引する場合であろうか。

 だが待遇にあまりにも差があると、そこで軋轢が生まれたりする。

 俊は相当に、そこは気を遣っている。

 月子は日常がそもそも、誰かと一緒でないと生活に負担がかかる。

 意外と暁はギターさえ持たせなければ、おとなしくて助かっている。

 あとは控えめではあるが、栄二がどう考えているか。

 最年長であり家族も抱えている彼は、バンドへの不満以外で離脱の可能性はあるかな、と俊は常に考慮している。

 信吾がメンバーに手を出さないのは、それだけでもう充分である。

 ただしあまりスキャンダラスなことをすれば、バンドにも影響があるかもしれない。


 音楽的な安定感と、人間関係の安定感は違う。

 音楽に妥協をしていてはいけないが、それが衝突を呼ぶこともある。

 悪いことにアーティストというのは、我が強い人間が多い。

 自分で自分のことを陰キャと言う徳島なども、あれで自分の音楽は譲らないところがある。

 逆にそれ以外は、いくらでも譲ってしまうが。

 だからこそ音楽で妥協したら、自分は終わりだと考えているのだろう。


 俊としてはそこまで、音楽の奴隷になることは出来ない。

 かつての父の失敗を見ていると、どうしても打算や妥協が働いてくるのだ。

 だが他の部分はともかく、音楽に関しての妥協はしたくない。

 打算はカバー曲をすることで、既に随分と行っている。




 いくら実力や才能があっても、それだけでは売れない。

 かつては巨大な資本を投入して、それによって認知度を上げていた。

 だが今はそれをやると、かえって反感を買ってしまう時代。

 駅の中でまで大きく宣伝した、大御所の新作がこけるということは、珍しくはないのである。


 自作自演の形で、多くのフォロワーがいるように見せる。

 あるいは炎上芸なども、現代の文化では視線を集めるのには役に立つ。

 それでも限界はあって、せいぜい数千人といったところか。

 現在ノイズのファンクラブは、無料登録者とも言えるフォロワーだけなら、10万人を軽く超えている。

 だが世界規模はおろか、日本規模で見ても、これより上はいくらでもいる。

 有料登録はライブチケットなどの優先獲得なのは、他のファンクラブなどと比べても同じことだ。

 こちらの人数は少ない。


 炎上芸は嫌だな、と俊はその路線は取らない。

 音楽はもっとロックなものであると俊も思っているが、現代ではそれは通用しない。

 一般人がバズることがある今、発信の手段が簡単になっている。

 ロックスターらしい悪行ならばともかく、一般的なしょぼい悪行を行っていれば、それだけで一気にマイナスとなる。

 芸能人という意識をことさらに持っているわけでもない俊だが、必要なのは神秘性というものだ。

 親しくはあるが、どこか遠く離れてもいる。

 そういう距離感が必要なのだ。


 そして距離感というのは、歌詞で表現するものだろう。

 人間は誰だって、共感はしたいものだが、同時に共感だけで熱狂には届かない。

 エモーショナルなものはどこか、その人間の深いところから発生する。

 安易な道を歩いてきた人間は、どうしても訴えかけるものが少ない。

 ただBGMとして流すだけの、軽い音楽も必要ではあるのだろうが。

 本来ならば音楽などは、自己主張の塊であるはずなのだ。

 しかしそれをどう表現するかは、まさしく人それぞれだ。


 技術に走っていったロックが、メタルになったのだろう。

 メタル系列は基本的に、技術と共にファッションも、ロックを発展させたようなものであった。

 暁の場合はメタルも好きだが、その衣装のセンスは完全に、グランジのものである。

 彼女が正装するとすれば、それはなんらかの賞にでも選ばれた時であろう。

 飾らないことが、彼女にとってのステージ衣装で、練習は普通に制服なども着ていたし、実はちゃんとスカートも持っているのだ。




 暁は言葉では語らない。

 彼女はギターで語るのだ。

 だがコーラスでハーモニーを奏でることぐらいは、普通にやっている。

 弾きながらでも歌えるのは、千歳と一緒である。と言うか、普通の人間はそうなのだ。

 だから彼女は作曲の方にならば、少しは作ることもある。

 ただ月子や千歳と違って、それほど人生に重いものを背負ってはいない。


 両親が離婚したことや、友達がいないこと。

 それは自分の好きな趣味が極端であったため、仕方のないことだと思う。

 リッチーのギターが好きだと言っても、同年代の少女たちはせいぜい、アイドルでなければ日本のポップスがせいぜいである。

 ただこちらの世界で本当に弾き始めてからは、それなりに友人と言えるような人間は増えてきた。

 クリムゾンローズのお姉さんたちとは、今でも普通にセッションしたりする。

 だが演奏を合わせるのは、かなり大変ではあるが。


 月子や千歳ほどには、劇的な人生を歩んでいないな、とは思う。

 だからといって音楽が、つまらないものになるなどとは思っていない。

 背負うものがないならないで、それを感情にして音に乗せるのだ。

 ボーカルは言葉にしないといけないから、それが大変だなと思ったりもする。

 暁の音はなんだかんだ言いながら、攻撃的で鬱憤を晴らすかのようなところがあるのだ。


 千歳が作詞で唸っている間に、暁もちょっと作曲などをしてみる。

 ギターのメロディやリフ、コード進行はいくらでも、彼女の頭の中にある。

「レッチリそのままじゃねえか」

 珍しくも俊に厳しく返されて、反省したりするところもある。

 うんうんと考える暁に対して、俊はコレクションの中から、他のギターを渡したりもする。

「レスポール以外の音で考えたら、何か思い浮かぶものもあるんじゃないか?」

 それはあるかもしれないし、ないかもしれない。


 とは言っても渡されたのは、ヒストリックコレクションのレスポール・クラシックであったりする。

 俗に言うブラックビューティーだ。

 ジミヘンも弾いていたことがあるこのレスポールは、暁のスペシャルに比べると、音が重くて深い。

 分厚い音に圧倒されることがあり、暁のスペシャルの攻撃的なものとは、違う音になっていくのだ。

「まあ、これならこれで、弾けるかなあ」

 ただ右利き用なので、弾くためには弦を張り替える必要がある。


 俊としてはフェンダーのギターでも試してみればと思うのだが、フェンダーのギターは体にフィットする形状になっている。

 ストラトキャスターやテレキャスターがそうであり、それをわざわざ右用なのに、左に弦を張り替えて使ったジミヘンは、やはり変態ではある。

 もっともレスポールもレスポールで、右と左では形状が違うので、立って弾くのは難しいかもしれない。

 暁の場合はアコースティックギターも使うので、それで作曲をしたりする。

 だが単純なメロディではなく、ギターの弦の響きそれ自体に、インスピレーションを感じる場合があるらしい。




 メンバーがそうやっている間にも、俊は多くの曲を作っていく。

 正直なところ曲はともかく、歌詞の方が難しくなってきた。

 俊はノイズの中では、間違いなく読書家である。

 ちなみに二番目は、意外かもしれないが千歳である。

 彼女の場合は別に、マンガばかりを読むわけでもないし、アニメばかりを見るわけでもないのだ。


 ただ読むのはミステリーやサスペンスが多いため、そこに物語りはあっても情景は薄かったりする。

 もちろん文章の美しい、大衆小説というのもあるのだが。

 俊が読むのは大衆小説もあるし、そして意外かもしれないがあまり純文学は読まない。

 純文を読むぐらいであれば、思想書などを読んだりする。

 あとはビジネス本などを読むと、意外と面白い思想に行き着いたりする。


 歌詞というのは、日常を送る中で、それをどれだけ可視化しているか、というところから生まれるのかもしれない。

 徳島などは逆に、歌詞を表現するために、曲を作っているなどとも言っていた。

 小説を読んで、そこから曲を生み出すというのは、別に珍しいことではない。

 むしろインプットをしなければ、生まれて来るものは劣化していくばかりだ。


 どれだけ貪欲になれるか、それがアーティストとしての才能と言おうか。

 むしろ執着や執念といった、場合によってはマイナスに思われる、そんなものが重要になったりする。

「つーわけであの子たち、ゴールデンウィークにスパイラル・ダンスでデビューすることになったらしいぞ」

 千歳ではなく俊に直接送ってきたのは、彼女たちの意識が千歳だけではなく、ノイズというバンドそのものに向いているからであろう。

 あの後、どういう話になったのか、俊は詳しくは聞いていない。

 そもそも所属するレコード会社が違うため、あまり伝わってこないはずなのだ。

 ただあれだけ盛大に打ち上げたのだから、色々と話が伝わってもおかしくはない。

 だが一度、走り出す前に踏み切り位置を考え始めたとでも言おうか。


 花音は単体で、どこかでデビューするのだろうか。

 そういったことも分かっていない。

 予算の関係なども考えると、なんらかの予定は動いているのだろう。

「今はとりあえず、うちらのライブが重要だよね」

 月子が言うのは、ゴールデンウィークの四回のライブだ。

 それぞれ東京、千葉、埼玉、横浜の四箇所において、1000人以上の規模のコンサートを行うことになっている。


 デビューライブについて、チケット付きで招待されていた。

 そのチケットが二枚であるというのは、俊と千歳を想定したものであるのか。

 あるいは千歳ではなく、暁であるのかもしれない。

 あのバンドにはマルチプレイヤーが多かったが、ギターで暁を上回る弾き手はいなかった。

 都合がいいと言うべきか、丁度ライブのない日のことである。

 50人が入るハコで、前から二番目という順番。

 これはちゃんと探さないと、なかなか客が入っていない中で演奏することになるのかもしれない。




 ノイズは、なんだかんだ言いながらも、最初からある程度成功していた。

 地味にではあるが、スキップすることはなく、確実に前に進んでいったのだ。

 それに比べて彼女たちは、どういう音楽をやっていくのか。

 音楽の演奏と、聴かせるための音楽というのは、ちょっと違うものである。

 もちろん他の誰かに、これまでも聞かせていたことはあるだろう。

 だがこれまでと違うのは、彼女たちを知らない人間に、その音楽を聴かせるということである。


 怖い話だ。

 反応があまりにもなければ、一度きりで折れてしまう人間もいる。

 ただ俊は、それならそれでいいだろう、とは思っている。

 本当に音楽に囚われた人間というのは、それだけでは折れることはない。

 折れてしまえるのは、むしろ幸福な人間であろう。


 この業界は本当に、光の当たる場所であれば、ものすごいスポットライトを浴びうこととなる。

 俊たちもフェスの動員などを考えると、充分に成功したと既に言える。

 もっとも成功することと、成功し続けることは全く違う。

 ここからノイズでやりたい音楽は、まだたくさんあるのだ。

 それにノイズに求められている音楽も、まだまだあるだろう。


 曲の形にはなっていないが、テーマだけは決まっている作品もある。

 そういったものを全てアウトプットしていって、その先には何があるのか。

 あるいはもう出すものがなくなってしまい、燃え尽きてしまうものなのか。

 俊個人であれば、そうなっても技術を使って、この業界で生きて行くことが出来る。

 信吾や栄二はつながりを持っているし、月子も千歳も単体で売れるぐらいに完成度は高まってきた。

 暁もやろうと思えば、どこのバンドにでも入れるだろう。


 そんな先のことを考えすぎることもある。

 本当に考えすぎだが、そういった悪いことを考えて、それに対処しようとするのも、俊の性なのである。

「そういえば、あの子たちのバンド名って決まったの?」

 月子の問いに、千歳が反応する。

「四人だから結束バンドだね」

「キーボードがいるだろ」

 信吾の突っ込みに、すぐにまた反応する。

「放課後ティータイム」

「……あと一人、後から追加されるのか」

「いや、君たちね」

 そういった架空のものを使ってはいけないであろう。

 まあBECKは既に存在していたのだが。


 ちゃんとチケットには、出演するバンドの名前も記載されている。

「フラワーフェスタだとさ」

 なるほど、既に存在している名称を、バンド名にしたわけであるのか。

 ……結束バンドと同じであるが、こちらの方がまだ分かる。

 それにフラワーというのは、花音を中心としたものである、という宣言なのかもしれない。

「あ、でも後ろに(仮)って書いてある」

 なんだそりゃ。


 まあバンドの名前というのは、確かに難しいものではあるのだ。

 後から考えるなり、モンゴリアンチョップスクワッドとするなり、それでもいいだろう。

 ボカロPなどは誰かが使った呼び名に、そのままPと付けて使っていたものだ。

 俊のサリエリは自虐的なものだが。

「一応聞きにいかないわけにはいかないだろうな」

 実際の演奏で、どれだけのことが出来るのか。

 近い未来のライバルと、俊は彼女たちを考えていた。

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